かつて願った未来の先へ
あなたを選んだことには理由があったが、こうなってしまったことには目論みなどなかった。
とはいえもはや理由も不要か。
我々は一心同体、互いに受け入れ、そしてなにより素直になろうではないか。
◇
移動の間、姉弟子より天法とやらの講義が始まる。
「よろしいですか、我らがマントラルにおいて、超常的具象化術を天法と呼びます。これは創造性を司り、ありとあらゆる物事を実現する秘術全般を指します」
それは……これまで散々見てきたことだ。高度な具象化が可能な以上、何が起こっても不思議ではない。
しかし、意外となんでもありというわけでもないのが実情なようにも思える。呪文を唱えたり、実際に鎧ったりすることは事実上、不利の範疇に入ることだと思うが……相当な強者でもそうしないとならないらしい。
「……どのようなことでも可能なわりには相応に縛りがあるようにも思えるけれども……?」
「例えばこの馬は大まかにいって硬いですね」姉弟子は床をコンコンと叩く「そして私の体は柔らかい。しかし、私はその気になればこの馬を破壊する威力の攻撃にも耐えることができます。これは認識として矛盾しませんか?」
たしかに……する、な。
硬いばかりが壊れにくさではないが、普通はこのギャロップの方がずっと頑丈だと見るべきだろう。
「このような常識をなんの理由もなく克服することは難しい。それゆえに人はむしろ積極的に何か代償を支払いたがるのです。そうして得心したいのですね」
なるほど……その理屈はわかるかな。
「例えば鎧を身につけるのも得心のため?」
「そうです。様々な機能を鎧に内包し、そういったひとつのものとして具象化させる方法は天法使いにおいては常道です。ばらばらの機能をその都度、個別に発揮させることより多機能な鎧ひとつを創り出した方が得心が容易だからです」
なんとなくわからないでもない。空を飛ぶ、頑強になる、強い攻撃を繰り出す、これらの能力をいちいち用意するより、武装した飛行機を創り出した方が統一感が出るからな。
「つまり、本来ありえないようなことを実現させる不可思議さは、あれこれ個別に用意するよりひとまとめにした方が精神的負荷が少ないみたいな感じ……?」
「その通り、どのアイテール系統も得心を重視します。魔術系などもわかりやすいですね、術の名前や種類を規定し、体系化させて関係性を配置し、ある種の世界観を築くことによって魔術を多数、所有する際の混乱を防いでいます。これは先の多機能な鎧と本質を同じくしていますね。外界だとこの手法が一般的で、よく見受けられます」
「武装のありようではなくルールで規定する、か……」
「例えば火の魔術を防ぐには水の魔術が有効で、あるいはウォーターウォールなどとよく呼ばれる魔術として周知されています。そしてその魔術は雷の魔術に弱い」
「水は電気を通すからね」
「実は不純物が皆無な純水は電気をほとんど通しません。これは科学的な事実です。しかしどのようなウォーターウォールも電撃には弱いのです。なぜならそういった体系に含まれるもので、術者はそう固く信じているからです」
へえ……そうなのか。ということはもっぱら水に含まれる不純物が電気を通しているってことのようだな。
それはともかく、魔術師はルールに強く縛られる、か……。
「その都度、都合よく解釈はできないのかな?」
「例えば無敵の防御壁はあり得ません。なぜなら、術を解く際にそれは消える必要があるからです。つまり、壁の崩壊は決定づけられているのです」
ああなるほど、だとするなら破壊されることも実質、承認していることになる……か?
