#FIN もう一度あなたと居られるのなら
また心身ともに限界を迎えていた胡夏さんを、どこにもいかせたくないという一心で自分の家まで連れ込む。胡夏さんは「またここに来れた」とか言って真っ先にリビングにあるソファーに荷物を置いてダイブする。
「ちょ、あんま勢いつけると壊れるから気をつけて」
「……このソファー、1番晃司くんの匂いがするから落ち着ける。前来た時もそうだったし。だから許して」
……匂い……
俺は寝転がる胡夏さんをちょうど避けるようにソファに座る。そうすると胡夏さんは顔を上げてこう言う。
「手ぇ握ってよ」
胡夏さんのその可愛さに貫かれて俺はさっとその俺の横に差し出された、俺よりも小さな手を握る。
胡夏さんは握られた俺の手を見つめ、それからもう片方の手で、自分のポケットからスマートフォンを取り出した。画面は真っ暗なままだ。
「晃司くん、私がこの数日間、何してたか言った方がいい……よね」
「……ああ、本当に心配してたんだからな。この数日間、ろくに眠れなかったんだぞ」
本当に心配していたせいで少し声を荒げていってしまった。胡夏さんは少しビクッとしてしまう。
「あ、……ごめん」
「……いいよいいよ。何も言わずに勝手にやってた私が悪いし」
そう言って胡夏さんは体を起こしてゆっくり口を開く。
「こう覚悟して聴いて」
俺は唾を飲み込む。なんとなくアレじゃないかと思ってしまうが、信じたくない。
「…………私、Vtuberやめたんだ」
「っ……」
「こんな状況で続けていけるはずないって思って、会社に直談判で「やめます」って言ってきたの」
そうだ。そうだと思っていた。あんな騒ぎを起こしてあの界隈で逃れるわけもない。絶対に追放される運命。だけどそんなの認めたくない。胡夏さんがこんなことで終わってはいけない。将来有望ってあんなにも言われていたのに。
俺は自分じゃないのに唇を噛み締める。なんだかとても悔しくて、悔しくて、今にも叫んでしまいそうだった。
……でも結局俺のせいじゃないか。胡夏さんは俺と付き合わなければ、普段から遊ばなければ、家にいったりしなければ、あのファイルは見つからなかった。
本当だったら、今だって普通に何も変わらず画面に向かい、コントローラーを手に持って配信しているだろう。
俺は俯きながら胡夏さんに謝る。
「本当にごめん、俺が胡夏さんと出会ってしまったせいで」
「ううん、晃司くんが謝ることじゃないよ。ここまでやってきたことは私のわがままだったんだから」
ふと胡夏さんの方に目をやると、胡夏さんの手はひどく震えていた。いつになく元気がない。あんだけ元気だった胡夏さんの面影もない。
「……胡夏さん……」
俺は何も言えなくなる。
あれだけ明るくて、配信中はいつも笑っていた胡夏さんが、今はこんなにも怯えている。何か言わなきゃいけないのに、本当に言葉が出てこない。
すると胡夏さんは少し視線を泳がせたあと、小さく口を開いた。
「……ねえ晃司くん、私、ここに住みたい」
「……ついにか」
胡夏さんの家に行った時の約束がここで果たされる。変な意味とか今は考えている場合じゃない。
「うん、私それを言うためにここに来たから。……あと晃司くんに謝りたくて」
「こっちも受け入れる準備はできているよ。昨日部屋を一部屋頑張って掃除したんだ。その部屋に荷物とか家具とか好きなだけ持ってきていいよ」
「本当に、ありがとう。私のセカイの中で晃司くんたった1人だけが頼りだよ。こんなに私に尽くしてくれる人、今までいなかった。汐ちゃんも千冬ちゃんも私に優しくしてくれていたけど、私の生活面とか心の中まで入り込んでくれたのは晃司くんだけ」
そう言って胡夏さんは一度天井を見上げる。そしてまた俺の方を向き直す。
「本当にありがとう、大好きだよっ」
そう言って笑ったその顔は、昔の胡夏さんに戻った気がした。そしてその顔が胸の奥に、じんと響いてくる。
でも、まだどこか無理をしている。俺はしばらく考えてから口を開いた。
「胡夏さんはこれからどうしたいの」
胡夏さんがVtuberをやめてしまったから、何もする事がないのかもと思って、余計なお世話かもしれないけど聞いてみる。
「どうするって?」
