第117話 桃李満門だった私達から⑥
夜闇に浮かぶ、辛うじて見える人影に向けて『連なる聖十字架』を横薙ぎに振るう。
顔を一瞬『連なる聖十字架』に向けたその人影は、姿を消す。眼球の光が放つ残像から、かがんだことが分かり、私は手首を返すとともに、『飛翔の奇跡』を『連なる聖十字架』に向けて祈った。
「くっ!」
微かに聞こえる声と、掠めた感触から右側に躱したのを察して、私は『飛翔の奇跡』で無理やりもう一段階軌道を変化させて、右に追撃を行う。
今度は感触がない。躱された。水を含んだ草が踏まれる音が一気に近づいてくる。私は急いで手元の十字を引き戻しながら、音の方向に円形で盾を形作る。
一際大きな音を立てて足音は盾の寸前で止まり、数歩引き返した。
「凄いな。『飛翔の奇跡』、というやつか?この前アイリスが見せた。」
一時休戦、とでも言わんばかりに涼は棒立ちで私に話しかける。
「ええ。よくお分かりで。」
アイリスと涼の戦闘を見て、今更ながら気が付いた。『飛翔の奇跡』で操作する物体は速度では圧倒的に『連なる聖十字架』に比べれて劣るが、操作性に関しては圧倒的に高い。
であれば、基本的に手動で『連なる聖十字架』を動かし、指向性のアシストとして『飛翔の奇跡』を用いる。そうすることで、軌道変化や『連なる聖十字架』の弱点である近距離の対応が出来るはずだ、と。
そして、どうやらそれは間違いではないらしい。彼相手に試すのは今回が初めてだが、思っていたより有効だ。
それでもクリーンヒットはできない、というのは歯がゆいが、方向性としては問題なさそうだ。
「君も使えたんだな。」
その涼の言葉が悪意や煽りではなく心の底から感心したような言い方に、私は苛立ちを覚える。
「お忘れかもしれませんが、私は『司教』ですので。『助祭』のアイリスよりも上の立場です。当然、彼女より高い練度で用いることが出来ます。」
私は苛立ち混じりに十字架を振るう。
「分かっているんだが、君が奇跡を使うイメージが無くてな。侮っていたわけではない。」
軽く躱しながら、彼はそう弁明をする。確かに、彼の前で奇跡を起こしたのは初めてだったかもしれない。と思いながらも、それでも苛立ちが変わらず、私は再び彼に空振り勢いをそのまま乗せて、距離を取りながら加速した一撃を振るう。
しゃがむ彼の肩に少し掠めて、私はあれ?、と少し違和感を覚えたが、再び接近の足音が聞こえて、私は先程と同じように盾を形成した。
すると足音は私の周囲を回るように動き、背面でその音がまた大きくなる。
私は慌てて背面を振り向くが、眼前が涼の右手で塞がれる。
「これで、私の勝ちだな。」
吸血鬼に全く及ばない屈辱感で身体中の血が逆流しそうなほど悔しい私に、彼は少しだけ楽しそうな調子で宣言した。
きっと彼からしたら、これはスポーツ程度の認識なのだろう。立場上敵対関係の相手が、ただ自分を殺す武器の練習をするだけの、スポーツでしかない。
つまり、私は敵として認識すらされていない。以前に比べて多少腕を上げた程度では、所詮そんなものなのだ。
私は劣等感と屈辱を必死で押し殺し、「また及ばず、でしたか。」と少し悔しいだけのような表情をする。
彼からしたら遊びの延長でも、実際に吸血鬼と、それも第一眷属との戦闘訓練が出来るなど願ってもない機会だ。だから、彼との関係は円滑にする必要がある。
彼が、エディンムを殺すまで。それか、私がエディンムを殺せるようになるまで。
「偉そうに言うつもりはないが、正直今日は危ない瞬間がかなりあった。『飛翔の奇跡』との組み合わせは、央にもかなり有効だと思うぞ。」
「本当ですか。それは良い事を聞きました。」
良かった。これでまた一歩、一族の悲願達成に近づいた。私は、雨に打たれながら胸だけが熱く燃えるのを感じた。
「けれど、そんなことを言いながら今日大分手を抜いていたでしょう?」
私は冗談めいた言い方で、その怒りも隠す。彼の動きは、明らかに普段より精彩を欠いていた。直線軌道の『連なる聖十字架』を掠めたのなど今日が初めてだし、普段ならば私に接近する足音はあんなに鮮明に聞こえない。
私のその問い掛けに、涼は不思議そうな表情をしていた。
「いや、そんなつもりはないが。」
「え?ああ、そうですか…………。」
私がそれだけ上達したという事だろうか?だが、それにしても、そこまで急に力の差が縮まる事などあるのか?
確かな違和感と、僅かな達成感を覚え、その日の模擬戦を終えた。




