1-6 くちはなんとかのもと(1)
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少女スクラータは誰よりも早く昼食を済ませると、三人の弟——双子のティモとマルク、末っ子のロビンの尻を叩いて四人でホルツ村の自宅を出発した。今日は水曜日、週に一度の遠足の日なのだ。
子どもだけで森へ踏み入るのは大人たちから禁じられている。理由は自明で、森は危険だからだ。しかし、スクラータたち姉弟が妖精からお守りをもらってからは、なぜかどんな危険も及ばなかった。あんなに危ないと耳にタコができるほど聞いた熊や狼に出くわすこともなければ、不思議と人間にも会わなかった。
森に入る時は長兄に教わった通り決まった陣形を守った。背格好が同じティモとマルクが先頭を行き、その後ろを幼児のロビンがちょこちょことついてまわるのを、殿を務めるスクラータが見守る。
夏の日差しにむき出しの肌を赤くする弟たちがみんな同じ白茶色の髪で、血の濃さを実感する。最も淡い色を持つのが長兄で、自分は母譲りの栗色だ。彼は母と同じく、出稼ぎのため家を出ている。衣服が埃っぽくくすんできているから、そろそろかな。とスクラータは思った。長兄の休暇に合わせて新しいものを買ってもらえるのが慣例になっているのだ。兄が帰ってくれると人手が増えるし、服の更新も嬉しい。何より、兄が幼馴染の青年も連れてきてくれて……。
スクラータがぼんやりと歩いているうちに、青い花の咲き乱れる自然の花園に踏み入れた。ここまでくれば、妖精の大樹はもうすぐだ。
木々の腕や葉っぱのカーテンを何枚も潜り抜けると、大樹の聳え立つ広場が現れた。
姉弟たちはこなれた足取りで円形に広がる畑を掻き分け、大樹の根元へと突き進む。決して作物を踏むことはない。子どもたちの身長より高い草木の間を抜ければ、妖精のお膝元である。男児たちは開放感に任せて大樹の肩に載っている小屋めがけて一目散に登りだした。
「ティモ、マルク、ロビン! 気をつけなさいよ!」
ただしスクラータは、癖っ毛に引っかかったあらゆるものをとったり、服に刺さったとげを抜いたり、手荷物である籠の中身を確認したりと、一通りの体裁を整えてから弟たちの後に続いた。男子たちときたら、体中に葉やら花弁、花粉に小枝までつけたままなんだから!
「わあ! すごい! うわあ!」
「スー! はやく来なよ!」
彼女が太い枝で作られた梯子を登っていると、上から歓声が降ってきた。
「どうしたのー?」
スクラータがスカートに邪魔されながらのろのろと登りきると、今まで見たことのない新しいものがあった。それは小さな木製の扉にかかる小さな看板で、小さな蔦のような愛らしい文字が書いてあった。
それを、双子の弟ティモとマルクが揃って口に出して読む。
「おちゃあります……」
「まほうのように、よくききます、だって!」
双子は顔を突き合わせて頬をほころばせた。それを末っ子ロビンも真似している。彼はまだ文字が読めなかった。
「あたしたちの為、かなあ? だったらいいな!」
長女が頬を持ち上げる横で、弟たちが扉を叩く。その音は大嵐の雨粒のように荒々しかった。
「妖精さん、妖精さん!」
「遊びに来たよ!」
「きたよー!」
「こら! たくさん叩かないの! ノックは優しく、三回まで! 妖精さんがびっくりするでしょ?」
姉が叱ると、弟たちはぴたりと動きを止めてぎこちなく首を回した。気まずそうに揃って口を一文字に引き締めている。しばし、鳥たちが会話する声が良く聞こえるようになった。葉ずれを奏でる爽やかな風が森ごと子供達を撫でて首筋に滲んだ汗を乾かしてくれる。
と、少女が首を捻った。静かすぎる。
「どうしたのさ、スー?」
「ぼくたち、なんにもしてないよ?」
「双子は黙ってて」
姉——スクラータという愛らしい名前の彼女はドアに耳を当てて押し黙った。
「ねーちゃーん」
「ロビンも」
抱きついてきた末っ子の口を手でふさいで、彼女はそっと扉に手をかけた。すぐ後ろにいる双子が怪訝そうに顔を見合わせているのをみとめて、ゆっくりと扉を押す。それは軽くきしむ音と共に簡単に開いた。
「……妖精さぁん、いますかー?」
大樹の上にちょこんと座る妖精の小屋は円柱状で、戸口から全てを一望できるだけの広さしかなく、大きな衣装箪笥もなければ、銀髪翠眼の美しい娘が隠れられる場所などもない。何かの小袋が散乱しているテーブルの下にも妖精の姿は無かった。
