第145話 飛花落葉だった私と梵論葛
連花が足早に去った後、私は胸を撫でおろす。
「りょ、涼…………大、丈夫?」
恐怖から、私の声は震えていた。
昨日壁際に追い込まれた時も、正直に言うと泣きそうになる程に怖かったが、目の前で繰り出されるあまりに暴力的な光景に、私は今更足が震えだす。
そもそも事の元凶は私達だし、殴られて当然、殺されないだけ温情だ、という事くらいは自覚していたし、それ相応の覚悟はしていたつもりだった。
けれど、つい数か月前までそう言った暴力とは程遠い世界にいた私には、いくら何でも刺激が強すぎた。
「ああ。気にするな。」
あれだけ思い切り殴られたのにもかかわらず、何事もなかったかのように平然とした顔で涼は答えた。その顔には傷一つなくて、彼が人間でないことを改めて実感する。
「……大丈夫そうだし、とりあえず、2人共私達に着いてきてもらえる?」
気持ちを切り替えたのか、真面目な表情をした一果のその言葉に私と涼は無言で頷いて、その後ろに着いていく。そしてその私達の後ろに二葉が着いて、私達を逃がさないよう、挟み込むような陣形を取った。
もちろん私達は逃げるつもりなんてないし、涼も口約束を交わした以上逃げられないけれど、それでも前科があるので警戒せざるを得ないのだろう。
後ろに着いた二葉からは、見たことの無い刺す様な鋭い視線を背中に感じるしような気がする。
そうして無言の行進は住居棟に入り、2階に上がり、私の部屋の前まで続いた。
部屋の前に着くと、一果が、
「じゃあ、涼はつ、……槿の部屋の対面の部屋を使って。その隣の部屋は、れーくんが壁に穴開けちゃったから。」
涼は何か言いたげに口を動かしたけれど、流石にそういう空気じゃない事を察して小さく頷き、ガチャリ、と小さな音を立てて扉を開けると、言われた私の対面の部屋に入った。
ふと二葉に目線を向けると、先程感じたように彼女は私に鋭い目線を向けていた。気まずくて私はすぐに目を逸らす。
「で、槿はいつもの部屋。食事とかは、部屋に持っていくから。体調不良とかがあった場合は呼んでもらって構わないけれど、処分が決まるまでは基本的には2階から降りないようにしてね。」
そんな二葉の様子には気が付いていないのか、一果は続ける。
いつものように『つっきー』とあだ名で呼んでくれない事が辛いけれど、きっと私には心が痛める資格などないのだろう。
「……うん。ありがとう。」
出来るだけ笑顔を取り繕って私がお礼を口にすると、一果は目を泳がせて、笑うとも悲しむともつかない曖昧な表情を浮かべて小さく頷いた。
「じゃあ、……また明日。」
そう言って一果は私に背を向けて自室に戻ろうとするが、その時ずっと無言のまま、私を睨む二葉に気が付いて、彼女の足は止まる。
「……私は、許していないのですから。」
真っ直ぐに私を見つめたまま、二葉は低い声でそれだけ言うと、勢いよく扉を閉めて自室に戻る。
私は何を言う事も出来ず、ただ目線で部屋に消えていった二葉の目線を追うことしか出来なかった。
一果も流石に驚いた様で、数秒その場に固まっていたが、私と目が合うと、すぐに逸らして自室に戻った。
誰もいなくなって静かな廊下に1人残された私は、ふいに我に返り、とぼとぼと自室のドアを開けて、ふらふらとベッドに倒れ込む。
疲れた。頭の中で私はそう呟いた。
お風呂に入っていないから、身体が磯臭くて、足は砂と土で汚れている。部屋の浴室に入ろうかとも思ったけれど、急に身体を疲労感が襲って起き上がる気力がない。
涼と、2人で生きて行こうと誓った。けれど、やっぱり3人のあの態度を目の当たりにすると、胸が痛くて、あの時の強い気持ちは徐々に萎んでしまったような気がする。
『友達と喧嘩をするのは初めて』だなんて言ったけれど、喧嘩なんて優しいものじゃなくて、明確に拒絶されているように思える。
最初3人が泣きそうな顔をした時は、まだ前の関係でいられるかもしれないと、淡い期待を抱いたけれど、所詮それは期待でしなかった。
そんなことを考えながら、何をする訳でもなくただ暫く天井を眺めていると、徐々に瞼も重くなり、意識が遠くなる。
眠りに沈んでいく意識の中で、私の口から出た言葉は、
「やっぱり、今日死んだ方が綺麗に終われたのに……。」
だった。




