血潮より熱く、死体より冷たい
野生と人間性の違いを端的に語るために重要な概念が〝隙〟である。
野生においては隙を突く行為は基本であり、より狡猾に騙しおおせる能力が重要となるが、人間社会ではそうはいかない。そのような行為は卑怯と罵られることが常であり、たかが言葉尻の問題ですら人間関係を悪化させ、その立場を悪くする要因となる。
なにより犯罪の本質とは隙を突く行為にある。窃盗、暴行、詐欺、そのすべてが隙を突く手法に執心され、当然ながら健全な社会生活を営む人々に嫌悪されている。
しかし人間もまた広義では野生の一員、隙を突くやり方を好む性質は否定できない。特に遊戯などでその本質は強く発露され、ルールに則って隙を突き合う行為はまるでじゃれ合う虎子のごとく微笑ましく、また熱中させるものだ。
私とレクお兄さまの関係もそれに類する触れ合いによって深まった。私のために隙を晒し、それを突かれることをあそこまで許容してくれるなど、愛なくては成立し得ないことだ。
それにホーさまやテー、お姉さままでもが私を愛してくれている。私も皆を深く愛している。要たる主も我らの愛を祝福して下さっているに違いない。
ああどうか、今後もこの輝ける環が続きますように……。
◇
森を抜け見えてきたのは見覚えのある高い塀……! ああ、ついに帰ってきたぜ……!
みんなは無事だろうか? 宿で待っていてくれたらいいが……。
そして正門までたどり着くと、ぞろぞろと警備兵が数人、姿を現した。なんだかものものしい雰囲気だな……って、銃が向けられる……!
「えっ、なんだ?」
「登録者か?」
登録者……確かにそうだが……。
「ああ……」
「こちらで確認を済ませる」
そうか、あの襲撃のせいだな、あれが契機となって出入りに厳重な確認作業が必要になったんだ……。
「おいおい、やめろ」
奥から現れたのはここへ初めて来たとき最初に出会った門番だ。よかった、彼は生きていたんだな。変な銃を売っていた男は死んじまったしな……。
「彼は功労者だろう、顔は覚えておけ」
そして彼は頭を掻き、
「申し訳ない、先の事件でピリピリしていてね」
「いや、事情はわかるよ」
「いま今後の制度について話し合っている最中だが……どうなることやら」
「制度……」
「うん、例えば得物は宿内への持ち込みを禁止にして別途、保管所を作るとか冒険者を免許制にするとか……」
……ええ? そこまでされると途端に面倒臭くなってくるなぁ……!
「どうせボーダーランド内じゃなんでもありだ。宿だけ規制を厳しくしても仕方がないし、おそらく内外の警備を増やすといったところで落ち着くとは思う。それはともかく中へ入ってくれ。ようガークル」
「おうよ」
おっと、二人は顔なじみか。そりゃそうだ、こいつは地下の施設にすら……。
……あれ、そういやあの件はどうなった? 俺たちは宿の敷地内へ招かれる。
「……ガークル、地下施設のことってあの後どうなったんだ?」
「詳しくは知らねぇな。兵器開発部門の存在は一部にバレたらしいが」
そうか、ある程度は周知となったのか。
「いまの管轄は?」
「同じじゃねぇの? 地上も地下もようは元老院のもんだろ。親会社でドタバタが起こっても、子会社はそのまま運営するしかねぇこともあるさ」
ふーん、そういうもんかね。
しかし、ということはあの爺さんも割と安泰なのかな? 少なくともレオニスはああいう研究者を軽んじたりしなさそうだしな。
そして宿へと向かうと、ちょうどアリャが出てきた。髪型が変わっているな。三つ編みのおさげになって、赤いリボンがついている。
そして彼女は階段のところに座り、大あくびをした……ところでふと、こちらを見やる。
「よおアリャ、変わりないか?」
アリャは大きな目をさらに大きくし、次の瞬間、抱きつくというか、タックルが飛んできた……! あまりの威力に思わず倒れてしまう……!