「……いないね」
抜き足差し足で踏み入ったスクラータは微かな振動を感じて身を固めた。その振動はどんどんと大きくなる。
音と振動とが一致したその時、足音が止まった。兄弟たちが振り返ると肩で息をする真っ白な髪の少女がいた。
「妖精さん!」
彼女は扉の縁と膝にそれぞれの手をついて、額に前髪を貼りつかせていた。
「ごめ……、遅く、なっちゃった……えへへ……」
肩を大きく上下させている彼女は、籠を置いて毛織のケープを脱いで壁にかけると、その勢いのまま寝台に腰を下ろした。その振動で大樹の太い枝が少し上下した。
「それ冬のだよ、妖精さん」
「そりゃ暑いよ。こないだのマーガレットにしなよ」
マーガレットとは、丈の短い長袖の羽織りものである。レース糸で編まれたそれはスクラータの手製で、以前薬の礼として妖精に渡したものであった。
「うん。そうしたいな」
口を揃える双子のティモとマルクへ妖精はそれぞれ微笑んだ。
と、そこへスクラータが木製のマグカップを差し出した。机上のピッチャーにあった飲み水だ。
「ありがとう、スーちゃん」
妖精が美味しそうに水を飲み干したので、スーはにっこりした。
「大丈夫だよ。でも約束の日にいないなんて初めてだから驚いちゃった。どこかに行ってたの?」
「そう、そうなの! ちょっ、ちょちょっとそこまで!」
妖精は声を裏返してさらに顔を赤くした。
「そうなんだ。最近、忙しいんだね」
「わかった!」
そっと訝るスーの足元から末弟ロビンの顔が声を上げた。
「でえとだー!」
「こらロビン!」
スクラータは弟の口を大慌てで塞いだ。つい鼻も覆ってしまっていたらしい。苦しそうに暴れたロビンの鼻だけ解放すると双子がけたけたと笑った。
「ほ? でーと?」
小首を傾げる妖精に、救いの手が伸びる。ティモとマルクだ。二人は一つの椅子を分かち合いちゃっかり着席して得意顔である。
「気になる人と、二人で出掛けることだよ」
「最近、誰かさんがやってるやつだよ」
「き、気になる人と! ふぁ……」
「ちょっとティモ! マルク!」
スーの頭が途端に熱くなる。二人を思い切り張り飛ばしてやりたいが、両手はロビンを拘束しているので使い物にならない。
「あんたたち! それ以上言ったら絶対に許さないんだからね!」
「別にスーだとは言ってないし」
「あいつだよな、たしかヒュー……」
「だあめえ! 言わないで、お願い!」
スーが一生懸命弁明しているうちに、妖精は一人で笑顔を綻ばせていた。それは見たこともないほどうっとりととろけていた。
「えへへ……」
兄弟は妖精の様子に気付くと我に返って顔を見合わせた。
「……もしかして、当たりだった?」
四人の注目を一身に浴びているのに気づくと、妖精は途端に口元を引き締めた。しかし翠の瞳は潤み、頬は艶めいたままである。
「そんなあ! 気になる、誰かと、で、でーとなんて! うふふ!」
みるからにあからさまな嘘だったが、スーは弟たちの手前、調子を合せることにした。
「そうだよね! 妖精さん、子どもにしか会えないんだもんね!」
にっこりするスーを見て、リュリは胸を撫で下ろした。
「う、うん、そう! だから、でーとは違うよ。本当だよ!」
双子のティモとマルクはがっかりしてみせ、ロビンは喜んで見せた。もっとも、末っ子の場合、いつだって何もかもよくわかっていなかった。
「そうだ、妖精さん。今日はジャムをもってきたよ」
スクラータは妖精のすぐ隣に腰掛け、持ってきた籠のハンカチーフを取った。現れた赤やオレンジ、紫に白など、色とりどりのジャム瓶に妖精は森の瞳を輝かせた。それはどんなガラス瓶よりも鮮やかな緑をしていた。
「わあ! すごいスーちゃん! 白いのはミルクジャムだよね。お茶に入れたらおいしそう!」
スクラータは称賛を鼻高々に受け止めた。
「パンに塗っても美味しかったわよ!」
「そうなの、いいなあ。今はお茶しかないなあ」
「おちゃ? のむー!」
最年少のロビンが声高に言うと、妖精はベッドを子どもたちに明け渡した。
そして、小さなランプとポットでお湯を沸かす間に、出来上がったハーブティーの小袋を手早く新しい小瓶に詰めてコルクの栓をした。そしてジャム瓶とそれらをそっくり入れ替えた。
これが週に一度の交換会だった。




