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WRECKTHERION(仮題)  作者: montana
129/149

愛と平和、そして無限に堆積する塵

 想い力で何事も成せようとはなんと理想的な大気でしょう。

 ですが、何の代償もなしにそのようなことが可能だとはこれまで思っていませんでした。

 そう、私はその可能性を承知でそうしていたのです。

 ……その刻が来ました。

 私は、私のありように決着をつけねばならない。



 焼けた肉をマル姉さんが切り分け、俺たちは順繰りに皿を回していく。味方ではないどころかほとんど敵に違いないであろうカムドに手渡し、またカムドがエリへと手渡す流れはいかにも妙な心地だが、人はかくあるべきとも思う確信がある。ここで渡さぬ狭量さは無様の極致、人としてあってはならない。

 というかそれとは別にヘキオンやヴォールも受け取っているが、食べられるんだな? 見た目がやはり機械だし、なんか電気を吸収するとか、別の補給方法があるのかと思ったが……まあともかく、食事をともにすることができるらしい。

 みなに肉が行き渡ると今度は副菜や飲み物がでかいケースごと回ってくる。大聖堂よりの帰還中にガークルらと一緒に食べたあの弁当箱みたいなやつだ。サラダやら煮物やらパンやらいろいろあるが、なんか変な煮物を取ってしまうのが俺なんだよな……。カムドは案の定、サラダを手にしてご満悦らしい。

 そしてみんなに肉と副菜、飲み物が行き渡り、師匠の一声で乾杯、食事が始まった。

 ところでみんな副菜とか何を選んだんだろう? こういうところに人となりが出そうなそうでもないような……と、周囲を横目で見やると、グゥーが……肉に何かをふりかけている……!

 あっ、あれはいつか見たギマたちがふりかけていたあれにそっくりなようだがっ……?

「グゥーッ?」

「えっ?」

「それっ、何のふりかけなんだっ……?」

「なに、これっ? ……なんだよ突然?」

「いや、前に森の中で野営をしていたギマがそいつをふりかけていたんだ……」

「これは……ギマでは定番のスパイスだよ。バオウニっての」

「かっ、貸してくれ!」

「なんでそんなに懸命なんだ……ほらよ」

 グゥーが放り投げるのを完璧にキャッチする……! おおお、あのふりかけの謎がいま解けるのか……!

 恐る恐る肉にふりかけてみると、なんとも芳しい香りが鼻を通った……! ナツメグ、バジル? ミント、ニンニク……よく分からないが多数の香草をブレンドしたものらしい……!

 口に含むと複雑が香味が口に広がるが、ふとしたときには、えもいわれぬ一味となりっ……? しかし次の瞬間にはまた複雑に香味が分解、香りが分裂と収束を繰り返すという……この、なんだ、よく分からんがすごいなこれ……! あと、この肉も焼き加減が絶妙ですごく美味いぞ、牛……いや、羊に近いか? やや独特な匂いが強いものの、それも風味として味わい深い……!

「すごいな、このふりかけは!」

「だろ? やるよ」グゥーは肩をすくめる「でも、あんまりハマり過ぎるなよ、たまにそれなしじゃ飯が不味いとか言い出す奴もいるからな」

 確かに、こいつにはとんでもない中毒性があるかもしれない……!

「こ、これいいぞ、かけたいひといる……?」

 しかしなぜかどこからも手が挙がらない。なんだよ、はしゃいでいるのは俺だけか? 右隣のマル姉さんにかけてあげようとするとなぜかがおーっと返されるし……。

「それ大人気なのは確かなんだけど」グゥーだ「嫌いな人は嫌いだから諦めろ」

 そういうものなのか……。カムドもエリもいらないという。なんでだ、こんなに美味なのに……。

 ……などと飯のことばかり考えているわけにもいかないか。そろそろってわけでもないが、カムドがわざわざやってきた理由ってやつを聞かせてもらわないとならないからな。

 あらためてカムドを見やると、俺の意思を察したのか口を開いた。

「大方、分かったのではないかな? アイテールに反する意思の威力をな」

「……カオスファクター、マントリアルでは天法の対となる意味での地法、というらしいが……?」

 確かめる意味でマル姉さんを見やると彼女は皿を降ろし、なんとも意味ありげな目で俺を見返す……。

「……後で説明はするつもりだった?」

 そう問うが彼女は目を伏せる。天法と対になる地法のとやらの知識が片手落ちなのはいかにも不備な印象だ。なのに語るに渋っていたということは、それだけ危険な内容をはらんでいるということ……。

