極寒の女王
それは、遥か以前より明らかとなっていた。
人は太陽のありようすべてを受け入れることはできない。
人が人であることのアゴニー。
これを救済することが私の使命なのだ。
◇
甲板はまるで青々とした草原のようだ。ところどころで花々が咲き乱れ、蝶が舞い、快晴の日差しと微風が心地よい。
……そこに横座りしている巨人はまるで楽土に住まう女神のようだ。輝く半透明の衣服を身にまとい、その上で各所が鎧われているが物々しさは感じない。人のように艶やかな肢体には円や渦のような文様が描かれている。顔は仮面のようなもので覆われ、何の装飾もなく、鏡のように周辺の景色を写し取っていたが、ときどき水面のように揺れている。その隙間から緑色の長い髪が伸び、輝いている。
とてつもない気配だ……。しかし、重苦しさは感じない。むしろ心地いいほどだ……って、これは……?
一瞬だが感じたぞ、別の気配だ……! 振り返るが、すでにそれは消えている。……いや、たしかに嗅ぎつけていてもおかしくはないが、しかし、いくらなんでもここにいるのは危険ではないのかっ……?
「よくきたわん」
気づくと巨人は寝そべっており、俺たちに顔を向けていた。
「うん? お前はなんだわん」
アロダルは息をのみ、
「……この状況をどうにかしてほしくて」
「お呼びじゃないわん、邪魔だわん、これから大事な話をするんだわん、消えるわん!」
顔の水面が激しく揺れ、アロダルはたじろぐ……。
「……あんたは優しい女王さまなんじゃないのか? ちょっとくらい話を聞いてあげてもいいじゃないか」
「いまはダメだわん。邪魔をするなら掴んで放り投げるくらいのことはするわん」
「いやいや、ここからだと落っこちるかもしれんだろう」
「そうされて死ぬのは単に間が悪いだけだわん。私の知ったことではないわーん」
ええ……?
「納得いかないかわん? しかし、現実とはそういうものだわん。崖の淵に立ったのなら、突き飛ばされることも覚悟するべきだわんね。いくらそれがおかしいといっても、突き飛ばされてからでは遅いわん。私はそういうことをいっているのだわん」
「……わかりました、いったんは引き下がります」アロダルは後退していく「でも、あの、あとで相談を聞いてくれませんか……」
「あとならまあ、いいわんよ。さっさと退くわん。これから大事な話をするんだわん、盗み聞きしたら彼方まで放り投げるわんね」
「……はい、それではまた」
そうしてアロダルは速やかに消えていく……。
「さて、邪魔が入ったわん。というかさっきからアージェルがうるさいわん! まったく、あの子はかわいいけど子供だわんね」
アージェル、か……。
そうだ、彼女にこの力は……まずいのではないか……。
「……あんたはともかく、なぜ彼女らにその力を?」
「一緒に見つかったし、ほしいっていうんだから仕方ないわん。私はちゃんと忠告したわーん、これはただの操り人形じゃないし、意思がある。搭乗者のいいなりにはならないものだわんって」
「実際、乗ってる者にはどのような影響があるんだ?」
「さあ……それは彼女らとあの元老たち次第だわん。私はちゃんと忠告したわーん」
いったいどうなるというんだ……?
「……それで、話って?」
「うん、私にはすべきことがあるんだわん。きたるべき時のために、いろいろと準備をするんだわんね。その一環として、ここに国を建てるんだわん!」
くっ……国ぃ……?
いきなり何の話を始めるんだこいつは……?
「ここって、ここ?」
「ここのここだわん。この戦艦を材料にしていろいろつくってあげるんだわん! そして、望む者たちを住まわせてあげるわん! みんな幸福にしてあげるんだわーん!」
幸福……ねぇ?
「……まあ、いい話には聞こえるな?」
「もちろんだわん。それで、お前にも手伝ってほしいんだわん!」
なにぃ……?
「おっ、俺って、俺が、建国の?」
「もちろんエリゼも一緒だわん! あのあれ、プリズムロウだっけ? エリゼたちもいつかは建国したいとか聞いたわんね、だったら目的は合致するはずだわん! あと、あの子もエンパシアだから入れてあげるわーん! ライバルだからって意地悪しないわんね」
エリのことなら別にライバルじゃあないと思うぞ……?
