悪貨の神
人は神の愛にこそ、恐怖する。
あーあ、眠いなぁ……。
この休憩室、暖かくて居心地がよすぎるな。カラフルなテーブルや椅子などの調度品も古びたような感じではないし、あの自動販売機? とかいう販売所も精密そうなわりに動くし、中の商品もまだ飲み食いできるようだが……本当にこの地域は無人なのか?
小上がりではピッカとコーナーが借りた毛布にくるまって寝ているが……じいさんとミズハは相変わらず坐禅を組んでいるな。ああいうのって具体的に何をしているんだ? 心を無にするっていうやつかな。俺も前にワルドの教えでがんばったが……けっきょく寝ちまってばっかりだったなぁ……。
……ワルド、今どうしているだろう? オ・ヴーに捜索を頼んではいるものの報告めいたものは未だない。あの魔女のことだ、きっと手の込んだ隠れ方をしているんだろうが……。
エリや黒エリも……心配だ。ホーさんやニプリャがついているから身体的な危険はほぼないんだろうが、どうにもキナ臭いというか、動向が怪しいというか……。
俺は……できれば中央へ向かうための準備を急ぎたいが……もろもろの事情を放ってもおけないしな。しかし、こうしている間にも周辺の事情がどんどん怪しくなっているのも事実、どうしたものか……。
今、この時間だってそうだ。ブラッドワーカーを中心に尋問をするからアドバイスが欲しいという話だが、俺とて奴らのことなんかよく知らんし、そもそもいうほど質問されてもいないし……うーん、こうやって流されているから事態がどんどん混迷していくんじゃないか? あるいは師匠と一緒に行った方がよかっただろうか……って、いやいや、だからワルドたちのことを放ってはおけないだろ、大切な仲間なんだからな。
中尉は……小さなゴーグルを装着し、眼前の席でテーブルを小刻みに指で叩いているな。側から見て何をしているのかわからないが、まあ何かを操作しているんだろう。
「……あのさ、尋問って、いつまで続けるの?」
中尉はふと、指を止める。
「我々が納得するまでです」
さらっとヤバい返答きたな。納得できなかったら延々と続けるつもりかよ……?
「……奴らの肩をもつわけじゃないけれど、どういう権限でそんなことを?」
「共同者への加害は我々への加害と同様に扱います。お仲間に関してはあくまで事情聴取のご協力を……。当然、手荒には扱っていませんよ」
しかし共同しているのはあくまで俺個人だけじゃねぇ?
「でも一応、俺への直接的な危害はなかったよ……?」
「お仲間を人質にとっていましたでしょう? それは脅迫と同義であり、脅迫は充分な暴力行為です」
一理あるか……。とはいえその辺のさじ加減は中尉たち次第なんだろう。ようは俺をダシにして奴らから可能な限り情報を引き出すつもりなんだ。
まあ俺とて奴らをかばう理由なんかぜんぜんないんだが……なんかこう、妙に収まりが悪いんだよな……。
尋問というものは……まあある種の暴力性をもはらむ不愉快な行為だからな、アドバイザーという形で関係するということは同時にそれに加担し、ウォル軍側に立つということでもある……。
「ちなみに奴らって世間的にどういう評価なの?」
「職業犯罪者、ハイリスクなアウトローといったところでしょうね。ですがむしろ問題なのは彼らを利用している組織が少なくないという事実です。我々としてはつまり、反社会的な要素の強い取引先の情報を掴んでおきたいのですね」
なるほど……。
それだけ聞くといかにも正義側っぽい雰囲気だがな……。
「……例えばあのクラウザーってやつ、どんな罪状あるの?」
いや、俺が気にするのもあれなんだが……あの写真、映像を見たとき自分らよりひどいみたいな言い方をしていたからな。皇帝の首輪にしても本当に起爆するつもりだったかはわからないし、あるいは、もしかして……そんなに悪い奴でもないのかも?
「判明しているだけで殺人四十七件、強盗百八十二件、その他様々な強要罪が二百件を超えていますね」
うっ、うーん……?
……ああ、そう?
じゃあ、いいか!
「そ、そうか。それにしても……そもそもな疑問がたくさんあるんだけれど」
「ええ……失礼、通信が入りました」
中尉が小刻みに指を動かす。
「……なに? そうか……わかった、調査を続行しろ」
なんだ? 目元が少し、険しさを増したな?