「君が見たとする不吉な黒い影だが、それと我が愛娘ゼラテア、そしてカオスファクター、すべてが関係のあることだ。もちろんありとあらゆるアイテール術においてもな」

「……わざわざ説明にやって来るとは、ずいぶんとご親切なことだな。それで俺があんたらを許容するようになるとでも?」

「我々への理解は確実に深まることだろう。そして一理あると得心がいくようになる」

 カムドは立ち上がり、丸焼きに刃を入れ、肉を俺の皿に乗せる……。

「君が見た影は混沌の使い、カオスシャドウ、悪魔など様々な名称で呼ばれている。まあ、不吉を呼び寄せる忌まわしきものと捉えてよい」

 混沌の……使いだと?

「……なんだそれは?」

「天法がどのようなものでも創造可能だということは聞いたかね? 巨大建造物だろうが、生命体だろうがな」

「あ、ああ……」

 巨大建造物までもか……。まあ、なんでもできるっていうんだからそうなんだろうな……。

「想いだけでそのようなことが叶う。ずいぶんな力だと思わんかね? まともではないと。そしてこうも思わんかな、そのような大き過ぎる力が何の代償もなしに実現可能であるかとな」

「……だからこそ、得心とか、精神的な縛りが必要だと?」

「そうでもあるが、それはごく表層的な問題に過ぎん。重要なのはな、アイテールは本来、存在しないものだったということだよ。君がここへ来る前の常識に近しい状況が本来の世界だったのだな。しかしそこに不可解な大気がやってきて可能と不可能の境界を別次元にシフトさせた」

 なんでもできるであろう素晴らしい大気……。それの代償、混沌の使い……。それはつまり、

「……安易に創造できる代償として、何か……よくないものに蝕まれている……?」

 俺の言葉に、カムドはゆっくりと頷く。

「その通りだ。万能なる可能性に満ちた大気を得た代わりに、不可能性の闇が生まれてしまった。それは大まかに魔と呼ばれ、巨大なものは……」

 まさか……?

「……ブラックサン、と呼ばれている?」

「その通りだ」カムドは肯定した「ブラックサンは不可能帯とも呼ばれ、そこは可能に恵まれぬ混沌に満ちているとされる」

「混沌……」

「つまり滅茶苦茶だということだよ。ここで私が突如として野糞をし始めることが完全な論理性だと思える次元だ」

 何をいっているんだこいつは……?

「そしてその混沌は我々の願いの副産物だ。分かるかね? 例えるなら清潔なお部屋を望み、掃除した後に残る忌まわしき塵、捨てるべきゴミだよ。そのゴミがどこかで徐々に肥大化しつつあるという話だ」

 なかなか分かりやすい例えではあるが……。

「具体的に不可能性の塊とはいったい……?」

「分からぬから恐ろしいといっているのだ。しかし我々の糞である以上、我々にこそめっぽう牙を剥く。アイテールとは逆に、望むことが決して叶わぬ地獄という説もあるし、そこには本当の死があるという者もいるが、どれもまだ楽観的な解釈なのかもしれんな」

 まさに混沌……カオスか。だが、

「……おかしいぞ、なぜそれほどまで不可解なものなのに人やら獣の形を成している? 俺が見たのはそういう奴らだった」

「そうだ」カムドは頷く「そこに矛盾があることが面白い。人は可能性に満ちたアイテール世界の中でも制限、つまりは不可能性を望むように、カオスの中にもほんのわずかに可能性の片鱗があるのかもしれんな」

 そこでふと、カムドはエリへと視線を移した。

「ところでエリ君だったかな、君には甦らせたい人がいるそうだね?」

 俯いていたエリはびくりとし……顔を上げた。

「しかし、本当にそのようなことができるのか分からないのだろう?」

 そして、小さく頷く……。

「甦らせるには骨が必要だ。埋葬地の土もな。なぜだと思うかね?」

 エリは……皿の上の肉を見つめながら、

「……その人間を構成する、いわば設計図が必要だから……」

「機械のようにかね? 人間は複雑なだけの機械だと?」

「……その可能性は高いと、思います……。なぜなら子は親に似るものですし、継承されるべきなんらかの形状的記録が生物には備わっており、それは、あるいは理学的に解釈が可能であると……」

