帰還の旅
気付くと部屋が暗い、いや少し明るい、ランプのような形の照明が乗っているテーブルの上に透明なケースがある。
その中にはトレイに乗った食事があり、手を触れると『温めますか?』と表示が浮かんだので、肯定のボタンに触れる。するとガラスが一気に曇った。なるほど温めているんだろう。
しかし、扱えれば何でもいいのかもしれないが、仕組みがわからないままというのもあまりスッキリしないもんだな……。
その間に上着などを脱ぎ捨てる。今日も散々動き回ったからな、あまり清潔ではないだろう。用意されていた下着に着替える。
ややして完了の表示が出た。ケースを開けるとなるほど暖かい食事が出来上がっている。パンと肉や野菜の簡単な食事だ。
……そういや、ジニーがいないな。まあ、本体は幽霊みたいなものだし、出たり引っ込んだりするんだろう。
時刻は深夜の一時を回っている。けっこう眠ってしまったな。
暗い部屋と小さな明かり。食事を済ませ、静寂に耳を傾ける。
そして、昨日のことを、奴のことを思い出す。
……奴の言い分、あれは何だったのだろう?
愛という言葉に反感を抱いていたような口ぶりだったが……。
奴にはそれが理解できなかったから嫌悪していた? しかし、俺とて理解しているとは胸を張れない。ただ何となく……。
そんなことをぼんやりと考えていると、また睡魔がやってきたのでベッドに寝そべる。
みんなはどうしているだろう。ワルドは諦めていないだろうか。
……そういや黒エリ、ニプリャは? あそこに残ったままなのか? 戦闘力的に無事ではあるだろうが、ニプリャのまま好き放題ボーダーランドを動き回られたら……あるいは長期間、見付からないかもしれない……。
すべきことは多い。クラタムたちを連れ帰り、シンの意思を取り上げること。犠牲魔術の呪いを解く方法を見付け、ワルドを奪還すること。ニプリャの捜索、フェリクスというか皇帝の件もある。
そして……あいつがここへ来ているらしい。たかが小娘に何ができると思ったが、嫌な予感がする……。蒐集者の奴が同行しているのではないだろうか?
いずれにしても、あいつは現れる。必ず俺の前に……。
……どうすべきか。答えは出ない。
しかし、どうにかして出さねば……。
……ふと、気付くと寝起きの感覚、部屋が明るい。
「おはようございます」
見るとジニーだ……。
「ああ……」手早く準備をし「いま、何時だ?」
「朝の五時過ぎです」
うん……?
「なんだ、その口調……?」
「わたくし、優雅さが信条ですし」
「へえ……」
なんだかよく分からんが、分からんのはいつものことだし、まあいいか……。
「よし……いくか」
そしてまた格納庫へ向かうと、すでにレキサルが待っていた。入り口が開いており、なるほど小型の車両が用意されている。
「よし、いくか」
「ああ、その前に」レキサルはジニーを見やる「彼女も同行を?」
「もちろんですわ。私は彼の弟子のようなものですし」
ジニーはおしとやかにカーテシーをする。
また訳の分からんことを言い始めたが、もういちいち指摘するのも面倒くさいな……。
「よし、じゃあ……」
そして運転席に座ると肩を掴まれた。……ガークルだ?
「……なんだよ?」
「テメエ、運転できんのかよ?」
できるかって、そりゃあ……。
「してみるけど……」
「してみるってあんだよ!」
「あんだよってあんだよ?」
「事故られたら迷惑だろーが!」
はあ……?
「え、なによ、お前も乗るの?」
「ああっ? 当たり前だろボケかテメエ!」
「えっ、お前これからどうするつもりなんだよ?」
「仕事だよ! テメーらの手伝いしてやるっつってんだよ!」
えええ……?