仮に消さないことが前提だとしても、それはそれで使い勝手が悪いし、何かの拍子で自分の周囲を完全に覆ってしまったら……終わりだ。敵もそうなる状況を狙って攻撃してくるだろうしな、どのみち弱点は残る……。
「これは先に述べた最強についての話にも通じることだね」
姉弟子は頷き、
「他にも、最強であることと殺されることは矛盾しないという点も挙げられます。聡明であることが眼前の問題への答えを確約しないのと同様にです」
たしかに……数学の天才でも眼前の夫婦喧嘩を仲裁できるとは限らない。また、拳闘で無敗を誇る男でも、強盗の凶刃によって殺されないとも限らない。ならば最強の魔術師でも不意の一撃で倒されないとは限らないってわけか。
「アイテールは精神に感応する……。そして精神は概念に縛られ、抜け穴はどうしても存在し得る……」
「概念は言語でもあり、言語は単独にしてそれを成さないものですからね。例えば絶対に負けない力を求めたとしましょう。しかし負けないとは戦いだけの話ではありません。日常生活においてのささやかな出来事にすらも優劣というものは見出せてしまうものであり、人はどうしても内心、負けた、劣等感を覚える、脅威と感じるなどという瞬間があるものです。しかし、そのどうしても抱いてしまった感情は、先の壁の話と同様に本願である負けない力と自家中毒を引き起こしてしまいます。そうなるともはや負けなしなどという次元にその者は至れなくなるものです」
「完璧な自分を破壊するのはいつだって自分だと……」
「古来より伝わる言葉ですね、最大の敵は自分自身ということです」
「だからこそ、万能や無敵などという曖昧な力より、具体的にどうしたいがために必要な力なのかを定義し、また求めた方がいいってことか……」
「そうです。決定的に不完全で歪なことを承知で、ある範囲内における必要な効果を望むのです。そしてようやく手にしたそのツールを心技体を駆使して本願へと至らせるのです」
そう、か……。確かにそうだ、電撃を無効化させる力は電気を用いた拷問によって発現した力、感知能力の強化や予知もまた、不測の事態に対処するために引き出された力……。どちらも実際的に必要だったものだ……。
「……えっと、ではマルミルさんはどのような能力を?」
「これ、これこれ」姉弟子は俺の足をぽんぽんと叩く「わたくしは姉弟子でございますよ、そのように他人行儀でよろしいと思いますか?」
えっ、別にいいんじゃないかと思うけれど……。
「……じゃあ、マルさん?」
「それも悪くありませんが……そうですね、マル姉さんとお呼びなさい」
ええ……?
でもなんかこのひと、弟子仲間ができて嬉しそうなんだよな……。
「わたくしはもっぱら受け流し専門です。それに細々とした能力をいくつか。それらを組み合わせて多少の応用力を発揮しているだけですよ」
「そうはいうが」おっと師匠だ「マルを攻略できるかどうかがひとつの基準だな。最強といわれる次元じゃこれは倒せん」
最強より上だって……?
というかどうでもいい話だが、マリエンもマルミルもマル・マーも名前が似ているな……。
「お褒めいただいて光栄ですが……いうまでもなく我らが師の圧倒的実力の前には塵のごとくです」
そりゃあ中央帰りだし強かろうというのはそうだろうが……最強より上ってのはどういうことだ? 例えばものすごい火炎魔術とかも受け流してしまえるってのか……?
「おーい、そろそろだぞ」
グゥーだ、外を見ると遠目に色とりどりの海が見える。なるほど、とてつもなくでかい花畑ってのは本当だな。
よし、ヘキオンに連絡するかな。
「そろそろ到着だ、あんたたちはどこにいる?」
『おお見えたぜ、いま合図する』
そして空へ向けて光線が一本、立った。あそこがそうだろう。
「光線が出たところに向かってくれ」
「はいよ」
そしてギャロップは降下していき……着陸する。
「ええっと……師匠たちはどうするんだい?」
「食べ物を探しにいく!」
ドアが開くと同時に師匠は晩飯に呼ばれた子供のようにどこかへと走り去っていった……。
まあ、腹が減ったと何度もいっていたしな。
「そのうち戻ってこられると思いますが……あるいはということもありますので、わたくしもゆかねばなりませんね」
そうか……まあ、手伝ってもらいたかったが頼む筋もあまり見えないしな、仕方ないか。
「わかった、済ませたらこのギャロップで待っていてくれ」
「レク君、エリさん、気をつけるのですよ」