「しかし、その設計図はしっかりとアイテールに保存されているかもしれない。そしてアイテールは創造する材料にもなる。そのようにすっかりと条件が揃っているのに、なぜいまさら骨や土なんぞが必要となる?」

「……なぜなら、本当にその人物を再現できたかどうか確信が得られないから……。超、低密構造体の全貌は不明、それは制御が不可能という事実を端的に示している……。ゆえに、よく似た偽物の木偶を創造してしまうという過ちがかなりの高確率にて発生すると予想される……」

「素晴らしい。続けて」

「……しかし、せめて骨や土があれば……それを元にすれば、しっかり復活させられたと思い込める……」

「ううむ、実に賢い子だ。外は十八世紀ほどの文明度だったかな? この地に来ていろいろと学ぶ機会はあったろうが、よくぞそこまで推測できたな、偉いぞ」

 ううっ……? 何だその会話はっ……?

 人間が機械? た、確かに生物には構造があり、構造ならばある意味そんな表現もできるのかもしれないが……。

 ……それにしてもエリ……エリはこれまでずっと、そんなことを考えていたのか……。

 沈痛な表情の彼女とは対照的に、カムドは楽しそうに何度も頷く……。

「そう、アイテールは君の望む〝それ〟を生み出せるが、〝それ〟は実際、本来のものとはまるで別物のものであるという可能性は払拭できないのだな。人の顔、背丈、体格、ホクロの位置、傷跡、皺の形、尻の穴なんぞを完璧に覚えているわけもないのだから。そしてなればこそ、だいたいこんな感じといういい加減さからは絶対に逃れられない。例え骨や土を混ぜ込もうとな。とはいえ、それで満足できるならばそれもいいかもしれんが、賢い君はそのようなデタラメさなど赦せまい」

 カムドは満足げに頷き、

「うーん、私は賢い子が大好きだ。教え子というものは、聡明な子かよほどの馬鹿こそが可愛いものよ」

 ……そう、そうだったのか。だからエリは悩んでいたんだ、可能性が目の前にあっても……。

 つまり本物の復活なのか偽物の創造なのか、またそれらの違いすら分からないんだ、そう考えると躊躇しない方がよほどおかしいな……!

「うむ、賢い君ならばもちろん勘づいていよう。そう、治癒の力だ」

 いつの間にか、エリの額に汗が浮かんでいる。

「おいっ、待て、何か余計な……」

「よいのです!」エリだ……!「聞かせて、ください……!」

 カムドはニタリと笑む……。

「これまでその奇跡の力で手早く人助けができてさぞかし幸福だっただろう。しかし、察しの通り君は安易であった。その鳥が輝くのはなぜだと思う? 影を生み出すためだ。そう、君の善意はブラックサンの肥大化に拍車をかけている。いいや違うよ、他の魔術師と同じ次元ではない。治癒や再生は死や破壊の魔術の比ではなく、はるかに濃密な混沌への捧げ物となるのだな。放置すれば死ぬ者を癒すことは復活とそう変わらぬ価値があるとは思わんかね?」

 エリは……エリは、汗だくになっている……。

「哀れなエンパシア、善意の獣よ。クダンシャールは君たちに情けをかけ、そして世界は滅びる寸前までいったのだ。君はなぜここへ来た? 何をしにここへ来た? 復活、贖罪? そうかもしれん。しかし、本当は何をしに来たのだ?」

「おいっ、何を言い始めるんだよっ……?」

「エンパシアの超共感能力はアイテールと感応すると凄まじい規模に影響を与える可能性がある。ある日、突如として全世界が平和になり、争いが一切なくなる、みなが優しくなり、何かよくないことが起こったとしても各々が癒しの力を発動し、怪我や病気を瞬く間に治してしまう、素晴らしい世界だ、ユートピア……そんなことが本当に起こり得るのだ」

 そこでカムドは声を低くする。

「……だが、そうなればブラックサンはかつてない速さで成長することだろう。ある日目覚めたとき、世界は地獄に変わっているかもしれん」

「ば、馬鹿な……」

「黒い聖女たちが好き好んで紛争を起こしていたと思うかね? 元老どもが不穏を撒き散らすだけの狂ったもうろくジジイだと? わけのわからん豚が襲いかかってくるのは血に狂った邪悪だからかね? 犬っころが強固な階級社会主義を形成し、そこに絶対なる不平等を確立しているのは鼻持ちならない貴族主義の腐敗を引きずっているからだと? 野良猫がいつまでも都会人にならず、獣を狩って過ごしているのはいつまでも進歩のない怠惰な愚者だからかね?」

 カムドは首を振る……。

「すべて、ノーだ。黒い太陽の聖女たちは影の番人だった。圧倒的なカオスに習い、悪としてあることは裏を返せば大いなる終末を防ぐための手立てだったのだ。元老は混沌を含む世を止む無く受け入れる代わりに愛の極地であるハイ・ロードを求めた。そしてご存知、我らが凶賊たちだが……」

 まっ、まさか……!

