第130話 桃李満門だった私達と、飛花落葉だった貴方。①
天竺葵大司教に送ってもらったエディンム関連の資料のすべてに目を通し終えた私は、深くため息を吐いた。
今回の事に関する情報、つまり『吸血鬼の睡眠時間の変化について』の情報が、何も見つからない。
ただでさえ悪霊関連の資料と比べて少ない吸血鬼の資料のうち、全体の10%にも満たないエディンムの資料だ。元々読んだことのある物を除けば、この数週間で全てに目を通すことはそう難しくはなかった。
それでも、見つからない。もういっそ諦めて『本当は何か知っていますね?』と涼を問い詰めようかとも迷っていた時、ふと気が付いた。
確か、エディンムは真祖だと『串刺し公ヴラド』と『血濡れのエリザベート』とは交流関係があった。中でもヴラドの城に定期的に姿が目撃されている。特にヴラドとは頻繫に交流する姿が目撃されていた。
今からおよそ700年前、ちょうどその時期は全体を通してもエディンムとその眷属の目撃情報が多発していた時期と重なる。
過去に目を通したヴラド関連の資料にも、エディンムに関しての記述がされていたことがある。もしかすると、そちらに記述があるのか、そう思ったのが、数日前。
再び天竺葵大司教に頼み込み、本国から転送してもらった資料が届いたのが今日。
何冊目かに目を通した手記に、それは記載されていた。それは、ヴラドがある時期から、毎晩目を覚ますようになったという内容だった。
周辺の村で観測していた信徒の手記であったため、それ以上の情報はなかった。
私は、深くため息を吐く。原因までは分からないが、これで、1つ、残念な事実が分かった。
涼の身に起こっていることは、『人間生活への適応』などという事象ではない。もしそうであるならば、吸血鬼の真祖たるヴラドに、そのようなことが起こるわけがない。
それに、ヴラドとその眷属も多少環境適応は見せるが、エディンムの血族程ではない。つまり、今の涼の身に起こっていることは、何か別の事象だ。
丁度その時、私の部屋の扉が開いた。足音から、恐らく一果だろう。
「丁度良かった。もし涼がリビングに来たら、一度呼んでいただけませんか?少し、重要な話がありまして。」
後ろを振り向かずに、私は一果にそう頼んだ。
「岸根涼は、既に一度来ました。連花司教。」
一果のその声で、私は振り返った。その表情はいつになく真剣で、おおよその事情を把握することが出来た。辛い感情を押し殺して信徒としての使命に殉ずる表情。彼女が敬語を使う時は、かなり切羽詰まった事態の時だけだ。
恐らく、涼に何かあり、場合によっては彼を殺す必要がある。槿か二葉のどちらかが怪我でもしたのか。
「詳しい状況を。」
もう少し早く私がこの結論に至っていれば、昨日の彼への対応も変わっていたはずだ。私がその後悔を押し殺す。
「19時52分、岸根涼が来た際、月下槿の不注意による出血に、吸血衝動を見せました。寸前で抑え込むことはできていましたが、そのまま逃走。現在は、行方不明です。」
…………思っていたより、不味い状況だ。『罪過の証跡』に反応がない事から、彼は能力を使用していない。だが、吸血する程度なら能力を使うまでもないだろう。
私は『連なる聖十字架』を袖にしまい、『聖銀散弾』を込めた散弾銃を2丁キャリーケースから取り出そうとしたその手を止める。
「一果。貴方の目から見て、二葉は、どうするべきだと思いますか?」
「…………二葉は、月下槿の護衛に当たらせるべきです。」
「結構。でしたら、銃は一丁ですね。」
一果に散弾銃を手渡して、私は廊下に出る。その後ろを一果は付いて歩く。
私は、涼を殺す。それが私の使命だ。
………こうなってしまってはもう、迷いは無い。
「道中、天竺葵大司教へも連絡をしますので、運転は任せます。」
「はい。」
階段を降りると、リビングの前に人影が見えた。
彼女、月下槿だ。
長い銀髪と白いワンピースが、幽界の存在のように危うく揺れて、彼女が良く見せる薄く笑う表情は、妖しく色めいて見えた。
「こんばんは。連花司教。」
彼女の声は、不気味なまでに落ち着いていた。
「ええ、こんばんは。槿さん。申し訳ございませんが、私達は急いでおりますので。」
「涼を、殺すの?」
「その通りです。私は彼を殺します。その後に、エディンムも。」
「ねえ、連花司教。」
その時、私はようやく彼女の喋り方の違和感に気が付いた。彼女は、普段私には敬語で話す。それに、私の事も『連花司教』とは呼ばない。
催眠でもかけられているのか、と思ったが、そういう目をしている訳では無い。
つまり、彼女は自らの意思で行動している。そして、私に対して敬意を示さなくなった。
それ自体は別に構わないが、問題は理由だ。人に対して敬意を払わなくなる理由は、軽蔑か敵対のどちらかだろう。
そして、恐らくこの場合は敵対だ。
「涼の事は、少しだけ様子を見て欲しいのだけれど、駄目、かな?」
「無論、不可能です。こうしている間にも、彼が人を殺している可能性がある。そうなる前に、彼を殺します。」
……彼が、これ以上罪を重ねる前に、殺さなければ。
「央は、もっと多く殺すよ。」
そういえば、彼女も『あれ』に一度会っていたな。
確かに、それは彼女の言う通りだ。
「けれど、1人として、殺されていい命はない。だから、私はーーー」
そこまで言って、一瞬言葉に詰まる。じゃあ、涼は?その思考を私は振り払った。あれは、化物だ。忌むべき相手だ。
「涼を、吸血鬼を、化物を殺します。エディンムも、その後必ず殺す。出来るだけ、最小の犠牲で。」
きっと、私は死ぬだろう。まだあの化物には勝てない。けれど、きっと誰かが殺してくれる。それでいい。それで、ようやく終われる。
「私なら、犠牲をゼロに出来るかもしれないって言ったら、どうする?私なら、1人も犠牲を出さずに2人を殺せるって言ったら。」
私は、耳を疑う。
彼女が、今にも枯れてしまいそうな彼女が、私ですら手も足も出なかった化物を、殺す?
「はっ。馬鹿馬鹿しい。涼を殺した後に、聞かせていただきます。」
私は苛立ちながら、彼女の横を通り過ぎる。一果は逡巡した後、玄関に向かって歩みを進めた。
「2人の真名を、知りたくないの?」
私は、その足を止め、彼女の方を振り返る。変わらずこちらを向いて微笑む彼女と、目が合う。
「私は知ってるよ。涼の真名と、きっと、央の真名も。」




