第179話 咲く花と、散る桜
『そういえば、この後予約しているお店があるのですが、行きませんか?』
『行きたいです!……あ、でも、化粧落ちちゃいましたし……。』
『大丈夫ですよ。化粧が落ちていても、その、素敵だと思います……。』
『連花さん……。』
そんな会話が、スマホ越しに聞こえる。そして、横からは啜り泣く、2人の女の声。
「小春ちゃん、よかったね……!」
「めーちゃんもよくやったのです……!」
めでたいな、という気持ちと共に、盗聴されているのが些か可哀想でもあった。あの後、連花はすぐに通話の音声を切ったが、結局盗聴器は仕込まれたままであったので、彼と椿木の会話は一果のスマートフォンを中継して鮮明に聞こえていた。
「一応確認するが、2人の盗聴器は後で取り除くんだよな?GPS含めて。」
「もちろんなのです。録音している音声も、一切悪用しないことを誓うのです。」
「録音はやめてあげた方がいいんじゃない、かな……?」
槿は目に涙を浮かべたまま、困惑混じりの冷めた表情を二葉に向ける。今回の一連の流れで唯一良かったことと言えば、まだ槿がまともな倫理観を持っているというが分かった。それだけだ。しかもその事にも、桜桃姉妹と比べて、という注釈が付く。本来なら、盗聴しているのも充分社会的規範に反している。
「とりあえず、連花のプロポーズを椿木が受け入れるところまでは見たのだから、ここからは2人の時間にさせてやれ。」
「えー。しょうがないですね……。」
不服ながらも、二葉は盗聴されている音声を止めた。槿も名残惜しそうに「あっ……。」と漏らしていたが、それ以上は特に文句を言う事もなく、二葉と楽しそうに先程までの盗聴していた内容について語りながら、黄色い声を上げていた。
「それにしても、あの後一果はどうなったのかは分からないのか?」
ふと、思い出したことを私は口にした。一果のスマートフォンは連花が持って行ったし、彼女には盗聴器は仕掛けられていない。だから、彼女の様子は一切こちらからは分からなかった。
「多分、水族館の職員さんに捕まってそのまま注意で終わるか、警察に連れていかれたかのどっちかなのです。」
「それって、一果は捕まったかもしれない、て事?」
「まあ、そうなのです。」
「大分大事だろう、それは。」
双子の姉が逮捕されたかもしれないというのに、平然とした顔で盗聴を続けていたのか、と私は半ば呆れる。
「まあ、大事にならない方が良いのです。『彼女達』の為にも。」
「?『彼女達』とは、どういうーーー。」
私が二葉にそう訊ねるのを遮るように、ガラ、と音を立ててリビングのドアが開く。振り向くと、一果がそこにいた。その表情は不機嫌そうではあったが、あくまで平常の範囲内での不愉快だけを示していて、『人を殴って警察に連れて行かれそうになった』というよりも、もっとささやかな出来事、例えば『急に雨が降ってきた』程度に見えた。
「聞いてよ。結局あの後あの女2人と一緒に警察に連れていかれてさー。家に連絡行っちゃったんだけど。」
案の定、そんな軽い調子で一果はぼやいた。
「ああ……。それは流石に、あの2人がお気の毒なのです。まあ、自業自得ではあるのですが。」
「あ、あの……。なんで、普通に戻ってきているの?警察、呼ばれたん、だよね?」
おずおずとあまりに平然としている一果に槿は訊ねる。彼女の疑問は最もだ。が、私は2人の会話からおおよそ察していた。
「え?ああ、コネ!一応日本の聖十字教団の中だと一番大きい家だからさ、色々顔が効くんだねー。」
「ええ……。」
引き気味の槿に、一果は続ける。
「後でパパとママにめちゃくちゃ怒られるし、そもそも捕まりたくないからあまりやらないけどさ。今回だってあの後、『警察呼べ!』って叫んだの向こうだし。」
机にドカ、と座りながら、机の上にある煎餅に手を伸ばし、捕まったストレスをぶつけるように噛み砕く。口ぶりからして、恐らく初犯ではないな、と私は察する。
当然と言えば当然かもしれない。そもそも、私と出会った時だって散弾銃を持っていたし、きっと通常の除霊の際にも武器を持ち込んで、その度に警察のお世話になっているかもしれない。もちろん、それ以外でもお世話になっていそうだが。例えば、今回のように。
「……まあ、今回は相手がちょっと、あれだったし。別に良いけれど。」
どこか釈然としない表情の槿は歯の奥に何か挟まっているような口調でそう言った。
「そういえば、君がいない間に連花のプロポーズが成功したぞ。」
「ええ!?録音は!?録音はあるよね!?」
一果は身を乗り出して、慌てた様子で二葉に訊ねる。間に挟まれた槿は後ろに身を引いて、2人の視界から外れるような動きをした。
「一応あるのです。削除しようかと思っていましたが。」
「ギリギリじゃん!よかったー。後で見せてよ。」
「こうなるなら、削除すればよかったのです……。」
「え、なんで?私にも見せてよ!」
しばらく言い争いをしている2人に挟まれながら、少し困った様子で、けれど微笑みながら、槿は言った。
「一果は本当に優しいね。本当は辛い気持ちもあるのに、心の底から2人を祝福していて。」
「ああ……まあ、うん。」
口ごもる一果を、槿は不思議そうに眺める。確かに、槿の言う事も合ってはいるのだ、少し違う。ただ一果は、欲に忠実なだけだ。