 だからあいつらは各地で暴れ狂っているのかっ?

「ふっ、不条理によってブラックサンの混沌が減衰するとでもいうのかっ……?」

 ここの近くの広場で起こった激戦も……!

 そう、何か違和感があったのは事実だ、高度な文化や技術、社会を有しているこのギマがなぜ凶賊のような真似をするのか、いやしたとしてもなぜあんな無骨な装備なのか? しかもあのときは魔術めいた力をコマンドメンツたちは使用していなかった。それはできないのか、それとも使わなかったのか……!

 だが戦いだぞ、明確な殺し合いだった、自分の命を懸けているのに素朴な剣や盾などの古めかしい装備で突撃するなんて……まともじゃない……!

 だが、もし混沌の減衰こそが真の目的なら? しかし……!

「君とユニグル・ホーメイトの関係と同じだよ。必要なのは更生ではなく再配置だ。それと愛情もな」

 愛情って……。

「あの子らとてなにも使命感だけでやっているわけではない。凶暴な自身の気質を客観視し、それを踏まえ、どう生きるかの問題に各々が出した答えの集積なのだよ。自身の暴力衝動に価値があるとするならどうしてその手を止められる? 彼らは手探りで自作の武器をつくり、このボーダーランドで真っ当に暴れているのだ。実に正々堂々としているではないか」

「……そんな風に、そそのかしてきたってのか!」

「いったろう、君と同じなのだよ。君が彼女を自身の納得がいく方向に誘導したことと同じように、私も個々の資質に合った生き方を提示してきたに過ぎない」

「俺は……意図してやったわけじゃあない。たまたま……」

 ……俺とあいつの望みが一致したという幸運があっただけの話だ……。

 ……しかし、もし計算の上でやれたとしても、けっきょくは同じことなのか……? 率直な希望と企みの違いはそう明瞭ではない……?

「君が、私がではない。誰しもがそうしたがっているのだ。力とは常に変化し、その時勢においてあるべき形に着地するのみだよ」

「師匠……」

 先ほどから師匠やマル姉さんは何も否定していない。ならばやはりカムドの言葉は嘘やたわごとではないということ……。

 師匠は俺を見返し、

「アイテールは想い信じる力で発現し、疑いや否定によって減衰する。それによって起こる循環こそ真髄だとマントリアルは提唱している」

「……そうではない、善悪についての問題では?」

「罪を知り、それを犯し、後悔してもなお生きる。人とはそういうものだ。中央へ行きたいのだろう? アイテールの力を存分に使ったとて、お前の罪は明確とはならん」

「そういう問題なのか……? いや……」

 だからといってアイテールに頼らずに中央へ向かう? いいや、装備品だけでは不可能だ、それができるならばとっくに誰かがやっているだろう……。

 つまり、それを使わずに中央へは行けない……。

「どのみち、か……。罪の形が顕在化しようがしまいが、行きたいのならば使うしかない……」

 師匠とマル姉さんは同時に頷く……。

「そうさ、それでいい。誰かの屍を踏まずして何が成し遂げられよう。よいか、よく聞け我が弟子たちよ」

 師匠は真剣な目つきで俺とエリを射抜く。

「罪なきことに価値などない。徹底し無垢かつ善良なものはただの石ころに過ぎぬと知れ。人や人が生み出すものに罪が宿ることは宿命である」

 師匠は獣の丸焼きにナイフを突き刺す……。

「転、断、熱、これらは文明社会の象徴だが、どれもがよく人を殺す。ただひたすらに善いだけのものなどないのだ」

 ……ものに罪は宿るのか?