「……どうかしたの?」
「いえ……」中尉はひとつうなり「ええ……疑問がおありなのでしたね、どうぞ」
やだなぁ、また何かあったんじゃなかろうな……?
「……ええっと……ああ、そうそう、前から気になっていたことがあるんだ」
「はい」
「どうしてあんたたちは外界へと進出しない? 外よりはるかに進んだ科学力があるんだから楽勝で侵略とかできるだろう」
ヤブヘビみたいな質問だが……気になるんだよな。なんとなくグゥーには聞きづらいし……。
中尉は頷き、
「もっともな疑問でしょうが、我々は外にあまり興味がありません」
「そうなの? どうして?」
「資源がないからです」
資源が……?
「ない?」
「もちろん鉱物や水資源などはありますが、我々にとっての魅力である知的資源がない、あっても些細なものに過ぎないのです」
「知的資源……遺物や遺跡?」
「そうです。もしくはそれらに関する知識ですね。それはある地域を中心に広がっており、もちろん遠ざかるほどにその密度を薄くしています。それゆえに外界には興味がないのです」
そうだな、外に遺跡とかがたくさんあるなら俺だってこの地へ来ていないしな。
「その中心って、いわゆる中央だよね?」
「そうです。ですがそこには強大な戦力をもつ存在が多数ひしめいており、易々とは手を出せない状況にあります」
「なるほどなぁ……」
「外界へと進出しない理由は他にもあります。これは当然のことですが、紛争問題を避けたいのです。なにより我々は殺戮を望みません」
「そうか……」
本当かはわからないが……とりあえず額面通りに受け取っておくのがいいだろう。
「これは各種族、共通の認識といってよいでしょう。今はともかく中央攻略が最優先なのです」
しかしこれは……。
同じだな……外界からここへ、ここから中央へ……。
「……他種族はいわばライバル? それ以上の敵対心はない感じなのかい?」
「そうですね。種族間において壁はありますが……そう背の高いものではないと我々は考えています。いざというときはお互い協力し合わなければなりませんからね」
これはただの肌感覚だが、ギマとウォルは関係が近そうなんだよな。
「……じゃあ、俺のような冒険者はどんな評価なんだい?」
「未知を求めるという点においては視座が似ており、一定の敬意や配慮はもちろんあります。ゆえに邪魔をせず加担もせず、不干渉が基本姿勢ですね。ですが外来人からの加害が確認された場合はその限りではありません。また一部の好事家や無法者にとっても同様でしょうね。そして起こる悶着をメディアが餌にしています」
「……ああ、聞いたよ。俺たち田舎者の向こう見ずな冒険が娯楽だっていうんだろう?」
「……端的にいえば、そうです。彼らにとっては喜怒哀楽をさそうコンテンツに過ぎません」
中尉はまたテーブルを指で叩き、
「失礼……また通信が入りました」
外来人、か……。
そうだよな、俺はけっきょく事情に疎い部外者に過ぎない……。
「なに? そうか……わかった……」
たまたまグゥーを始め、さまざまな人たちの助けを得ている……つーか利用されているけれど……。
「……やむを得まい、こちらへ連行しろ」
うーん……。
ううーん……。
眠気で……また頭が回らなくなってきた……。
「……ローミューンさん」
……あーあ、マジで眠すぎる……。
「ローミューンさん? 聞いていますか?」
中尉が見つめているが……聞いているかって、そりゃあ……。
「……ああ、ちょっと……超眠いかも……」
コーヒーには覚醒作用があるというが、いくら飲んでも眠いものは眠い……。
さっきレーションなる軍用の弁当みたいなものをもらって腹も膨れているしな……。
「状況が変わりました、これよりある概念を説明します」
ええ……?
いや、頭動かないんだけれど……?
「それは崩壊する衝突球と呼ばれる学説に過ぎませんが、通称ノンフィクション・コードと呼ばれ実際的な火種となっています。この概念を知っておかなければ、これまで以上の不利益をあなたが被る可能性があるのです」
ええ、なにが……?
なんか……聞いたことのあるような単語のような……?
