中央帰り
人は、真の愛にこそ恐怖する。
◇
……ばっ、馬鹿な、エジルフォーネだとっ? なぜ、どうしてこんなところにっ……? しかし名前が変だ、あるいは……?
舞台の奥にある幕がゆっくりと開いていく……! くそっ、まだ心の準備が……って、待て! 背後から気配がっ……?
立ち上がって振り向いた瞬間、顔に重厚な弾力を受け、思わず転倒する、そして周囲から爆笑の声がっ……?
「ああら、失敗しちゃった」
その目、その声、間違いなくエジーネ、か……!
「おおっと、偉大なる胸に弾き飛ばされた結果となりましたが、感動の再会には違いありません! とにもかくにも最愛たる二人が触れ合ったわけです!」
細密な文様の手袋をはめた手が伸びてくる……。
「ほら、いつまでも惚けてないの、みんなが見ているわよ」
……まさか、尻尾を巻いて逃げるわけにもいかない。この手は取るしかない、か……。
「さあさあお二方、座って座って!」
……落ち着け、とても悪い状況だが観衆を敵には回せない、つまり白けさせては今後のためにならない、しかし話を合わせればこいつの思う壺だ……! ともかく適当に時間を稼いでこの場を凌ぐべきだろう……。
それはそうと本物のエジーネだとするなら奇妙だ、名前が違うじゃないか、ダイナなんとかとかいっていなかったか? 親父の姓はオリビアル、だからあいつの名前はエジルフォーネ・オリビアルであるはずだが……?
「それにしても、実に美しい方じゃないか!」ゴー・ハーシュだ「種族は違えど美貌というものはわかる、いやはや羨ましい!」
なるほど美しいのだろう、誰しもがそう口にする。しかし、俺には髪型が変わったことぐらいしかこれといって感想はない。全体的にすっきりと短くなっており、もみあげ辺りだけが顎程度まで長くなっている。
よし、観察できるほどには冷静だ、座って態勢を整えよう……。
「そう、髪型変えたの。似合うでしょう?」
エジーネはまるで心を読んだかのようにそう尋ねてくる。おそらく俺の視線から推察したのだろう、異様に鋭敏な洞察力は変わらずか。
「……その、名前は? 聞き覚えがない苗字だったが……」
そうだ、あるいはそうなのかもしれない?
「もしや、結婚でもしたのか?」
「あなた以外と?」エジーネはころころと笑う「まさか、ただの本名よ」
なに……?
「意味が……」
「あ、そうよね、私たち腹違いの兄妹ということになっているものね。ええ、家族という意味では繋がりはあるけれど、血はまったく繋がっていないのよ」
なにっ……?
なんだそれはっ?
「まあ、繋がっていたからなんだという話でもあるけれど」
「い、意味がわからない……」
「あの男が屋敷の中で堂々と不貞をはたらいているのに、その妻がそれをただじっと我慢していただけだと思うの?」
まっ……まさか! あのお堅い夫人がっ……?
い、いやしかし、確かにあり得ないと断じれる話ではない……!
観客席からは好奇の声音が聞こえてくる……。くそっ、何が面白いってんだ、他人の情事など……!
「といってもたった一夜のことだったらしいけれど」
「ゆ、ゆきずりの男と……?」
「とはいえ伯爵の位をもつ紳士らしいわ。そして悪魔的な美貌をもつ男だとも」
「じゃあ、お前は……」
「正確にはダイナメルハ・リンカフフレスよ。でもエジルフォーネの方が馴染みがあるわよね? どちらでもいいのよ、混ぜてもいいし」
そしてエジーネは顔を近づけてくる……!
「どうかしら、他人の方が気兼ねしなくていい? それとも禁忌的な関係の方が興奮する?」
なんなんだこいつは、では、俺にとって……何者でもないじゃないかっ!
「母さんを殺したのはお前かっ……?」
どうだ、どうなんだ……!
エジーネは目を細める、気配に揺らぎはない……?