「……え、まじで? だって敵対してたじゃん……?」
「そりゃお前、仕事だし……」
「いやあお前、俺と喧嘩したいだけだったろうがよ!」
「ちっ、ちげーよ! それはもののついでだろうがよ!」
「わかったわかった」レキサルだ「では交互に運転してはどうかな?」
「ああっ? いやこいつ運転したことねーんだぜ!」
「したことあるよ! さっき……」
「ああっ?」
「だから、さっきしたし……」
「さっきっていつだよ!」
「だから、あの戦闘車両でドカッて攻撃してよ!」
「んなの事故みたいなもんじゃねーか! 走行距離数メートル、激突経験ありってあんだよ!」
「うるせぇよ! 運転させろよ!」
「あぶねーっつってんだろ! ここいらは山岳地帯なんだぞ、崖から落ちるとかシャレにならねぇーんだよっ!」
「やらなきゃ上手くなんねーだろっ?」
「テメェ、運転したいだけじゃねーか!」
「そうだよ! 何だよ俺に二度も負けたくせに!」
「うっ……!」
おおっとなんか効いた、テキメンかっ……?
自分でいっておいてなんだが、それとこれとは関係ないと思うぞ!
しかし、ここは畳み掛けさせてもらうぜ……!
「二度も、負けたくせに」
「テ、テメエ……!」
「よし、行くぞ! 乗るなら早く乗れ!」
「チィイ……!」
そうしてジニーが隣に、ガークルは俺の後ろに乗り込む。そしてジニーの後ろがレキサルか。
「ええっと……なんかこっち踏めば進むんだよな? それでハンドルで右左……。で、こっちがブレーキ……」
「ンだよ、早く行けよ!」
ガークルが椅子越しに蹴ってくる……!
「何だお前! 乗せてやんねーぞ!」
「ウッセ、早く出せ!」
くっそこいつ、車から蹴り落としてやろうか……!
まあいい、よし、今度こそ行くぜ……って、あれ? なんか色々動かないような?
「まずはそこのキーを回すのです」
「えっ、そういうもんなの?」
「はい。この車種はかなり旧式のようですし」
「マジで大丈夫かよ……」
雑音は無視してキーを回すと、なるほど始動した!
よおおし、行くぜ!
アクセルとやらをぐっと踏むと、一気に加速する!
「うおおおおおおっ?」
「ばばばっかてめえ!」
格納庫の壁にぶつかりそうになるが……! ハンドルを動かし、なんとか出て行けた……!
「テ、テメエ……! あの広い出入り口なのになんでぶつかりそーになってんだよっ……!」
「ば、ばっか、わざとだよわざと、何だ、ビビっちゃったのかよっ?」
「おいテメエら、シートベルトしとけ、マジでよ……」
「シート……なにそれ?」
「お前は事故ってぶっ飛んでろよ!」
ああ、なるほど、側面に何やらベルト状のものがあるな。これで体を固定する……みたいな感じで安全なわけだ。
「おいテメー、前みろ前! 止まってから締めろよ!」
「ジニーも締めとけよ」
「私はあなたさまのことを信じていますから」
……そうか? まあ事故るったって、確かに狭いが道はあるしな、崖から落ちなきゃ大丈夫だろう。
しかし、これ結構楽しいな! 速い速い!
思い切りアクセル踏めばギャロップ並みにスピード出るんじゃないか?
「おいおいっ! スピード出し過ぎだろうが!」
「ばっかお前、このくらい余裕だろっての!」
出た先は山岳地帯、左側が険しい崖となっており、落ちたらまず死ぬと思うが、まあ落ちんわな! これまで何度も死ぬような目に遭ってきたし、いまさら崖道なんか……と、なんか道が少し崩れたっ? 通り過ぎた後だったが……!
「ほらぁ! テメーもっと優しく運転しろよ!」
「い、いまのは道が悪いんだよ!」
しかし……ちょっと怖くなってきたのでスピード落とすか……。
そしてからくも切り立った崖道を進み……道は森の中へと続いていく。
「よし、崖道は終わったぜ、余裕余裕……」
「テメー……マジで気をつけやがれよ……」
「うっせーなぁ……。ここからはさすがに余裕……」
……とスピードを上げたそのときっ? 横から鹿がぁあああっ……?