それにしても、いきなり壮大な話になりやがったな……。
だが、なんといってもこのミネルウァとやらの力があるんだ、どんな大層な話も妙に現実味を帯びてくる……。
「……で、黒エリとかはともかく、なんで俺なの……?」
「お前には特異な力があるわん! どうにも不吉を避けられるとか」
不吉だって……?
「いや、どっちかっていえば予知的なものだと思うが……」
「じゃあ、とりとめのない未来も見えるわん? 明日の天気とかバッチリ当てられるわん?」
ああ……いわれてみればそういうのはわからないかも……。
というか戦闘時にしか使ってなかったしな……。
「でもなんでまたそんな話になっている? 誰かに入れ知恵されたんじゃないのか?」
「ミネルウァから聞いたわんね」
「その、巨人が……?」
「なんかお前の前世と知り合いらしいわん」
マジかよ……!
というか本当なのかよ、前世いっときゃ信じるだろ的なアレじゃあなかろうな……!
「証拠とかあるのかよ?」
「そんなもの知らないわん。そうだからそうなんだわーん」
それじゃあただのゴリ押しじゃねぇか……!
まあいい、あんまり否定しまくって無闇に空気を悪くしたくないしな……話を合わせようか。
「……で、俺の力ってこう、我が身に起こる危険? 不吉とかをさける力だって……?」
「ひいては他者の不幸をも祓うとされているわん! お前、なんか黒い獣が見えて、そいつらに〝不要因子を殺せ〟とかってせっつかれてるらしいわんね?」
なにっ……? なぜ、そのことを知っている……!
「……誰から聞いたっ?」
「だからミネルウァだわん」
くっ……かなりそれらしい証拠あるじゃねーか……!
巨人はさらに顔を近づけてくる……。顔の水面が俺の姿を写し、波立っては背後に黒い獣たちが映るっ……!
しかし、振り返ってもそれらはいない……。
「それこそが不吉の影だわん。かつて存在したある男の有していた能力で、超感覚により周囲の状況を分析し、危険をいち早く察知するという力らしいわんね」
「そんな力が……」
「なぜお前に継承されているのか? さっきもいったけどお前の前世だからだわん。その魂がアイテールに記憶され、お前に引き継がれてるんだわんね」
「……ゴッドスピード」
「ああ、そんな名前だったわん。そしてその特殊能力を使い、その男はオートキラーと呼ばれる殺人機械兵士たちを倒しまくったって話だわん」
「まさか、軍隊蟻?」
「わからないけど、人間を発見次第、問答無用で殺す存在だったそうだわん」
……うん? そうならあれらは違うのかな? あくまで攻撃されたら報復するって感じだったようだし……。
「まあそれはいいわん。で、その男は当初こそ影を利用し敵を倒していたんだけど、そのうち影そのものを消すことを考え始めたんだわん。そうすれば、真に世が平和になると考えたんだわーん」
「なるほど……?」
「そうして試行錯誤しているうちに、ある概念に注目することになったんだわん。それこそが〝間〟だわん」
間、ねぇ……。
「平和の極意は間にあると考えたんだわん。見るわん、この地にはその象徴が無数にあるわんね」
なんだって……? まるで……ワルドがいっていた話のような……。
しかし、その象徴って……。
「自然、草木……?」
「そうだわん! お前は話が早くて助かるわーん! そこに明確な答えがあるわん! 万物は間においてその存在を高め合うわん! それこそが美であり、善であり、真でもあるのだわん!」
「まさか、不要因子とは……」
「単純に、間の悪さのことなんじゃないのかって話だわん! 適切な間を取れないものを排除しろって話なんだと思うわーん!」
おお……? そう、なのかな……? よくわからないが……。
「……で、それがあんたと何の関係がある……いや待て、まさかシン・ガードの目的とは……!」
「そうだわん! 我々はいわば、間の裁定者なのだわん!」
裁定者ねぇ……。
「だが、遺物がどうのこうのという話だったのでは……? ある領域から外へ出さないようにするなど……」
「目をつけたものは何でも外には出さんわん。遺物だからではなく、遺物にそういうものが多いだけの話だわんね! だから生物だってその範疇に入るわん! お前もそのうち出られなくなるかもしれんわんね……!」
なんだとぉ……?