「……そう、あなたはそれを疑っていたのね。だから一言もなしに屋敷を出ていったんだわ」
「答えろっ!」
「どちらでもいいのよ。どちらが興奮する?」
……めまいがする……。
……こいつは、この女は……。
「そうね、その話は一夜かけてゆっくりとしましょう。あなただけの答えをじっくり聞き出したらいいわ」
……突発的に口走ってしまったが……これは俺にとっても特別にデリケートな問題だ……。
いまここでする話では、ないか……。
……しかも、いつの間にか立ち上がっていた。
落ち着け、座ろう……。
「……では、この質問には簡潔に答えろ。親父は生きているのか?」
エジーネは目を瞬き、
「ええ、もちろん。あまり元気ではないし、お酒の量が増えてはいるけれど。そういう意味では心配ね?」
「そう……か」
やはり、嘘をついている気配はない。ではジオサイトで見たあれは単なる幻……?
ゴー・ハーシュは身を乗り出し、
「いやいや、これは面白……いや複雑そうな関係だねっ?」
「ええ、愛憎あってこその伴侶ですもの。もちろん愛の比重が圧倒的ですが」
「誰が……!」
「しかしね、ええっと、いいのかなぁー……?」
……なんだ? なにやらゴー・ハーシュはもったいぶった笑みを浮かべている……。
「我々の分析からすると、その、彼はなかなかモテるようでね……」
うっ! これは、嫌な予感がするっ……!
「待てっ……!」
「悪いね! これもバラエティーだから! 大丈夫、君たちの愛を誰より信じてるのが僕なんだ!」
そして中空にっ……エリ! じゃないっ、黒エリの姿が映っただとっ……?
「我々の分析からすると彼は特に彼女といい仲のようでねぇ……!」
はっ……。
はあああああああああっ……?
「いやいやいやいや、お前なにいってんだよっ?」
「おおっと無駄なあがきさ! こちとらには証拠映像があるんだからね!」
そして映像が変わり……これはっ? まさか、あの巨大兵器の上でニューと通信したときのやつかっ? たしかにあのとき黒エリは俺と密着していたが……!
「違う違う違う、こいつは違うから!」
ああくそっ、そうだよこの件に限らず意外と黒エリとのなんだ、身体的接触とか多かったような気がするな、だからこいつら思い切り勘違いしやがったんだ! 観客席は大盛り上がりだが何が面白いんだよちくしょう!
どうする、エジーネとの仲は否定したいが、黒エリとのそれもなぁ……! しかし他の女性、例えばエリの名前をここで出すのはやばくないか? エジーネのことだ、何を仕掛けてくるかわかったものじゃない……!
いや違うだろ、じゃあ黒エリならいいのかって話になっちまう、たしかにあいつはかなり頑丈そうだし、エリを危険に晒すよりはましだと納得してくれそうではあるが……相手はこの異様極まるエジーネ、しかもおそらく蒐集者つきだ、いや、でも……蒐集者の因縁は黒エリにもあるし、あいつの助力はどうしても……。
エジーネは……じっと黒エリの映像を見つめている……。
「というわけで、今後とも目が離せませんね、それでは超! 海賊放送……」
おおっ? なにこいつ、やるだけやらかして終わろうってのかよっ?
「待てこらお前っ、ここで終わらすんじゃねーよ!」
ゴー・ハーシュは素早く距離をとりやがった! 俺が一歩進むと奴は一歩退がる、くそっ、下手に追えば舞台から消えるな……!
「ふざけんなっ! あれこれかき乱しやがってっ……!」
「超! 海賊放送デラビシャピン! いつもの通り、この豚野郎が窮地に陥っている状況でお別れとなりそうだね!」
いつもってお前、普段からこんな状況になってんのかよ!
「二股三股の冒険者、レクテリオル・ローミューンの明日はどっちだ! 今後とも我々は彼を追っていく所存です!」
「んなことしてねーわっ! というか追いかけてくんなこらっ!」
観客席からやっちまえ! あのトンガリを引っこ抜け! などなど、俺を煽る言葉が飛んでくる……!
あいつ、人気者なのか嫌われ者なのかわかったもんじゃねぇな!
「さあ目が離せなくなってきた! 次回は超高速ギャロップの特集を予定してるよ! どうぞお楽しみに!」
そしてついに逃げ出しやがった!
「待ておい!」
そして舞台裏へ、逃げる豚野郎の襟元を掴んで引きずり倒す!
「お前ぇええ……!」
「よ、よかったよ……! トップクラスの反響だ……! さすが僕が見込んだだけはある……! 今後ともよろしくな!」
この豚野郎ぉおお……!
