第188話 虚実古樹の私と友。
今思えば、思い当たる節はあった。
私がマリアと出会った日、彼女は何故か私に気が付いていた。吸血鬼を探していたから、私を認識した。そこまでは理屈は通る。
だが、目が見えていなかった彼女が足跡だけで私を吸血鬼だと認識しているのは、明らかにおかしい。
もし完全に気まぐれで彼女のいたスラムに来た私が、実は無意識のうちに何かに誘導されていて、近くを通る事をマリアが知っていたとしても、初めて会うはずの私を足音だけで判断する、というのはどう考えても不可能だ。
「……まあ、君がそう思っているだけかもしれないが、確かに、そうとしか思えない事も多くある。一旦信じることにするよ。」
「光栄にございます、主よ。」
「別に褒めてないよ。先の未来が全て見えているのならば、そのくらい分かるだろう。」
「人の感情までは読めませんので。未来が見えるだけでございます。それに、見えるからと言ってその結果を変えることが出来るわけでもございません。」
「へえ、そういうものなのかい?」
少し意外だった。少なくとも私は大分彼女の思い通りに動いているように思っていたけれど。そう言われると、まるで私が『操りやすい』と言われているようで少し癪でもある。
「左様でございます、主よ。所詮は私めの力の及ぶ範囲でしか変えることが出来ないのです。そのせいで、ヴラド様もああなってしまいました。」
祈るような姿勢を取りながら、まるで懺悔のように彼女はこぼす。
「なるほどね。」
だから、先程『ヴラドが狂ったのは自分の力不足だ』と言ったわけだ。なにか比喩のようなものかとも思っていたが、一切の誇張のないそのままの意味だった、という事だ。
だが、そう考えると改めて私が彼女の力でも簡単に動くと言われているような気持ちがして、あまり気持ちのいいものでは無い。
「とりあえず今までの話をまとめると、『何故かは分からないけれど未来が見える。けれど変えられる訳ではない』という事か。」
「仰る通りでございます。未来が見える理由は、あくまで推測になりますが、聖十字教団の信徒の中には神から祝福として、『奇跡』を授かる者もおります。恐らく、私の『千里眼』と呼ばれるこれは、その一種なのでしょう。」
『祝福として、授かる』その言葉に、私は猛烈な違和感を覚えた。
「どちらかと言えば、君のそれは罰だろう。」
「『罰』、でございますか?」
私のその言葉は見えていなかったのか、彼女は分かりやすく困惑していた。今日のマリアはやたらと表情が豊かで、少しだけ得をした気持ちになる。
「だってそうだろう。分かっているのに、変えることが出来ない。その苦しみは相当なものだろう。であれば、それは罰だ。少なくとも、祝福では無い。」
「……確かに、そうかもしれません。ですが、だとしたら何故……?」
マリアは一切心当たりがない、とでも言いたげに口元に手を当てた。彼女のそれが本気なのか、それともそう言う冗談なのか私には判断が付かない。
「決まりきっているだろう。君は改宗したじゃないか。」
そう言われて、ようやく思い至ったらしい。あの日、マリアは神と崇める存在を、私に変えた。罰を与えられるには充分すぎる理由だ。
「今も君が力を失っていないのがその答えだよ。君の元主は吸血鬼を祝うことは無い。光も銀も、聖なるものは全て私達を殺す為にあるのさ。」
隠された瞳の下で、分かりやすく怯えている彼女を見て、いつも都合よく使われている事への溜飲が下がる。
「そんな、私は、どうすれば……。」
「どうしようもないさ。今後も君は、その力で得た多くの何かりも失ったいくつかを数えて過ごす事になるだろうね。」
嘲笑混じりに私が言うと、マリアは嘆くように顔を手で覆う。仕返しと思って意地悪してみたが、流石に少し虐め過ぎたか、と反省するが、かといって純粋に優しくするのも癪だ。
しばらく窓の外に目を向けて、無い月を探すように、彼女への言葉を私は選んだ。
「まあ、あれだよ。」
我ながら冴えない切り出し方をしたものだ、と思わず笑いそうになるが、私は続けた。マリアも私のあまりの不自然さに、どこか不思議そうに顔を上げて、私の方に向ける。
「君はその呪われた力のおかげで私の隣は手に入ったんだ。それだけでいいじゃないか。」
数秒の沈黙の後、マリアは困惑気味に口を開いた。
「……それは、慰めて下さっている、のでしょうか?」
「いや、皮肉だよ。『そんな物しか手に入らなかったなんて、ざまあないね』の意味だ。」
もちろん慰めの意図で言ったのだけれど、確認されると正直に答えたくないのが人情というものだ。まあ、私は人ではないけれど。
私の返答に、マリアは小さく吹き出した後、堪えきれないように小刻みに笑い声を漏らす。
「もしそれが本当ならば、私にはあまりに勿体ないものでございます。たとえ以前信じていた神から呪われようとも、貴方様の隣にいることが許させるなら、私は全てを捧げても構いません。」
「君のそういう所が重くて本当に嫌いだよ。隣にいて欲しい人がいないから、代わりに君を置いているだけだよ。」
「それでも、構わないのです、主よ。」
いつもの如く祈るような姿勢を取る彼女を鼻で笑って、私は再び外に目を向けた。哀れな女だ。ギルの代わりでしかないというのに。今はいない友人を想いながら、私はただゆっくりと流れる景色を見つめる。
それでも、マリアが隣にいることに、心地良さを感じているのも、確かだった。




