遠野さんと近藤君
仕事終わり、不意に激しい土砂降りの雨が降り出した。
僕はほうほうの体で近くの古本屋に駆け込み、軒下で雨宿りをする。
目の前に広がる真っ白な雨のカーテンを眺めながら、思わずため息を漏らした。
「「はぁ……」」
その時、重なるようにして聞こえた誰かの溜息。驚いて隣を振り向くと、彼女と視線がぶつかった。
遠野さんだ。
ほんの数歩先に立つ彼女も、少し驚いたような表情を浮かべている。
黒髪の毛先からは雫が滴り、真っ白なシャツは雨に濡れて少し透けていた。
「こんにちは」
僕は視線を逸らし、なるべく彼女の方を見ないように努める。
「こんにちは、近藤君も雨宿り?」
遠野さんが小さく頷きながら返してきた。
「ええ」
「やだなぁ、こんなに急に降るなんて思わなかったよね」
視界の端で、遠野さんが憂鬱そうに空を見上げるのが分かった。
気まずさを紛らわそうと、僕は鞄の中をごそごそと探る。
「あっ」
折りたたみ傘だ。いつ入れたのか全く覚えていない。
「近藤君、傘持ってたんだ!」
遠野さんの声が弾んだ。彼女は両手を合わせて拝むようなポーズをとる。
「お願い、駅までお願いできないかな? 今日、どうしても外せない用事があるの」
「あ、うん。もちろんです」
「ありがとう!」
僕は傘を差し、遠野さんを招き入れると、二人で雨の中へと踏み出した。
もともと一人用の傘だ。遠野さんの体が小柄だといっても、二人で入るには少し心許ない。
彼女が濡れないよう、僕は精一杯傘を彼女の方へと傾けた。
時折触れ合う肩から、遠野さんが僅かに震えているのが伝わってくる。
「遠野さん、寒いですか?」
「え、何?」
激しい雨音にかき消され、聞き取れなかった彼女が耳を寄せてくる。柔らかい感触が腕に触れた。
「だから、遠野さん! 寒くないかって!」
僕は声を張り上げた。緊張で全身がガチガチに固まる。
「うん、ちょっとね。近藤君は?」
遠野さんが頷いて答える。
「僕は大丈夫です。でも、少し急ぎましょうか」
「ううん、安全第一。気をつけて歩こう」
遠野さんは僕をチラリと見ると、僕の反対側の肩がびしょ濡れになっていることに気づいたようだった。彼女は少し考え込んでから、
「えいっ!」
突然、僕の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
「へへ、近藤君、やっぱり男の子だね。あったかい」
「と、遠野さん!? これって……」
慣れない感触と、かすかに漂うシトラスの香りに、僕はパニックで言葉を失う。
「こうすれば、二人とも濡れないでしょ?」
遠野さんは平気を装っているけれど、赤くなった耳が本心を隠せていない。
「……はい、行きましょう」
自分の心臓の音が制御不能になり、どんどん速まっていくのを感じる。
雨に包まれた傘の下、まるで世界には僕と遠野さんの二人しかいないような錯覚に陥った。
道にはいつか終わりが来る。ましてや駅まではそれほど遠くない。
足取りが重くなるのを感じながらも、駅前のアーケードに到着してしまった。
傘を閉じると、腕から体温が離れていき、何とも言えない喪失感が襲ってきた。
遠野さんは駅の方へ数歩歩くと、くるりと振り返った。
「今日は本当にありがとう」
彼女は手を後ろに組んで、お礼を言った。
「いえ、別にこれくらい」
僕は無理に笑顔を作って答える。
「ねえ、近藤君。私が今日、何の用事があるか気になる?」
遠野さんの顔に、少し小悪魔的な笑みが浮かぶ。
僕が少し迷ってから頷くと、彼女は人差し指を立てた。
「ヒントその一。今日は何日?」
「今日? 2月13日だけど」
その数字を口にした瞬間、心臓が跳ねた。
「正解!」
遠野さんは満足げに頷く。
「残りはサプライズってことで内緒よ。またね~」
遠野さんは手を振ると、呆然と立ち尽くす僕を残して、駅の雑踏の中へと消えていった。
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