「レック! チョオオオシンパイシタァン……!」
「おっ、おお……!」
再会は嬉しいが地味に重い一撃だったぞ……! アリャは顔を上げ、
「デモ、ブジダッテハナシハキイテタ」
ああ、レオニスの伝令がいち早く伝えていたんだろう。レキサルがウニャムニャとアリャに語りかける。
「特に事態は急変していないらしい。ただ、例の巨大兵器は上空へと消えたとか」
「そうなのか?」
「いまでは空に小さく見える程度らしい」
ということはかなり高くにいるんだな……。
「それで、みんな無事か?」
アリャは目を瞬き、
「ウ、ウン」と頷くが……なんだ、歯切れが悪いな?
「どうした、何かあったのか?」
「ウン……」
「シフォールがちょっかいかけてこなかったか?」
「ウン? シフォー……」
「戦いがあった?」
「アア、ソーイウノハナイ!」
そうか……。
戦いがなかったのはよかったが、ここまで動きがないとなると……それはそれで嫌な予感がするな。皇帝がフェリクスと一緒なのは奴にとってかなり面白くないことのはず。なのにそれを我慢しているってことは相応に理由があるはずだ。入念な罠を仕掛けているとか……。
「デモ、ソレニチカイ、ヤバイ!」
……なに?
「どうした、近く勃発しそうな感じか?」
「スッゲー、ヤバイ!」
「やばいのは分かったが、具体的にどうしたのよ?」
「レクヲ、サガシニキタ! スッゲーヤバイケハイノオンナ!」
やばい気配の女……?
「アイツ、チョオオオオオヤバイ! ブチコロス!」
まさか……。
「……名前は聞いたか?」
「エジルナントカ!」
エ、エジーネ……!
やはり、来たか……!
「ニァー!」その時、アリャがガークルを見て声を上げる!「オマエ、ナニシニキタ!」
「ああ? いやオレは……」
そうだな、アリャにとっては敵のまんまだもんな。事情を説明してなだめていると……またドアが開いた。
「やっぱりレクさん!」おおっとエリか……!「話には聞いていましたが、よかった、ご無事で……!」
彼女はにこやかに駆け寄ってくる。変わりはないみたいだな。
「ああ、俺たちはなんてことないさ! それより新たな大問題が三つもできた。ワルドがクルセリアにさらわれ、黒エリが行方不明、そしてあの巨大兵器の内部で大いなる懸念が膨らんでいる」
「えっ、それはいったい……!」
事情を説明すると、エリはうなる……。
「……話を聞く分には、ワルドさんは無事そうですね。少なくとも彼女が殺すことはない」
「ああ、俺もそう思う。殺しも殺させもしないだろう。しかしクルセリアの好きにさせる道理もないし、早めに見つけ出したいところだ」
「確かに……」
「そして黒エリだが……まああれも無事ではあるだろう。戦闘力がケタ違いだからな、どこでも生きてはいけると思う。しかし、俺たちの元に戻ってくるかという話になると事情は変わってくる。最悪の場合、あのまま野生化するというか、この地の一員として好きに生きるなんて事にもなるかもしれない」
「……人格が入れ替わったのでしょうか?」
「あいつの内部で何が起こっているのかは分からない。事態が混迷していたとはいえ、放っておいたのは俺の責任だ」
「そんな……」
輪廻の話もそうだが、変身のきっかけからして俺の行動と無関係ではないからな……。
「……加えて軍隊蟻だか根絶部隊だかの問題もある。上空に向かったのも何らかの準備のためだろう」
「軍隊蟻……ですか」
「それと今後はジニーとガークルが行動を共にする。ジニー!」
