第160話 桃李満門だった私達と紫苑③
「ふざけるなっ!!」
私が、5歳頃の記憶。それが、一番昔の記憶だった。私の祖父は、そう怒鳴って私の父を殴った。その勢いで、父は壁に吹き飛ばされて、壁には大きく凹んだ。
ヴァンパイア・ハンターの家系は、『聖十字架の奇跡』を身に付けることが不得手な代わりに、肉体面に神の加護が現れるらしい。つまり、身体能力や五感が一般人よりも優れている。それでも、吸血鬼には数段及ばないが。
そんな祖父が振るう暴力は子供の私がトラウマになるには充分な迫力だった。私は泣きながら傍らでその光景を見守る母の足元に縋り付いた。
私の泣き声を聞いて、少しだけ落ち着いた祖父は、それでも怒りが収まらない、とでもいうように、鼻息荒く父の胸ぐらを掴む。
「エクソシストの真似事をする為に、他の家に教わりに行くだと!?本気で言ってんのか!?」
「本気だよ。今までのやり方だと、ただ悪戯に他のエクソシストとの溝を深めるだけだ。連花家だけで出来ることなんて、限られているんだ。力がいる。エディンムを殺す為にも。その為には、こちらから歩み寄る必要があるんだ。」
胸倉を掴まれながらも、父はあくまで冷静に祖父の目を見据えていた。
「ダメ元で桜桃司教にお願いをしたら、快諾してくれた。『全ての者に教えは開かれるべきだ』と。黎明も預かってくれる。父さんには迷惑をかけない。」
「それがふざけてるってんだ!ひたすらに技術を磨いて、それでようやく首元に切っ先が届くのが真祖だ!それを、お前は……!!」
「父さんは、吸血鬼を見たことないじゃないか。」
その言葉を聞いた時の、祖父の顔が忘れられない。怒りは驚愕とも悲しみともつかない感情に変わり、目と口は半端に開いて、どこか虚ろだった。
「あ、いやーーー」
流石に言い過ぎた、そう思った父が何かを言おうと口を開いたその瞬間、祖父は乱暴に父を放り投げた。テーブルを巻き込んで、大きな音を立ててガラスを突き破り、家の外に放り出された。
「もういい、勝手にしろ!」
それだけ言って、祖父はドアをバタン、と大きな音を立てて閉め、自室へ戻って行った。
ガラスで身体のあちこちを切った血塗れの父は、祖父が去った後の扉をただ、悲しそうに眺めていた。
それからしばらくして、私は父と母に手を引かれ、桜桃家に向かった。家と言うにはあまりにも広大で、子供の目にはお城の様にも見えて、私は怯えていた。
両親もどこか緊張しているように見てて、私は恐る恐る、「これから王様に会うの?」と両親に聞くと、2人は吹き出したように笑っていたのを覚えている。
「そうじゃないのよ。私達の、先生みたいな人がここに住んでいるの。」
緊張がほぐれたのか、母は柔らかい笑みを浮かべながら答えた。
「パパとママの『せんせい』って事は、おじいちゃん?」
「歳は然程変わらないよ。黎明と同い歳の子供もいるんだよ。」
「そうなの!?お友達になれるかなあ……。」
そう言って目を輝かせる私に、また両親は顔を見合わせて笑った。
その後に出会った2人は、もちろん一果と二葉で、『同い歳の子供』が女の子で、しかも双子だとは思っていなかった私は最初人見知りをしていたが、すぐに仲良くなった。
そうして私の両親は、一果と二葉の父、桜桃尋巳司教、現在は大司教だが、とにかく除霊術と『聖十字架の奇跡』についての修業を受けている間、一果と二葉、それとたまに遊びに来る氷良とアイリスが、当時の私の友人だった。……今も、そこから増えてはいませんが。
それからの5年間は、平和だった。祖父は嫌な顔をしたけれど、それでも私は楽しかった。私の両親も、やはり『聖十字架の奇跡』を覚えるのに苦戦していたが、いるのか分からない吸血鬼を追い続ける停滞していた日々よりも、充実した日々を過ごしていたと思う。
それからしばらくした、私が10歳の頃。両親は司祭になり、それと同じ頃に祖父が亡くなった。
両親も私も悲しんだが、私はそれと同時に、心のどこかでほっとしていた。
顔を合わせる度に祖父が私に言う、『お前の両親が役目を果たせなかったら、お前が引き継ぐんだ』という言葉が、私には怖かった。だから、もうそれを言われなくていいんだと、ほっとした。
それからたった1年後。私の両親は命を落とした。長野で突発的に起きた大規模霊障で、指揮系統も曖昧な中、2人は最前線に駆り出され、命を落とした。不運な事故とされているが、恐らく真相は違う。
嫌われ者で、実力もない没落したヴァンパイア・ハンターの一家が、教団最強のエクソシスト、三名家の次期当主、六花と呼ばれる教団最大勢力の当主と懇意にしている。それを面白くないと思ったエクソシストが、丁度私の両親と先程言った3人が誰もいないのをいい事に最前線に送った。
私は両親の死を悲しみ、その後教団を恨んだ。一果や二葉、そして私を養子にしようと申し出てくれた桜桃家すら恨み、いずれ両親の復讐をする事すら誓った。
けれど、しばらくして、私は気が付いた。
私が、両親が、一族が。ヴァンパイア・ハンターがこんな目にあっているのは、全て吸血鬼のせいだと。
あの化物がいなければ、私達はここまで疎まれる事はなかったはずだ。私の両親は、吸血鬼に殺されたんだ、と。
だから、私は吸血鬼を殺す為に、必死にエクソシストとして、ヴァンパイア・ハンターとしての技術を磨き、司教になる事が出来たそうなる為の道は、私の両親が開いてくれた。
吸血鬼は現れなかった。……つい、数ヶ月前まで。
そして、私はその吸血鬼に、エディンムに、惨敗した。遂に終えることができると思っていた使命は、果たす事が出来なかった。
人間よりも遥かに強い化け物を葬り続けた、桃李満門だったヴァンパイア・ハンターの一族は、今や真祖の足元にも及ばない私一人だけとなってしまった。
『使命を果たせ』。祖父のその言葉が、私の脳裏から離れない。失意のまま寿命を迎えた、命を落としたヴァンパイア・ハンター達の、私まで連なる使命という『十字架』が、私に重くのしかかる。
それなのに、私は、吸血鬼を殺すのを躊躇っている。
黎明という名前は、『夜明け』や、『新しい時代』を意味する。私は、それが果たせる立場にあるというのに。




