第137話 桃李満門だった私達から⑩
目の前の化物、エディンムの周りだけ、夜が深く見える。それが強い輪郭となり、その存在感を際立たせていた。
一果と二葉を左手で制して、後ろに下がるよう指示をする。
『話に来た』、本当にそれが目的なのか?この化物がそれだけの為に、教会に来るという事が、理解できない。
「随分怖い顔をするじゃないか。それともあれかい?また、怖くて喋れなくなったのかい?」
わざとらしく、馬鹿にするように身震いをするような仕草をする。私は袖にしまっていた『連なる聖十字架』を掴むが、私は深く息を吐いて、上った血を下げる。
こんな煽りを相手にする必要はない。本当にこの化物が話に来ただけならば、今は相手にしている必要はない。
「エディンム。今は急いでいます。眷属である、涼の命もかかっています。貴様には関係ないでしょうが、人間の命も。」
「知っているさ。だから、ここに来たんだ。君は、私は、私達は、傍観者でいなければならないのさ。」
そう言ったエディンムは、何処か能面を思い出すような表情をしていた。喜怒哀楽がその表情に表れているのに、その全てが混ざることなく存在しているような表情。
一切理解出来ないこの化物が見せた、その明らかに異常な表情は、何故か何故か今までで一番人間じみていた。
「これはね、大事な事なんだよ。涼にとっても、私にとっても。まあ、まさか想い人を連れて逃避行に走るとは、私からしても予想外ではあったけれど。」
そう言って、エディンムは笑う。空箱を思わせるほどの空虚な笑いに、私は寒気すら覚える。
「とにかく、私は君達にあの2人を追いかけられると、非常に都合が悪い。だから君達を足止めするために、殺すか、お話をするかのどちらにするかを迷って、お話をすることにしたのさ。」
「…………貴様の都合の為に、2人の命を見捨てろと?」
「確かに、いささか都合が良すぎたね。じゃあ、こうしようじゃないか。」
拍手をするように手を合わせて、エディンムは続ける。
「君達が追いかければ、私は今から町の方に行き、片っ端から人間を殺そう。追いかけなければ、少なくとも涼が死ぬまではそれはしない。これで君達にもメリットが生まれただろう?」
「『話がしたい』と言っておきながら、結局は暴力か、この化物が…………!」
「話し合いが出来なければ、結局は暴力さ。化物だろうが、人間だろうが、そこに違いはないだろう?君が掴んでいるその『連なる聖十字架』がその証明さ。」
そう言われて、私はその右手に目をやり、一瞬エディンムから目を逸らす。
「こ、これは!貴様がーーー」
私のその言葉の続きを遮るように手を前に差し出す。
「言い訳はどうでもいい。それに、別に私は君達を理解しに来たわけじゃないんだ。ただ一言、『彼らを追うな』と言うメッセージを届けに来ただけさ。『もし追えば、多くの人間を殺す』という、素敵なラッピングまでしてあげたんだ。受け取ってくれるだろう?」
その要求を呑めば、涼と槿はほぼ間違いなく心中する。本当はこんなやり取りをしている場合でもない程に、状況は切迫していた。
だが、彼らを追えば、何の関係もない人間が大勢死ぬ。以前一方的に宣言した休戦協定をエディンムは破ることが出来ないから、涼は死ぬまでは吸血鬼が増えることはないが、それでも甚大な被害が出ることは想像に難くない。
「…………今回の事は、どこまで想定していたのですか?」
すぐに答えることが出来ず、私はエディンムにそう訊ねる。
「全く、何も。『涼がそろそろ血が必要になるだろう』という事は分かっていたけれど、それ以外は全て想定外さ。涼の精神的な不調から、『愛しの君』との心中までの全てがね。」
「訳が分からない。それなのに、何故それが貴様の望みになるのですか?」
「それを教えてもいいけれど、それは君達が涼達を追わないと言ってからだ。」
「…………分かりました。彼らの事を追う事はしません。」
「めーちゃん!」
「ちょっと待ってよ、私も納得できないんだけど!」
先程まで後ろで控えていた一果と二葉は、怒気と困惑が混じった様子で私に詰め寄る。その様子を、エディンムはニヤニヤと私達の内輪揉めを楽しむような目線を向ける。
「あなた達の気持ちは分かります。ですが、エディンムが出てきた以上、もはや私達の個人的な情は切り捨てるべきです。目の前の化物の対策を立てるために、少しでも情報が欲しい。その為に、涼と槿を見捨てろと言うならば…………私は見捨てます。」
「めーちゃん、それ本気で言ってるのですか!?むーちゃんも見捨てるつもりなの!?」
「本気です。割り切りなさい。」
私の言葉に、二葉はまだ言い返そうとしたが、一果がそれを制する。彼女の大きな瞳は潤んでいた。
こうなってしまったのは、全て私のミスだ。私が、もっと早く彼の原因が、『人間への適応』などではないと気付いていれば。椿木から涼の食事を摂っていたという話を聞いた時点で、彼にそのことを追求できていれば。
そうであればいいと、涼が、人の血を吸う必要が無くなれば、彼と友人になれるのではないかなどという、甘い考えが過らなければ。
だから、自らのミスの責任は取る。涼と槿が死んだ場合は責任を持って、もしこの化物を殺せるように対策を立てる。その後に私が生き残ってしまった場合は、自決する。
無意識のうちに強く拳を握っていた。爪が食い込み、血が流れ出た痛みで私はそのことに気が付く。
「話し合いは終わったようだね。だが、少し気になるな。多少対策を立てたところで、私に勝てると覆うのかい?」
「勝てますよ。私達は。」
煽るような口調の彼に、私は間髪入れずに返す。
「私が死んでも、他の誰かがその意思を引き継ぐ。ヴァンパイアハンター全て滅んだとしても、別の形で貴様は私達が殺す。多く犠牲は出るかもしれませんが、必ず殺します。主に誓って。」
その言葉を聞いて、エディンムは高笑いを上げる。夜の教会に、その笑い声が響いた。
「いいじゃないか!それはそれで楽しそうだ。…………そうだ、私の望みだったね。まあ、別に大したことではないよ。些細な、本当に些細な願いさ。」
一呼吸置いて、エディンムは続けた。
「私の望みは、4000年間変わらない。光だよ。ずっと、光を求めているのさ。また、あの光が見たいんだ。」