「まあまあ」グゥーだ!「よしてやれよ、結果オーライだって」
「お前このっ! 俺を嵌めやがったな!」
今度はグゥーを締め上げてやる!
「いやいや、俺は知らねぇーって! ここの人間じゃねぇーしよ! というか、お前ってエリさんのことが……」
「そこだ、黒エリってのもおかしいだろうが!」
「そんなこたないよ」豚野郎だ!「こちとら相応に根拠があっていってんだし」
「なんだそりゃあっ?」
「視線、会話の頻度、接触回数などなど間違いなく彼女と一番親しいって分析結果が出たんだもん」
嘘ぉ……?
……いやまあ、なんだかんだ接しやすいとは思うが……。
しかし異性として……? ううーん……!
「そんじゃあまた頼むな浮気野郎! 僕、次の打ち合わせあるから忙しいんだ!」
そして豚野郎は足早に去っていった……。
浮気野郎だとぉ……? 俺がいつ手なんか出したってんだ……!
あの野郎、次はマジでその頭のトンガリを引っこ抜いてやるからな……!
……しかし、実際問題どうする? このままじゃあ黒エリに面倒をおっ被せる結果になるが……。
うーん……番組終わっちまったし、いまから訂正することはできないし、そもそも代案も思い浮かばないしな……。
……いや、まあ、うん……。
……あれだ、怒られてからでいいか……?
いいかな……?
いいか!
あいつと組めば……って、この気配はっ!
そう思ったときには拳が眼前に……!
そして目の前には蒐集者……! なるほど、戦闘服を着た青い髪の男に姿を変えている……!
「よう、久しぶりだな」
当然だが、声音や口調もまるで別人だな。
「……また姿を変えたのか」
そして隣にはエジーネ……。
「ごめんなさいね、本当はずっと一緒にいてあげたいのだけれど、私もいろいろとしなくてはならないことがあるの」
「……お前は、狂っているよ」
エジーネは微笑み「そうよ、あなたにね」
「……わからない、なぜ俺にこだわる? 男など無数にいるし、お前ならいくらでも選べる立場にあるだろう。なぜ、わざわざ自身を疎む相手に固執するんだ」
「けっきょく私の元へ戻ってくるからよ。私があなたの居場所なの。悪いけれど、もう少し待っていてね」
エジーネは俺の頬をひと撫でし、蒐集者とともに去っていった……。
……ひとまずは、離れてくれたか……。
「お前ってほんと変な女に好かれるよな」グゥーはうなる「あれはかなりイカレてるぜ」
「ああ……。ともかく、さっさとここを出よう」
そして俺たちはギャロップまで戻り……座席に収まる。
ああ疲れた……。なんだかんだ、終わってみれば一瞬だったような気もするが……。
「……まったく、お前のダチには参ったぜ」
「でも楽しかったろ?」
「いやあ、そいつは……」
……って、なに? 背後に気配だと?
「うおっ?」
見ると、なんか後部の奥に女が二人いる!
「おっ、あれは誰だっ?」
「なに?」グゥーも後ろを見やる「おわっ! なんだお前ら!」
「こちらにおわすは火の真言を受け継ぐ偉大なるアイテールマスター……」
「マリエンフスカだ! 長いからフスカだ!」
いきなりわけがわからないが、あの髪の色は……レクテリオラにそっくりだ……! そして瞳も黄金、よく似ている……というか眼力がものすごい! おまけに気配がヤバい、なにか人のそれというよりまるで獣の……。
しかし見た目はお嬢さんだ、顎くらいまでの整えられた髪型、純白の鎧っぽいスーツ、そして真っ赤なマント……。なんだろう、違和感が激しい、まるで巨獣が淑女に化けているような……。
「そしてわたくしはその弟子である、金色たるマルミルと申します」
こちらもなんかすげぇな、長い髪が……本当に黄金の、金属的光沢をたたえている……。緑色ローブに身を包んでおり、具体的な格好はよくわからない。
「……で、何か用なの……?」
「どうでしょうか、我が師よ?」
「うん! 深淵なる業を感じる! 絶対に面白いのであれにする!」
「本当ですか!」
「うん!」
「というわけで合格です、あなたも今日から我が師の弟子となりました」
何の話なんだよいきなり……!
「いやいや、なんなのよいったい……!」
というかマジで何なんだ、フスカとかいう人、懐から生肉取り出して食べ始めたぞっ……!