 アージェルはそれを気にしていた。

 価値あるものに罪があるとしたなら、その通り、なのかもしれない……。

 そして師匠はエリを見やる。

「光は強いほど影も色濃い。どれほどの犠牲が出ようとも心の赴くままに癒し愛するがよい。そうしてより罪深くなる己を受け入れよ」

 エリは……師匠を見返した。しかしその表情には覚悟も晴れやかさも見えない……。

「……なぜですか? 混沌の肥大化を肯定するのですか……?」

「すべては循環している」師匠だ「その罪を己のものだけとするのはよせ。お前の最大たる誤謬はそこにある」

「しかし……!」

「なぜ己の罪に拘泥する。そうしなければ恨めしい思いが外へ向くとでもいうのか?」

 エリは一瞬、その顔を見せたが……すぐに俯き、黙した。

「……苦悩せしめしあまねく罪人に同情的であれ」カムドだった「我々は間違い続ける永遠の旅人なのだ……」

 なんだか……師匠とカムドが同じ方向のことをいっているのが引っかかるというかあれだが……それは俺がカムドを最初から単なる邪悪な人間と見ていたからなんだろうか……?

 もちろん、実は善人だったとかそういう話ではないから気が抜けないことには変わりないが、奴のいった通り、これまでの認識は確実に改められつつあるような気がする……。

 それにしても罪、か……。確かに、エリの考えはどこか間違っている気がする。彼女は子供たちの死を自分の責任としているが、教会や孤児院なんだ、エリ一人だけで運営していたわけもない……というかそもそもの話、レジーマルカの情勢からして不安定だったんだし、国家規模の多大な影響による結果を個人が背負うなんてのは不条理な話ではないか……。

 責任感が強いのはいい。しかしエリは度が過ぎているように思える。道徳観だって厳しけりゃいいってもんじゃない。どこかで気を抜かないとどうにかなってしまうだろう。

 さらにいえば、子供がなにより大事ってのは少なくとも外界ではまだまだ一般的な価値観ではない。俺はエリの考えに全面的な賛同を示すが、この世の中、浮浪児や幼き労働者、奴隷、食い扶持減らし、悲惨な話は当たり前のようにある。エリが国外追放になったのはレジーマルカにおいても児童愛護の精神が強くないからだろう。シルヴェだって殺しで命を繋いだんだからな……。

 ……つまり、エリはどこまでも異端者だった。俺と同じく居場所がなかった孤独者……。エンパシアなんて関係ない、行き場のない者が極端な思想を抱いて何の違和感があるだろう? 誰がそんなことを気にしたというんだ?

 ……いいや、俺は彼女を気にする! エリが大事だからだ! どれほど重大に思えても、断たねばならないしがらみはあるさ……!

「……いいじゃないか、子供たちのことはもう忘れるんだ……! それになにより、俺たちはもう、世界よりこぼれ落ちた孤独な存在である必要なんかない……! アイテールを通じて人を助け、また世にリスクを加えたとてそれもまた繋がりだ! そもそもこいつらが本当のことをいっている保証だってないさ! 君にあるのはこれまで治癒し、人を救ってきたという事実だろうっ? それで君も救われた! ならばそれでいいじゃないか! したいことをして欲しいものを手に入れるんだ! ああ、俺はそうするさ……!」

 そうさ、受け入れるほかない! アイテールの力、ブラックサンのリスク、師匠にカムド、どこまで信用できるのか、本当かどうかも知らないが、いいや、知りようがないからこそ、どうであっても俺の本心はこうでしかない……!

 ……そしてエリは目を見開き、俺を見つめている……。

 涙も、流れている……。

「そうだ、それでよい」師匠だ「己を解き放つがいい。案ずるな、お前たちの罪は私のものでもある。ゆえに我々は同胞なのだよ」

「しかし所詮、ここは愚者の楽園よ……」カムドだ「若人よ、善や愛を疑え。どれほど歪なりとも世界はそこにあるのだからな」

 ……その言葉のあと、生まれた沈黙は必要なものだった。

 他人がどう想っているのか、これほど知りたい夜もない……が、ふとカムドは立ち上がる……。

「ごちそうさま、とても美味しかったよ」

「そうだろう? 料理は転断熱が重要だ」

「そうそう、レク君、必要に迫られなくともときには充電するように。最後に頼れるのはあの子なのだからな。なるべく会ってやれ」

 なに……? それは……ゼラテアのことか。

「……彼女はいったい何なんだ? なぜ俺に取り憑く?」

「ひとついえることは、あの子はもともと君の味方だったということだ。無下にすることはない」

 それはいったい……?