「そんな、馬鹿な……!」
「安心するわん、裁定の間はどんどん広がっているわん。やがてはこの星を包むわーん!」
「し、しかし、漠然と間とかいわれても意味がわからんよ」
「それだけ真理に近いんだわんね!」
そのとき、シルヴェの声音が変わる……!
「だがいいだろう、真なる善き間を語るのは至難なれど、幸いにして我々は人間、間ならぬ魔の話にはことかかない。本来ならば誰にも話したくなどないが、我々に必要な間のために、お前にはそれを体験してもらう必要がある」
「なに、体験……?」
ミ、ミネルウァの顔が輝き始める……!
「彼の地アルカディアはどこまでも遠く、それは人々の胸中に取り残されたまま忘却の海へと沈んでいった。いまこの瞬間、どこかで不幸に身を焦がしている者のことを想ったことはあるか。それがただの妄想であったらどれほどいいか」
光が……!
「人は犯した罪を償わなければならない。だから私はここに残る。そう選んだんだ。たとえ他に誰も残らなくとも」
「なに? 何をしようとしている……!」
周囲が、突如として吹雪き始めたっ……? きっ、急激に気温も下がってくる、なんだ、馬鹿な、まさかミネルウァの力なのかっ……?
そして吹雪がっ……! さっ……際限なく強くなってくるっ……! しかし、これはおそらく幻覚か……?
だが、この寒さはなんだ、全身を殴りつけるこの冷たいものは……とても夢とは思えない……!
まさか、天候を操っている……? これは現実なのかっ? ふ、ふざけるなっ……! マジで何も見えないぞっ……! 暴力的な寒風、空気が尖っている、顔が痛い、足元ではとっくに深く雪が積もっており、足を取られる……!
「シルヴェ! シルヴェエー!」
……どこからか、声が聞こえる、子供の声……!
「誰かいるのかっ……!」
「シルヴェーッ!」
声の方に向かって歩くしかない、しかし、足が……! まともに動かなくなってくる……! これは、このままでは、でも、動かないと死ぬかもしれない……!
ヤバい……! 足の感覚がなくなってくる、た、助けが必要だ、だめだ、とにかく走れ、動かなければならない、声に向かって……!
しかし足がまともに動かない、だが動かさなければ凍死するっ……! 急がないと、声のする方へ……!
「シルヴェェエエエーッ!」
……声が近い、そして、明かりだっ……? うっすらとだが明かりが見える! 点々と見える、なんだここは、どこかの町なのかっ……?
そして背の小さい……人影、子供か、懸命に叫びながら走っている……!
「待て、待ってくれっ……!」
「シルヴェエエエエエーッ!」
待て、待ってくれ……! いや、ここが町なら周囲には家だ、明かりがはっきりとしてくる、助かった……!
それに、ある窓辺に子供がいる、かなり分厚い防寒具を着ているのか、その姿は丸っこい……!
「おっ、おう君……! そ、んなところに、突っ立っ……!」
くそっ、口もまともに動かない……!
ふと、子供は膝を折った。なんだ、力尽きたのかっ? 急がないと……!
体が、服が凍っている、ろくに動かない、だがあそこへ行かないと……!
「……んな、ころに、やく、家の……!」
子供は動かない……。俯いている……?
「お、おお、おい……!」
見ると、その子の側で、別の子供が倒れていた。
完全に、凍りついている……。
「お、おぃ……」
とにかく家の中へ、家の……窓を叩くと雪が崩れ、窓を擦って霜をとると、その中では……パーティ、誕生会……?
気づくと、凍死した子を引きずっていく姿が……。
「お、待って……家へ……」
ただ、黙ってその子は引きずっていく。
その姿はすぐに吹雪のなかへと消えていく……。
「極寒の夜に帰ってこない友達を探して、あてもなくさまよった挙句に、明るく温かな窓の下で彼女が凍死していた姿を目の当たりにしたとき……それはすでに明らかとなっていた」
……なんだ? どこからか声が……。
ダメだ、命が削られていくのがわかる、このままでは……。
「私はあの子を引きずっていった。なかでは誕生会をしていたから。そんな日に窓辺の下で同じくらいの子が死んでいたとわかったら、きっとあの家の子が深く傷つくだろうから」
……懸命に窓を叩くが誰も気づいていない、ガラスを割ることもできない、ダメだ、体がもたない……!