「……フィクション? って……ようは非現実的な表現ってことだろう、架空の話とか……。それで、その否定だから……」
「戦艦墓場での戦闘のことです。あのとき、いくつか奇妙な点がありましたでしょう。例えばロイジャー・メックと主張が衝突した際に、あなたは攻撃を避け続けることでその主張の正当性を証明しましたね」
ああー……そういうこともあったが……。
「あの件にも関わってくることです」
うわぁ、めちゃくちゃ面倒くさそうな話じゃん……。
「ノンフィクション・コードと呼ばれ、乱用されている概念があります。情報改竄における技術力、影響力の格差更正に関する大会議で、ある学者が唱えたアイデアがその発端となります。それは国家近傍報道免許の所有者を代表と定めた報道番組において、ある方面に多大なる不利益となり得る発言などを確認した際に、その正誤をめぐる衝突において、当事者同士で、とくに極端な方法を用いて……即座に解決したとしても国家間法に抵触しないという内容です。これは現在では未だ審議中の案件ですが、とある事態により、国家近傍裁判所にて判決がでてしまいまして、ある程度の実際効果をもっているのが実情です」
……うーん……。
「……なんて?」
「例えばメー・ルナの報道番組内で諍いが起こり、片方が著しくその信用を陥れる発言をした結果、殺人事件が発生したとしても、殺害者が罰せられないかもしれない、という話です」
「ルナって、あの……うぇーあ、とかいってるルナ?」
「そうです。最前線! のメー・ルナです」
……中尉、いま手元で小さくルナの変なポーズやったな……。
「ああ見えて彼女は国家近傍報道官であり、突撃最前線は本営指定報道番組なのです」
ええっと……?
「まず、国家近傍ってなに?」
「……国家近傍の概念について説明を受けていないのですか?」
「ない……」
中尉はふと、考えるような素振りを見せるが……。
「……国家近傍とはつまり、どこの国の領土でもない部分です。各国共通の緩衝地帯であり、獣の王国でもあります」
ようは未開拓の土地ってことか……。
「そこに……裁判所とかが設置してあるの?」
「はい。国家近傍関連の各施設が点在しています」
ええっと……?
「なんか、矛盾していない……?」
「その辺りの話をするとかなり長くなりますが、つまるところ歴史的に大きな権威があるのです」
権威が……。
「……それで、ルナのあれに強い影響力があるって……?」
「その通りです。あの番組も当初は本人を含め至極真面目な雰囲気であったのですが、徐々に型を崩し始め、現在はあのようなことになっています」
ええ……? あのルナが……?
「本当にぃ……?」
「そうですね、例えばクイズコーナーの正解者に賞品を送る旨がありましたでしょう? 少し、奇妙とは思いませんか?」
あったっけ……?
「ええっと、どこが……?」
「番組に回答コメントを残しただけで正解者に賞品を送るのですよ、それはコメントを残した者たちの素性が割れているということでもあります。つまりあれは視聴者サービスと同時に訓告でもあるのです。発言をする際には襟を正せという。形は各々異なりますが、権威のある番組ほど多様な暗喩を含ませるものなのです」
「へえ……」
「飴と鞭……もとい鎖ですね」
それは……今この状況そのものでもあるか……。中尉は手を貸す代わりに俺に鎖をつけようとしている……。
……しかし……わざわざそのような連想をさせる発言をする意図とは……? 中尉にこそ不利、というか有益じゃあないだろう……。
なんだか……やはり彼女は信用できるような気がするな……。そういうテクニックだといえばそれまでだが……。
「そのように権力の影が差しているところであなたはストームメンないしその背後の勢力に……ようは喧嘩を売りました。そして勝ってしまった」
ええっと……。
勝ったっけ……?
「現在ストームメンはその名声を落とし、汚名の返上に躍起となっています」
ああ……そうか……。
あれは本格的な汚名返上の作戦で……、
つまり、今後もマジで殺しにくるってわけだ。
ああくそ……なんか目が覚めてきたな。
「時の雪原で襲われたよ」
でも俺、いうほど悪いことをしたか?
「ええ、聞き及んでいます。それをも退けたとか」
「少なくとも俺の実力じゃあないな。なんか奇妙なことが起こりまくって有耶無耶になったってのが実際だよ」
「なるほど……」
中尉は……なんか信じていねぇなぁ? お前ほんとはなんかすごい力あるんだろみたいな目つきだぜ……!