なぜか遠目にいたジニーがこちらにやってくる。
「あら、彼女は……?」
「見た目は変わっているけれど、元はあのゼラテアなんだ。ゆえあってまあ、敵ではない。いまはジニーと名乗っている」
「ゼラテア……ジニーさん……?」
「体は機械みたいなものらしいが、実体は一種の……幽霊?」
「それは語弊があると思いますけれど」
ジニーはエリの前に立つ。
「……お久しぶりですね」
そしてジニーは両手を広げる。エリはやや戸惑っていたが、抱擁を受け入れた。
「ごめんなさい、あの時はまるで分からなかったものだから。でもこれからは仲間です。一緒に戦いましょう」
「え、ええ……」
エリは目を瞬く。唐突のことに戸惑ってはいるものの、嫌悪感といった感情はなさそうだ。
「それで、エジーネが宿にやってきたらしいが……?」
「は、はい、レクさんの妹さんだとか……。とても存在感があって、気さくな方でした」
「気さく、だってぇ……?」
「はい。ですが……どうにもアリャやロッキーさんはとても敵視をしていて……。いわくとてつもなく危険だと」
「ああ……俺もそう思うよ。そして蒐集者が同行していなかったか?」
「はい。今度は青い髪の男性に姿を変えていました」
「青い髪の」
「気配はそのままですが、やはり見た目と性格が変わっていました」
また変化したのか……。まあどうでもいいが……。
「それで、エジーネは何かいっていたかい……?」
「よければ仲間に加わりたいと」
なにぃ……?
「そ、それで、君はなんと?」
「……私には断る理由はありませんが、他の皆さんは大反対の姿勢で……ひとまず保留ということになっています」
「というか、宿にいるのかっ……?」
「いいえ、つい先日、お出かけになったままです。それで、どうしますか……?」
いやあ、俺も大反対だな。はっきりいって一緒に居たくない……。
「俺も反対だ。蒐集者はもちろん、エジーネもかなり危険な奴だ。君も近づかない方がいい」
「そう、なのでしょうか……」
エリはなにやら思い耽る。いくら優しいにしても、あいつにまで情けをかける必要なんかないのに……。
「それで、他のみんなは?」
「宿にいるはずですが……ともかくお疲れではありませんか? 中へ入りましょう」
「そうだね」
そうして宿に入るが、ラウンジにフェリクスらの姿はない。
「そういや、フェリクスは?」
「ええ、そういえば最近、あまり姿を見ませんね。宿の中や周辺にいらっしゃるとは思いますが……」
まあ、わざわざ探す必要もないかな……。
それじゃあ、ひとまずは風呂にでも入って一息つくか。長時間、閉所にいたのでのんびり体を伸ばしたいところだ。
そうして風呂に入り、ラウンジに戻ってくるとテーブルを囲んでいるエリたちの姿があった。アリャが機械の腕を凝視しており、ガークルは何だか居心地が悪そうだ。俺は空いている席に着き、
「さて、ワルドや黒エリのことも大変に気がかりだが……いまは手がかりがない。少なくとも生命に緊急性はないと思われるので、目下のところはクラタムの件を優先させようと思う。シンの意思を保有し、戦艦墓場に潜伏しているらしい」
その言葉にアリャは頷き、
「レキサルカラキイタ。クラタム、モウタタカウヒツヨウナイ。ナノニ……ナニシテル?」
「単純に事態が収拾したことを知らないのかもしれない。また、知っていたとしてもその情報を信じていないか、信じていても元老院やホーリーンへの復讐を諦めていないか……」
レキサルはうなり、
「失った里のことを想えば、気持ちこそ理解できるが……」