 しかしこの男のことだ、話すつもりがないことは聞いても答えないだろう……。

「では諸君、おやすみ」

 森の闇へと消えたその後も、カムドが去った先をみなは見つめ続けている。

 ……あくまで危険人物には違いないだろうが……どこか不思議な雰囲気のある老人だったな。

 ……しかし、人ってのはなんでこう、去り際に本音のようなものを口にするのか……。

 なんで、去ってから話し足りなく思うんだろう……。

「……なんだったんだ、いったい?」グゥーだ「わざわざお話をするために来たわけじゃないだろうし……って、ああっ!」

 なんだっ……? グゥーが突如として立ち上がる。

「そうかっ! こいつはしてやられたぜっ……!」

 なに? なんだってのよ……と、マジで何だ? なんか気配が複数、上から近づいてくる……?

「しまったぜ、ほら、そう遠くない場所でウォルの部隊が壊滅したろ! ならばそれを調査しに軍が来るなんて必然じゃないか! そしてそいつらが近くの生体反応や熱源に気づかないわけもない! 仲良くカムドと飯食ってた俺らを見てどう思うよっ……?」

 えっ……ええっ? というか、複数の気配の中にはシフォールやピッカのものもあるようだがっ?

 ……ほとんど音もなくそれは降下したらしい、大型のギャロップの姿が現れる。出てきたのはウォルの軍人だ、六人いる、それに加えてシフォールやピッカたちも降りてきた……。

 繋がりがある……わけじゃあないな。二人ともけっこうシュンとしちゃっているし……。おそらくこの軍人らは聴取をしに来たんだろう。

 あの二人も参考人として途中で捕縛されたんだろうし、ピッカが大人しく従ってるのは敵対するとヤバいからだろうな。軍隊という存在にビビらない奴なんていない……。

「ウォルは上下関係が厳しい」グゥーだ「尊大な態度を取るなよ、しかし変に下手にも出るな。敵対しては面倒だが、なめられても厄介だからな……」

 軍人の一人が近づいてくる。眠そうな目をした、明るい茶色? の体毛をもつウォルの女だ。彼女はうふう、とため息のような声を出し、

「こんばんは、少々、お話よろしいですか?」

「……野蛮超人の件かい?」

「その通り。我々は対テロ特捜部です。ウォルに仇なす凶賊を追っているのです。大方の話はそこの二名より聞き及びましたが、あなた方にもお話を聞きたく思いまして」

「……聞きたいのはこっちだよ。わけのわからん連中が突如として絡んできたんだ。仲間にならないかと誘われたが断った」

「仲間に……」

「ゼロ・コマンドメンツのな。しかし俺はむしろ奴らとは敵対しがちだったのがこれまでのことだと自認している」

 むふう、と女はうなり、

「それならば結構……。ところで我々は傭兵を募っています。テロ組織を壊滅させるためのです。参加しませんか?」

 傭兵……? なんだそれは?

「なぜ俺が……?」

「どうにもラ・カムドと対立しているとか。我々は実際的な戦力に加え、思想理念ともに共有できる方々を支援しています」

 これは……どういう駆け引きだ? つい先ほど番組に出たんだからな、俺を利用したい雰囲気でもありそうだが、問題は……。

 ああ! カムドの奴め、わざわざ俺たちの元に来たのはこれが理由か! というかそもそも野蛮超人が俺に会いに来たことそのものが布石なんだ! 意味がよく分からんのは当たり前、奴らは俺をはめようとしてるんだから!

 そりゃそうだ、側から見りゃ、なぜ対立してるはずの奴と仲良く飯食ってんだという話になるわな……! グゥーがあちゃあという顔をしているのも納得できるぜ……!

 ふふうと女は笑み、

「ええ、理解していますとも、これまでの報告より、あなたは明確に彼らと対立しています。ただ、世の中には曲解も多いですからね」

 これはもう、脅しに近いな……。しかし実際、どれほどのデメリットがある? 番組を観ている連中の評判なんか俺には……。

 いや、あるか……。そういう風評が、ある種の防波堤になっているとグゥーがいっていたしな、コマンドメンツと繋がりがあるなんて誤解されたらどこの何が狙ってくるか分かったもんじゃない……。

 ちっ、譲歩するしかない、か……。

「……ええっと、支援とはどのような?」

 意図が伝わったのか、女はむふふぅ……と笑む。

「対テロ作戦に参加してもらいたいだけですよ。危険はさしてありません。我々はあなたの戦力には期待していませんので」

「……イメージ戦略ってやつだよ」グゥーだ「人集めに利用したいんだとさ」

 利用って、俺の参加でそんな人が動くかぁ? 女は眠そうな目を細め、

「もちろん報酬はありますよ」

 ああ、また厄介ごとだよ……。中央へ向かいたいというのに、いちいち人界のしがらみがついて回るな……!