そうして姉弟子も姿を消した……とほぼ入れ替わりの形でヘキオンら三人もが姿を現した。
「よう、合流できたな。誰かどこかに向かって行ったみてぇだが……」
「ああ、俺たちの師匠と姉弟子だよ。腹減ったとかで狩りに行ってしまったんだ」
「師匠? そうかい」ふとヘキオンは周囲を見回し「……それはそうと、フェリクスの野郎はどうした?」
「あいつはちょっと用事があってね……」
「プリズムロウとしての自覚がねぇんだよな、あいつは……。しかもよそのグループと懇意らしい、女ができたとか」
女というかできたというか……。
「しかも、その絡みで決闘だかなんだかに手を貸せときやがった」ヘキオンは肩をすくめる「困った野郎だよ」
「俺は出るぞ!」おっとヴォールだ、相変わらず熱い雰囲気だな「だから姉貴をさっさと見つけたい!」
「同感である。我輩も宿敵との決着を望んでおり、是が非にでも試合に望みたいのだ」
ボイジルだ……。
「そして貴殿はいつぞやの……。あのときは醜態を見せてしまったな。ここに謝罪を受け入れていただきたい」
そしてかしこまるが……うおお、マジで正気に戻ったらしいな。
「い、いやいや、気にしなくていいさ……」
……でもなんだろう、これはこれでなんだか物足りないような気がする……。以前のヒャオオウッ、デアール! みたいな感じがちょっとだけ懐かしいような変な感じ……。
「さて、そろそろ動くか。反応は近い、上手くいけばすぐに見つけられるかもしれん」
「ギャロップがあるならば」ボイジルだ「あれで探してはどうか?」
「そうしたいのは山々だが、あの巨体で飛び回ると目立つからな……」ヘキオンはうなる「徒歩で充分な探索範囲だし、おおよそのアタリもつけてんだ。まあ、使わしてもらうにしても帰りだな」
それにしても一面、色とりどりだな……。よくある大きさの花から樹木のように馬鹿でかいものまで、形を含めたら本当に様々な花が咲き乱れている。
それになにより匂いがものすごい……! 数多の香水が混ざったような香りの暴力で、頭がくらくらしてくるぜ……!
「……綺麗ですね」
ふとエリが呟いた。心なしか目を輝かせている。さっきから物思いに耽っていたし、少しでも元気になったのならなによりだが……俺にはなんだかつらいな、ここ……。
「よし、行こうか……」
そして俺たちは花の海へと足を踏み入れる……。
「花畑とあってここには当然、花に群がる虫が多い」ヘキオンだ「つまりそいつらの目的は蜜や花粉で俺たちには無害なわけだが、そういうのを狙う肉食のやつも潜んでいるだろうぜ」
だろうな……。
「具体的には蜂とカマキリ系が危ねぇ、でかい花の側には近寄らずに進むぜ」
なるほど、大きな花に近寄らなきゃ……って、行き先にはかなり大きな花がひしめいているし、その上には鷲のようにでかい何かがヴォンヴォンと羽音を立てながらふらふら動いているし……というか射撃音が遠くから聞こえる……? これはもしや、あの懐かしのガンフラワーか……?
「見ろよ、あいつは……ファイタービーか、厄介だぜ!」
えっ、なに……って、確かに何かえらくでかいのがものすごい速さで飛び回っている……!
あれは……ビーだけあって蜂だな、しかも姿形から雀蜂とかそういうやつの類らしい、いかにも戦闘が得意そうな雰囲気だぜ……!
「あの野郎、高確率で向かってきやがるな! 先手を打つぜ!」
エリの鳥たちが飛び回る、そしてヘキオンは光線を放つが、きりもみしながらかわす、かなり俊敏だな! 単機としてはロイジャーのあれより厄介そうだ、俺が攻撃を当てるのも困難かっ? 電撃で強化した方がいいだろうか……?
「やるじゃねぇか、しかし!」
そのとき爆音がし、周囲の花々が一瞬にして散った! 音波攻撃か! ファイタービーの動きがふらつく、しかし、何か飛んできたぞっ?
「撃ってきやがったな!」
ヘキオンが前に出て盾になった、さすがに頑丈だ、飛んでくる針? を弾き返し、さらに反撃の光線が命中、ファイタービーは墜落したようだ……!
「まあ、大したこたねぇな」
ヘキオンはそういって笑うが、蜂ってことは毒をもっている可能性が高い。表層的には生身の部分がまるでないヘキオンやヴォールなら容易な相手でも、俺たちにはかなり厄介だったろうな……って、ヴォールの左腕に花が噛みついているっ……?
「奇襲は好かん!」
しかし、その花は一瞬にして焼かれてしまう。やはりこの二人はここの生き物に強い感じらしい!