「うおおおおっ?」
慌ててブレーキ、と同時にハンドルを切るが、目の前に樹木だとっ? やばいいっ……!
止まれるかっ? いや無理だっ……!
さらにハンドルを切るっ……が、かわしきれん!
「みな備えろっ……!」
衝撃っ……! 吹っ飛びそうになるが、ベルトが体に食い込む……!
くっ、正面衝突はしなかったものの、運転席側の角がぶつかったか……!
「みんな、無事……」
レキサルとガークルは無事、しかし……!
隣のジニーがいないっ……?
というか前面のガラスがぶち破れてるっ……!
「おおおいっ……?」
車を降りると、何メートルも先にジニーが大の字でぶっ倒れているぅうう……!
「おい、大丈夫かっ?」
慌てて駆け寄り覗き込むと、ジニーは俺を見返した……。
……特に目立った外傷はないようだ。まあ、アテマタだしな……。
「……大丈夫?」
「……そう見えますか?」
「まあ……」
……って、あいった! 横から蹴られたっ!
「テメエッ! だからいったダロォーがっ!」
ううっ……! た、確かにいまのは俺の責任だな……!
「こいつ派手に飛んだぞ、生きてんのかよっ?」
「わたくしは大丈夫……」ジニーはすっくと立ち上がる「あっ……でも、頭いたーい……?」
そしてふらふらと寄りかかってくる……。わざとらしい……が、これは完全に俺の責任だしな……。もし隣に座っていたのが生身の人間だったら……。あるいはエリだったら……。
恐ろしい想像に身震いが止まらない……。
「オラッ、今度はオレが運転するからな! 早く乗れコラッ!」
そして俺たちは車に戻る……。レキサルが激突した箇所を調べている。
「あ、ごめんね、なんか……」
「今後は気を付けるべきだね」レキサルは肩をすくめる「まあ、怪我がないのは不幸中の幸いだ。それに破損箇所は外殻部分のみらしい。一応、明かりも点くようだ」
そうか、それはよかった。
そして前面のガラスにジニーが触れると、徐々にガラスが再生していく……?
「ええっ、なにそれ! そんなこともできるのか!」
「はい」
「魔術っぽいけれど、消耗とかないのか……?」
「大したことはありませんわ」
すげえな、モノを修理する魔術は初めて見た。
そして俺たちは車に乗る。前後交代、今度はガークルが運転をし、その隣はレキサル、俺とジニーは後ろだ。
「まったく、最初からオレに任せとけばよかったんだ」
ちぇっ、もっと運転したかったなぁ……! それに後ろは狭いし、暇になりそうだ。あとどれだけで着くんだろう……?
ジニーはなにやら俺にもたれかかって本を読み始めるし、さっきの手前拒否はできないし、そもそもその本はどこから出てきたんだ……?
ともかく車は動き出す。ガークルは威勢がいい割に割とスピードが抑えめだな……。
くっ、なんかすっごい負けた気分だぜ……!
『無事か?』
その時、どこからかレオニスの声が……!
『事故を起こしたのではないか?』
「あー、どこかのバカがやらかしやがった。だが運転に支障はないぜ」
『そうか、気を付けろよ。その車は外界には存在していないことになっているのだからな。途中で乗り捨てるわけにはいかん』
「ああ」
『道順はナビに従ってくれればいい。そして最後はボーダーランド近隣にてある男に渡してくれ。近くまで行けば向こうから連絡が入るだろう』
「了解したぜ」
『安全運転で頼む』
そして通信は切れる。道順がどうとかいっていたが……と思ったら運転席の横に画面があったんだな。地図のような図が表示されている。あれを参考に進んで行けってことらしい。
「それで、どのくらいで着くんだ?」
「おおよそ」ジニーだ「五日ないし六日というところですね」
「まじかよ、割とかかるんだな」
「陸路ですしね」
「急げよガークル」
「ウルセエよ!」
そして俺たちを乗せた車は延々と森を通り、日が徐々に高くなっていく。
……それにしても暇だな。角度的にジニーの読んでいる本の内容が見えたが……まるで読めない。
「それ、何の本?」
「推理小説です」
「推理?」
「事件が起こって、その真相を探偵が究明していく物語です」
あ、なんか聞いたことあるかも!