そうだな……。そう簡単に水に流せるわけもない……。
「ソレニシテモ、デンラ! アノクソバカヤロウ、マタトンデモナイメイワクヲカケヨウトシテル!」
彼は彼でアリャに認められようと懸命なのかもしれないが……。当のアリャからの評価がこれだもんなぁ……。
「ちょっと!」
あいった、背中を叩かれる、ユニグルかよ。
「あんた戻ってきたなら顔くらい見せなさいよ!」
「いやそんな……数日離れてただけじゃん」
「いつ今生の別れになるか分からないのがこの地なのよ! というか通信機壊したそうじゃない、新しいの手渡すからすぐに橋のところに来なさいってよ!」
「おお、そうか……」
なんだ、新しいのくれるのか? 確かにニューやグゥーとかと連絡取れないのは不便だしな。
「分かった、ありがとう」
「ついでに頼んでおいた医療品も受け取ってきてよね!」
そうしてのしのしとユニグルが戻っていく……途中で、唐突に冒険者のおっさんを引っ叩いた。
「ちょっと! 薬ちゃんと飲んでんのっ?」
「のっ……飲んでますや……」
「嘘つくんじゃないわよ! ろくに飲んでないって聞いたわよ!」
「に、苦いし……」
「はああああああっ? そんなの我慢しなさいよ!」
「でも……これ、あまりに苦くて舌が痺れて……」
「うるさいわよ、飲みなさいよ! いますぐ!」
「はぃいい……」
おっさんは懐から粉薬を取り出す……。
「あっ、あんたも!」
「ひっ!」冒険者の女は身を仰け反らせる。
「なんで来ないのよっ? 数日中にまた来いっていったでしょ!」
「いえあの、あの……」
「来なさいよ!」
そして無理やり連れ去られていく……。
他の冒険者たちは一様に俯いている……。有能な医者には違いないし、逆らったらより痛い治療が待っているから文句もいえないのだろう……。
「……というわけだし、行ってくるよ」
エリたちも腰を上げようとするがそれを制す。
「いやいやひとりで行くよ、すぐに戻ってくるから」
「ですが……」
「大丈夫、大丈夫」
そうして俺は宿を出て橋を降りていく。ええっと橋のどこだって? 具体的な場所は聞いていないが……。
周囲を見回していると、突如としてニューが現れた!
「こんにちは、お兄さま」
彼女は手すりの部分に腰かけ、白いローブを羽織っている……。
相変わらずの気配断ちだ、活性していないとまるで知覚できない……。
「わりと久しぶりだな。ごめん、通信機が壊れてしまったんだ」
「ええ、今度はもっと高性能かつ頑丈なものを差し上げます」
そして手渡されたのは二セット……。
「片方はエリさんへ」
「ああ、ありがとう」
エリにもか。まあ二人は相性が良さそうだしな。
「それと頼まれていた医療品です。ユニグルさんへ」
大きめの鞄が手渡される。
「しかし、どうして君が?」
「もののついでです」
「……そうか。うん、確かに渡しておくよ」
そして、ニューは静かに抱きついてくる。再会の抱擁は嬉しいが……しかし、彼女には聞いておきたいことがある。
「……唐突だが、レジーマルカにいたことがあるのかい?」
ニューはふと離れ、俺を見上げる。
「君はいったい? 他者の記憶を消せるとは本当なのか?」
ニューは俺を見つめ、
「なぜ、そのようなことを? どのような不安があるのですか?」
「……いや、さして理由はないが」
「そうですか。ということは、お兄さまに吹聴し、懸念を抱かせた者が懸念を抱いているのですね」
「いっ、いや……」
それは実際、当たっているが……!