「レクさん……」
うんっ……? エリが、辺りを見回している……。
「……どうかしたかい?」
「いえ……なにか……」
いるってのか? ……だが、気配を探ると大小無数に引っかかる……!
少なくともでかい個体は見えない、足元か? だが……。
「エリ、鳥を壁のように並べて辺りを飛ばしてみてくれ」
「なるほど……やってみます!」
エリの鳥たちが縦横に整列し、飛んでいく……と、その先で一気に隊列が崩れたっ! 何かに衝突した、もしくは攻撃を受けたんだ! 人間並みにでかいものがいるぞっ!
しかし肉眼では見えない、こいつはまさか、スィンマンかっ……!
「気をつけろっ、透明カマキリがいるぞ!」
アサルトを撃つ……が、手応えがない! かわされたかっ?
「任せろ、ゥレイムウェイヴッ!」
ヴォールが炎を撒き散らした! すると一瞬、見えたぞ! やはりカマキリ、スィンマンだ!
「ァイアナックゥ!」
そして炎の突撃パンチが直撃する! うおお、相変わらずかっこいい技だぜ……! スィンマンはあえなく撃沈した。
「マジかよ、センサーにもほとんど反応がなかったぜ……!」ヘキオンはうなる「長居はよくねぇな、急ぐか……!」
そして駆け足で花畑を突っ切る……が、同時に加速した気配が多数、思いのほか……って、なんだあれはっ? でかい花が動いている? いや、あれもカマキリか、擬態だ! しかも頭上に馬鹿でかいトンボらしきものも飛んでいるし、あれって肉食だったよな? 高度を下げてくる、エリの鳥が代わりに捕まった! なんかボイジルが転んでそのまま滑っていく、いや、触手か何かに引き摺られているんだ、射撃音がし、ガキンッとした音とともに一足飛びで戻ってくる、その間にもエリの鳥がどんどん数を減らしている、いったい何に捕まっているんだっ……? ぱっと見目立つようなのはいないぞっ……?
「ヤバいぞ! 相当数が追跡してきている、目的地はまだかっ?」
「もうすぐだぜ! 見ろ、あの建物がクセェぜ!」
なるほど、眼前に黒い立方体の人工物がある!
「ヴォール、先に行って入り口を開けておけ! 鍵にモタつくと囲まれちまうからよ!」
「任せろ!」
ヴォールは超加速し、人工物へ向かう! そして……よし、入り口は開いたらしいな!
「先に行け!」
ヘキオンが踵を返し、また音波攻撃を放った! 俺たちは先んじて建物の内部へ到達、ヘキオンが追いついたところでヴォールが重そうなドアを一気に閉める!
ああ……助かった、か……。
ある程度覚悟はしていたが、思った以上に怖かったな……!
「危なかったですね……」
「ああ……参ったよ」
「明かりが……あります」
屋内は暗いが、ほんのりと緑色に照らされているのでまるで視認できないわけじゃない。それに意外と綺麗だ、崩れている部分などはなく、いくつかのテーブルと椅子が並び、奥には……ドアがある。
ぱっと見、ここはあまり大きな建物ではないようだ。あるいは地下へと続く……昇降機か?
ヘキオンがドアに近づくと明かりが点いた……。
「どれほど昔のものか知らねぇが、生きている機械の多いことだぜ……」
やはりあれは昇降機らしい。揃って乗り込むと、勝手にドアが閉まり、下降を始める……。
「ここはいったい……?」
「すぐにわかるさ」ヘキオンだ「まあ大方、植物研究所といったところだろうがな」
そしてドアが開くと、そこは通路だった。やはり緑色の明かりがぼんやりと道を照らしている……。
ここにニプリャが? まあ、虫だらけの地上にいるとも思えないが……と、気配があるな。
「向こうから気配を感じる」
廊下に並ぶドアのうちのひとつ……かなり重厚なそれを開くと、そこは大きな棚が並ぶ部屋……。ガラスケースが無数に並んでおり、そのどれにも植物の名前だろうか、ラベルが貼られている。おそらく種子の保管場所か何かだろう……。
そして……奥の方はやや広く、机が並んでおり……そのひとつに……人影がある。
後ろ姿だが……間違いない、あれはニプリャだ……。
「ようこそ」
ニプリャは椅子を回してこちらに向いた……瞬間、椅子がぶっ壊れて倒れたっ……? その衝撃でか床もへこんだぞっ……?
