第171話 薄味、甘口
コトコトと音を立てて、鍋の蓋が揺らぐのを眺める。退屈極まりない光景ではあったが、それでもいくらかは暇つぶしになった。知り合いのストーカーを続けるよりは。
「もうすぐできるが、そちらに持って行って構わないか?」
未だにスマホから流れる2人の会話を聞きかじるようにしている二葉と槿に声をかける。
「ありがとう。大丈夫だよ。」
槿は返事をしたが、顔をこちらに向けることは無い。どれだけ夢中になっているのか。私は呆れるように息を吐いた。私は30分経った時点で飽きたというのに。
飽きた私は、何とか暇を潰せないかと考えて、丁度連花と椿木が昼食に行くという会話が聞こえたので、私も2人の食事を作ることを名乗り出た。
そんな暇つぶしの結果完成した昼食を鍋敷きを片手に、もう片手に鍋を持ってテーブルに向かう。鍋敷きを置いたあたりで、ようやく二葉はこちらに横目を向けた。
「この時期に鍋ですか……。え、素手?熱くないのですか?」
「熱いは熱いが事もないが、持てなくもない。」
そう言いながら、私は蓋を開ける。途端に米の匂いが部屋に充満した。
「……お粥、ですか?」
「お粥だ。各種付け合せもある。」
その会話で、ようやく槿はこちらに顔を向けた。一度鍋に目線を落とした後、困ったような笑顔で私を見つめる。
「……もしかして、前にアイリスちゃんに負けた事、気にしてる?」
「いや、全く。」
そう言いながら、私は気にしていた。というか、気にしない方が無理がある。私が手間をかけて作った料理が、ただの薄味の粥に負けたのだから。
別に、恨んでいるわけではない。ただ、納得出来ていないだけだ。
付け合せの佃煮と梅、あさつきを載せた皿とお椀を2人の前に置くと、2人は困ったように顔を見合わせた後、小さく笑ってお粥に手を伸ばした。
「でも、私はお粥好きだし、結構嬉しいかも。」
槿はそう言うと、何も付け合せを乗せずにそのまま粥に匙をお椀によそった粥に突き刺して、そのまま口に運ぶ。あの時、私も粥を出しておけば良かったな、と今更考えても仕方ないことを考える。
「だとしても、時期があるのです。今はもう30度超えているのですよ。」
二葉は文句を言いながらも、佃煮を乗せて口に運び、数秒黙った後、もう一口を匙ですくった。
私の作った食事を食べている2人を見ながら小さな優越感を覚える。しかし、反対に食事を摂らない私は手持ち無沙汰になってしまった。
以前、同様に手持ち無沙汰だった時に槿が食事をする様をずっと眺めた事があったが、その時はかなり嫌な顔をされた上に怒られた。彼女がもそもそと小さな口で食べる様は中々に可愛らしいのだが、槿としては食べづらいとの事で、『もう二度としないで』と怒られた。
暇つぶしに粥を口にしてもいいのだが、どうせ吐き戻すだけなのだからあまりその気にもならない。
仕方なしにスマホから流れてくる音声に耳を向けると、どうやら連花達もまだ食事中のようだった。定期的に、食器の擦れる音が聞こえる。
「なあ、彼等は私が料理を作り出した時にはどこか店を探していたと思ったのだが。そんなに混んでいたのか?」
少なく見積っても、30分は経っていたと思うが。
「涼は恋心を分かっていないのです。」
「失礼な。これでもれっきとした恋する吸血鬼だ。」
私の適当に返した言葉を聞いた槿は、匙を持ったまま顔を赤くして俯いた。冗談なのは分かっているのだろうが、それでも恥ずかしそうな槿に私もむず痒い思いになる。
「……バカップルは健在なのです。」
「うるさい。」
私と槿に冷めた目を向けて、煽るようにお椀の粥をかきこむと、二葉は続けた。
「好きな相手と一緒にご飯を食べると、話が盛り上がってつい時間が経ってしまうものなのです。食べる手も止めて、2人で笑いあったり、お互いに見つめあったり……。」
「そんな経験があるのか?」
私の言葉に、二葉は目を逸らす。それはそうだろう。彼女は、シスターなのだし、今まで恋をした相手はゴーストがほとんどらしい。あるわけがない。
「……耳年増が。」
いつも『バカップル』と言われる仕返しに、からかうように言い返す。
「と、年増は違うのです!」
「涼。言い過ぎ。」
顔を赤くして怒る二葉に合わせるように、槿が睨みつけるような目線をこちらに向ける。
耳年増はそういう意味ではないのは彼女達も分かっているのだろうが、そういう言葉に敏感な年頃なのだろう。恋心は分からないが、その程度の女心は理解出来る。
「君達の言う通りだ。悪かった。」
両手を挙げて、降参するような姿勢を取る。そうこうしているうちに、どうやら連花達は店を出たらしい。
「どうやら、連花達は移動するらしいな。次はどこだったか?」
「水族館だよ!」
槿がいつになく元気に返事をした。先程までの睨みつけるような目線が見る影もなく、嬉しそうに目を輝かせている。
そのあまりの変わり身の速さに思わず面を食らうが、恐らく行った事がない場所なのもあり、憧れを抱いているのだろう。
「いいなぁ。私もいつか行ってみたい。」
案の定、私の想像通りの事を槿は口にした。私は連れて行くことが出来ないので申し訳ない気持ちになる。
「今って、夜もやってる水族館もあるらしいよ。」
槿はそう言うと、上目遣いで私を見つめる。
「……今度、行ってみるか。」
「……うん。えへへ。」
「バカップル。というか、れーくん達をダシにイチャつかないで下さい。」
これは、そう言われても仕方ない。そう思った私は、連花達の声に耳を向けるようなフリをして、二葉の言葉を聞こえていないように取り繕った。