「参加する必要はありませんよ」マル姉さんだ「中央を目指すレク君には本来、関係のないことです」

「いや、あるんだなこれが」グゥーだ「世俗に疎そうなあんたたちには分からんだろうが、これもある種の自衛手段なのさ」

「くだらない話です」マル姉さんは断じる「中央へと向かうならば人界の世俗などもはや意味を成さないのですからね」

 そう、だな……。奥へ向かうほどに誰も追ってこない……。

「すぐにいくか?」師匠がふといった「まあ、我々がいれば中央でも生存できるだろう」

 いく、中央へ、いますぐに……。

 これは願ってもいない機会だ……。そう、すぐにそこへと向かえば他のことなんて関係ない……。

 しかし……。

 しかしだ、黒エリと再会すらしないうちに? 悩んでいるエリを置いて? フェリクスは大丈夫か? ロッキーはどこへいった? そしてなにより、ワルドを放っておいていいはずもないだろう……!

「俺は、まだ行けない……!」仕方ない、いまはこう答えるしかない「まだやり残したことがあるんだ……」

 師匠はマル姉さんを見やり、

「マル、充分にがおったか?」

「え、はい……当分は」

「そうか、ならばしばしお別れだな」

「で、ですが、フスカさま……」

「やむを得まい。同行していれば我々も関わってしまう。因縁の薄い者が無作法に手を出し、かき回し、混乱させることは本意ではない。振るわぬ力もまたそのありようよ」

「……はい」

 そう……軍隊なんてものが関わってくる以上、師匠たちを俺の事情に巻き込むわけにもいかない。

 そして、あまりに強いからこそ、関わるべきでもない。

 師匠は立ち上がり……俺の背後に立った。

「……むん、うぎゃおおおおぅううっ!」

 そしてなにやらかなりすごそうながおーを繰り出し……また元の席に戻っていった……。

「再会する頃にはかなり出来上がっていることだろう。それまで精進するのだな。……そして死ぬなよ」

 やはり俺に何かを残したらしいが……? いったいどんな効果があるというんだろう。

 ふとウォルの女はうふぅとうなり、

「ともかく、承諾していただけたようですね」

「……まあ、な。しかし契約書にサインするつもりはないし、したところで意味もないぞ。俺は……いまのところ、何者でもないんだからな」

「あなたはウォルにおいてそう悪い地位にあるわけではありませんよ」

「……なんだと? 俺なんてただの部外者だろう」

「関係ないなどということはあり得ない」グゥーだ「ウォルの基本理念、グレードウォール思想だよ。彼らは内外問わずそこに関係性を見出し、また上下を決める」

「誤解があるようですが、上に立つ者には相応の人徳と責任を求められます。優秀でない者が上位にあるなどあり得ない」

 しかし……。

「……あの野蛮超人たちはその壁を破壊しようとしているんだろう?」

「それゆえに犯罪者なのです」

 ……奴らが狂った暴漢に過ぎないと? そうかもしれないが、そうではないかもしれない。

 俺はこの目で奴らを、その戦い振りを見た。あんな体になるほど鍛錬した連中がただの犯罪者、くだらん狂人に過ぎないなんて、そんな風にはとても思えない。太い樹木を蹴り一発でへし折るなんてことも、巨獣に臆せず立ち向かうことも、そしてアイテールを絶対否定する強固な意志力だって……。

 そんな脅威の事実より、脅迫じみた搦め手でくるあんたらを信じろと……?

「……いいさ、ならば俺も俺なりに判断させてもらう。俺もこの地であれこれと首を突っ込んだクチだ、巻き込んだことを後悔しなければいいがな」

 うふふぅと女は笑み、

「承諾を得たということでよろしいですね。では必要な時に迎えに来ます。それではまた」

 そして軍人たちは大型ギャロップへと消え、それもまた姿を消してどこかへと飛び去っていった……。

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