……そして彼女は何事もなかったかのように立ち上がったが、ふと両手で顔を覆った。
うん、まあ……ちょっとそれっぽい雰囲気出したけどしくじっちゃったみたいな感じかな……。
そしてひとつ咳払いし、
「ようこそ」と、やり直した……。
しかし……以前とは様子が、目つきが……違う。ちょっと恥ずかしそうとかそういうことではなく、以前の、少女っぽい雰囲気が消えている。
「あれが……姐御なのか?」
ヘキオンらは戸惑っている。当然だ、実際に別人のようなものだからな……。
「ああ……。悪いが任せてくれ」
「そいつは構わんが……」
ニプリャの前に立つと、彼女はわずかに微笑んだように見えた。
「……ニプリャ」
「ニルプレイ・≡ゞ†∬々だ」
なにぃ……?
「ニ……ミ……グ、ブ……?」
「≡ゞ†∬々だ」
えっ、よく聞き取れないっ? ニグナリア、ミグナリヤ、マグノリアは木蓮か、ユブナリア……?
「うまく聞き取れる者はそうそういないので気にするな」
……これはいままで通りニプリャでいいかな。しかしニルプレイはたぶんわかる、おそらく無き祈り、無価値な祈りとかそういう意味で……これは虚空への祈り、なのか……?
しかし、声音も前とぜんぜん違うな。いってしまえば黒エリにそっくりだ……。
「やはりあなたがそうだったのだな。そうかそうか……」
そうだった? レクテリオラと関係があると知っている?
……思い出した、のか? ともかく、
「……黒エリを返してもらいたい」
ニプリャは小さく笑い「黒エリ、をな」
「……何がおかしい?」
「条件がある。レクテリオラ・エルフレリスを見つけ出すのだ」
レクテリオラ……。
……やはりそこに行き着くか。
「……それは、可能なことなのか?」
「魂はここにあるからな」
ニプリャは俺の胸元を指で叩く。
「あなたと重なっているのだ。だから呼び出すこともできるはずだ」
まあ、体は可能だったし、できるのかもしれないが……。
「やってみよう、という答えでは不服か?」
「補給が済んだのでいまの私は気も長い。ある程度なら待とう」
「そうか……では」
「しかし戻るのはまだ後だ。これは私ではなく、彼女の意向でな」
「なにっ……?」
「言伝を預かっている。探しに来てくれてありがとう、でも、もう少し待って欲しい、だとさ」
待てってなんだ? 何を待てというんだ……?
「……疑うわけじゃないが」
「嘘を吐いていると? そんなことをして私に利点があるかな? あなたを謀ればレクテリオラも戻らないだろう」
……確かに、カードを握っているのはこちらも同じだ。
「わかった。ええっと……」
振り返るとエリは黙って頷き、ヘキオンらは肩をすくめる。
「よし、それでは……なんというか、待っているからと伝えてくれ。それで……あんたも一緒に来るかい?」
「私はまだここにいる」ニプリャは机に向き直る「……ここは私たちが出会った場所なんだ。まあ、今回は私が誘導したようなものだが、それでも来てくれて嬉しかったよ」
「そう、か……」
……ええっと、それで、これで用は済んだわけだが……?
思った以上にあっさりと見つかったし、戻ってくるつもりだったともわかった。
でも、なんか釈然としないな……。
「ちょっと待て、それなりに危険を冒してここまでやって来たんだよ、少しくらい黒エリと話したいんだけれど……」
ニプリャは少し首を傾げ、
「エリゼローダ・キュランガルはレジーマルカにて生を受けた」
なに? ニプリャが語り始める……。
「彼女は超共感能力を有しており、他者の気持ちが本当に理解できた。そしてその異能を早期に見出した軍の高官である父、バルクィン・キュランガルは異分子をあぶり出すために娘を利用した。しかし、その影響で様々な思惑が内在していたレジーマルカの勢力バランスは崩れ、内戦が勃発するに至る」
なにを唐突に……とは思うが、遮るのは難しい内容だ。黒エリがエンパシアだという可能性はあったが、内戦の勃発に関係していたとは……。
しかしシルヴェがいっていたな、エリゼはなんでも見抜くわん、だとか……。
「少女は薄々感づいていた、この事態は自身の異能が原因だと。だからこそ、彼女はその異能を用いて事態を解決しようとした。自力にてある秘術を生み出したのだ」
魔術……が、昔は使えたといっていたな……。
「それは本来の異能とは逆に、他者へ向けて感覚を感応させる秘術だった。自身の受けた痛みを与えるフェムトム・ドロローサという魔術があるが、それと原理は同じだろう。しかし彼女のそれは……ともかく、その力は確実に内戦を沈静化させていった」
そんな力が……黒エリに?
