第149話 桃李満門だった私達と石竹
盆に乗せた朝食、白米、焼き鮭、味噌汁にサラダを持って、落とさないように階段を登る。私の後ろを歩く二葉は、先程同様不機嫌な表情をしていた。
私と一果と違い、裏の意図などなく2人と親しくしていた彼女だからこそ許せないこともあるのだろう。もう2人共成人しているし、あとは槿と二葉の問題なので後は成り行きに任せることにした。
そもそも、仲直りする必要があるのかすら分からないのだし。この後の処遇によってはもう2度と会う事もなくなるかもしれないのだから。
盆を片手に持ったまま、槿の部屋をノックする。返事がない。今の時刻が朝の8時だから、彼女が起きていてもおかしくない時間だが、昨日戻ってきたのが4時だし、まだ寝ていてもおかしくはない。だが、万が一がある。考えにくいが逃げ出している可能性もあるし、体調を崩して気絶している可能性だってある。
「二葉。申し訳ございませんないのですが、一度合鍵を常盤司祭から貰ってくるので、部屋の中の様子を見てもらえますか?寝ていたら起越す必要はありません。」
二葉に確認してもらうのは、槿が女性なので、流石に私が勝手に部屋に入るのは良い気がしないだろう、という配慮だ。二葉もそれを察して、小さく頷く。
私は二葉に一度盆を渡し、住居棟を出て教会の方に向かう。この時間ならば、きっと彼は教会にいるはずだ、と思い教会に行くと、案の定いた。何やら信徒と談笑をしているのが見える。
相手は私がこの教会に頻繫に来るようになってから何度か見かけたことがある。常盤司祭より一回り若い女性だ。私達求道派ではあまり見かけない和やかな光景に、少し羨ましく思う。エクソシストが一般信徒と話すことは、余程仲の良い人か業務連絡くらいだ。私が好かれてないのもあるだろうが。
別に急ぎの用件でもないが、二葉を待たせている。談笑の邪魔をするのはあまり気がすすまないが、常盤司祭に声を掛けることにした。
「お話のところ申し訳ございません。」
「おや、連花司教。おはようございます。どうされたのですか?」
「実は、槿さんの部屋のーーー」
鍵を貸してほしいのですが、と言おうとした時、信徒の女性が私の言葉を遮る。
「あら、お兄さんお若いのに司教様なのね!?」
「え、ええ、まあ。」
「凄いわねえ、きっといっぱい努力してきたのね!」
「あ、ありがとうございます。」
強い圧と、あまり真っ正面から褒められる事がないので、私は気圧される。
その後もしばらく言葉の弾幕に晒された私は、台風のようだ、と思った。傍目から見る分には大したことはないが、一遍その中に足を踏み入れると大惨事になる、まさに台風だ、と。
こんな暴風圏の中にいて、平然と笑顔を保ったままの常盤司祭に一種の畏敬の念すら覚える。
「それで、あなたは普段はどこの教会にいるの?」
その言葉で、私は目の前の女性が1つ勘違いをしていることに気が付いた。
「ああ、私はエクソシストをしておりまして。ですので、教会に籍は置いておりません。」
私がそう言い終わるか否かのタイミングで、女性の表情は一変した。先程までの楽しそうな表情はどこへやら、顔をしかめて、不快害虫が出たかのような顔で私の足先から頭のてっぺんまでを何度も見まわして、
「ふうん…………。そうなの。」
とだけ言って、何故か常盤司祭を睨みながら、会釈をして教会から出ていった。やはり、いまだに啓蒙派の人々の中には求道派を嫌っている人が多いらしい。高齢の方は、特に。
「申し訳ございません。連花司教。彼女は悪い方ではないのですが、少々、…………古い、信仰の仕方をしておりましてな。」
心底申し訳なさそうな表情で常盤司祭は私に頭を下げる。
「お気になさらないでください。嫌われるのには慣れていますから。」
私は笑いながら何でもないように返した。彼が謝ることではないし、別に彼女の思想も否定するつもりはない。いい気持ちではないが、それだけ対立が根深いのも理解はできているつもりだ。
私の言葉に悲しそうな表情を浮かべる常盤司祭に気が付き、私は慌てて話題を変える。
「そういえば、槿さんの部屋の合鍵を貸してほしいのですが。まだ起きてこないので、念のため二葉に様子を見てもらおうと思っておりまして。」
「ああ、そういう事でしたか。」
露骨に私が話題を変えたことに気が付いている様子ではあったが、彼も少し引きつった笑顔を浮かべて出来るだけ平静を取り繕う。
「それでしたら、構いません。私の部屋にキーケースがありますので、そちらから取り出してください。私の部屋の鍵と、キーケースの鍵です。」
ポケットから鍵を取り出して私に手渡す。
「ありがとうございます。」
そう言って頭を下げて、私は教会を後にした。教会を出ると、正門の所に先程の信徒の女性が、同年代くらいの女性2人と、なにやらひそひそと話しているのが見える。私が教会から出てきたのを見ると、露骨に眉をひそめたのが見えた。
私は笑顔で会釈をして、その場を後にする。
常盤司祭の部屋から槿の部屋の合鍵を取り出して、再び2階に上がると、二葉の姿が見えない。
もしや、そう思い槿の部屋の前に行き、ドアをノックすると、
「は、はーい。」
と、おっかなびっくり、と言った様子の声が聞こえた。
「中に入ってもよろしいでしょうか?」
「だ、大丈夫です。」
その声が聞こえたので、ドアノブを回して中に入ると、案の定二葉がそこにいた。奥に座る槿は、居心地の悪そうな顔で食事をもそもそと取っている。
「めーちゃん遅かったですね。もう槿が起きちゃったのです。」
「仕方がないでしょう。台風に巻き込まれたのですから。」
「台風?」
私の冗談に首を傾げる二葉を無視して、私は白米を箸で小さな口に運ぶ槿に愛想笑いを向ける。
「おはようございます。月下槿さん。少し、お話よろしいでしょうか?」




