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面妖寵愛婚姻譚  作者: 十三番目


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第三面 契約結婚


 身支度を終えた美晴を別の部屋へ案内すると、苑寿と刀喰はお辞儀をして去っていった。


 面妖、領域、伴侶。

 頭の中で、同じ言葉が繰り返し浮かんでくる。

 どうしてこうなったのか分からない。あと一年足らずで、美晴は叔父夫婦の家を出て、自由の身になるはずだった。

 会ったこともない祖母に誘拐同然で連れて来られたり、無理やり政略結婚を迫られたり。何とか逃げ出せたと思ったら、命の恩人からも結婚の話をされたりと──たった一日の間に、普通ならあり得ないようなことが度重なっている。


 逃げてばかりの人生だ。いや、逃げようと頑張ってきた。

 叔父夫婦やその息子。今となっては祖母や、顔も知らない結婚相手からも、美晴は逃げようとしている。

 それでも、神夜からだけは──なぜか逃げてはいけないような気がしていた。


 それは、神夜がただ巻き込まれただけの被害者で、美晴の命を救ってくれた恩人だからなのか。それとも、もっと別の理由があるのか。美晴には、判断できずにいた。


「その着物、似合ってるね」


「……っ!?」


 驚きすぎると、声が出なくなるらしい。

 破裂しそうな心臓を押さえながら、美晴は気配もなく現れた神夜を見て、口をぱくぱくさせている。


「驚かせちゃった?」


 お面越しに、神夜がくすりと笑う声が聞こえた。

 裏山で出会った時の白い狐面とは違い、今の神夜は黒い狐のお面をしている。


「あ……えっと……」


 返事をしなければと思うのに、美晴の口からは意味のない音ばかりが漏れていく。

 早く早くと焦るたび、美晴は余計に話せなくなっていった。


「……ごめんなさい」


「なんで謝るの?」


「……私が愚図で、のろまだから……」


 神夜が黙ったことで、二人の間に沈黙が流れる。

 お面をしているため、神夜がどんな表情をしているのか知ることはできない。

 それがいっそう、美晴の不安を掻き立てた。

 

「ごっ……ごめんなさ……」


「はい、ちゅうもーく」


 真っ青になった美晴が、ひたすら謝罪を口にしようとした時だった。

 美晴の前に、狐のお面が差し出される。


「……え? あの……」


 反射的に受け取った美晴が意図を問うよりも早く、神夜がお面を隠すように手をかざした。

 

「わあ……!」


 一瞬で、お面の模様が花柄になった。

 黒から白に変わったお面の上には、美晴の目と同じ山吹色の花が描かれている。


「すごい! どうやって変えたの!?」


 美晴の頬に赤みがさす。

 思わず顔を上げた美晴の視界に、微笑む神夜の姿が映った。


「あ……」


「凄いでしょ〜。僕って器用だからさ、こんなことも出来ちゃうんだよねー」


 そう言った神夜が、お面を指で叩いた直後──狐の形をしていたお面は、兎の形へと変化していた。

 半面と呼ばれるお面からは、長い耳が二つ伸びている。柄はそのままに、金の縁取りが施されたお面の端には、青紫色に輝く花の装飾品が揺れていた。


「気に入った?」


「はい、とっても……!」


「じゃあ、これは美晴にあげる」


 柔らかい声で話す神夜を見て、美晴は胸に明かりが灯るような、不思議な温かさを覚えた。


「ありがとう、ございます」


「どういたしまして。あ、そうそう。結婚のことなんだけどねー」


 温泉の湯が冷水になったかのように、美晴の心も一転して凍えていく。

 恐れていた話に固まる美晴に向けて、神夜は「期間限定ってことでどうかな?」と提案してきた。


「期間限定……ですか?」


「うん。美晴も色々と事情があるみたいだからさ、一年だけって決めてするのはどうかなって」


 にこにこと愛嬌たっぷりに笑う神夜だが、笑顔の奥にどんな本心が隠れているのか分からない。美晴のことを気遣っているのは感じるものの、初めから期間の定められた結婚に何の意味があるのだろうか。


「あの……どうして期間限定なんですか? それなら、結婚自体をやめたほうが……」


「それは駄目。僕の素顔を見た時点で、美晴と僕の間には“(しば)り”が成立してる。もし、縛りを解かないまま僕と離れたら……」


「……離れたら?」


 不安げな表情で神夜を見つめる美晴だが、神夜はそれ以上何も言わず、ただ笑みを浮かべている。


「とにかく、一年あれば縛りも解けるはずだから、どうかな?」


 選択肢を与えているようで、美晴が選べる道は実際には一つしか用意されていない。そうは言っても、こうなったきっかけも原因も美晴にあるため、神夜はむしろ美晴のために協力しようとしてくれている側だ。

 助けてもらった恩を返せていない上、美晴には現在──帰る家すら存在しない。現世へ戻るにしても、待っているのは祖母の放った追手くらいだろう。


 一年だけの契約結婚。

 他者と暮らすことが苦痛だった美晴にとって、結婚は終わりのない地獄へ向かう切符のようなものだ。けれど、胸に抱えた兎のお面が、美晴の心に仄かな希望を灯してくれる。


 ──神夜となら。

 不意に浮かんだその言葉が、美晴の足を一歩前に押し出していく。


「……お世話になります」


「これからよろしくね、僕のお嫁さん」


 宝物に触れるかのように、神夜がふわりと美晴の手を取った。

 何となく、美晴はこの瞬間の記憶が一生色褪せないような──そんな気がしていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 何処からか現れたお面を被ると、「部屋まで送るよ」と話す神夜と共に、美晴は庭園の見える渡り廊下を並んで歩いていた。


「ねぇ、美晴。僕を見て、何か気づいたことない?」


「え……気づいたこと、ですか?」


 お面の色が違っていたこと以外、神夜は出会った時と何も変わっていないように見える。特徴を聞かれているのかと考えた美晴は、ひとまず思いついた点を挙げていくことにした。


「背が、高いです」


「うんうん。他には?」


「お顔が……とても綺麗だなと、思います」


 話してから、美晴は猛烈な羞恥心に襲われた。

 染まっていく頬を見られないよう、急いで俯く。


「ありがとう〜。美晴は僕の顔が好きなんだね」


 嬉しそうな神夜の声に、美晴はとうとう顔から火が出そうになった。


「実はね、美晴に合わせて、身体の年齢を二十くらいにしてみたんだ〜」


 はたと止まった思考は、予想外の言葉によるものだろう。

 数秒ほど経って、美晴は何とも言えない気持ちで口を噤んだ。

 やはり、童顔というのは間違いではなかったらしい。

 俯いたまま、美晴は心を落ち着けるためそっと目を閉じた。


 機嫌の良さそうな神夜に、「変わっていない」と言えるほど、美晴の心は強くなかった。


 

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