「仕事とか、活動とか。配信やめたあと」
胡夏さんは少し黙る。
「……わかんない」
絞り出すような声だった。
「正直、何も考えられてない。今まで配信しかしてこなかったし。私にはVtuberしか視野になかったから、就活なんて考えたことないし」
続けてまた言う。
「でもまだ配信したいって言う気持ちもあった」
「そうなの?」
「うん。結局は配信が好きだったし私」
その一言に、胸が締め付けられた。好きだった。たったそれだけなのに。俺なんかのせいでここまで傷ついてしまった。俺は唇を噛み、考える。
……俺が、責任を取るんだ。
「胡夏さん。……俺、Vtuberやめるよ」
「えっ??」
胡夏さんは目を見開く。そして焦りながら俺の顔を見つめてくる。
「ちょ、ちょっと何言ってるの。なんの冗談——」
「俺は本気」
胡夏さんは黙り込む。おそらく気持ちが追いついていないんだろう。
だけどそんなこと俺はわかっていても気にしなかった。
「……晃司くん、あんなに順調だったのになんで……」
俺がVtuberを辞めると言い出したのが自分のせいだと思い自分を責めているように見える。
「俺は、胡夏さんに全てを捧ぐと決意した。なのに俺のせいでVtuberとしての配信をやめてしまった胡夏さんの横でノコノコ配信活動なんてできないよ」
「っ……で、でも」
「俺は胡夏さんを見捨てたくない。しかも俺、胡夏さんを見捨てずに2人でやれること、見つけたし」
「ど、どういうこと?」
そう。あのVtuberという界隈にいなくても、就活ができなくても、稼いでやっていける場は俺たちにはある。そんな世界で俺たちはやっていくんだ。
「……私が辞めるからって晃司くんまでインターネットの世界を離れるの? ……そんなことしなくていいのに」
「……俺はインターネットの世界を離れるなんて一言も言っていない」
「え?」
俺は少し逸らしていた目線を胡夏さんのほうに焦点を再び合わせた。
「胡夏さん、俺と一緒にYouTuberデビューしてくれないか」
また胡夏さんは大きく目を見開く。そして、わかりやすい困惑のジェスチャーをする。俺は、大きく深呼吸をして、今かと俺の言葉を待つ胡夏さんへ言葉を放った。
「俺は胡夏さんがこれからもインターネットの世界で輝いて欲しい。たとえ『アイドル』とは形が違くても。笑顔がなくなった胡夏さんなんて、見ていたくない。あの頃と同じように、輝いて、そしてこの世界のみんなを魅了して、笑顔を絶やさないでいて欲しい」
「……私が、YouTuber?」
胡夏さんの瞳が揺れる。
「まだ俺と胡夏さんが付き合ってるとか、一緒に住んでいるとか、みんなはわからないと思うし、それに今までは胡夏さん自身声を作ってたんだから地声で喋れば大丈夫」
「胡夏さんが笑える場所、また作ろう」
その瞬間。胡夏さんの目からぽろっと涙が落ちた。
「あ、え……」
「大丈夫……?」
俺は心配そうに声をかける。するとその途端、胡夏さんは俺のことを思い切り抱きしめる。その抱きしめる力が、涙の量を表していた。
「胡夏さん……!?」
「……こんなの、泣かないわけないじゃん。泣かないなんて無理だよ。大好きな晃司くんに恋をして、付き合ってもらって、私が何しても優しく包んでくれる。おまけに私が挫折したら「一緒に住むか」とか言ってもらって……」
胡夏さんは一度目を逸らす。
「何から何までしてもらって……もう晃司くんは私の人生そのものだよ。これからは、晃司くんの側でずっと見続けるよ」
「……それは一緒にYouTuberをやってもいいっていうこと、だよね」
「うん。でも、後悔しない?」
「ああ」
即答だった。
すると胡夏さんはとうとう堪えきれなくなったみたいに顔を伏せる。そしてまた顔を上げる。泣き笑った顔だった。
「晃司くん、最初の頃自分のこと何もできない陰キャだみたいなこと言ってたけど、今では私のほうが何もできない陰キャだね。晃司くん、これからも私のことを支えてね」
胡夏さんはそう言って、少し照れくさそうに笑った。その笑顔を見た瞬間、胸の奥に張り詰めていたものがようやく少しだけ緩んだ気がした。
「今さら逃げるつもりなんてないから」
「ふふ、頼もしくなったね」