「あの子は気を遣ったんだろう。浮浪児が訪ねては気を悪くするだろうから。でも、その日はあの子の誕生日でもあったんだ。私たちが自分で決めた誕生日」
動かないと……しかし、足が、体が動かない……!
「私だって気を遣ったんだ。なんでも持っている知らない子のために友達を引きずっていった。そのとき、それはすでに明らかとなっていた」
シルヴェ……助けてくれ……!
く、口も動かない……!
「悲しい、あの子が死んだことが悲しい。哀しい、そのことを隠さなければならないことが哀しい。かなしい、気を遣った私たちはかなしい、かなしい、かなしい……」
だめだ……。
倒れ、雪に埋もれても……もはや寒さを感じない……。
このまま死ぬのか……。
「……あの死の帳尻はまだ合っていない。あの子は特別だったんだ。雪より綺麗な髪をしていた。心が、心が綺麗だったんだ。私が笑うとあの子も笑った、私が泣くとあの子も泣いた。きっとあの誕生会があんまりにも幸せだから、あそこから離れたくなかったんだ。あんな吹雪の中なのに、私が、私があの子を守るはずだったのに……」
……シルヴェ……。
「それは、遥か以前より明らかとなっていたんだ……」
◇
……あれっ? 俺は……。
起き上がると、ミネルウァ……だ。変わらぬ姿勢で、たぶん、俺を見つめている……。
場所も、もとの草原……もとい甲板……。
「人は悟ったかのようにいう。世界は孤独に満ちているが、それで善いと。あることがあるのみだと。しかし誰しもあの寒さを前にすれば、それが大いなる過ちだと気づくだろう」
「げ、幻覚……か」
「そう。しかし、いつでも死はそこにある。空虚と無関心の死が……」
「シルヴェ、あんたは……」
……あの子は、シルヴェの名を叫んでいた。
それならば、凍死していた子の名前が……?
「森羅万象の奔放なふるまいに翻弄され続けた我々は、いつしかそれをすっかりと許容化し、当然たる人界へのありようとして持ち込むまでとなった。そして国境、領地、私有地、家、壁という隔絶はやがて犯罪や戦争を定義したが、なぜだか我々はそれらを抱擁しようとはしない。しかし、それはずっと前から明らかだったんだよ」
なに……?
「……何を、いっている?」
「太陽光は是非もなく降り注ぎ、また遮られる。その結果がどのようであろうともそれは何の感慨も抱かない。善悪がないとはそういうことだ。そのあるがままの現象が我々に納得させているのさ、大いなるものによる行為は受け入れる以外にないと。そしてそれに生かされている我々の運命もまた……摂理の環において意味などないのだと」
巨人が、ミネルウァが立ち上がる……!
「しかし、人はよく泣き叫ぶものだ。おお可愛らしい人の子たちよ。楽園からの追放とはすなわちそういうことではなかったか。人が人であることのアゴニー。かつてそれは罪と呼ばれたが、その自嘲はまた、神への渇望によるものなのか」
シルヴェ……本当にシルヴェなのか、彼女は……?
「それで、ここに国を……?」
「当分はアイテールマタを用いて、ここを中心に人類社会を再構成する」
「……そして、俺も、か……?」
「そう、ぜひにでもその力を貸してもらいたい。人類のために」
理想は高く、あるいは本当に人類にとって有益な試みなのかもしれない……。
しかし……。
「……断る。俺は近いうちに中央へゆく。いつまでもここにはいられない」
「そうか。しかし、これだけは覚えておきなさい。ここがもっとも安全な場所、最後の安息地なのだと。そしてその地を守る庇護者が誰なのかを」
ミネルウァはふふふ、と笑う……。
「話はここで一段落だ。さあ、今日のところは人界の藻屑へと帰るがいい。そこがお前の居場所だと本当に思えるのなら……」
……俺が帰る場所は……。
「……これより、ここで戦いが始まるかもしれない。そうなったらあんたはどうするつもりなんだ?」
「邪魔なら掴んで投げ捨てるよ」
そしてまた、彼女は笑う……。
……敵ではない。むしろ味方といっていいのかもしれないが……安易に手は借りられない、な……。
おそらく可能だろう、助けてほしいと懇願すれば彼女は下の連中を蹴散らし、クラタムらを死なない程度に痛めつけ、ひとまずは解決の形に収めることはできる。
しかし……それはできない。勝手に庇護者を名乗る者への抵抗感か、借りをつくることへの懸念か、あるいは……。
……では、クラタムらの命を救う手段を俺の個人的な感情で手放してしまうのか?