でも実際、ロクなもんないのが俺なんだよな……。
……それはそうと、少し繋がってきたな。戦艦墓場でルナが現れたときお偉いさん方が嫌な顔をしつつも排除できなかったのは……パムっていうのもあったんだろうが、その上、権威側の人間だったからか……。
「ともかく今、この説明を急いだのはある事態が起こったからです」
「ある、事態……?」
「こんばんわ、ルナですが」
「あれです」
……あれ、なんだ、なんか見覚えのあるやつがいる……。
つーかルナだ、件のルナがいる……。
横にいるのは少佐と、見知らぬ軍服のウォル……中尉の部下だろうな。両者ともに足音もなく姿を消した。
「あのあの、ルナなんですが」
「ええ、こちらへどうぞ」
ルナは袋をぶら下げており……席に収まるや否や、なんか食い物、お菓子? や飲み物をテーブルに並べ始めたな。
「えっとえっと、どおしてルナが拘束されるんですかぁ?」
「拘束ではありません」中尉はうなる「……彼女はローミューンさんのお知り合いでもありますよね? 先ほど部下が発見しまして、一応の保護を……。いったいどこから入ったのやら」
「それはちがいます。まさにスコトマです。ルナはすでにいたのです」
「いた……? ここに、ですか?」
「そおです。最近の根城なのです。ルナが先にいたのです。なので拘束されるいわれもないのですが」
パムは気配や姿を隠すに長ける。つまりはルナもそういうことなんだろう。
「戦艦墓場以来だな、無事だったか」
「もちろんです。ルナはしぶといのです」ルナはお菓子をバリバリ食い始める「エリちゃん魔術が使えなくなったんですってね」
やはり聞いているか。
「そうなんだ。カムドに余計なことを吹き込まれてな」
「というかエリちゃんをほっといて、どおしてこんなところにいるんですかぁ?」
うっ……。
そ、それは……。
「いやまあ……いろいろ、あってな……」
「そういうのがよくないんですよお! レクさんってそおいうところありますよね、押しが弱いっていうか、貧弱っていうか」
な、なんか説教されている?
しかしな……エリがホーさんに助けを求めたんだしな……。
頼り甲斐がないって話ならそうなんだろうが……。
「エリちゃんブラックの方はどおしたんですか?」
「ブラック、ああ黒エリか?」
「なんかすごい勢いで遠ざかりませんでした?」
それは……。
「ちょっと前に誘拐された……」
……なんか、
うぇえ……と、めっちゃ微妙な顔されている……。
「い、いや待て、なんで探しにいかないのかってことだろう、行くさもちろん、でもかなり遠くまで連れて行かれたようだし、移動するには人の助けが必要だし、助けてもらうからにはこっちも……」
「ことは慎重に動かねばなりません」中尉だ「タイミング的にも、この我々を罠にはめようとしている可能性があります」
なにぃ?
ウォル軍……というか中尉たちが狙いだと?
ルナは……文句ありげに目を細めているが……。
「なんかいろいろいってますけどぉー……とにかくエリちゃんたちはルナの友達なので、もおちょっとしっかりしてほしいです」
「は、はい……」
ううっ、面目ないのはそうだが、この俺に何ができるっていうんだよ……。しかも今は丸腰なんだぜ……?
つーか、お前と黒エリってそんな仲よかったっけ?
「ローミューンさんはこれまで妥当な判断をなされていますよ。対象に責任転嫁をしたがるのはマスコミの悪い癖ですね」
ううっ、なぜか中尉が反論したっ?
「でわでわいわせてもらいますけどぉー……」
いやいや、収拾がつかなくなる予感しかしねぇ!
「ま、待てまて、そうだ……そういや、あのウォルの男はどうしたんだ? 最近見ないけれど無事なのか?」
「たぶん、逮捕されてます」
逮捕ぉ?
「なんで?」
「どおしてでしょうねぇー?」
ああくそ、ヤブヘビだったか……!
中尉はうなり、
「特別高等警察に目を付けられているのでしょう。真偽の怪しい情報の流布に加担しているからです」
なに、特高だって? ウォルにもあるのか?
あるいは……。
「もしかしてギマとの連携組織なの?」
うっ、中尉の視線が……なんでそんなことまで知っている? とでもいいたげだが……。
「いや、何も知らないよ、当てずっぽう……」
しかしそうか、あるいは……俺に絡んできたのはむしろゼ・フォー関連なのかもしれないな?