しかし、レジーマルカの件はエリの言葉がきっかけとはいえ、あくまで俺の憶測に過ぎない。変に拗れても嫌だし、そこだけはしっかりと説明をしておく必要があるな。
「……いや、レジーマルカの件はあれだ、俺の憶測に過ぎないんだよ。ほら、君はエリや黒エリとさ、かなり深い話ができていたろう? ギマの法についてのさ。だからあそこの言葉をよく知っているんじゃないかって、だとしたらなぜだろうってさ……」
「ああ……なるほど」
「みな大なり小なり言葉の壁があり、齟齬が起こっている可能性があるなんてこれまで思い至らなかったんだ」
「レジーマルカは信仰上、重要な土地ですので幾度も行ったことがあります」
……ギマなのに? いや、とはいえ俺たちの顔にそう大きな違いはないし、その顔も一部隠せばことさら問題はない。寒冷地ではなおさらに。そしていざとなれば彼女は姿を消せる。障害は少ない。
「……君は、ハイ・ロードの実在を信じている?」
「もちろんです」
……復活する、という話はしてもいいものだろうか? 黙っておくのも気が引けるんだよな……。
それに、偉大な人物がこれから復活しようとしているのならば、そしてあの元老が関わってくるのならば……対策は必要なのかもしれない。
とにかく元老は信用できない。世界への暗躍もそうだが、ヨデルを殺したことも引っかかる。彼だってハイ・ロードを愛する騎士の資格足り得たはず。なのに排除するとは、仲違いがあったにしても冷淡に過ぎる。
……奴らは本音では自分たち以外、誰も信用していないのだろう。そんな奴らがハイ・ロードを取り巻いてもよい結果にはならないのではないか?
そうだ、素朴かつ敬虔に信仰する人々の方がよほどふさわしいのかもしれない。まずは彼女に話してみよう。
「……これは確定した情報ではないが、半年から一年後、ハイ・ロードが復活するらしい。ロード・シンの言葉を翻訳した結果のものだそうだ」
ニューは目を大きくする……。
そりゃあ驚くよな……。
……いや? でも、驚嘆するほどではない、のか? 信仰の対象となる偉大な人物なら、もっと慌ててもよさそうなもんだが……。
「……それは、どこまで信用できる情報なのでしょう?」
「……少なくとも、外界の元老たちは信じている。その永い命に区切りをつけるほどに」
「ロード・シンの言葉が解読できた……。シンの意思の件ですね」
「ああ……そうだ」
「ホーさまはなんと?」
「ホーさんはまだ、知らないと思う……」
「そうですか……」
ニューは、思い耽っている。
じっと、何かを考えている……。
なぜ、それほどまでに考える? 信憑性を評価しているのか……?
沈黙が続く……。
風が冷たくなってきた。
今日はこれで別れるかと思い始めたとき、ニューの視線はゆっくりと俺の方へと向けられた。
「……お兄さま?」
「うん……?」
「ひとつ、とても重要な問いかけをしても、よろしいでしょうか?」
ううん……? なんだ一体……。
しかし、重要とくれば拒否することもできないな。
「ああ……いいよ」
彼女は俺の胸に触れ、
「殺人は、悪でしょうか?」
……うん?
なに……?
なんだその質問は……。
……ニューの瞳は俺に向けられ、まったく微動だにしていない。
猫のような瞳が、俺だけを捉えている。
……どうにも、これは彼女にとって、重要な問いかけらしい。
なにゆえ唐突にそんな質問をするのか不可解だし……常識的な返答で煙に巻くことは容易だが……なんだか、そんなことをしてはならないように思える……。不誠実な返答をすれば、きっと彼女の信頼を大きく損ねることになるだろう……。
さあ、俺はなるべく誠実に、彼女に答えなくてはならない。
「……真面目な話をするならば、現象的には善だろう。構造を有している存在はその破壊や崩壊を運命づけられている。だからこそ、殺人という形の破壊をも決定的に否定することはできないんだ」
ニュー、これが俺の答えだ。
そして彼女は……微笑んだ。
その笑みはささやかだが深く、大いなる何かを孕んでいるようにも思えた……。
「やはり、あなたこそが私の……」
そして彼女はそっと俺に近づき、耳打ちを望んだ。
耳を傾けると、長い呪文のような……名前を俺に教えた。
「私はあなたの規範に従います。ホーさまやテー、そしてお姉さまたちと一緒に素敵な家庭を築き上げましょう」
か、家庭……?
