第194話 虚実古樹の私と紫苑
「『こんな事』とは、具体的にどのような事を指すのでしょうか?」
マリア以外の眷属が言えば、私も『ああ、確かに漠然とした言い方をしたな』と反省していただろう。
だが、その言葉を言ったのはマリアだ。であれば、それはとぼける為でしかない。私が冷めた目で見つめていると、マリアは観念したように息を漏らした。
「別に、言いたくないなら、別に言わなくてもいい。」
「え?」
「当たり前じゃないか。私は君に『休め』と言ったんだよ。それなのに負担をかけたら意味が無いだろう。」
正直、気にはなる。マリアが何故、ここまで家畜達を生かそうとするのか。けれど、一応『ここで家畜を失えば現状回帰までに100年を要する』で説明が付くし、少なくとも私達に不利益になる事でもないのだろう。であれば、別に無理に聞き出す必要もない。
「ただ、なにか手伝うことくらいは出来そうだと思ってさ。また倒れられても迷惑だ。君の看病を何度もするほど、私だって暇ではないんだ。」
横になったままのマリアは、驚いたような表情を浮かべ、遠慮がちに口を開いた。
「1つ、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。何なりと。」
「私めが寝込んでいる間、その、貴方様が私めの面倒を見てくださっていた、のでしょうか……?」
「まあ、そうだね。」
別に、私が自ら言い出した訳ではない。たまたま見つけたのがフェスツカ家系の眷属だったので、私は彼に『一応誰かに様子を見させろ』と伝えたら、何故か彼が私を指名したからやる羽目になっただけだ。
「別に面倒を見たと言っても何もしてないよ。ただ見ていただけさ。というか、君ならこうなる事を予想出来ているものだと思ったけれど。むしろ、これが望みかとも邪推したよ。」
「め、滅相もございません!目を覚ました際に、主が横におわす事すら気づきませんでした。」
慌てて否定しているマリアの様子から見ると、どうやら嘘ではないらしい。
「……ですが、光栄でございます。」
「……へえ、そう。」
こちらを見て微笑むマリアから目線を逸らす。暫く私達は一言も発さなかったが、不思議とその沈黙は心地よかった。マリアとヴラドの前では、私は自分の目的を忘れそうになる。切った岩の煉瓦に囲まれた冷たい部屋の中で、不思議と暖かさを感じていた。
「ーーーずっと。」
マリアが、そう切り出した。その声は、どこか悲痛に響いた。
「ずっと、こうしていられれば、私は他に何も求めないのに。」
私に向けた言葉ではなかった。どこか遠い、未だ来ていない場所に向けての言葉だった。私は彼女に顔を向けるが、隠された瞳がどのような色をしているのか、私には分からなかった。
「エディンム様。」
マリアの言葉が、私に向く。彼女が私を名前で呼ぶのは珍しいな、と思いながら、私は次の言葉を待った。
「私と、……。いえ。何でもございません。」
「なんだい?そこで止められると気になるじゃないか。言ってみなよ。今私は君を労わる為にいるんだ。君の願いを叶えてあげるかもしれないよ。」
マリアの口振りから、それが何か重い願いなのは分かった。だから、私は敢えて茶化すような口調で言った。
再びマリアが沈黙した後、覚悟したように口を開いた。
「……私は、最近思うのです。吸血鬼が一方的に人間を蹂躙出来る時代は、そう長く続かないと。」
彼女の口から飛び出したのは、思ってもいなかった言葉だった。私は黙って彼女の言葉に耳を傾けた。
「人間の技術の進化は、驚異的でございます。90年前はほとんど役に立たなかった大砲は精度と威力を増し、携帯用の銃まで作られるようになりました。今は長弓の方が精度も威力も上ですが、いずれ銃がそれを上回るでしょう。」
マリアの言うことは分からなくはない。今はまだ『聖十字の奇跡』の方が驚異的であるが、いずれ技術がそれを上回る可能性はある。そうなれば、人の持つ牙は、私たちに届き得るかもしれない。
「……恐らく、こうして城を持つ事が出来るのは、今だけでございます。そう遠くない未来、私達は人の目の届かない所で隠れて過ごす事になるのでしょう。」
「まあ、そうなるかもね。流石にそれは退屈そうだ。」
深い森で、隠れるように生きる。食事はたまに迷い込んだ人間だけ。それでは、まるで獣と変わらない。そうなる前に、私は自らの望みを果たせるのだろうか。
「退屈でも、良いではありませんか。」
私の心を読んだかのように、マリアはそう呟いた。目を見開いて彼女を見つめる私をよそに、マリアは上体を起こして私に顔を向けた。
「エディンム様。その日が来る前に、私と共に、2人で何処かに隠れて暮らして頂けませんでしょうか。」
「それはつまり、『他の眷属は捨てて』という事かい?」
「……仰る通りでございます、エディンム様。」
彼女らしくない。けれどマリアらしかった。命を失う事を誰よりも嫌って、他の命が消える事も憂いて、自分の命と、それよりも私を想う。
マリアらしくない自分勝手な要求で、わがままなマリアらしい。
「家畜が10人でもいれば、2人ならば永遠に生きていけます。あなたさえいれば、私はーーー!」
必死に訴える、マリアを私は手で制止させる。気まずそうに、マリアは申し訳なさそうに顔を俯ける。
「私が、城を持つ事になったのは、そもそも君のせいだ。眷属をちゃんと従えるようになったのも、君が言い出したからだ。」
その言葉に、彼女は驚いたように顔を上げる。
「だからきっと、私がそれらを捨てるのは、君のせいなんだろうと、そんな気はしていたよ。」
「そんな……!」
嬉しそうに笑うマリアの顔は、困惑したように歪んでいた。
「君と2人なら、そう退屈しないのかもしれない。」
「嗚呼っ……!!」
マリアはそう声を漏らすと、顔を両手で覆った。
そうだな、きっと、そんな未来も悪くない。
頭ではそう思いながら、私の心は、何かを拒絶していた。