もっぱら野蛮超人がらみでの接触かと思いきや……そうだ、肝心のじいさんのことをあんまり知らないようだったし、どことなく妙だとは思ったんだよな。俺とは接触したいが特高におけるギマとウォルの繋がりについての話はしたくない、だから野蛮超人のことを理由にして……あるいはカムドもグルか? いかにもタイミングがよかったしな……。
カムドがなんでかクラタムにケルベロスとやらを渡してそれをゼ・フォーが横どりした。そしてゼ・フォーはケルベロスつながりでシュッダーレアとかいう俺のなにやらの仲間になっていやがった。ようはそのことが知りたいんだろうが、残念ながら俺も何が何やらわからんのだよなぁ……。
「……奴は、ゼ・フォーは何者なんだ? そもそも特高ってなに?」
なにやら中尉は思案しているようだが……。
「特高とはですね」おっとルナだ「ようは殺し屋です」
「いえ、それは語弊が……」
「各国共通の不穏分子を調査、処刑する特殊部隊です。ゼ・フォーは特別高等警察広域監査部二課の隊長でした。過去にレジーマルカにおける大規模アンダーフォーミングに関係していたとされています」
「……なんですって?」
アンダー……なに?
というか、中尉も驚いているが……?
「アンダーフォーミングとはある集団を従属組織体に成形する計画の通称です。かの国を影から統治する計画が発起され、水面下で進行させていたのです」
なんだ……?
よくわからないが、この情報はヤバくないか?
「目的は外界の元老へのカウンター国家をつくりだすこと、ということになっていますが、実際には違います。ある信仰集団を弾圧というか消滅させることでした」
「消滅だって?」
まさか……エリや黒エリの境遇とも関係がある?
「ですが」中尉だ「宗教弾圧などをしていったいなんの……」
「宗教ではありません。信仰集団です。ここが大切な部分なのです。ルナたちはナン・シスターズとかいわれてますが実際的にはゼロ・コマンドメンツなのです」
えっ……?
えええっ……?
「あのよくわからない無法者たちもそう名乗っているので誤解されがちですが、本来の定義としては固有の信仰をもつ者たちのことをそう指します」
ええ……っと、なんだ、そういうことか……。
びっくりしたぜ……。
「よ、ようはカムドのところの奴らとは違うってことでいいんだよな?」
「そおです。ルナはもっぱら平和主義者なのです」
「あなたたちは……」中尉だ「いったい何者なのですか?」
「いったように、ルナたちはただの信仰者なのです。おのおの固有の信仰をもつだけの素朴な個人の寄り合い所帯です」
「それにしてはみな只者ではないようですが」
「目的はあります。ありますけどぉ……あんまりこの話はしない方がいいです」
「なぜ、ですか?」
「ルナは、ここになにかあるぞーって思って張り込みをしてたんですけど、状況を見るに、今はあんまりこの話をしない方がいいと思います」
「ですから、なぜなのです?」
「その話をすると同じことなのです。とくにレクさんに偶然会ったことがよくないと思います。なのでルナはそろそろおいとましようと思います」
お、俺と……?
「それでは納得できませんね」
「でもでも、ルナは拘束されてるんじゃないんですよね?」
「もちろんです。ですが作戦地域にて容疑者への尋問が行われているこの状況において、民間人の単独行動は非常に危ういことだと警告させていただきます。とても深刻な誤解を招きやすい状況にあるという意味においてです」
「ウォルはそおいう遠回しな表現好きですよね。じゃあじゃあ、作戦地域外まで連れていってくださーい?」
「現在、手の空いてる人員はいません。私もこの通り、多忙の身です」
うふぅ……と中尉はそういってのける……ものの、なんだか人となりが見えてくるな。
確かにそう、ウォルの慣習には詳しくないが、中尉はそういう遠回しな……いわば脅迫めいた表現を多用している。しかし、それをしている今、無意識にだろう、彼女の右腕はその腹部をさすっているじゃないか……やはり彼女なりに思うところがあるんだろう。
ウォルの軍人という立場は厄介だが……人格的にはこちらと親和性が高そうに見えるんだよな。あの少佐もつまり、そういうことをいいたかったのではないか。
ルナのように目ざとそうな奴がそれに気づいていないとは思えないが、はたして……。
「でわ、いつになったら外に出してくれるんですかぁ?」
「今はなんともいえません。少なくとも尋問が終わるまでは、です」
「めんどくさーい!」
ルナはうぎゃおー! と体を捩らせ、俺を見やる……。
「いいんですか? めんどくさいですよこのひと」
俺だって好きでこうしているんじゃないんだよ……!