いやまあ、一応、家族という話にはなっているが……。
しかし、これは……。
「しかしニュー、先の言葉は……」
「叡智でしょう。叡智は愚者が悪用できるもの、それゆえに解釈や扱いに注意しなければなりません」
「た、確かに、悪用はしてもらいたくないが……」
「でも、あなたは私を信用して下さいました。私は与えられた規範に報いねばなりません」
これは……? ど、どういう解釈をしたんだ……?
「……残念ですが、そろそろ時間です、行かないと」
「あ、ああ……」
「私たちが必要ならばいつでも呼んで下さい」
「ああ……」
「では、また」
微笑みながらニューは消えていく……。
最早、その存在は一切、感じられない……。
風がひと吹きした。
……俺は誠実に答えた、それはいい。
しかし、彼女は俺の意をどこまで介してくれたのだろう……?
空の赤みは深い……。
ぼうっと夕日を眺めていると、下から冒険者が二人、やってきた。身なりはわりとボロボロだ。
「よう」髭の男が片手を上げる「さっき、もうひとりいなかったか?」
……説明するのも面倒だな。
「……いいや」
「まさか、突き落としたりしてねぇよな?」
髭の男は橋の下を覗き込む。
「なに? そんなこと、するわけないだろう」
「この下には結構、死体が転がってるって話だ。取り分で揉めて、安全圏に入ったところでやっちまうんだなぁ」
「そいつは……嫌な話だな」
「いや、勘ぐって悪かった。じゃあな」
男たちは橋を上っていく。
……それにしても、下に死体が? 覗き込んでも木の葉に阻まれ、それらしいものは見えない。
なんだか、気怠くなってきたな……。宿に戻るか……。
そうして来た道を戻っていくと、宿の裏門前にロッキーがいた。
「やっ」
ロッキーは片手を小さく上げ、にっこりと笑んでいる。
「やあ」
「おかえり。なに、ジューに会ってきたの?」
「いや? なんで?」
「いま、あのでっかい骨のある広場近くにいるんだよ」
「ああ、そうなのか。俺はただのお使いだよ。この医療品をユニグルのところへね」
「ふーん……っていうかさ、大変だったらしいね。アタシを連れて行かないからだよん」
「……ああ、そうかもしれないな」
「テリーは甘いからなぁ! しくじったって不思議はないね。そうして事態はどんどん悪化していくのだぁー……ヨッ!」
ロッキーは俺の肩を叩き、意地悪そうに笑う。
「ともかく戻ろうか、今後のことを……」
「ところでさ、アタシたちって前にどこかで会ってるよね?」
……うん? なんだいきなり……。
少なくとも俺にはそんな記憶はないがな……。
「会ってるんだ、きっと。だからかな、髪、伸ばそうと思うんだよね。アタシ、伸ばしたらちょっと波打って、セクシーなんだよぉ? 洗うのめんどいから短めにしちゃってたけど、後悔反省」
髪型ねぇ……。
「テリーも反省すべきだと思うね」
また、冷たい風のひと吹きが通る。
反省、か……。
「そうかもな……」
「髪が伸びたらちゃんと愛してね」
……なに? ぼうっとしていて変な風に聞こえてしまった……。
「……ええっと、何してねだって?」
「ちゃんと、愛してね」
……聞き間違いでは、ない?
「……な、なんだいきなり……?」
「アタシだけじゃない。テリーのこと好きな子、けっこう多いの知ってるよね。きっと前世でちゃんと愛さなかったから輪廻を巡って舞い戻ってきたんだよ」
……前世だと?
どうしたんだこいつ? なんだってそんな……。
「留守番してる間ヒマだったからさ、いろいろ話をしてさ、聞いたんだ、輪廻転生のこととか」
ああ……それでか……。
「……まあ、そういう現象があるかもとは聞いているが、具体的なことは分からんさ……」
「わかるよぉ」ロッキーは肘で突いてくる「すっごい分かっちゃった。おかしいと思ったんだ、ライバル多いし、モテモテですなぁ」
思わずため息が出る。
「……そうなのかな。きっと……単に好いた惚れたの話ではないと思うんだけれど……」
「うん、単純じゃあ、ないだろうね」
「……俺、前世で何か悪いことしたのかな?」
「そうだよ」
そのときっ……! ロッキーの気配が、形容し難い重苦しさをまとい始めたっ……?
