第142話 虚実古樹の私から⑪
カチャカチャと、食器を立てる音がする。
イライシャが、慣れないナイフとフォークを必死に動かしてステーキを裁断しようとしているが、どうやら苦戦しているらしい。
シルバーとは名ばかりの鉄製の食器であるから切れ味はかなり鋭いが、きっと皿を切ってしまわないように悪戦苦闘しているのだろう。力の強い吸血鬼ならではの苦労だ。
その不器用な姿がとても愉快で、私は思わず口元がにやける。そんな私を見て、オエノラは軽蔑の目を向けた。
「エディンム様。こうして食事を用意頂いた事には感謝いたします。ですが、些か意地が悪いように思えますわ。我が眷属が苦労する様を楽しむなんて。」
私の眷属とは思えないくらいの彼女の真面目さが、私は嫌いじゃない。非常にからかいがいがある。
「ああ、いや。申し訳なかったね。確かに、君の言う通りだ。マリア、切ったものを提供し直してくれ。」
両手を挙げて、降参するような姿勢を取りながら、給仕をしている分身したマリアの1人に声をかける。
「承知いたしました、主よ。………申し訳ございません、イライシャ様。一度こちらの食事をお預かりいたします。」
そう言われて、少し拗ねたような様子で皿を差し出してマリアに渡した。それを受け取ると、マリアは食堂から退室した。広いこの部屋に、私とオエノラ、イライシャだけが残る。
「一応言っておくけれど、今回食事を用意することを提案したのは私ではなくてマリアだ。恐らく、そこに悪意は無いと思うよ。」
ただ、ステーキを切らずに提供するように伝えたのは私で、当然そこには奴隷出身のイライシャは苦労するだろうという悪意があった訳だけれど。
「まあ、私は別に気にしていないですよ。ナイフとフォークを使うなんて、上流階級みたいで楽しいですし。」
明らかに嫌そうだったが、オエノラもいる手前か、私に気を使ってイライシャは慌てて答えた。
「おや、そうかい?そう言ってくれて嬉しいなあ。」
フィンガーボウルも飲んでくれた上に、意地悪をした私を許してくれる彼には本当に頭が上がらない。また今度、別の悪戯を仕掛けることにしよう。
そんな私達を見て、オエノラはため息を吐いて、首を小さく振った。
「ところで、本日私達を呼んだのは、一体どのような要件でしょうか?」
さっさと終わらせたい、彼女の顔にはそう書いてあった。
「ああ、別に大した事じゃないよ。フェスツカ家系の第4眷属から、『最近城の近くでヴァンパイア・ハンターらしき人影を見た』と報告があってね。君にも一応、警戒してもらおうと思って、その報告さ。」
「その報告なら、既に聞いておりますわ。何故わざわざ呼び出してまで、私達に連絡を?」
オエノラは怪訝な表情を浮かべる。私がわざわざ呼び出したという事は、何かそれなりの理由があるはずだと言わんばかりに。
「どうやらそのヴァンパイア・ハンターだが、10人程度の部隊らしい。しかもそのうち複数人は大司教だ。」
「まさか、教団共は…………!?」
「ああ、戦争を仕掛けるつもりだろうね。」
音を立てて、イライシャは椅子から立ち上がる。その表情は少し強ばっていた。
「久しぶりに、楽しい事が起こる、そんな予感がしないかい?」
「ええ!教えて下さり感謝致します!あぁ!私の家系が警備当番の日に仕掛けてくれないかしら!」
「ちょ、ちょっとオエノラ様…………。」
明らかに気分が高揚した様子のオエノラを、不安そうな眼差しでイライシャは見つめる。
「イライシャ、あなたも楽しみよね?襲撃が来たら一緒に楽しみましょう?そうだ、誰が一番多く殺せるか、勝負するのはどうかしら?」
「い、いや、あの……」
「それはいい!私も参加していいかい?」
「ええ、もちろん!負けませんわ!ね、イライシャ?」
「え、あの…………はい。そうですね!楽しみです!」
何を言っても無駄だと悟ったイライシャは、やけくそに近い様子でオエノラに同意する。相変わらず彼は振り回されているな、と私は内心ほくそ笑む。
「さて、それじゃあ優勝者への景品はどうしようか?」
「そうですね。それではーーー。」
数回、ドアをノックする音がした。ドアが開いて、皿を持ったマリアが部屋に入ってくる。
「随分遅かったじゃないか。肉を切るだけなのにーーー。」
「そうだ、マリア。あなたも良かったらーーー。」
そこまで話して、私とオエノラは言葉を止める。
「申し訳ございません。少々、雑事にお時間がかかってしまいまして。こちら、ステーキでございます。」
皿を持ったマリアが、そう言いながら、イライシャの前に切ったステーキを置く。
「こちらが、城の周辺に彷徨いていたヴァンパイア・ハンターです。」
縄で拘束された5人のヴァンパイア・ハンターを載せた台車を引いたマリアはそう言って、台車ごと食堂に入ってくる。
「もう6名程いらっしゃったのですが、かなりの実力をお持ちでしたので、そちらの6名は誤って殺してしまいました。それが、こちらでございます。」
もう1つの台車に、明らかに死亡している事が分かる欠損を抱えた6つの死体を載せたマリアが、そう言った。
「主よ、彼らの処分は、いかが致しましょう?」
3人のマリアは、そう声を揃えて私に訊ねる。
「……生きた5人は使えるのなら牧場、使えないならグール化させて教会近くで見せしめとして放て。死んだ方は血液は皆で飲んで、残りは椅子と机にして教団施設に寄贈だね。」
「6人ですと、ベッドも可能ですが。」
「椅子と机の方が、4脚と1台で数えやすいだろう?」
「愚かな教団信者へのお心遣い、感服致しました。主よ。」
マリアは、3人とも祈るような姿勢で私に跪いた。
「そんな事より、マリア。」
「はい、いかが致しましたか?」
「優勝おめでとう。何か、欲しいものとかないかい?」