「誰のせいだと思ってるんだよ」
「私かな?」
「自覚あるならよろしい」
軽口を返すと、胡夏さんはくすっと笑う。その笑い声が、数日ぶりに聞いた気がした。俺は抱きついたままの胡夏さんの背中を軽く撫でる。すると胡夏さんは安心したみたいに力を抜き、俺の肩に顔を埋めた。
「……ねえ晃司くん」
「ん?」
「YouTuberって、何するの?」
「そこからかよ」
「だって今までVtuberしかやってこなかったし……」
「……そうだな、せっかく俺たち付き合っているんだし、カップルチャンネル的なことやってみたいな」
「いいねそれ!私出かける系やってみたい。今まで野外で撮ることがなかったから」
「よし、決まり! ……というわけで俺はそのことを今から配信で言ってくるよ」
「うん……リスナーのみんなは心配しないかな……」
「急にだから本当にびっくりすると思うけど、しっかり伝えるよ」
そう言って胡夏さんがいる部屋を後にしようとすると、胡夏さんが呼び止めてくる。
「……どうした?」
「ジッとしててね」
そう言った瞬間、胡夏さんは俺の口元に飛び込んでくる。そして唇に感覚が走った。
「……!!」
「大好きだよ、私の『推し』。今日はとことん付き合ってね。もうここまでされたら抑え切れない。私も女の子だから」
「……わかった。夜ね」
数日後。
俺たちは家から少し離れた山の中にあるアスレチックに来ていた。休日の昼前ということもあり、人が多い。そんな人だかりの一角で俺たちは機材を持って乗り込んだ。
「やっほー、相変わらずラブラブだね」
「千冬。よくこの役割、いいって言ってくれたね」
そう。千冬には俺らの撮影役、すなわちカメラマンを引き受けてもらったのだ。
「だって、友達じゃん。晃司も、胡夏も。そんな2人がカップルチャンネル始めるって言われたら携わるに決まってるじゃん」
「ありがとうな」
「いいってことよ〜 あ、そういえば許可はとってるの?」
「もうとってる。そしたら快く引き受けてくれたよ。なんかここの電話対応をしてくれたスタッフの1人が俺のファンらしくて」
なんやかんや話していると数人の女子高生が声をかけてくる。
「こんにちは〜もしかしてYouTuberですか?」
鋭い。女子ってなぜこんなにも感が鋭いんだろうか。
「そうです」
「え、激アツ」
「めっちゃスタイルよくない?」
「え〜超イケメンと超可愛い〜 チャンネル名なんていうんですか?」
「えーと……いまは『おーたむチャンネル』っていうんだけど、前のチャンネル名で調べてくれたら出てくるかな。『秋風嵐紫』って調べてくれれば」
「……秋風嵐紫……えっ!? ちょっとこれ見て、元Vtuberだって……」
「えぇ〜!?」
そこから10分くらい語り尽くした。
YouTuberに転向した今、これからこういう絡みも増えるんだろうな。『YouTuberの○○ですか?』とか、『写真撮ってもいいですか?』とか。なんかワクワクするな。
そして俺たちはあらかじめ決めた場所に着く。自分たちの背後には水アスレがある。これからこの場所での楽しい企画の始まりだ。
千冬が持つカメラの赤いランプが静かに点灯する。
「……なんか、久しぶり、こういうの」
「緊張してる?」
「めちゃくちゃしてる」
胡夏さんは苦笑する。
「でも、不思議と前より怖くないかも」
「なんで?」
そう聞くと、胡夏さんは俺のほうを見た。
「隣に晃司くんがいるから」
その言葉に胸が熱くなる。もう“Vtuber”ではない。肩書きも、キャラクターも、作った声もない。
だけど——。
それでも胡夏さんは、今確かに笑っていた。
なら、きっと大丈夫だ。
俺はカメラの画角を最後に確認してから、胡夏さんのほうへ手を伸ばす。
胡夏さんも小さく笑いながらその手を握り返した。
「じゃあいくよ〜」
千冬の声と共に、俺たちは顔を見合わせる。
そしてお互いに小さく笑った。撮影が開始される直前、胡夏さんに小さい声で言う。
「いつも通りね」
「うん」
千冬のカウントダウンが始まる。
「3、2、1」
「どうもこんにちは、おーたむちゃんねるの嵐紫です!」
「同じくおーたむチャンネルの秋葉あきです」
さあ、撮影開始だ————
FIN




