第187話 虚実古樹の私と、彼女が未来を知る理由。
月のない空が、変わらず夜に浮かぶ。馬車の中で揺られる私達が、不自然に景色から浮いているような気がした。
「君は、私に嘘を付かない。それは知っている。」
「仰る通りでございます、主よ。貴方様に誓って、私は嘘をつきません。」
それに関しては何か理論的な破綻があるような気がしたけれど、私は流す事にした。今、事の本質はそんなことでは無い。先程まで死の恐怖で歪んでいた彼女の目は、期待に輝いている。未だに彼女を威圧しているのに、だ。
もはや、これ以上は意味がない、と思い彼女を威圧するのを辞めた。
「嗚呼っ………。何故、私めに殺気を当てるのを辞められたのですか、主よ。私達を恐怖で支配頂けるのではないのですか。」
何故か落胆と不機嫌が混じった表情でマリアは私に文句を言う。さっきまで怖がっていたくせに、と私は冷めた目線を向けた。
「うるさいなあ。私は君を怖がらせるつもりでやったんだ。喜ぶようなら意味がないじゃないか。」
彼女の被虐趣味に付き合う気もない。それに、別に先程も『恐怖で従える事の有用さ』について語っただけで、『恐怖で君達を従える』という意味で言った訳ではない。
確かに、少しだけ彼と同じ轍を踏まないようにやる気を出したが、それも今のマリアの様子ですっかり失せた。
「話を戻すよ。君は私に嘘を付かない。けれど、『全て』という言葉を真実とするには、あまりにも抽象的だ。だから、詳しく教えてほしい。」
「もちろんでございます、主よ。」
もはや彼女の心には揺らぎが見えない。本当に殺そうとしたらどんな表情をするのだろうか、と少し興味をそそられる。が、流石に無意味にそんな事はしない。
「まず、結論から聞こう。最終的に私が果たした役目は2つだ。『君がヴラドに掛けられた硬直を解き、逃がす』それと、『ヴラドの心を少しだけ治す』の2つ。これは、君の計画通りなのかい?」
「主ならば、好転出来ると信じておりました。」
「……なるほどね。」
呆れてため息をつく。つまり、計画通りというわけだ。良く考えれば、彼女がヴラドの『咆哮』を喰らう前に、進言をしたのも私が硬直を解く事を見越してなのだろう。全く、大したものだ。
「このまま君の計画通りだった事を聞いて行ったら夜が明けそうだ。逆に何が予想外だったんだい?」
悔しそうに手を握りしめる彼女は、悔いるように言葉を漏らした。
「……病がここまで猛威を振るうとは、思っておりませんでした。」
「それ以外は分かっていたということかい?」
私の問いかけに、マリアは首を縦に振った。
「それが本当だとしたら、気味が悪いね。それに、そうだとすれば、ヴラドが狂ったのは君が悪い事になるけれど。」
「仰る通りです。今回の事は全て、私めの力不足によるものでございます。」
どうやら、彼女は本気でそう思っているらしい。項垂れる彼女も、先程までの私と同じく本気で落ち込んでいるように見える。いつも穏やかに微笑みながら私達を操っているような彼女の言動には正直辟易していたが、その姿には少し共感が持てた。
その弾みで、私は前から気になっていた事を訪ねてみることにした。
「君はいつも未来が分かっているような口ぶりをするが、一体どういう理屈なんだい?情報から予測しているにしてはあまりにも精度が高い。」
私の言葉に逡巡した後、マリアは遠慮がちに口を開く。
「信じていただけるか、分からないのですが。」
「それは君の言葉を聞いてから判断するよ。」
口元に手を当てて小さく笑い、彼女は答える。
「貴方様とお会いする数日前、私は『腐敗の神罰』を受けて目を失っておりました。」
「ああ、そういえばそうだったね。あの頃からは想像も出来ないよ、今の君の美貌は。」
一切本音のない冗談であったが、マリアは嬉しそうに口元を緩ませて、それを隠すように手を当てる。鬱陶しいな、そう思い私は分かりやすく苛立った声で、
「それで、続きは?」
と促した。
「し、失礼いたしました、主よ。あの時から、私の私の両の目は未来を写すようになったのです。ですので、正直なところ理屈は一切ございません。」
「はあ?」
耳を疑うような答えだが、ここで先程自分が言った言葉が、自らに降りかかる。
『マリアは、私に嘘を付かない。』




