〈神話〉イーシア地方に伝わる神話
まだ、世界中の人間に《ギフト》が与えられていない頃の話です。
あるところに、人間の女性に恋をした神さまがいました。
神さまは自分の竪琴だけを持って、恋した女性を探す旅に出ました。
野を越え、山を越え、太陽と月が数え切れないほど空の番を交代したころ、神さまはひとつの村に辿り着きました。くたびれた体を休めようと、一つの家の扉を叩きました。
「すみません、一晩だけで良いですから、どうか風をしのがせてください」
するとその声を聞いて家の持ち主が扉を開けました。神さまは驚きました。
それは、遥か遠いところで出会った、愛する女性だったのです。彼女も神さまのことを覚えていて、二人は再会を喜び、ひしと抱き合いました。彼女は言いました。
「どうか、一晩だけと言わず、ずっとここに居てください」
こうして、神さまと人間の女性はこの小さな村に二人で住むことになりました。
二人は、昼間は野良仕事に精を出し、夜は小さな炎を囲んで小さな音楽会を開きました。
二人は一緒に居る時間をとても大切にしていました。
ある日の夜です。神さまの竪琴はたいそうきれいな音を出していましたが、絃が急に切れてしまいました。
それを見て、神さまは大変悲しみました。その竪琴は、彼の兄の神さまがゆずってくれた忘れ形見だったのです。
「あなたの音楽が無くなってしまうのは、私にとっても悲しみです」
神さまが落胆する様子を見て、女性はこう言うと自身の髪を何本か引き抜き、それを手首でひねってより合わせて、切れた絃の代りにしました。
こうして神さまの竪琴は元通りに演奏できるようになりました。
神さまが女性の髪の絃を弾くと他の弦とは違った、歌うような響きが聴こえてきました。
神さまの体は、人間と大差ありませんでしたが、神さまの耕した畑の作物は必ず美味しそうな実をつけました。
二人がそこに植えた植物を丁寧に世話したこととも知らず、豊かな畑をみて、村の人たちは大変うらやましく思いました。
しばらくすると人間たちは、神さまと女性の住む家に押しかけてくるようになりました。
「豊かな土地をよこせ。清らかな水を引け」
彼らの言葉はとても乱暴で、お願いとはほど遠いものでした。神さまはそれに対して残念そうに答えました。
「みなさん、わたしには兄のように《ギフト》を与える力はありません。そして、わたしはその兄の手によって人間になった身。みなさんの願いは叶えてあげられません」
しかし、と神さまが続けようとするのを、一人の人間が罵声で遮りました。
「神とは大嘘よ! 悪魔じゃ! 白い髪の人間なぞおらん!」
その言葉に、人間たちは参同し、口々に神さまのことを侮辱しました。
神さまは、本当は自身の手のひらに染み込んでいた畑仕事の一から十までを彼らに教えようとしていたのに。
人間たちは最初、神さまと女性を村からのけものにしました。
寒さをしのぐための毛皮を譲ってほしいと頼んでも、山羊の乳を作物と交換してほしいと言っても、誰も二人のことを相手にしなくなりました。
二人には畑がありましたが、その畑の作物も他の人間たちに荒らされ、段々と実りが悪くなってきました。二人はおなかをすかせた日々を送っていました。
ある冬の日、女性が言いました。
「あなた、ついに子宝を授かりました」
神さまは良い知らせを聞いて大いに喜びました。
しかし、二人には栄養のある食べ物を手に入れるすべはありませんでした。
部屋を暖める薪ですら、村人たちとの交換はできないので、毎日神さまが取りに行っては乾かしていました。
それでも神さまは人間たちの間に入り、女性の為に頭を下げて食べ物をもらってきました。
冬を越すと、急激に女性のお腹が大きくなってきました。
たった三カ月しか経っていないのに、もうすぐ生まれそうなほどでした。
それを見て、人間たちは恐れました。女性を見るたびに、女性と子供を悪魔の女、悪魔の子と揶揄しました。
毎日そうやってささやかれ、女性はだんだんとやつれてきてしまいました。
神さまは日ごとに弱っていく女性を見て、自分自身も弱っていくのを感じていました。
花の開く頃、女性の弟が、冬になる前に彼女の手紙を受け取り、ひと冬かけて西の国からやってきました。女性は彼の顔を見ると言いました。
「私は赤子を産むと力尽きるでしょう。私と神さまの子を、どうかよろしくお願いします」
女性の手を握っている神さまもそれに倣います。
「わたしの命は、彼女と共にある。頼む、我が子を争いのない世界で育ててくれ」
神さまはそう言うと、彼に自分の竪琴を渡しました。女性の弟は言いました。
「わかりました。この子をお二人の忘れ形見として大切にそだてましょう」
それと同時に、女性は珠のような赤子を産み落としました。
その男の子は神さまと同じ、白い髪と翠の瞳を持っていました。
すると、女性は赤子の顔を見るとそのまま息を引き取ってしまいました。
女性の手を握っていた神さまも、同様にその場にくずおれてしまいました。
二人の表情は安らかなものでした。そしてその手は決して離れることはありませんでした。




