第184話 虚実古樹の私と、初喧嘩①
「ヴラド。一応言っておくが、私にそんなつもりはない。君が耄碌したなんてちっとも思っていないさ。」
そもそも、私達には年齢なんて概念はない。君はただ狂っただけだ。争うのも面倒で、私はそう宥める。だが、その虚ろで異様に血走った彼の瞳を見るに、私の言葉で納得したようには見えなかった。
「ならば、何故だ!何故来た!」
そう言いながら椅子から立ち上がり、私達目掛けて大股で歩いてくる。その足取りはどこか不安定で、彼の精神の不調を表しているようだった。
私は思わずため息をついて、マリアに手で下がるように促す。彼女は小さく頷くと、私の後ろに数歩下がった。
「だから言ったろう?君にプレゼントを渡すついでに、余計なアドバイスをしようとしただけさ。どうやらアドバイスの方はいらないらしい。持って帰ることにするよ。」
今の彼の中では、かつての世界だけが正しくて、今の世界を生きていない。きっと、今の彼に何を言っても無駄だろう。私の言葉が届く事はない。
「戯言を………!」
私の眼前に顔を近づけて、獣のように喉を鳴らして威圧する。これではまるで町の荒くれと大差ない。
「おいおい。いつからそんな低俗な威嚇をするようになったんだい?やはり私には、君も大分変わったように見えるけれど。世界だけでは無くて。」
「黙れ!そもそも何故汝等は人間を容易に譲渡出来る程保管しておるのか!?……もしや、我が領地の人間どもをさらっているのは汝等か?そうか。であるとすると、エリザベートと貴様等は徒党を組み、我が勢力を削ぎに来ているのであろう!」
爪が食い込むほどに私の肩を思い切り掴む。鋭い爪が突き刺さり、私の肩を引きちぎらんばかりだ。目をやると、ヴラドの手は人というより獣に近い姿をしていた。
それにしても、言っている事が支離滅裂だ。そんなことはしていないし、そもそも『他の真祖の支配している土地から吸血鬼を奪っていけない』なんて取り決めは私達はしていないだろうに。
だが、それを言うと今度は『やっている事は認めるのか』と今の彼なら言い出しかねない。3000年ぶり2度目に私は言葉を選びながら彼の言っている事を否定する。
「そんなわけないだろう。私達がまだ食べるものに困っていないのは、君やエリザベートに比べて吸血頻度が少なくて済むからさ。元々数も少ないしね。それに、優秀な眷属がこんな時を見越していてなのかかは知らないが、人間の家畜化を進めていたのもある。」
横目でマリアを睨みつけた。そういう所が私は気に食わないんだ、とばかりに。彼女は変わらず暗い表情を浮かべていて、眉間に寄った皺から、レースに隠された瞳が固く閉じられている事が分かる。
「だが、エリザベートはーーー」
「エリザベート様は、眷属を5人に絞られました。」
「なっ………。」
口を挟んだマリアに、ヴラドは信じられない、と言わんばかりにただ茫然と眺める。
「大幅に兵力は下がりましたが、今は聖十字教団も吸血鬼狩りどころではございませんから。それに、第六眷属以下は、人間と大差がありませんので、緊急時は不要となります。ですので、ヴラド様も同様の選択をされた方がーーー。」
その言葉を遮るように、ヴラドは天を穿つように吠える。ヴラドの『咆哮』により身体が一瞬痺れ、石のように固まるが、私は身体に力を込めてそれを振り払う。
「………!」
だが、マリアの身体は完全に硬直し、身動き一つとれていない。それどころか、呼吸すら止まっているように見える。
「黙れ………!我は吸血鬼の王である。汝のような、第三眷属が物を申す事など許されぬ!」
ヴラドの足が、マリアの方に踏み出した。私はすぐに口を開く。
「『マリア、馬車で待機しろ。』」
「……っ、承知いたしました。主よ。」
私の命令で、マリアの身体は糸が切れたように動き出す。身体を翻して玉座の間から去ろうとするマリアを見て、ヴラドは再び『咆哮』の動作をするが、私は彼の喉を手で殴り、声帯を潰す。虚ろな彼の目には怒りが籠り、不愉快そうに私を睨みつける。
「ヴラド。彼女は私の眷属だ。君が自分の眷属を磔にしようが生かそうが、それは君の勝手だ。」
彼の喉を貫いた私の手を引き剝がすように振り払い、既に見えなくなったマリアの背中をじっと睨んだ後、彼は再び私を睨みつけた。そんな彼に、私は続ける。
「だが、彼女は私の物だ。君にどうこうする権利はない。もしその勘違いか驕りを改めないようならば、今の君が平常でないとはいえ、君にそれなりの罰を与えなくてはいけない。」
「汝が、我に?……そうか、やはり敵であったか。」
ヴラドはそう呟くと、マントを翻して自身を包むようにすると、マントから無数の槍が私めがけて伸びる。後方に躱すが、どこまでも伸び来るそれを躱しきることが出来ないと悟り、剣を取り出していなしつつへし折るが、躱しきれずに結局身体を霧に変化させて避ける。
後方壁に彼の槍は突き刺さり、大きな音を立てて壁が崩れた。
心を壊していてなお、これだけの力を誇るのか、と思わず感心する。偉そうなことを言っておいてなんだが、これは逃げた方が楽だろう。だが、せめて一発ぶん殴ってからにする。そうでないと、友人を失った私の心は晴れそうにない。




