第169話 桃李満門だった私達と、天使と悪魔
梅雨が明けて、7月になったばかりだというのに、もはや真夏と言っても差し支えない程に強い日差しが私を刺すように照らす。最近ようやく頻繁に姿を見せるようになった青空は、白い雲とのコントラストが一際際立って見えた。
まだ夏休みには少し早い、平日の『KBタワー』がまだオープンしていない時間であるからか、駅前には人は休日に比べて大分少ない。私と同じように待ち合わせらしい人はほとんどおらず、『KBタワー』に用があるというよりは、自宅の最寄り駅だというだけの人が多いように見える。
普段つけることの少ない腕時計を何度も見ながら、1一向に進まない時計の針にやきもきとしながら、駅から降りてくる人が居れば、小春でないかと期待を抱き、そうでなければ小さく落胆する。いくらなんでも、来るのが早すぎたな、と後悔するが、家で待っている事は、はやる鼓動が許さなかった。
ただ、楽しみだっただけとも言えるが。あるいは、緊張しすぎていたとも。
それにしても、朝の9時付近の現在で既に30度近い気温だという事は、きっとこれからもっと熱くなるのだろう。もう少し前にデートに誘う事が出来ていれば、という、今更どうしようもない事を悔いた。
けれど、今日の予定では外に出ることは少ないし、大きく問題はないはずだ。改めて、今日のデートの行き先を一緒に考えてくれた一果と二葉、それに槿には感謝しかない。
……どこか、企みのある笑みを度々浮かべていたのは気になるが。
そんなことを考えていると、駅のホームから、10分程前より多くの人が改札に流れてきた。再び小春の影を探して、この人ではない、この人も違う、と緊張しながら眺める。すると、改札付近が一際強い光を放っているように見えた。小春だ。
改札越しに見える彼女は、いつも後ろで束ねたポニーテールを下ろし、首にかかる位の長さのショートカットの髪は緩く巻いていて、普段とは違う化粧をしているのも相まって、自然で明るい印象の普段と違い、どこか少し大人びて見えた。
自惚れかもしれないが、私の為に普段より気合を入れて身だしなみを整えてくれたのだろうか、と考えただけで嬉しくて涙が溢れそうになる。
改札を出た彼女は、きょろきょろと私を見渡していた。足元がスニーカーなのは、今日歩く事を想定してなのだろう。花柄のフレアスカートに、濃紺のタイトなシルエットのトップスを合わせ、手に白い小さな革製のバッグを持った彼女は、普段の活発な印象と違い大人びて見えた。普段が向日葵だとすれば、今日は白百合といった印象だ。
高鳴る胸の鼓動と溢れ出そうになる涙を抑えながら私は小走りで小春に近づくと、彼女も私に気が付いたのか、少し恥ずかしそうに、それでいていつものような眩しい笑顔を私に向け、私に手を振った。その姿を見た途端、私は口を抑えながら、涙をこぼした。
「え、ええ!?黎明さん、どうしたんですか!?」
「白百合だと思ったら、向日葵だったので……。」
いつもと違う彼女が見せた、いつもと同じ笑顔。ただでさえ後光が指しているのに、それはあまりに眩しすぎた。後光は個人的な感想だが。
「な、なんの話ですか……!?」
「い、いえ。なんでもありません。」
状況が全く理解できていない小春を落ち着けるように片手を前に差し出し、もう片方の手で私はひとまず目を拭う。
「それより、今日はいつもと雰囲気が違いますね。とてもお似合いです。」
まるで何事もなかったかのように、私はデートらしい会話を始める。私の唐突な涙から意識を逸らしたかったという意図もないわけではないが、その言葉は紛れもない本心だった。
「え、ええ!?そ、そんな事ないです!!」
不意にそう言われた小春は、リンゴのように顔を赤くして、それを隠すかのように両手を前に突き出す。
「本当ですよ。いつもと違う雰囲気も素敵です。」
あまりに可愛らしいその仕草に舞い上がりそうになるのを必死で抑えながら、私は出来るだけ自然に微笑んだ。少しでも喋っていないと、緊張で口から心臓が飛び出しそうだった。
「あ、ありがとうございます……。」
前に突き出してた手をふにゃりと曲げて、照れながらも嬉しそうに緩んだ顔を浮かべて、すぐに少し不安そうな顔で、私を見上げた。
「……普段の私と、どっちが好きですか?」
「どっちも、か、可愛らしい、です……!!」
「な、なんでまた泣いているんですか!?」
「ごめんなさい……。自分でも分からないです……。」
そうして、私と小春のデートは波乱のスタートを切った。
主に波乱の原因は、私なのだが。
ーーーーーー
「……なあ、このやたらとよく聞こえる2人の会話は、どういう原理なんだ?」
『まだ少し早いのですが、どうしますか?』『せっかくだし、入口で待って一番乗り目指しましょう!』と、楽しげな会話を繰り広げる2人の会話を平然とスマートフォンから流す二葉に私は恐る恐る訊ねた。
「2人の今日の服装を私達3人で選んだので、こっそり盗聴器を仕込んだのです!音声を拾える距離が短いので、私のスマホには一果のスマホを経由して音声が流れているのです。」
「ええ……。」
自慢げに言い放つ二葉に、私と槿は軽蔑の目を向ける。流石にその事には槿は関与していなかったらしい。安心したと同時に、本当に桜桃姉妹が聖職者なのか疑わしくなる。
「いくら知り合いで、悪用目的ではないとはいえ、いや、これが悪用かどうかは怪しいところではあるが。とにかく、盗聴器を仕込むのは一線を越えているぞ。もう一度言うが、吸血鬼にこんな事を指摘されるのを恥じるべきだ。」
「私も、涼と同じ意見、かな……。」
「尾行の時点でアウトだし、盗聴器を仕込んだくらいで大して罪は変わらないのです。」
平然と言い放つ二葉に、言われてみるとそうなのだろうか、とどこか釈然としないものを感じながら、かと言って今からその事を伝えて連花と椿木のデートを台無しにするのも憚られた私と槿は、どこか釈然としないまま、それ以上は言わなかった。
それに、盗聴器には引いておきながら、なんだかんだ槿は2人の会話を目を輝かせて聞いているように見えた。彼女が楽しんでいるなら、とりあえずいいか。誰も不幸になっていないし。