「……いいのかなぁ? めんどくさいよこのひと……」
今度はなんか呟きだした……。
「……きっと、そろそろ時間切れなんだろうなぁ……だったらなおさら説明しないとならない……? じゃあ、そういう運命なのかも……」
なにが?
ルナは……なにやら思案しているが……ふとポケットから櫛を取り出し……頭髪を整え始めたが……?
なんだ……? 妙だな、雰囲気が……。
そして櫛をしまい……ひとつ、息を吐いた……。
「……私は当代のメランコリーヌ・ルナティックスであり、その名が示す通り憂鬱と狂気の番人です」
うっ……。
話し方が、声音も発音も、ぜんぜん違う……。
「なぜ憂鬱と狂気なのか、それは祈りが懇願に変質した場合での、当事者の内面における動機や衝動と強く関連するからです。これはパシフィスト・パラダイム構想にも関連することで、パムが他種族に対して訓告している内容とも部分的に一致することでしょうから、再度確認をお願いする次第です」
おいおいちょっと待てよ、
祈り……、
そして懇願だと……?
「ちょっと待て……やめよう」
なんだろう?
今、急に……。
この話題は……本当に危険な気がしてきたぞ……。
ああっ……! なんでだろう、突如としてめちゃくちゃヤバい気がしてきた……!
まさかあいつ、カヴァサン? あいつかっ……?
あいつ、
なにかを、運んできやがったな……!
「どういうことですか?」中尉だ「ローミューンさんまで、いったいなんだというのですか?」
「いやっ……俺にもよくわからないが、たぶんきっと、ヤバいぞ……!」
「神が顕現した際に祈りが変質し、懇願に変わってしまうこと」
「おいっ?」
「これが信仰を汚し、人間を堕落させること。私たちはつまり、これと戦っているのです」
「おいっ……!」
「なぜ、私があらゆる事情に精通しているのか。私たちが精鋭ぞろいなのか。そして女性で構成されているのか。そしてなぜ、あなたもそれに加わるのか」
く、加わる?
この中尉がか?
「なにを……いっているのです?」
「元来、物事は複雑ですが単純でした。領土、資源などの奪い合い、文化的な相違や人種における差別問題、言語的な誤解による摩擦など……複雑ですが理解はできることでした。その経緯をつまびらかにし、解析することができる、できたはずでした」
ルナは視線を落とす。
「ですがここにある問題が混ざり合い、事態は混迷を極めています」
問題……。
それは……。
「宗教、ですか……?」
「それならばまだよかったのです。我々はもっと想像力を働かせ、大いなる懸念に備えるべきでした。なにもかも、そうするべきだった……」
そうするべきって、
「どういうことだ……?」
「……真に恐ろしいことが起こってしまったからです」
ルナは……まるで別人みたいだ……。
そう、聖女たる貫禄があるとでもいうような……。
「そ、それは……?」
「神が顕現したのです」
神が?
現れた……?
「それが真実の神なのか、それとも偽りの存在なのか、そんなことは問題ではありません。判別などできないのですから。問題なのはそれが人間に近づいてくるということです」
人に……。
「ある者はこういいます。その神は人を思いやるのだと。またある者はこういいます。その神は苦痛に喘ぐ者を救いにやってくるのだと。さらにある者はこういいます。安息を与え、すべてを叶えてくれるのだと」
それはまあ、神なんだろうし……。
「いい存在に聞こえるが……?」
「私たちにいわせればこうです。その神は人の苦しみに興味があるのではないかと」
苦しみに……。
「その存在を我々は、悪貨の神と呼んでいます。安易に願いを叶え、尊い信仰を懇願に陥れ、人々が愛してきた実在の胡乱なる神々……それを、良貨を駆逐する恐るべき実在の神……。人間を、その魂を芯まで腐らせる悪神……それこそが私たちの敵なのです」
なんだって……?
いや、しかし……。
神がいる、実在しているだなんて、にわかには信じられん話だが……。
そう、狂言としか思えない……。
「悩む必要はありません。すぐに信じられるようになります。あなたこそ人ごとではないのですから」
なにぃ?