……それで、いいのか……?
庇護者を名乗る女神はまた座り、じっと俺を見つめている……。
……いや、だめだ。これから単身で中央へ向かおうとしている男が、どうして女神に助けを懇願できる? そんなことはしたくない。
そう……いいではないか。彼らは戦士として戦う道を選んだ男たちだ。その意思において結果、命を失うことに何の矛盾がある?
もちろんアリャには義理がある。だからこそ、善処するのは当然、ベストは彼らの生存だろう。
しかし男はよく争い、死ぬものだ。そういうものである以上、納得するしかないのではないか。
そうだ、それでいい。そう思えばこそ力が湧いてくるというものだ。何も間違ってはいない。
そうだろう? クラタム……!
◇
昇降機を降りようとすると、アロダルが近づいてきた。
「……どうだった?」
「ここで建国をするんだとさ。つまり出て行けといっている」
「建国……?」アロダルはうなる「それで、私たちを助けてくれると思う?」
「さあてな。邪魔をするなら投げ捨てるといっていたが、どうやら本気らしい」
「つまり、敵をここまでおびき寄せれば……」
「そのときはあんたがまっさきに放り投げられるかもな」
アロダルは腕を組んでまたうなり「それで、勝算はあるの?」
「ない。あるわけがない。出たとこ勝負だな」
そして彼? はため息をつき、
「そうだよね……」そして甲板の方へ歩いていく「じゃあ、まあ、だめでもともと、頼んでくるよ……」
……さて、こっちはこっちで一応、説得でもしてみるか。
そうして昇降機で降り、クラタムたちに最後の忠告をする。
「……クラタムッ! これが最後だ、さっさとここから逃げろ!」
ややして、彼から応答がある。
『それはこちらの台詞だな。巻き添えになっても恨むなよ』
「そうか。ならばもはや何もいうまい」
やはり、奥の手があるようだな。まあ、それならそれでいい……。
そして戦艦より出ると、すぐにマグラスのディモが近づいてきた。
「それで、あの巨人は何といっていた?」
「ここで建国するんだってよ」肩をすくめてみせる「つまり、邪魔だからみんな消えろとさ」
「こい」
ディモの男は眉をひそめ、そしてテーブルの方へと俺を促した。しかし、そこでも伝えることは同じだ。
「……厄介だな」フィンの老人はうなる「しかし、それならなぜ、あのセルフィンどもを排除しない?」
「さあ……。邪魔ならその都度、排除するんじゃないですか?」
「ふん、わかった、さがっていい」
なんか勘違いしてやがるなこの爺さんは……。
まあいい、くだらんことで波風立てる必要もないだろう。
そしてみんなのもとへ向かうと、なんだっ? 急に耳がよくなった……じゃない、この装置のせいか、テーブル席の声が聞こえてくるぞっ……?
誰の仕業だ、ゼ・フォーか……? 会議の内容が聞こえてくる……。
「例の装置は移動が可能なのか?」
「わからん。あれはアイテールマシンだ、どういうつくりになっているのか不明なのだ」
「といっても、しょせんは機械なのだろう? 解析はできていないのか?」
「できていたらアイテールの謎も解けていることになる。つまりはできていない」
「そもそもだ、我々は協定の上、あれの使用は避けてきた。どうせ使用しないのならば、ここでいっそ破棄してもかまわんのではないか?」
「一理ある。仮に移動するにしても、どこへ移すというのか。落としどころを探るにしても時間があまりにもない」
「待て、そもそもの話をするなら、移動も破棄も危ういのではないか? パムがどのような反応をするのかわかったものではない」
「たしかに。いっそのこと、パムに返還すべきなのでは?」
その言葉に、面々が揃ってうなる……。
「……彼らは見ているのか?」
「わからないが、その可能性はある」
見ている、だと……?
