第143話 虚実古樹の私から⑫
「それで、マリアの牧場を手伝わされているというわけさ。」
ヴァンパイア・ハンター狩りの報酬として、『欲しいものはないか?』という私の質問に、マリアは『人間牧場の手伝いをしてほしい』と答えた。そのせいで、私とオエノラ、そしてイライシャはしばらくの間、手伝う羽目になったというわけだ。
その一環で、私はヴラドの城への家畜の運搬を手伝わせて、空いた時間に彼と喋りに来て、今に至る。
「成程。道理で汝が抗わずに従っているのはそういう訳か。」
ヴラドは、愉快そうに目を細めた。
「相変わらず眷属の尻に敷かれているのねぇ。同じ真祖として、本当に情けないわね!アーッハッハッハ!!」
上窓の通路の手摺に腰掛けて、私達を見下ろすように、足を組んで座るエリザベートは、声を上げて私を嘲笑う。
どうやら、エリザベートも偶然、ヴラドの城に来ていたらしい。私達3人が一堂に会することなど、百年近くなかったように思える。
ヴラドはそのエリザベートの声に、露骨に不快そうな目線を向けた。
苛立った様子で口を開いたヴラドを、私は目線で制止する。愚かさと自信過剰は若者の特権だ。そして、それを許すのは年老いた者の贅沢だ。
まあ、エリザベートが人間であれば、流石に殺しているが。それはそれとして、だ。
私の目線に気付いたヴラドは、不満げに玉座に座りなおした。
「まあ、私の事は良いじゃないか。それで、エリザベートはどうしてここにいるんだい?君は眷属のお手伝いをするような情けない真祖ではないだろう?」
「ええ。その通り。ヴラドに呼ばれたの。面倒だったけれど、まあ暇だったし、来てあげたのよ。」
「へえ、珍しいね。」
私は珍しく、本心から驚いた。随分と、珍しい事もあったものだ。ヴラドがエリザベートを呼ぶことも、エリザベートがそれに応じることも、普段なら考えられない。ここに私がいることも含めて。
「機を見て、汝にも声を掛けるつもりであったが、いい機会だ。実を言うと、汝らに頼みがある。」
あのヴラドが、私達に頼みがある?思わず、私とエリザベートは目を合わせる。真祖として、夜の王としての矜恃を人一倍持ち合わせている彼が、同じ真祖とは言え、私達に頼むとは思いもよらなかった。
「今日は随分珍しい事が重なるね。白夜にでもなるんじゃないかい?」
「珍しく気が合うわねぇ。白夜が何かは知らないけれど。 でも、あのヴラドが頼み事と言うのは、気分がいいわ。いいわよ、聞いてあげる。」
ヴラドは少し黙った後、唸るような低い声で、言った。
「我は、眷属は、順調に勢力を、領土を拡大している。だが、我等吸血鬼は、1人の真祖からなる眷属の数が決まっている。その為、管理できる領土には限りがある。」
ああ、成程。彼の言いたいことが大体分かった。
「だが、他の眷属と手を組めば、その領土は更に増えよう。」
「ああ、そういう事。」
「察しがついたか。そうだ、我等で同盟を組まぬか?共に覇道を歩もうではないか。」
「嫌よ。」
「また意見が合ったじゃないか。私もさ。お断りだね。」
ヴラドは、私達のその返事に深くため息を吐いたが、怒りの感情は見えなかった。
「その様子だと、こうなる事は想定済だったんだろう?」
「…………その通りだ。だが、エリザベート、汝もか。」
ヴラドは、その鋭い眼光をエリザベートに向ける。彼女は一瞬その視線に怯んだが、すぐにいつものように尊大な態度を取った。
「だって、つまらなそうだもの。それに、私の子達は皆食欲旺盛だから、これ以上増やしたら、私の食べる分が少なくなってしまうわ。私、空腹だけは許せないの。」
ほお、と少しだけ感心する。一般的に吸血鬼は活発に活動していても数年に一度吸血すれば問題ない。だが、彼女とその眷属は違う。長くても数か月に一回、エリザベートに関しては起きた日には毎日のように吸血をしている。快楽目的でもあるだろうが、それでもそんな頻度で吸血する吸血鬼が増えれば、彼女の言う通り、人間は数を減らすだろう。
眷属の数を絞っているな、とは思っていたが、一応、そのくらいの計算は出来るらしい。
「…………で、あるか。」
ヴラドは、それだけ言って考えるように沈黙した。私達は彼の次の言葉を待っていたが、痺れを切らしたエリザベートは、私の方を見て口を開いた。
「ねえ、エディンム。私、お腹が空いたわ。貴方の持ってきた人間だけれど、2匹程貰ってもいいかしら?」
「いい訳ないだろう。ヴラドから貰った料金分しか運んでいないのだから、君にあげたらおかしなことになるよ。」
「主よ、実は、そうではないのです。」
いつの間にか私の横に立っていたマリアがそう言った。
「…………君は、何時からそこにいたんだい?」
「つい先程でございます。エリザベート様、実は、誤って2人多く連れてきてしまいまして。」
そう言うと、わざとらしく困ったように、人差し指を唇に当てる。エリザベートは少し驚いたような表情をした後、徐々にその表情は歓喜の表情に変わっていく。
「あらぁ!それなら、私に頂戴よ!いいでしょう?お金なら後で払うわよ?」
「ありがとうございます。ですが、今回はこちらの不手際ですし、いつもエリザベート様には懇意にして頂いておりますので、無償で提供いたします。」
それを聞いて、エリザベートは露骨に目を輝かせた。
「マリア愛してるわ!ねぇ、エディンムが嫌になったら、私の所に来なさい。重宝してあげるわ。」
「光栄でございます。」
そう言って微笑むマリアに、さりげなく耳打ちする。
「…………どこまで想定通りだったんだい?」
「全て、偶然でございます、主よ。」
口元に手を当てながら、マリアは目を隠した顔で、口に手を当てて微笑む。嘘だな、そう思ったが、面倒だったしそれ以上言及はしなかった。どうせ、エリザベートがいることも、ヴラドが頼みがあることも想定済みだったくせに。
『家畜を持ってくる』と出て行ったマリアを追いかけるエリザベートを横目で見た後、先程から黙ってヴラドを眺める。
無言で、考え込むような表情をする彼は、まさに1人の王だった。
尤もそれは、民の奴隷という意味だが。