「つい先ほどおっしゃったではありませんか、伝播の技術を……って、我が師よ、それはいけません。一般の男性は初対面で生肉を食べ始める女性を好むとは思えません」
「お腹空いたんだ!」
あいつ……えっ、あっちが師匠なの? あの黄金の女が飼ってる獣が人に化けているとかじゃなく?
「まあ、見ようによっては可愛らしいでしょう?」
いいや……って、グゥーが発車し始めた!
「おいおい乗せていくのかよ?」
「いいよ、俺は関係ないし」グゥーは関知しないことに決めやがった「本当、お前の周りってまともな女がいないよな」
そしてギャロップは空の密室となった……。
「というわけであなたが欲する技能を授けましょう」
だから何が……って、そうか! さっきの番組か! たしかにいったわそれ!
でも、それってついさっきの話だぞっ? いささか早過ぎじゃないのかっ?
「おお、眠くなった!」
「はい、あとはお任せください」
そしてフスカとかいう人は丸くなって眠り始めた……。
「単刀直入ですが、我が師をどう思われますか?」
「ど、どうって……」
本当に単刀直入だな! というか、かなりヤバい奴に違いないと思う……!
「……まあ、普通じゃないな」
「それはもちろんです、おそらく人類最高峰の手練れなのですから。そうではなく、異性として魅力的ではないですか?」
い、異性として……。
「えっ、なんなのあんたっ?」
「美人でしょう?」
「いや、それ以前に気配が獣のそれだ、彼女は本当に人間なのかっ……?」
「生物学的にはそうだと思います」
なんだその言い回しは……!
「我が師と出会ったのはそう、十年ほども前になりますか、当時私は……いえ、私のことはいいですね、ともかく窮地を救って頂いたのです、命の恩人なのです」
なんか語り始めた……。
「そして私はその強さ、気高さに憧れ弟子入りしたのですが……ああ、ちなみに私たちは中央帰りです、えっへん」
なにっ……?
「……中央ってあの、この地の中央かっ?」
「そうです。偉大なる我が師は深度八の超一級サバイバーでもあるのです!」
「マジかよ!」唐突にグゥーが叫んだ!「うちのボスが深度九だぞっ! ほぼ同等クラスじゃねぇーか!」
ボス、ボスってガジュ・オーかっ?
「そ、それはどういう次元?」
「深度十がいわゆる中枢ってことになっている。だいたい深度九がシン・ガードで固められていてな、最高の手練れでも奥へは進めない。つまりボスはそういうとんでもない次元の実力者なんだが、後ろの奴もそれに近しい実力があるってわけだ……!」
「そんなに……!」
「ちなみにア・シューは二くらいだ。あいつはタイマンじゃ恐ろしく強いが、野生の世界における生存強度という面ではまだ勉強不足なんだな。そういう意味では深度レベルがそのまま強さに直結してるわけじゃないが……まあ、八の次元じゃ実際、最強クラスだろうよ」
「その通り、我が師はアイテールの申し子ともいえ、その圧倒的実力はおそらく人類でも十指とかそのくらいに入るんじゃないかと思われるほどの実力者なのです!」
入るのか入らんのかよくわからんが、ともかくトップクラスなんだな。
「我が師ほどの女性はこの世界においても極々わずかと断じれるでしょう。ですので、いっそ添い遂げる可能性について考慮してみてはいかがでしょうか? 中央へ行きたいのでしょう?」
ま、まあたしかに、中央は死地に等しい。そこへ行くことを考えるのなら、ある意味では実際的なお相手なのかもしれない……。
だがそもそもの話、そっちは俺の何がよくてそんな提案をしてくるんだよ……?
「しかし……いったい、なんでまた俺なんだ……?」
「その問いに答えるならば、我が師の恋愛遍歴について言及しなければなりません。そう、遡ること二年ほど前、仲睦まじい獣の雌雄を眺めつつ、我が師がふと呟いたことにそれは端を発します。そのとき師はこういいました。いいなあ、私も伴侶が欲しいなあと。私は驚きました、師にもそういった人並みの感情があったのだと」
逆にそれまではないと思っていたのか……って、なんか音もなくこっちに近寄ってきた……。
「それからしばらく経ったあと、ある朝、師は私を叩き起こしました。いわく伴侶候補を見つけたとのことです。わたくしは驚いたものです、このような森と遺跡しかない場所に人間が、しかも素敵な殿方がいるなんてと。しかしなるほど、たしかにそんな出会いは運命かもしれない、そう思いつつ師に連れられ向かった先にいたのはサンダーコールでした」
サ、サンダーコールだとっ……?
