第152話 桃李満門だった私達と卯木
車が風を押しのける音と、エンジンの駆動音だけが、車内に響く。ゴールデンウイークという事もあってか、高速道路は普段より随分混み合っているが、夕方という中途半端な時間も相まってか、渋滞という程ではなかった。左右に広がる緑を朱に染めるように夕暮れが、正面から照らす。
切り裂くように直線に伸びた高速道路を走りながら、私は明確な違和感を覚えていた。
いくらなんでも、おかしい。天竺葵大司教が、関東支部にもいないなんて。涼達のいる教会に戻りながら、私はそんな事を思った。
あれから数時間経ち、その間に何度かかけなおしても天竺葵大司教に連絡が取れず、痺れを切らした私は関東支部に向かった。しかし、そこに天竺葵大司教はいなかった。
もちろん、高い身分の人であるし、能力に優れた人でもあるから、本国に呼ばれる事や、緊急事態に駆り出されることは珍しくはない。だが、支部にいた信徒やエクソシストに聞いても、誰もその行方を知らないと答えた。いくらなんでも、それはおかしい。
なにより、緊急を要する用事があるのに、天竺葵大司教とこれほど連絡が取れない、というのはあり得ない。絶対に、何かがおかしい。
トンネルに入り、壁の圧迫感から、道幅が狭くなったかのような錯覚を覚え、ふと嫌な予感が脳に過る。
まさか、どこかの現場か、事件に巻き込まれるなどしたのだろうか?一瞬頭をかすめたそれを、すぐさま否定する。
もし天竺葵大司教が怪我をするような規模の霊障があったとしたら、きっとすぐに教団中を駆け巡る大事件だ。事件だとしても、恨まれるような人物でもないし、通り魔だとしてもわざわざ身長が2m30㎝もある人物を狙わないだろうし、もし異教徒などが狙ったとしても返り討ちにするだろう。
トンネルを抜け、再び夕暮れに身を投じる。
一通り可能性を考えて、結局原因が分からないというところに行き着いた私は、次にもどかしさを感じた。
天竺葵大司教の指示なく涼と槿への対応を決める訳にはいかない。特に、涼は早急に決めたい。昨日の段階では血液パックを摂取したからか、落ち着いていたが、長くは持たないと本人も自覚しているようだった。だからこそ、殺すか、それとも他の手段を取るかを早急に決めたいのだが、それが出来ず、もどかしい。
教会に着くまでに、連絡が入ればいいが、と薄い望みを抱きながら、小さくため息をついた。
それから1時間程度、車を走らせて、教会にたどり着いたが、案の定天竺葵大司教からの連絡は無かった。
どうしたらいいのか、頭を悩ませながら、ドアを開ける。その途端、リビングから夕食の匂いがした。恐らく肉じゃがだろう。今日、一切の家事を任せてしまったことに罪悪感を覚える。
「ただいま戻りました。」
リビングに入ると、二葉と一果はリビングで食事を取っていた。やはり、今日の夕食は肉じゃがだったらしい。丁度2人が食事を始めたタイミングだったらしい。皿に盛られた食事は、ほとんど減っていない。
「あ、れーくんおかえりー。肉じゃがあるよ。」
「ありがとうございます。いただきます。」
食事をよそい、私は一果の隣に座る。二葉を見ると、彼女は少しだけ気まずそうに目を逸らした。私に怒られた後は、暫くはそんな態度を取る。1日経つか、なにかきっかけがあれば忘れたようにすぐにいつも通りの態度になるので、私はそのまま放っておいている。
いつものように祈ってから、食事に手をつける。味噌汁をすすり、温かい液体が胃に流れ込み、心が落ち着く。
「大司教には会えたの?」
「いえ、不在でした。それに、誰も行方は知らないようでした。」
「「え!?」」
一果と二葉は、息を合わせて驚いた。やはり彼女達も同じように、信じられないと言いたげな表情を浮かべる。
「どこかで死んだりしているのですかね?」
案の定私が怒ったことを忘れているかのように、ただ思いつきを口にする様子で二葉は言った。
「あの人が死ぬ程の事があったとしたら、もっと多くの人が死んでいますよ。」
「でも誰も知らないってなんだろうね。アイリスよ何も知らなかったの?」
「アイリスは、……あれ?」
私はそこまで口にしてから、あることに気がついた。
「そういえば、アイリスも見ていませんね。偶然かもしれませんが。」
「でも、なにか関係がありそうではあるのです。」
「ねー。でもなんだろう?」
2人も箸を進めながら、理由を考えているようだったが、何も思い浮かばないようだった。このまま考えた所で、きっと何も収穫はないだろう。そう思い、私は話題を変えた。
「そういえば、涼は起きましたか?」
「さっき部屋を覗いたけれど、まだ寝てたよ。起こそうか?」
「いえ、一旦処遇が決まるまではそのままにしておきましょう。」
起こした所で、話せる事は何も無い。むしろ吸血衝動が抑えられているのならば、このまま寝ていてもらった方が好都合だ。
私がそう言うと、一果は小さく頷いた後、少し考え込むような表情をした。
「?どうかしましたか?」
私がそう訊ねると、はっとしたような表情を浮かべ、手を左右に振りながら、
「あ、ううん!なんでもない!」
と慌てて否定した。どこか態度に違和感を覚え、私と二葉は2人で顔を見合わせたが、首を傾げるだけだった。