「著者はオーラ・テーですよ」
オーラ……。
えっ、あのテーかっ?
「マジかよっ? テーって、あのテー?」
「そのテーです」
あのテーなのか……! というか彼女は作家なのか!
明朗としていい子、でかくて可愛い、ニューの親友、家族……みたいな観点でしか認識していなかったが、そういう肩書きの人でもあるのね。
「ニサ・ニーの華麗なる事件簿はカルト的な人気を誇ります。その内容も興味深い記述が多い」
へええ……!
読みたいが読めない……! おそらくギマ語なんだろう……!
「ど、どんな内容なの?」
「ちょっと説明し難いですね。後で分析した後に」
分析……までしちゃうの? ざっくりとした感想でいいんだけれど……。
「おい、そろそろ飯にすっか」
車が止まり、周囲を見やると湖が広がっていた。水面が日光で輝き、穏やかな風が草木を僅かに揺らしている。
俺たちは車両の後部にあるトランクとも呼ばれるらしい荷物室を開く。そこには水の入った容器や食事が入っているでろうケースが詰まっている。
「これひとつで一食ぶんってところか」
各々ケースを手にし、近くの草むらに座る。
「ボタンを押せば準備ができますから」
なるほどケースにはボタンがある。昨夜の夕食みたいに温めたりとかできるんだろうな。
ボタンを押してややするとケースの蓋が開いた。中にはサンドイッチが入っている。触れてみると常温だ、温めていたわけでもなかったのか……? よく分からないが、とにかく新鮮な感じで問題はない。
「湖のほとりで昼食なんて気持ちいいですね」
そういってジニーはすぐ隣に腰掛ける。というかお前も食べるんだな、アテマタなのに……。
いや、だからって食べちゃ駄目なんてこともないし、人間と同じように食事が必要なのかもしれない。まあ数は人数分あるようだし、あまり追及することでもないか……。
「ところで、お前には色々聞かんとな」
ジニーは可愛らしく小首を傾げてみせる。こいつ本当にあのゼラテアなのか……?
「ええ、答えられることなら」
「そもそもお前は、いやゼラテアはどこの何者なんだ?」
「ゼラテア・イゼアーはあの方の側近でした。その指示によりブラッドワーカーに参加していたのですね」
レキサルがジニーを見やる。ガークルはこの話題に興味がないらしく、湖を眺めながら食事を続けている。
「つまり、軍隊蟻とやらにあの巨大兵器を渡したのは蒐集者の指示によるものか。クルセリアの弟子になったのは監視のため」
「そうです」
「奴は何をしようとしている?」
「そこまでは存じ上げませんわ」
「分からないのに指示に従っているのか?」
「わたくしはお二人の橋渡し役のようなものです。それゆえに両者に対して公平でなくてはなりません。そしてあなたさまになるべく嘘を吐かないためには、そもそも知らないことが最善なのです」
「あえて無知であると……」
「そうです。逆もまた然りで、あなたさまがあの方に伝えたくないことはわたくしにお話になられない方がよろしいかと存じ上げますわ」
「言い分はまあ分かる。しかし、こっちとしては入ってくる情報がいちいち断片的で処理が面倒なんだ」
「それは当然かと思いますわ」ジニーは微笑む「というのも、あなたさまは無知ゆえに他者に意見を仰ぐ頻度が高く、それは同時に情報漏洩に繋がることとなるからです。ならばこそ、誰しもがあなたさまへの情報開示に慎重にならざるを得ないのでしょう」
……いい気分はまるでしないが、その言い分もまた分かる。
「そもそもよ」おっとガークルだ「テメエはどこの何なんだよ」
「俺? 俺はただの外界人であり冒険者だよ。儲け話がありそうってんで故郷を出てボーダーランドに来たんだ。そうしたら色々あって、こうなっている」
「あんだそりゃあ……?」
「ほらあなたさまも」ジニーは肩を当ててくる「本当に重要なことはお話にならない。あの方との関係とか」