「しかし少女の異能を知り、利用していた国粋主義者たちはその試みに感づいていた。そして異分子勢力との共感、和解を忌避する意向を示し、軍上層部とも結託して彼女の排除を決定した。ゆえにバルクィンは苦肉の策にてこの地への任務を与えることにしたのだ。少なくとも暗殺は回避できるからな」
和解を忌避する……。
国粋主義者はたとえ平和への道だとしても異分子の介入を望まない、か……。
「目的はワイズマンの発見。それはおとぎ話のように荒唐無稽な任務で、事実上、この地への追放だった」
ワイズマン? 賢者、ダンピュール・ウィッカードのことか? いや、彼は実在の人物なはず、おとぎ話というのはいささか奇妙だ……って待てよ、大聖堂にあった車両にそんな表記があったような……?
……いや、いまは黒エリの話か。
「しかし、この地にて蒐集者にやられ……そうしてあんたたちは融合するに至った……?」
「……私はエンパシアを求めていた。超共感能力とアイテールの力を融合させればレクテリオラの魂を探し出すことも容易になるかもしれないと思ったのだ」
「なんだと? まさか……!」
「アテマタに探せとは命じたが、殺せとは伝えていない。協力者であればいいのだからな。しかし、大破した体を補填する対象としては最適だったというのも事実だ」
……本当かよ?
「……ならば、黒エリを選んだのは、エンパシアだったからだと?」
「そうだ」
性的趣向うんぬんの話とは関係がないのか? そんな疑問を抱いたことを察したのかただの偶然か、ともかくニプリャは知りたいことを語った。
「超共感能力を有する者は同性を好む場合があり、その面が強いことも私にとっては都合がよかった」
「……同性を? なぜだ……?」
「男女の心理的傾向の差異というのか、異性の心情に対する抵抗感の話だよ。とかく勇猛であらんとする男に美しく着飾りたい女の心情が流れ込んできたとしたら不幸だろう?」
な、なるほど……?
ということは、男だったらよかったというあの言葉は……?
「……しかし、それはあくまで傾向の話だろう?」
「もちろんそうだ。自他の感情に分別をつけられる場合もあるし、そうでなくとも同化が許容されることもある。特に愛情によってな」
愛情……。
「このくらいでよいかな? ふふふ、彼女が怒っている、勝手に話すなとさ。では表に出てくればよいものを……」
そうか、唐突に黒エリの過去を語り出したのは表に出させるためか。……黒エリにとってはちょっとした災難だったな。
しかし……。
「……マジな話、なんで出てこないんだよ?」
「制御装置が外れたからだ。ブラックパンサーと呼ばれる兵装を転用して融合の安定化と共感能力の制御をしていたがもう必要がないのでな、いろいろと勝手が違ってくるのだろうよ」
そういわれてもいまいち納得できんが……。
ふと、ニプリャは微笑む……。
「感情とはよいものだ。彼女のも、あなたたちのものも。愛も憎悪も痛みも快楽も……」
そしてふと真顔になり、俺を見つめる……。
「……もし、もっと早くにわかっていたら、私たちは決別しなかったのだろうか……」
……そう、かもしれないな。
気持ちはわかるさ、後悔は誰にだって、どうしたってあるものだ。
やり直したいと望むのもわかる……。
しかし……それも人生というものじゃないのか?
幾度もやり直そうとし、かえって泥沼にはまる。
俺はそういう事例をよく知っている気がする。
そう、エジーネがまさにそれではないか……?
