第191話 虚実古樹の私と、零れ出る本心
マリアが危惧していたように、この間の人間の侵攻からそう時を待たずに人間と吸血鬼の全面戦争が開戦すると、人の死体は加速度的に増えていった。
挙兵する度に兵士内でも黒死病は伝染し、その弱った兵士達を含めた大量の人間を、私達が殺す。たまに私の眷属が死ぬ事もあった。
だが、ほとんどの兵士が銀十字架を持たない者であった為、その中から純潔の者を眷属にしてしまえば、戦力減はすぐに補えた。
ヴラドやエリザベートの城にも人間の軍は侵略しているらしい。
エリザベートは、数を絞っているが、その分個々人の戦力が高い。むしろ多くの血を吸うことが出来ることで彼女とその眷属は力を増しているようだった。
問題は、ヴラドだった。彼は勢力を拡大していた分、多くの諸外国に狙われた。ヴラド自体は、どれだけ多くの人間に狙われたところで物の数ではない。けれど、下級眷属では、そうもいかない。
そもそも、陽の光で死ぬ吸血鬼は、本来戦争には向かない。昼間に遠距離から攻撃をされれば、取れる手段は投擲くらいだ。
人間に毛が生えた程度の戦力しかない眷属たちは、そうした弱点を突かれて人の波に、見当違いな怒りに吞まれて死んでいった。複数個所で同時多発的に蜂起する人間を止める術は数の少ない吸血鬼には持ち合わせておらず、ここ90年でヴラドの領地は極端に縮小した。
現在では彼の城とその周辺のいくつかの城と、その周辺を領地にするに留まっていた。
「久しいな。我の無様を嘲笑いにきたか、エディンムよ。」
椅子に座ったまま私に笑いかけるヴラドは、不思議と憑き物が落ちたような顔をしていた。以前の威圧を振りまくこともしない。
「そんなつもりはないさ。むしろ、前に会った時と比べれば、随分君は持ち直した。眷属を増やしていないのもわざとだろう?」
今、彼の眷属は100名程度しかいなかったはずだ。それでも私の眷属の2倍近くはいるけれど、依然と比べて大分減らしている。
恐らく失った眷属の数を戻そうとした時に、吸血鬼にする人間と、その食糧となる人間が必要になる。そうなれば、ただでさえ数を減らしている人間が更に急速に減ることになる。だから、現在の土地を管理するのに必要な最低限の100名に留めたのだろう。
「図らずも、汝等の提言通りとなった。マリアには、悪い事をした。」
「気にしなくていいさ。私達は最低限の事しかしていないよ。それに、君はあの時銀を持ち出さなかった。無意識か意識してかは知らないけれど、殺すつもりはなかった、ということだ。であればあれはじゃれ合いのようなものさ。」
「で、あるか。」
そう口にしたヴラドの微笑む表情に違和感を覚える。今日の彼にもどこか違和感があったが、もしかしたら100年という時間が彼を変えたのかもしれない、と理解できる程度の違和感だった。多くの挫折と妥協の中で、もしかしたら彼が丸くなったのかもしれないと。
「ときに、マリアは息災か?」
「君と同じさ。必死に足掻いているよ。」
「で、あるか。何故だ?」
煽るつもりで言ったのだが、彼には微塵も動揺が見られない。つまらないな、と思いながらも、少し安心した。どうやら彼の精神は以前よりも安定しているらしい。
「数か月前くらいかな。遂に人間牧場に黒死病が蔓延してね。マリアは何やら対策をしようとしているみたいだが、上手くはいっていないみたいだ。最近もかなり多くの個体が死んでいるよ。」
ただでさえこの戦争で心を痛めていたマリアは、この一件で更に酷く気落ちした。100年前のように、また寝ずに研究に没頭している。
「その少し前に、人間が昼間に城内に攻め込まれることがあってね。牧場の家畜達を見て逃がそうとした人間がいたみたいで、その時にきっともらったのだろう、というのが私の見解さ。皮肉なものだよ。助けようとした人間が家畜達の命を縮めて、いずれ殺すはずの吸血鬼が延命に勤しんでいる。」
「得てして、万象にはそのような事が起こりえるのかもしれぬ。民は王の為に命を懸けるが、王は民の為にその全てを投げ出さなければならぬ。……王は、民の奴隷にしか成り得ぬ。」
「……ヴラド?」
望郷の眼差しで、彼はどこか遠くを見つめていた。しばらくそのまま遠くを見つめていた彼は、不意に視線をまた私に落とした。
「だが、これで汝が我が城に来た事に得心がいった。マリアの為であろう。我の様子を窺い、心を蝕まれた者がどのような道を辿るか、マリアが同様の姿となってしまうのか。それを確かめる為に、汝は訪れた。」
口角を上げてからかうように、ヴラドは笑う。
「よく分かったね。まあ、あれでも彼女は役に立つ。今死なれても、役立たずになられても困るのさ。安心したよ。君が元気そうで。」
「その言葉に、偽りはないか?」
「ないよ。何も。一切合切。君も言っていただろう。眷属は真祖の為に、真祖は眷属の為に、ってね。得てしてそういうものさ。」
私の言葉に、ヴラドはクックックッ、と声を押し殺すように笑った。珍しいな、と私は驚きから目を見開いていると、彼はからかうような声色で、私に言った。
「『真祖とは階級ではなく自然発生の吸血鬼にしか過ぎぬ。』我にそれを教えたのは、汝だ。」
………中々、痛いところを突いてくるじゃないか。
「そんな偉そうな言い方はしてないね。」
返す言葉がなかった私は、とりあえずしらばっくれてみることにした。それを見て、ヴラドはまた愉快そうに笑った。




