第180話 乞う言葉と、示す行動
「それにしても、小春ちゃんいいなぁ。」
不意に、槿はそんな事を口にした。夕食を食べ終えて、彼女の部屋に移動した後の話だった。先程までの事を思い出してうっとりしたような表情をしているが、どこか不服そうに私を見つめている。
「どうした、いきなり。」
独り言のような言い方だったが、その言葉は明らかに私に当て付けていた。だから私は、彼女にそう訊ねる。
「だって、ちゃんとプロポーズされてたでしょ。私は、そういうのなかったな、って。」
冷めた表情を取り繕うが、槿の口元はにやけていたので、私は察する。小春の言葉をだしにしているだけだ。いつも仰向けで寝る姿勢から上体だけ起こしただけの姿勢をしているのに、今日はベッドの上に座るような姿勢でこちらを向いている時点で察するべきだった。
「……言っただろう。一応。」
「え、いつ?」
「最初にアイリスが来た日の夜と、心中しようと2人で海に逃げ出した時。それからも何度か、私はしっかり君に伝えている。」
『愛を』というのは照れくさくて省略した。そんな私の恥じらいを察してか、槿の目は悪戯っぽく輝いたように見えた。
「確かに、海の時はちょっとプロポーズみたいだったけれど。でもあの時は、『生きるか死ぬか』、みたいな真剣な感じだったから。」
「真剣で何よりだろう。連花だって間違いなく真剣だったと思うが。」
「それは、そうだけれど。」
上手く言葉が伝わらない歯痒さからか、ベッドから降ろしている足をぷらぷらと左右に揺らす。もしそうだとしたら、お角違いだ。私は伝わったうえで、あえて伝わっていないふりをしている。何故か。言いたくないからだ。
「もう少し、浮ついた感じのもいいなぁ、と思って。」
言いながら、槿は恥ずかしそうに絡ませた両手の指で遊び始める。恥ずかしそうな顔からは、先程一瞬見せた悪戯っぽい光は既に消えていた。きっと、私をからかおうとこの話を振ったが、思っていたよりすかされて、段々恥ずかしくなってきたのだろう。
槿らしいな。思わず吹き出して、直後、彼女への悪戯を思いつく。
「私は思うのだが、今の時代、人間達は男女平等を謡っているらしいな。」
「う、うん。そうだけれど、涼がそういう事言うのって、珍しいね。あまり時代の変化とか、気にしなそうだけれど。」
槿の言う通りだ。実際、さして興味はない。この話も、以前央が言っていたことだ。最も、彼は『元々性別という分かりやすい属性で分業出来ていたことを綯交ぜにしたところで、こんがらがるだけじゃないか。ほとほと人間の愚かさには呆れかえるね。』と、馬鹿にするように語っていたが。
私は槿の言葉を無視して私は続けた。
「それならば、私から槿に愛を伝えるのではなく、君から私に愛を伝えてもいいと思うのだが。」
「えっ……!?で、でも、それは……、は、恥かしい、から……。」
槿は私の思わぬ反撃に、顔を赤くして目を背ける。前から思っていたが、槿は私をからかう割には、私のちょっとした反撃にも赤くなってしまう程耐性がない。そういう所も愛おしい。
嗜虐心を刺激されて、私はソファから身を乗り出して、ベッドに座る彼女の横に腰掛ける。
「えっ、ちょ、涼!?ち、近い……!近いって……!」
彼女の言葉を無視して、私はそのまま体を捻り槿の方に向けて、支えるように右手をベッドに置き、飽いた左手を、さらりとした彼女の銀髪をくぐり抜けて彼女の左頬に添えた。その手から伝わる彼女の体温は、真っ赤な顔の通り火傷しそうなほど熱く、私の体温のない手に伝わる。ひんやりとした私の手の感触に、槿の身体は怯えるようにビクッと跳ねた。
顔を近づけ、覗き込むように、彼女の蒼眼を見つめる。
「君の言う『浮ついた感じ』、というのは、こういうもので合っているか?」
囁くように彼女に伝えると、再び彼女の身体は小さく跳ねる。
「ま、間違ってないけれど……。ね、ねぇ、ちょっと待って……。心の準備とか、その……。」
「ああ。いくらでも待つさ。君が『愛している』と言ってくれるまで。」
潤んだ瞳をして、恥ずかしそうに私を見つめる槿が愛おしい。普段彼女からのこうしたからかいに対しては受け身であったが、たまには仕返すのも悪くない。その顔を眺めながら、そんなことを考える。
「ごめ……、涼、ちょっと心臓が、もたない、かも……。」
先程まで熱かった槿の顔が、一気に青くなり、冷たくなるのを感じる。
「だ、大丈夫か!?」
私は慌てながら槿を横にしながら、身体を霧にして、すぐに隣の部屋の二葉を呼びに行く。ドアの開閉すら惜しく、隙間から侵入して口だけを形成した。
「二葉!」
「わ!……涼?何故口だけなのですか!?気持ちが悪いです……。」
「詳細は後だ。槿が体調を崩した。」
「わ、分かったのです。」
そういうや否や、二葉はすぐにドアを開けて、槿の部屋に飛び込むように入る。
「むーちゃん大丈夫なのですか?」
「ご、ごめん。ちょっとクラっとしたけれど、もう大丈夫……。」
青い顔で、ベッドに横になりながら槿はそう答える。確かに、先程より顔色は落ち着いたように見えた。二葉が脈を測るが、特に異常はないらしく、ほっと胸を撫でおろしていた。
「とりあえず、大丈夫そうなのです。ですが、念のため今日はもう大人しく寝た方が良いのです。」
「うん。そうする。ありがとうね。二葉。」
「気にしないでいいのです。……ですが、涼と話していたらこんなになるなんて、一体涼とどんな話をしていたのですか?」
からかうように私達の顔を交互に見る二葉に、私達は気まずそうに目を逸らした。
「……え?……でも服は乱れていないから……。」
「やめろ。生々しい。そういうのではない。」
「そういうのではなくても、心当たりはあるのですね。このバカップル。」
その言葉に、私達はまた目を逸らした。
とりあえず、もう二度と仕返しはしない方が良いな、と私は心に刻む。もう二度と、槿のあの表情が見られないとなると、少しもったいないような気がしたが、命あっての物種だ。
それにしても、結局槿から愛を伝えてもらっていないな。