「人間の姿はありませんでした。あるいはあの魔獣に食べられてしまった後なのかもしれず、激昂した師との激戦がすぐにでも繰り広げられる……ところまで覚悟しましたが、師は魔獣を指差し、彼がいい! と少女のように言い放ちました」
ええ……?
「私は少し混乱しましたが、あれは人間ではありませんよと進言しました。ですがお気づきの通り、師は常人の枠に収まる方ではありません。冗談でもなんでもなくあの恐るべき魔獣に恋をしたようでした。そして臆面もなく近づき、交流を始めたのです」
おいおい……。
「とはいえ、微塵も理解できないというわけでもありません。輝く銀色の体毛と、力が凝縮された巨躯をもつネコ科によく似たかの魔獣は神々しさを覚えるほどに美しかったからです。それに異種族同士とはいえウマが合ったのか、かの魔獣は師に敵意を向けることはありませんでした。しかし私は恐ろしくて近づけません。不意に殴られでもした場合、確実に即死するからです。ですが師がそれと行動をともにする以上、ついていかないわけにもいきません。そして仲睦まじい二人を、少し離れた位置から眺めていたのですが……そのときふと気づいてしまいました。ふぐりがついていないようだったのです。つまりそれは雌でした」
ふぐり……。
「なんだか哀しい気持ちになりました。尊敬する師のお相手が人間ではなく、おまけに男性でもないのです。ですので、師とかの魔獣が少し離れた隙を見計らってその事実を伝えることにしました。あれは雌ですよ、人間でも男性でもありませんよと……」
なんというか……。
「師は衝撃を受けたようでした。どちらかといえば人間ではないことを重要視して欲しかったのですが、あの方は種族より性別にこだわりがあるようでした。それから師は珍しく神妙な横顔をお見せになられましたが、それでも好きなのだから仕方がないと結論づけ、関係を続行することにしました。ですが種族間や性別以上に大いなる問題があったのです。師はあれを恋人だと思っていましたが、向こうはそうとは思っていませんでした」
そりゃそうだろうけれど……なんというか、うーん……。
「破局は意外と早くに訪れました。サンダーコールとてネコ科の猛獣のようなもの、猫はあんまり構うといらいらするものです、そしてかの魔獣もまたその例に漏れませんでした。そのうち師のことを疎ましく思い始めたのでしょう、態度が冷淡になり、やがて邪険にもなりました。そしてついに立腹したのか、その豪腕で殴ったのです」
よく生きていたな……。
「師は当初こそおろおろとしていましたが、そのうち腹が立ったのか、殴り合いのケンカとなりました」
おいおい……。
「さすがの師です、サンダーコールと殴り合える人間などこの星を探してもほとんどいないでしょう。とはいえ、師が見込んだだけあり、あれはとても優しい個体だったのだと思います。師がわんわんと泣き始めると、追撃の手を止めて去っていきました。私はほっとしました」
泣いて済むのがこれまた……。
「それから私は師を慰め、新しい人を見つけましょうと進言しました。悲恋は新たな恋の始まりです。ええ、次は人間の男性にしてほしいと思いました」
そりゃあなあ……。
「しかし、それからしばらくしても師は落ち込んだままでした。本当に好きだったのだなと同情しましたが、あのままだと私が困ります。それからしばらく決死の冒険で気晴らしをしたものですが、ある日、また師がいい人を見つけたと伝えてきました。こんなところに人間などいるはずがないと思っていたので嫌な予感がしましたが、いまにして思えばそれは本気の恋ではありませんでした。昔の恋を忘れるためだけの恋……しかし、立ち直るきっかけにはなったと思います」
「……でも、人間じゃないんだろ?」
「人型ではありました。そういう意味では大変な進歩です。性別はありませんでしたが、まあ同性であるよりは師の好みに近いといえました。ですが残念なことにサイズが大きく違っていたことと、そもそも生物ではなかったことに問題がありました」
「機械の巨人か……」
「そうです。古くはオートワーカーなどと呼ばれた人型ロボットの大きいタイプです。どうやら危険もなさそうでしたし、サンダーコールよりはと思い、今度はあまり口を挟まないようにしていましたが、破局は意外と早くに訪れました。師はいいました、あまりに無口でつまらないと。それはそうでしょうと思いましたが、師は以前よりは少し元気になったようなので、結果的にはしてよかった恋なのでしょう。そして……」
「待て、その話はまだ続くのかい?」
「はい? ええ」
なんであんた「当然ですが?」みたいな顔をするんだ……。
というかこれは何の話なんだっ……?