「感知不能なのか、何をしても」
「現状では……困難だ」
「それより、彼らはこだわっているのか? あの装置に。だとしたら移動はまだしも、破棄は危険ではないか?」
「はっきりいわせてもらうが、あれは我々の良好な関係を脅かす爆弾であったと思う。パムのことを考えてもな。やはり、ここで破棄してしまった方がよいのではないか?」
「まさか、あれのことを忘れたのか、このタイミングはいかにも不自然だ、警戒すべきではないのか」
「そうはいっても、あれを墜とすことは可能なのだろう?」
「わからん、軍は難色を示している」
「攻めてくるのならやるしかあるまい」
「ともかくセルフィンたちの排除が最優先でしょうな。装置のことはそれから考えましょう」
「その際に装置が破壊されてしまう懸念がある。なのでここで一応の採決をとりたい。あれの喪失を受け入れる準備がおありな方は挙手を」
……挙手とはいっているが、実際の行動はグラスを動かすことらしい。
「……賛同をしなかった方々は、あくまで返還を視野に入れていると? よく考えていただきたい、それでは非を認めたことになってしまうでしょう。賠償を請求された場合、厄介なことになりかねませんぞ」
「彼らが政治に興味があるとは思えませんがな。それにこれまで戦争行為をしていない実績もある」
戦争を、していない……?
「パシフィスト・パラダイム、か……」
「しかし、彼らを素朴な狩猟民族と考えるのは軽率ですぞ。相当に地下に潜っているらしい。極めて強力な兵器を多数、発掘していてもおかしくはない」
そして老人たちはまたそろってうなる……。
「つまりだ」おっと、ゼ・フォーだ「彼らがあそこで危険を冒しているのはパムへの敬意と畏怖によるものなのだ。パムは政治にあまり理解を示さない。下っ端の動きよりその行動の背景を察するということをしてくれないのだ。それゆえに、ああして権威者が前に出て虚勢を張る、などということをしなくてはならない」
「そうなのか……。単に軽んじているのかと」
「パムはとどのつまり狩猟民族なのだが、それを田舎者や原始人と解釈するのは非常に愚かしいことだ。知性とは己が何者かを知ることといってもいい。そして何者かを知る者はしばしばとてつもない力を発揮する」
「何者か、ね……」
「二十八年前、彼らはパムがよく潜っている、通称〝虎穴〟の入り口を占拠したことがある。そのとき、かなりの手練れを約三十人ほど揃えていたが、ものの数日で全滅した。大量の獣が襲撃したとされているが、我々はその中にパムの聖戦士が混ざっていたと考えている」
「……聖戦士?」
「パムにおける法の番人であり、外敵を排除する要でもある。おそらく凄腕の暗殺者なのだろう。たとえばソ・ニューのような」
ニューだと?
「……彼女は暗殺者ではない」
「同様の力を有するパムと敵対するのはかなり怖い。殺意を抱いた凄腕が我々の社会に一人でも侵入したとするなら、その人的被害は想像を絶するだろう」
「それはともかく……パムがここにいるのかもしれないというのは?」
「ああ、気配断ちの練度からして知覚できなくともおかしくはないし、あらゆる機器を駆使して探そうとするのも敵性行為と解釈されるかもしれん」
「詳しくないが、あそこにいるのは相当なお偉いさんなんだろ、大丈夫なのかよ」
「先にもいったが、危険だからこそ意義がある。まあ、彼らが生きて帰れることを祈ろう」
「いや、パムの仕業にしたい勢力はいないのか?」
ゼ・フォーは聞こえないかのように話題を変えた。
「それにしても建国とはな。面白い」
「……面白がっている場合か? あんたの教え子だろう、よく槍玉にあげられないな」
「記録に残っていないからな。わかるかね、誰も知らないのではなく、興味がないのだよ。そこに亡霊が宿るのだ」
「そうかい……」
「人は何を知らないのか知ることはできるが、興味のないものは知っていても意識にのぼらない。どれほど重大なことであったとしてもな。それは心理的盲点だよ」
「へえ……」
「たとえば、あるレポーターは最前線の現場を追いかけるというていで番組を構成しているが、なぜだか何も起こっていない現場に突撃することがよくある。それを大半の視聴者は彼女らしいミスとして笑うが、それからしばらくして、その場で何かが勃発するケースが散見されている」
「……先回りしている?」
「そうだ。実は逆で、彼女の向かう先が最前線になっている可能性がある」
あいつの行き先がなぁ……?
