第144話 桃李満門だった私達と佐葦
カチカチと、時計の音だけが、リビングに響く。
私は、一果は、二葉は、一切口を開かなかった。
エディンムが帰った後、しばらくその場で呆然としていた私達は、『とりあえず、一旦ここで待ってても仕方ないよ』という一果の言葉で住居棟に戻り、リビングで、ただ待っていた。
来るはずもない、心中に出た2人を、複雑にこんがらがった心のまま。2人が死んでいた時、戻って来た時、どうすればいい?生きていたとしても、戻ってくるのか?
昨日、私は涼を殺そうとしていた。2人でどこかに逃げている可能性だってある。
……それでも、いいのかもしれない。
そんな事が一瞬過ぎる自分の甘さに苛立って、私は無意識に舌打ちをする。
「むーちゃん達、今どうしてるのでしょうか……。」
呼応するようにそう二葉が呟く。
「さあ。どちらにせよ、私のやる事は吸血鬼を殺すだけです。」
吐き捨てるように私が言うと、二葉は気まずそうに目を逸らす。思わず当たるような言い方になってしまった事に罪悪感を覚えるが、それに対して謝罪ができる程の余裕は今の私にはなかった。
再び時計の針が時を刻む音だけが響く。時間は深夜4時を過ぎた頃で、夜明けまではあと2時間程度しかない。
あれから4時間程度経つ。残念ながら、彼ら生きている可能性はゼロに近い。一度天竺葵大司教に指示を仰ごうと思った、その時。
微かに、羽ばたく音がする。外からだ。大きさからして、鳥類ではない。
「一果、二葉!」
急に出した私の大声に2人は一瞬驚いた後、すぐさま頷く。
ドアを勢いよく開けて駆け出すように外に出ると、2つの重なる人影。もう一つの影を、少し背の高い影が地面に降ろしているところだった。
涼と槿だ。
彼らも、既に近づいてくる私達に気が付いているようだった。逃げもせず、2人はただ立ったままその場から動かない。
表情が見える距離まで来ると、涼も槿も、何か決意が決まっているような、真っ直ぐな目をしていた。
「本当に、迷惑をかけた。…………申し訳ない。」
涼がそう言って深く頭を下げたのに合わせて、槿も頭を下げる。
「ずっとお世話になっていたのに、嘘を付いていて、迷惑をかけて、ごめんなさい。」
予想もしていなかった2人の態度に、私は思わず面を食らう。しばらく頭を下げていた2人は、示し合せたように同じタイミングで頭を上げて、私達の顔を見て、驚いたような顔をする。
2人の表情を見て、私は自分が安堵から目が潤んでいる事に気が付いた。そして、一果と二葉も恐らく同じ理由で、似たような表情をしていることに。
その安堵の理由が、エディンムによる虐殺を回避したことでもないことに、私は気が付いた。
「ふざ、けるなよ…………!」
必死に体中から霧散した怒りをかき集めてそう言った私の声は、泣く寸前のように掠れていた。その事が、私のヴァンパイア・ハンターとしてのプライドを刺激した。
その声に、再び驚いたような表情で2人は私を見つめる。
「人を殺しかけて、騙して、逃げて、それで戻ってきて、いきなり態度を変えて『ごめんなさい』?ふざけるな!!」
こいつ等は、人を殺す吸血鬼だ。それを生かそうとする、いかれた女だ。こいつ等のせいで、人が大量に死ぬところだった。自分にそう言い聞かせる。
「そんな事が許されると思っているのか!!」
そう言いながら、私は涼の勢いよく胸倉を掴む。勢いあまってそのまま涼を地面にたたきつける形になり、彼の頭が小さくバウンドする。それでもお構いなしに、私は続けた。
「人を舐めるのも、いい加減に、しろ!!」
私はそのまま、涼の顔面に拳を振るう。怒りに任せたわけではない。そうでもしないと、彼等への怒りが、どこかに消えて行ってしまいそうで、恐ろしかった。だから私は力を込めて、必死に怒りを繋ぎ止めた。
1発、2発、3発と、彼の顔を殴る音が響く。彼の顔が凹み、一瞬で再生する。
呆然とその光景を見ていた一果と二葉は、はっとしたように慌てて私の振りかぶった手を、身体を、涼から引き剥がそうとした。
「ちょ、ちょっとれーくん!一旦ストップ!ストップ!!」
「気持ちは分からなくも無いのです!でも一旦落ち着くのです!!」
彼女達の静止で私は拳を振るうのを止めた。肩で息をしながら、涼の上から立ち上がり、膝に着いた土を払う。
無理矢理昂らせた感情は、自分でも驚く程にすぐ冷めた。怒りとも安堵とも遠い感情で、ゆっくりと立ち上がる涼と、狼狽える槿を視野に入れる。
そんな私を2人から少し引き離しながら、一果と二葉は間に入った。
「多分、今日このまま話しても、冷静に話し合えないだろうし、私達の方にも色々とあったから、考える時間が必要だと思うんだよね。」
私と2人を交互に見ながら、落ち着けるように一果は言った。
「だから、少し時間を置いてから話し合った方がいいと思うのです。めーちゃんもそう思わないですか?」
私を落ち着けるように、少し不安げな表情で二葉は言葉を引き継ぐ。
「……そうですね。もうすぐ夜が明ける。詳しくは次の夜に聞きます。それまでは、一応生かしておいて差し上げます。涼も住居棟の一室を使うといいでしょう。ただし、処分が決まるまでは部屋から出ることは認めません。もし次逃げた場合は、問答無用で殺します。」
「分かった。従おう。」
そう言って頷く涼の目には、今までになかった強い光が見える。吸血鬼の分際で、意味もなくそう悪態を付きたくなる。
だが、そんなことをしても無意味だ。
「では、あとは一果と二葉に任せます。」
それけ言うと、私は踵を返して1人足早に住居棟に向かい、乱暴に自室のドアを閉めて、ベッドの上に寝転がる。
許せないという気持ちが、何度も脳内を反芻して、眠れそうになかった。
何を、誰を。そのどちらも分からないのに、その気持ちだけが強く何度も、脳内に響いた。