……いいや、違うな。あいつはおそらく後悔なんかしていないだろう。
あいつならば進んで運命の泥沼に飛び込み、それを自らの力にしようとしていてもおかしくなどない……。
だが、あの執念はどこからくるんだ? ロッキーにしても前世からの憎悪なんて異常だ……。
いや、あまり考えるのはよそう、気分がよくなることはないのだから……。
「……ともかく話は、わかった。では、落ち着いたら戻ってきてくれ」
「そうしよう」
その後エリもニプリャと語らい……なにやら深刻そうな顔をしているような……? そしてそれが終わると、俺たちは保管所を後にすることにした。
「よくわからんが、戻ってくるということでいいんだな」ヘキオンだ「まあ、どうあれ生存は確認できた、任務は完了だぜ」
「……プリズムロウ的に、黒エリは人材としてどうしても必要なのか?」
「フェリクスのやつもあるいはってな感じのようだしな。……まあ、他に居場所が見つかったなら仕方ねぇさ」
そう、だな……。
「さあ、馬を呼んでくれ」
そしてグゥーを呼び……帰りは迅速に、ギャロップの到着と同時に乗り込んで撤収だ! もたもたしているとまたわんさかでかい虫がやってくるだろうからな……!
そして転がり込むように乗り込み、ギャロップは飛び立ち、急上昇する……!
いや怖い、ヘキオンらのおかげで楽だったが、虫系はやはり気が抜けないな……!
「……あれ?」グゥーだ「黒エリ嬢はどうした?」
「ああ、そのうち戻るってさ」
「ええ? なんだそりゃ? 無駄足だったってか」
「いや、そんなことはないよ」
その時々でしか話せないこと、聞けないこともあるだろう。無駄なんてなかったさ。少なくとも俺はこのタイミングで会いに行ってよかったと思っている。
車内には師匠たちの姿もある。満足そうに寝転んでいるところを見るに、腹は膨れたらしい。
「それで装備品の話だけどよ、前のように店まで連れて行くことはできないからな、ここで選べよ。四日の約束だからそのくらいの期間はいつものとこにいるし」
「お、そうか?」なら、ここへ来なかったみんなにも機会はできるかもな「でもいいのかよ?」
「長期戦も予想して食料とかも充分に用意してきたからな。というか……いま戻っても面倒な仕事あるから実は好都合なんだよ」
なんだそりゃ?
「お前、ようはサボりじゃねーか!」
「そうだよ?」
……まったく動じていない。こいつは常習犯くさいぜ……!
まあ、好き勝手に生きている冒険者が何をいったところで説得力なんかまるでないし、グゥーが真面目になったところでこちらに利点もないわな。
「というかお前も修行するんだろ? いつもの場所でやれば? 食料はお前たちの分もあるぜ」
「いたせりつくせりじゃん」
「だって俺の分しか持ってこなかったらケチ扱いするだろ?」
「する」
ともかくよかった、黒エリは無事だしそのうち戻ってくるだろう、あとはワルドだが……いや、その前にフェリクスの件か。
というか、思えば本当になんでチーム戦なんだろう? 改めて考えてもなんかおかしくねぇ……? その辺でタイマンしてりゃいいじゃん……。
「……なあエリ、フェリクスの件だけれどさ、なんでチーム戦なんだと思う?」
俯いていたエリが顔を上げる。
「……おそらくですが、再戦の可能性を潰すためかと思います。チーム単位で勝負した場合、結果を反故される可能性が下がると思われますので」
なるほど……! ひっそりとタイマンをしても負けた方はそんなの知らんと言い逃れができる、観戦者を募っても見世物になってしまう、でもチーム戦だとその両方の問題が解決できる……?
「加えて、メンバーの実力次第では自身が戦わずして勝利することも可能でしょう。かなり強力な相手を揃えていると思った方がいいですね」
「シフォールのやつ……気味が悪いほどに周到なことだぜ……!」
「言い換えればそれだけ本気ということ……。試合なればこそ、負けは負けなのです……」
本気、か……。
まあ奴は歪んでいるものの、その点だけは疑いようもないわな。
それに対しウチのフェリクスはどうだ、皇帝の相談にも好きにしたらいいよーってなお気楽さだ。
……いや、あまり考えるのはよそう。
なんだか本当にどうでもよくなってきちゃうからな……!