「次の相手はドラゴンでした。綺麗な緑の美しい個体でしたが、今度はようやく雄のようでした。しかも実に物静かで理知的な個体でしたので、争いもなく私への危害もなかったのでよかった……と思ったあたり、私もどうかしていますね」
なんかあの頃は……みたいな遠くを見る目をしているが、側から聞いていて終始おかしいからな……?
「ですが関係はまたしても長続きしませんでした。なんと雌ドラゴンがやってきて、師と敵対し始めたのです。男を巡る女の戦いです、それは熾烈を極めました。種族的には向こうに理があるように思えてならなかったのですが、もはやわたくしに止める術などありません。血みどろの決闘が続き、本気を出した師の前に、強大なる成長を見せたドラゴンですら大地に倒れ伏したのです……!」
マジかよ、真っ向からドラゴンを殺したのか……。
「しかし、気づいたときには雄ドラゴンの姿はどこにもありませんでした。夫婦喧嘩は犬も食わないといいますが、臓物飛び散らんばかりの殺し合いにはハエもたかりません。残念ながら当然の結末といえるでしょう」
……それには同感だ。
「ちなみにドラゴンのお肉はかなり美味しかったです」
あんたはあんたでちょっとあれだなぁ……。
「さて、三度の恋は失敗に終わったわけですが、そもそも相手が人間ではないという点に問題があるのではという思いはどんどん強くなっていきました。そこで、男性探しならばもっと人間が生存しやすい場所に向かうべきではと提案すると、師はようやくそうしようと同意してくれました。そして中央から出てとある崖を移動中、私はひっそりと滑落しました。自分でも驚くほど静かに落ちたので、気づかぬ師の姿が遠ざかって豆粒ほどになっていく様がとても寂しかったものです」
「……よく生きていたな」
「わたくしほどにもなると落下はさして脅威ではありません。はてさて、それから師と再会するのにしばらくかかったわけですが、そのときようやく師は最愛の男性に巡り会えたと出し抜けに言い放ちました。どうしてじっと待っていてくれなかったのですかという言葉を飲み込み、その殿方はどこにいらっしゃるのですかと尋ねましたが、どうにも隣にいると仰います。今度は姿の見えない相手なのかなと思いどうにか触れようと試みましたが手は虚しく宙を切るばかりでした。そう、どうにも師は幻覚を見ているようでした。おそらく強烈な毒キノコなどを食べたのでしょう。師ともなれば毒など無効化できるはずでしたが、おそらく幻覚の中で出会った彼があまりに素敵なせいでそうしたくなかったのだと思います。ちなみにその彼の姿を問いただすと思った通りサンダーコールでした。私はなんともいえない気持ちになり、その夜はほろほろと涙を流したものです」
うーん……。
「次の相手はギマの少女でした。いえ、恋のお相手ではないのですが、師が人間に興味をもつことは珍しいことなのでカウントに入れました」
いや、入れるなよ。
「その少女はマル・マーといい、師とよく似た髪をもち、超高性能のバトルスーツを着ていました。その頃はまた中央へと戻っていたのですが、こんなところに少女ひとり、それはつまりとてつもない生存力の証明でもあります」
「聞いたことがあるな」おっとグゥーだ「幼少から中央にいる少女がいるって……」
「その通りです。聞くところによると父親と一緒にずっと中央にて生活をしていたのだとか。しかし、最近姿を見なくなったので探しているそうでした」
幼少の頃から中央に……?
「二人はなんだかかなりウマが合うようで、楽しそうに冒険しているものですから、正直、私は面白くありませんでした。用事があるとかで姿を消したときには安堵したものです」
ううーむ……。
「さて、そろそろ話も佳境です。これはつい先日の話で、久しぶりに師がいい男を見つけたとはしゃぎだしました。どうせまたわけのわからない獣だろう、昆虫でなければいいな、などと思い思い、師が指差した先にあるものを見て、私は背筋が完全に凍りつきました。そこにいたのはシン・ガードでした」
「マジかよ……!」
「それは手に剣と盾をもった個体でした。悪魔的な戦闘力をもつあの最強の巨人を前に、私はその場から動けませんでした。しかし、師はまるで無垢な少女のように駆けていきました」
剣と盾をもった個体だと……?
