第177話 桃李満門だった私達と落ちる陽、背く頭
水族館から歩いて5分程度の所に、彼女はいた。堤防の上に座り、足を海の方に放り出している。
私に背を向けている為、その表情は見えないが、泣いているように私は感じた。その証拠に、まだ日の高い時間だというのに、彼女の周りだけ陽が一つ落ちている。暑い日差しも、夕暮れのような柔らかさになっているような気がした。
もちろん、気がするだけなので、顔からは玉のような汗が流れ落ちていた。
堤防の前にはテトラポットが隙間が無くびっしりと積まれているので、そのまま海に落ちる心配はなさそうだが、テトラポットの隙間に落ちたら助からないらしい、という事を思い出して私は内心焦る。堕ちても隙間に吸い込まれることは考えにくいが、どこかに消えてしまいそうな、そんな雰囲気を彼女は纏っていた。
ゆっくりと彼女に近づいて、私はそっとその横に座り込む。一瞬だけこちらに向けた彼女の目には、何か輝く雫が見えた。私に気が付いた小春は、驚いたように目を見開いた後、慌てて目を逸らし、私に背を向ける。
「なん、で……!ここが……!?」
涙声で、彼女は私に訊ねた。目に浮かぶ涙を、隠すように必死に手でこする。
「そんなにこすると、目が痛くなってしまいますよ。……ここに来れたのは、主のお導き、といいますか……。とにかく、そういう事です。」
煎じ詰めれば、この世の全ての事柄は主のお導きによるもの、とも言えるので、あながち噓ではない。少なくとも、『あなたの友人が盗聴器とGPSを仕込んだおかげです。』という包み隠さない真実を伝えるよりよりは幾分かマシに思えた。
「フフッ。なんですか、それ……。」
小春は私の曖昧な返答に吹き出す。少しでも、彼女の気持ちが晴れてくれたのならば、とも思ったが、明らかに空元気なのが分かった。
「体調は、大丈夫そうですね。」
私の一言に、彼女の身体がビクッと大きく跳ねる。
「ご、ごめんなさい……!!」
「あ、いや、そういう意味ではなく!」
嘘を付いた彼女を責めるような言い方になってしまった、と私は慌てて否定する。何があったのか、詳細は分からないが、こうして泣くほどの事だ。普段よりネガディブになっていてもおかしくない。そんな彼女にかける言葉としては、些か不適切であったと反省する。
「安心しました、という事がお伝えしたかったのです。本当に、体調を崩してしまったかもしれないと、心配をしていたので。……おおよそ、何があったのかは察しています。」
「……2人と、話したん、ですか?」
そう訊ねた彼女の声は酷く震えていて、まるで私に怒られているかのように怯えているのが、背中越しでもわかった。
「……ええ。少しだけ。一言二言、言葉を交わしただけです。あなたを探す方が、優先でしたから。」
先程と同じく、一果の事は伏せた。彼女に尾行されていたと知ったら、いい思いはしないだろう。実際、私は嫌な思いをしている。今の彼女なら尚更だろう。
「……私の事は、なにか聞いたんですか?」
膝を抱えて、まるで殻にこもるような、そんな姿勢を取りながら、彼女はそれでも私に訊ねた。その意図が私には読めなかった。私に聞いていて欲しいのか、何も聞かされていないで欲しいのか。
「いえ、何も聞いてません。彼女達があなたの名前を出したので、恐らく彼女達と……何か、あったのだろう、と察したので、それ以上は特に。」
だから私は、包み隠さず話す事にした。小春があの2人に何か酷い事を言われた事、そして恐らく、彼女が辛い思いをしていた中学時代の友人だろうと言うことはおおよそ理解している。
それでも、小春が求めている言葉を、私は知らない。慰めて欲しいのか、受け入れて欲しいのか。ただ、誠実でいる事しかできなかった。
「本当、ですか?」
「ええ。本当です。主に誓って。」
「そう、ですか……。」
ほっとしたような、落胆したようなそんな声色。私と話しているうちに少し落ち着いたのか、彼女の声色は先程より落ち着いているように聞こえた。それでもこちらに向けない顔を覗きに行くような、デリカシーのない事は私はしなかった。そうしても、彼女を傷付けるだけに思えた。
「……連花さん。私の事見つけてくれて嬉しいです。でも……。」
小春はそう言って、言葉を詰まらせる。私は静かに、彼女の次の言葉を待った。
「私達、もう会わない方がいいかもしれません。」