「しかし、どうやればそんなことができる?」
「そのレポーターがエンパシアだとして、ありとあらゆるものより共感をし、漠然とでも次に何かが起こる場所を読めているとしたらどうだろう」
まさか……? さすがにそこまで……いや、あいつならあり得るかも……?
「あいつは何者なんだ……?」
「調査中だが、家系は特殊なようだな。修羅場になるぞ」
「ああ……」
事情を聞くほどにそれは間違いないように思える……。
「それより、あの子は具体的にどうすると?」
「よくわからないが、理想の社会をつくるためにアテマタを使うようなことをいっていたよ」
「そうか……」ゼ・フォーは頷く「あの子ならきっとやり遂げるだろう」
「……俺にも手伝えとさ。断ったがな」
「なんだと、なぜだ?」
「なぜって……中央に向かうから」
「それならば、なおさらあの子に恩を売るべきだろう。あの力があれば、おそらく深部にまでいける」
「俺はただ……奥へ行くだけだ。自分の力で」
「遺物やこの世界の秘密を手にするつもりはないと?」
「あんた自分でいっただろう、俺にしがらみがあるって」
「……たしかに、奥へ向かえば誰も追ってはこないな。命の保証もまるでないが」
「そんなもの、どこでだってありはしない」
そうしているうちに会議が終わったらしい。老人たちは立ち上がり、こちらにやってくる。
「採決は終わった」セルフィンの老人だ「これより突入部隊を選抜する」
「……選抜だと? 奴らがするのか」
「黙って聞いていろ」
しかし……それに選ばれなきゃ意味がないだろう。勝手に動けば、ここの奴らを敵に回すことになる……!
「デアトル・オ・ワムダ、バク・ズィー、アドトス・ヨムン、ロイジャー・メック、イリオ・リダ・ピーウィ、そしてレクテリオル・ローミューン……」
なにっ? 俺が呼ばれた……?
「君は私が強く推薦しておいた」
「あんたが……。それで、他の奴らは……」
「無論、どれもかなりの凄腕だよ。奴らを相手にどこまでできるか、拝見させてもらおう」
「ああ……なるべくうまくやるさ」
そして俺はまた、戦艦の入り口へ。集まった六人は自然と自己紹介の流れとなる。
「デアトルだ。マグラス所属」
あいかわらず存在感のあるマグラスのディモだ。やや爬虫類っぽい雰囲気はディモの特徴か。よく見れば素肌が細やかな鱗に覆われており、大方に土色だが、光の加減で美しい光沢が現れる。毛髪は灰色だがところどころ赤く、どこか羽毛っぽい。黒と白の戦闘服を着ているが、そのシルエットが大きく隆起した筋肉を隠しきれないでいる。
「バク・ズィー。エクステリオン所属」
エクス、テリオン……?
黄色い体毛をもつギマの男だ。緑色の戦闘服に身を包んでいる。
「アドトス。ハードウォール所属」
また知らない組織だな。このギマやウォルは軍からやってきているのではないのか?
青っぽい体毛のウォル、黒い戦闘服を着ている。
「ロイジャー・メックだ、よろしく。ストームメン所属」
やはり知らないところだ。そして彼はフィン、ぼさぼさの金髪で、なんか青い眼鏡のようなゴーグルのようなものを装着しており、白い戦闘服姿だ……。
「イリオ・リダ・ピーウィよ。マ・ステオ・ルン所属。この件においてはあくまで調査が目的なの。邪魔はしないけれど加勢もしない。たぶんね」
ディモの女だ。こちらは白い肌だが、やはり光の加減で美しい光沢が現れる。髪は青く輝き、左右に太い三つ編みだ。これはデアトルも同じだが、首元がとてもふさふさしているのは種族的な特徴なんだろうか。ポケットが多数ついたベストを着ており、どうでもいいが胸がでかい。
そして俺の番か……。
「レクテリオル・ローミューンだ。ただの冒険者」
みな、一斉に俺を見やる……。
「はあ?」イリオは首をかしげる「どうしてただの冒険者がここへ?」
「この中にいるセルフィンが知り合いなんだよ」
「つまり、排除しにきたわけではないと?」
「俺はあいつらを無事に里へと戻したいだけだ。それは排除行為と矛盾するか?」
特に反論はでない。
しかし、ここで立場は明確にすべきだろう。賭けではあるが、ここにパムがいるとしたなら……と、この気配は……!