「そしてなにやら話をしている様子でしたが、そのうち戦闘になりました。さすがの師も今度ばかりは死ぬかもしれないと私は動揺しましたが、超高速で動く巨体を前に、正直、絶望するのも忘れてしまいました。はっきりいいます、あんなものに勝てる人間などいないのです」
「でも生きている」
「はい、全力全開の師ですらもさすがに劣勢に陥り、ついには泣き出してしまいました。サンダーコールの件と同じです。師は好きな人から攻撃されることに馴れていないのです」
それは誰だって泣きたくなるかもしれないが……。
そういう次元の問題なのか?
「そしてすわとどめを刺される! と思ったそのときでした、シン・ガードは攻撃を止めました。そして背を向け、飛び去ったのです。私は心より安堵しましたが、このときばかりは我が師にも困ったものだなと思わざるを得ませんでした」
だからそういう次元の問題なのかよ?
「ですが、意外なことに師は落ち込んでいませんでした。しかもシン・ガードより助言を得たというのです。いわく、伴侶を見つけたいのならば、強き者を求めるより育てよ、と……」
えええ……?
「そ、それでまさか……」
「はい。また中央から出て、拠点のひとつにてくつろいでいたところ、たまたま先の番組を見る機会がありまして、師匠はこれだ! と立ち上がった次第です」
じゃあなにか、彼女が来たのはシン・ガードの導きだってのか……!
カムドといい、蒐集者といい、なんでお前らみたいな奴らに限って厄介な女を寄越してくるんだよ……!
「というわけで、どうですか?」
「えっ、いやちょっと……」
話を聞いてより一層、ヤバさが増したんだけれど……!
「まあ、すぐには了承できかねると思いますが、師匠ほど可愛らしい方もそうそういらっしゃらないと思いますよ」
……これはまさか、あいつが現れたから女難も激化してきたのか? そしてすべてはエジーネに収束すると? 現れる女たちがみなアイテールの力に恵まれているのは偶然ではない……?
そしてギャロップは進んでいく。そういや静かになったなと思い振り返れば、弟子の女も寝こけている……。
「いやほんと、お前も大変だなぁ……。次から次へとマジで変な女ばっかり」グゥーは笑う「だったらなおさらいいんじゃねーの? 黒エリ嬢でも」
「えあ? なんだよいきなり」
「よくわからんけど、あのとき変身して助けにいったじゃん? 愛がないとできないと思ってよ」
愛、ねぇ……。
「それに考えてもみろよ、エリさんってあのひと尼僧じゃないの? そもそも結婚とかしない人なのかもよ」
なに……?
た、たしかに、教義においてはそういう人もいるかもしれないが……。
いや、まさか……? しかしあり得る、破門されても信仰は続くかもしれないし、なにより身近な子供の死を目の当たりにした彼女は……結婚とか子供とか、そういうことは……。
いやいや、そもそも俺からしてどうなんだ? 冒険者ってのは堅実な生き方じゃあない。ましてや中央へ向かうんだ、あっさり死んじまうかもしれない野郎だぜ……?
「どのみち根無し草だからな俺は……。そういう話は中央から無事に戻れた上でようやく、だな……」
「だからより死ななそうな女がいいって話よ。夫婦で冒険すりゃいいじゃん」
「なんだ引っ張るな、お前ら……そういうネタつくって、俺で執拗に稼ごうとしてんじゃねーのかっ?」
グゥーは白々しく口笛を吹く……。
「だめだめ、仮に俺がよくても向こうが嫌がるよ。あいつ同性にしか興味ないから」
「あーそうだっけ? 実は両方いけるとかじゃなく?」
「知るかよ。疲れたし、俺も寝る!」
それにしても、みんな愛だの恋だの余裕ある話じゃないか。俺なんかここへ来てずっと五里霧中だし、そんなことを考えている余力なんかまるでないってのに……。
しかし、どこかで感化されてしまったのか、俺はそのとき、黒エリが出てくる夢を見た。