第108話 薄明のあなたと、桃李満門だった私達①
朝の4時。いつものように私は目を覚ました。
まだ眠い眼をこすりながら、隣の部屋で眠っている槿を起こさないよう、こっそりとベッドから抜け出す。恐らく起きることはないだろうけれど、念のため。
一果の部屋の前を通り過ぎたあたりで、いつものようにガラッとドアが開く音がする。あくびをしながらおはよう、と手を振る彼女に、私もおはようと返して、一緒に一階のお風呂に入り、寝巻用の修道服から通常の修道服に着替える。
6時に教会で祈りを済ませた後はそれぞれ朝の準備に入る。一果は朝食の準備で、私は正門の掃除。
これが、いつもの私達のルーティン。朝早くに起きるのは慣れているし、特に辛いとかはない。それに、エクソシストをしていた時の方がもっと多忙だったから。
それに、最近私には1つ楽しみが出来た。
タッタッタ、と軽快な、テンポの早い足音が聞こえて、私の胸は少し高鳴る。
そのリズムは少しずつテンポを落としていって、私の目の前で完全に制止した。
「おはよう、今日も朝早いね、桜桃さん。」
そう言って、彼は教会の敷地内にいる私に笑いかける。まだ日も昇り切っていないというのに、彼の歯は白く輝いて見えた。爽やかで、太陽のように明るく眩しい笑顔だ。
「おはようございます。そちらこそです。金良さん。」
金良辰己。それが彼の名前。
「たまには、桜桃さんも一緒にジョギングに行きませんか?この先に美味しいモーニングを出す喫茶店があって。」
「素敵です。今度暇な時がありましたら、是非ご一緒したいのです。」
彼と出会ったのは、数週間前の事だった。
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少し朝靄がかかったその日、いつものようにこの時間に掃除をしていると、その日も彼は走っていた。
今日と同じ、ジャージという訳では無いがカジュアルな服装をしていた。。
「おはようございます。」
そう言って、彼ににこやかに話しかけられた。いきなりだったけれど別に、挨拶自体は変な事じゃない。
「おはようございます。」
だから、私もそう返した。すると、彼は少し驚いた表情を見せ、私の方をマジマジと見つめる。
「あの、いつもここで掃除をされているん、ですか?」
「この時間はそうです。」
いきなで少し驚いたけれど、私は答える。すると、彼は嬉しそうに顔を赤らめた。
「そしたら、またこの時間、ここを走るようにします!」
「え、あのちょっーーー」
そう言って、無邪気な笑みを浮かべて、恥ずかしそうに走り去っていく彼に、私の心臓は高鳴っていた。その理由が驚いて、だけで無いことは、何の始まりなのか、私は知っていた。そして、終わりがそう遠くない事も。
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朝の7字時、私はいつものように目を覚ます。
身体を起こして、大きく伸びをすると、そろそろ朝の時間だ、とはっきりしない頭のまま、1階に降りる。
「おはよぅ……。あれ、二葉は……?」
リビングを開けると、今日もまた一果しかいない。最近、こういう事が多いな、と思いながら、私は椅子に腰掛ける。
「おはよーつっきー。多分まだ掃除してると思う。」
一果は少し不機嫌そうだった。
「へぇ、お仕事熱心だ?」
恐らくそうではないんだろう、と思いながらそう一果に言ってみる。案の定一果は「そういう事じゃないんだって。」と音を立てて椅子に足を組んだ姿勢で腰掛ける。
「最近、朝の掃除のタイミングで教会の正門の所で、何かと話してるっぽいんだよね。」
『何か』、と言う一果言い方が引っかかる。それに、この一果の苛立っている様子からして、もしかしてーーー。
「それって、男の人、みたいな?」
「あーまあ、そうだね。大した奴じゃないけど。」
ぶっきらぼうにそう言う一果に、思わず微笑ましくなる。きっと、妹に彼氏ができるのが寂しいんだろう。
「いい事聞いちゃった。最近二葉に涼の事で沢山からかわれるから、仕返しのチャンスだ。」
「いや、2人ともイチャつきすぎは私も思うから。」
別にそんな事ないのに、と私は口を尖らせる。
「まぁ別にいいんだけどさ。二葉が教会の敷地内にいるうちは。でも本気にしたらどうしようって。二葉たまに馬鹿だから。」
『本気にしたらどうしよう』という心配は、分からなくもない。二葉はシスターだから、もし結婚とかをしたら辞めなきゃいけないらしい。
けれど、『教会の敷地内にいるうちは』とはどういう事なのだろう。
「『教会の~』って、何かの比喩?教えの範囲内では、みたいな。」
「違うよ?そのままの意味。外の道路に出なければ、って事。」
訳が分からず、私は首を傾げる。その私の様子を見て、一果は何かに気が付いた。
「あーごめんごめん。言ってなかったね。悪霊なんだよ、その男。」
予想外の答えに、私は思わず固まる。
「あ、悪霊って、悪い男の比喩とかじゃ……」
「ない。悪い霊。まあ悪い男でも間違いではないけど。」
そう言って、一果は声に出して笑う。何が面白いのか全く分からず、私はマジマジと一果の顔を見つめる。
そうしていると、リビングのドアが開いた。見ると、そこには二葉がいた。
「むーちゃんおはよございます。一果、ご飯ありがとうなのです。」
「遅いっての。たまにはご飯作るの手伝ってよ!」
「私だってちゃんと掃除はしているのです。」
「だーかーらぁ。それが遅いって言ってんの!」
そのまま当たり前のように朝食を手伝う、手伝わないの話に移行する2人を唖然としながら眺めていたが、我に返った私は「ちょ、ちょっと待って。」と手を広げながら2人の間に割って入る。
「なんですか。むーちゃんが料理を手伝うのはなしですよ。危ないのです。」
「そうそう。名実ともに人死が出るから。」
「そんな事ないから。あとそうじゃなくて!」
酷い誹謗中傷は一旦置いておいて、深呼吸を数回して、出来るだけ心を落ち着けながら私は二葉に伝えた。
「二葉が最近会ってる人、悪霊なんだって。」
「あ、一果に気付かれましたか。ちょっと照れくさいのです……。」
そう言って、恥ずかしそうにはにかむ彼女を見ながら、何故そこまで平然としているのか、理解ができない。
「もしかして、危なくない霊、とか?」
「多分、普通に殺されると思うのです。私を協会の外に出そうとしてましたし。段々手段が直接的になってきているのです。」
「あーじゃあそろそろ除霊しないとだね。」
一果のその言葉に、二葉はがっくりと肩を落とした。
「そうですよね………。本気だったのに……。」
「な、なんでそんなに平然としてるの……?」
私のその問い掛けに、落ち込んだまま、二葉は平然と答えた。
「慣れっこなのです。」
「悪霊とエクソシストの禁断の恋は定番だからねー。『禁断の恋』が大好きな二葉からしたら、だけど。」
「それにしてもだよ……。」
「まあいいからさ。ご飯食べよ。」
一果のやたらと冷めた目線で、私は察する。
これは、諦めだ。心配するだけ無駄だと、彼女のその目は雄弁に語っていた。
私も諦めて、それ以上何かを言う事は辞めた。そうしたら、私の身体は空腹を自覚した。
今日の朝食は、白米と味噌汁、それにサラダと目玉焼き。定番だけれど、美味しそうだ。