奥からやってくる……! いたのはわかっていたが、姿を現すつもりか……?
意図があるのは確実か、思えば戦艦墓場へ向かったさいに、最初に現れたのが彼女だったのだから……!
「突撃ぃー! 最前線っ!」
ルナが飛び跳ねながらやってくる……!
ここでパムが姿を現すということは特別なことに違いない。周囲にどよめきが広がる……! 老人たちも、そろって顔を強張らせている……!
「あのあの、突撃、最前線のルナなんですけど、いま、いったい何が起ころうとしているのですかっ?」
あのウォルの男は今回もいない。当然だ、いたらかなりヤバいだろうしな。
記者でパム……。この場において、これほど強力な立場があるだろうか。アロダルはああいっていたが、間違いなく彼らは例の装置を奪われたことに腹を立てている。ここで報復するつもりなのかもしれない。
「ここに何があるというのでしょう?」
誰も答えない。いろいろな意味で答えられないのだろう。
「あっ、レックさんではないですか!」ルナは俺のもとへ駆け寄ってくる「あのあの、どおしてここへっ?」
「なにやら知り合いがいるらしくてね。仲間の希望もあり、無事に連れ帰りたいと思っているんだ」
「そおなんですかー!」
「でも、俺は一介の冒険者でしかない。どうにも複雑な状況らしいが……よくわからなくて困っているんだよ」
「わかりますー! ルナもまるで無知ですし!」
そんなわけあるかい……!
しかし、これは面白いことになってきた。勝ち目が見えてきたぜ……!
「ぜひとも、詳しい事情を聞きたいところだよ」
「そおですよね! まったく同感ですっ!」
なるほどな、俺が呼ばれた理由がこれか。ということはゼ・フォーもこの状況を望んでいる? ともかく、彼女に同調して事実関係を明らかにし、装置を返却せよということらしい……って、ああっ! そうかっ、だからタイミングなのか、あの巨大兵器が出てきたことだっ……!
あれはもともと先代ルナが管理していたものらしい、つまり、そういうものを所有していたという事実の表明がその目的ではなかったか……?
……いや、まてまて、それはさすがに荒唐無稽では? もとの持ち主がどうあれ最近の所有者はクルセリアだったし……。
でも、タイミングがあまりにも……。実際、各勢力のお偉い方が明らかに危険な会合をここで開いているし、そうしようと考えたのはパムへの敬意もあったろうが、なによりあの巨大兵器の出現でビビッたからでは?
クルセリアはパムとも関係がある? パムはセルフィンとも関係があり、セルフィンはクルセリアと……。
こいつは……なんだ、ぜんぶ仕組まれてたって? 曖昧かつ日々変化し続ける人間の想念を読み取って、この状況をつくりだした?
最初からパムの装置奪還計画だった? いやいや、ことは甚大だ、外界の元老も噛んでいるし、ゴッディアは滅ぼされた。巨大兵器がクルセリアに譲渡されたのは三十年も前、そこから計画が始まり……なんて、そんなことできるのか……?
……だが、あの装置はシンにお伺いを立て、予言ができるらしい。だとするなら、装置がパムの所有であったときに、すでに奪取も予言されていたのでは……? もしそうなら、この計画だってとっくに立てられていても……。
ふと、隣のルナを見やる。彼女は大きな目を瞬いて小首をかしげる。
メランコリーヌ・ルナティックス。
意味はおそらく、憂鬱と狂気……。
妙に不吉な名前だが、それは最近起こっている事態に潜む背景そのままではなかったか……?
しかし、このルナからはおかしな邪気は感じない……。その名前も世襲されたものだという。
いったいなにがどうなっている……? だが、どのみちこれは好機に違いない、このままいくしかないな……!