驚いて彼女を見やる、すると髪の長い女、ロッキー? 優しく微笑んでいる……。
「やるときにはやらなきゃ」
目を瞬くと元の姿に……。錯覚……?
「数日前にね、宿に女がやってきたんだ。遠目だけど、すっごいゾッとしたよ、とんでもない気配だったから……。そして、もの凄く憎たらしいの、初対面のはずなのに、そう思えて仕方がなかった」
これは、エジーネのことか……。
「アタシ、隠れたさ。見つかったらヤバいって、あんな恐怖、この地ですら感じたことがなかった。だから、殺すなら後ろからってそのとき決めたの」
殺すだと……?
マジでさっきから何をいっているんだお前は……?
「でも、駄目だった。すごく厄介そうなヤツが同行してたから。あれは蒐集者だってね、いま手を出したら逆にやられるって思ったから我慢したの」
なに、手を出そうとしたのかっ……?
「テリーってさ、お母さん殺されてるんだってね? 腹違いの妹に。そうさ、そういうヤツなんだ、あいつは……!」
ロッキー……? こいつは本当にロッキーなのか……?
気配が変わらない奴だと思っていたが、いまは凄まじい憎悪を発している……!
「家族、友人、恋人、あなたが愛した人みんな殺して独り占めするんだ、いつも、いつも……! チクショウ、きっとアタシもやられたんだ! 幸せをブチ壊されたっ!」
なんだ、なんだこれは……!
「……あなたも悪いんだ、あいつがそういうヤツだと知ってて躊躇していた! いつもそうだ、悩んでる内にヤツが終わらせてしまう!」
ロッキーの瞳が灼熱に燃えている……!
……だが突然、優しい表情になった。その変化にこそ背筋に戦慄が走る……!
「うん、わかってる。それがあなただもん。アタシがしっかりしないとダメなんだよね」
ロッキーは帽子を脱いで、じっと俺を見つめる。
「みんなで殺すから。いいよね?」
殺す……。
「よってたかって殺すからね。まさかだけど、こんなときだけ邪魔なんかしないよね?」
エジーネを……?
「……ま、待て、話があまりに急だし突飛だ、それにあいつが母さんを殺したという確証は……」
「はっ……」
ほらきたといわんばかりにロッキーはため息をつく……。
「いいから、アタシたちに任せてよ。あなたの復讐も果たしといてあげるから」
……いつも、
いつもそうだ……。
あいつが関わってくると、なぜだか不気味な結末に辿り着く、周囲の人々がおかしくなっていく……。
あの黒猫だって突然、いなくなった……。
母さんも、あいつが殺したとしても何ら不思議はない……。
ロッキーの件も、口では否定できても、輪廻が絡むといやに真実味を帯びてくる……。
そしてそのとき、唐突に確信を得ていた。
そうか、やはりそうなんだ……。
俺の女難は、俺自身に端を発していたわけではないのだ……。
本当に縁があるのは、彼女たち……。
恐るべき悪縁が、復讐の怨念が……彼女たちを引き寄せている……。
俺は……その実、動機づけの舞台装置に過ぎないのかもしれない……。
彼女らの戦争のための……。
背筋を悪寒が撫でる……。
……嫌な感じだ、とても……。
いくら逃げても、あいつは俺を追ってくる……。
追ってくれば、みんながあいつを狙い始める……。
あいつが殺される? 俺はそれを黙って見ている?
母さんの仇だったらそれもいい?
それとも自身の手で結着をつけたい?
俺は……。