まさか……。
「まさか、俺の前に現れるなんて……」
「おそらくは。だからこそ今、説明しなければならないと感じました。例えその顕現を早めてしまうのだとしても」
マジかよ?
マジでいっているのか?
「それに関連して、疑問に思いませんか? 私たちがなぜ女性のみで構成されているのか」
それは……。
修道者ってよく男女で分かれて生活するし、どこかに男の集団がいるんだと……。
「違います」
言葉にしていないのに否定された……。
「それは、悪貨の神が女の形をとるからです」
女の……形を?
それって……、
……まっ……!
まさかっ……!
「……その顔貌は仮面のごとく、また竜のように荘厳で、口が裂け、微笑み続けるその口元からは多くの鋭い牙が垣間見え、目は猫のように大きく、まつ毛は花びらのように広がり、瞳には知性の秘奥が迸り、後光のように広がる髪には哲理がうねり、肩口の肌は宝石のような虹色の鱗をまとい、優美な指の先にはあらゆる生命に届くであろう血に飢えた爪が、しかし楽園のごとく輝く綺羅の奥で満ち満ちている豊潤な肢体が遁走などその一切を赦さず、脆きその心は瞬く間に囚われるであろう……」
こっ、この特徴、あるいはエジーネの……!
「その御姿を前にすれば人界の美醜など取るに足りぬ。かの女神はそのどちらをも極めており、調和する畏怖は深く脳裏に刻まれ、そして永遠に忘却されない。ゆえに星の語部は必定として女神の奴隷なのだ……」
ようは、とてつもなく魅力的だって話なんだろうが……。
しかし、あのときの姿は……いうなれば怪物のような仮面、容姿だったぞ……?
いや、まあ、かわいいといえば……。
そういう見方も、あるかも、しれないが……。
「……悪貨の神は男を支配するため女を使い潰します。わかりますか、あなたを支配するためにエリちゃんを、あるいは私たちを犠牲にするのです。私たちは依代としての責務を承知の上で担っていますが彼女たちは違うでしょう。こうしている間にもあなたの周囲に素質のある女性が集まってきています。危険な兆候が出揃ってきているのです」
待て……待てまて、
「俺を……その神が?」
支配するってなんだ?
まさか、その魅力で……?
「あなたの特異性とはつまり、誰よりも悪貨の神を愛することができるという資質にあるのです。悪貨の神はあなたにすべてを与えるでしょう。ですが望むほどに犠牲が多くなっていく」
ちょっとちょっと……!
「いやいやいや、わからんよ、それは、どうしてわかるっ? だってこれまで……魔術ひとつにしたってろくに覚えられていないじゃないか……」
「懇願がきちんと届いていないのかもしれませんね」
届いていない……。
……いや、でも……?
思えば……あったかも……。
暗黒城で、ユニグルの、電撃のあれとか……もしかして?
「だ、だが神なんだろう? 俺を……なんというのか、もっと巧みに誘導すればいいじゃん、なんでしない?」
「わかりません。悪貨の神は、自身の利益になることは苦手である、意図を理解させないよう非合理的な選択をしているなど諸説ありますが……つまるところ、わからないのです。だからこそ私たちは自ら依代となってあれを分析しようとしています」
なっ……!
なんだって……?
自らを、犠牲に?
いや、しかし、神の話にしたって、そんな馬鹿な……。
中尉、中尉も……信じ難いといった顔つきだ……。
そうだ、信じられん……。
だがこんなところで、こんなわけのわからん嘘をつくか?
「……だとして」
そう、だとしてだ……。
「俺はいったい、どうすれば……」
……って、なんだ、足音が?
「あわわっ、あいたっ!」
おっ? バニーコナー特派員が入ってくるなり思いっきりすっ転んだがっ……?
「な、なにか変ですっ!」
なにか……。
「おうおう……」
うっ、じいさんだ、眠っていなかったか。
「なんじゃ……彼奴、やはりクソヤバじゃったな」
彼奴、クソヤバ、やはりカヴァサンかっ……!
だが何だっ? 銃撃音だっ?
「なにごとっ?」中尉が立ち上がり、通信を始める!「今の発砲は何だっ?」
中尉の表情が、みるみる険しくなっている……!
「いいましたでしょう」
ルナはつぶやくようにいう。
「わからないのです。ですが、これが私たちの戦いです」
くそっ……!
とにかく、何が起こっているのか把握しないと……!