「俺だって自身の立ち位置がよく分かっていないし、奴との関係だってよく分からないんだよ。最初は確かに敵同士だったのに、いつの間にかそうでもないような雰囲気になっていて、だからといってその距離感が今後も続くという保証もない。そもそもが遺物を求めてボーダーランドの奥へ向かうってだけの話だったはずなのに、なんでここまで拗れているのか……俺が聞きたいくらいだ」
「お前そんなんであんなとこまで来たのか」
「まあ……な。だが、してきたことに後悔はない」
「ならいいんじゃねぇの? 少なくとも退屈はしねぇだろ」
そんな軽々しい話でもないんだがな……。
「それでガークル、お前は? 傭兵らしいが」
「そうだぜ」ガークルは頷く「それ以上でも以下でもねぇ」
「契約がすべてだって?」
「ああ。なんせこの腕はまだオレのもんじゃねーからな。賃金の一部が購入資金と定期メンテナンスに充てられてんだ。だから任務には忠実なつもりだぜ。テメエのお陰で修理費もかかったしな、まだまだ稼がなきゃならねぇし」
そ、そういや最初の戦いで派手に破壊したもんなぁ……。
「でも……もっとすごい技術なんていくらでもあるんじゃないか? 変な話、その腕を生やすこともできるかも」
「どこでだよ、いくらかかんだ?」
「ええっと、ギマのところで……」
「ほらまた無自覚なんだから」ジニーはまた肩を当ててくる「ギマの技術力をアテにしても無駄です、治療なんかして頂けません。壁の中に入れただけでも奇跡的なのですから」
「そ、そうなのか……?」
「そうですわよ」
「しかし……いいだろうにな、技術なんかみんなで分け合えばさ。クリエイションマシンにしたって解放すればいい。奴らには分かち合いという言葉がないのか」
「そんなに簡単にいかないのが人の世というものなのです」
「知った口だな」
「もちろん」
ジニーはツンとしていった。
「……今度はレキサルに聞きたいんだけれど、アロダルってのはどんな奴なんだ?」
不意に話題を振ったからか、レキサルはボックスのパンを取り損ねる。
「彼のことは……よく知らないな。イーガフィンの一族は里と離れた場所に住んでいてね、族長との親交が厚いので一目置かれているが、実際、何の役割を担っているのかは分からなかったんだ」
「どうにもシンの意思を操作する術を知っているようだが」
「そう、実際のところ、それが秘めたる役割なのだと合点がいったところなんだ」
「そもそもシンって何なんだ? どこから来たとかっていう話はないのか?」
「神とか異星人とかいわれていますが」ジニーだ「結局のところ正体不明ですね。なんせ対話不能ですから」
「宇宙からやって来たらしいがな……。そういや、それと関係あるかは分からないが妙な話を聞いたぞ、なんでも人工衛星だかっていうのを宇宙へと飛ばしても撃墜されるんだとか。ということはこの星は何か……包囲でもされているんじゃないか……?」
ジニーは俺を顔をじっと見つめる。
「……だとして、何に?」
「その、神とか異星人に?」
「我々が檻の中の獣だとして」レキサルだ「その目的は? 観察でもしているのだろうか」
俺はその時、ふとアージェルとあいつのことを思い出す。けっきょく彼女は檻から出て、あいつは罰を受けたように貧相な体のいち個体として投げ出された形になっていたが……。
しかし、人類を閉じ込めて観察をして……あるいは愛玩動物のように眺め続けて……面白いんだろうか。人類なんか可愛くないだろうに……。
……それに宇宙といえば謎の言葉もあったな。
「……広がり切った宇宙の孤独を誰が知りたい?」
俺の呟きに、皆がこちらを注視する。
「これはどういう意味なんだ? 宇宙は広がっているのか?」
「そうですわ」ジニーだ「一説には宇宙はとてつもない大爆発から始まり、そのまま勢いで広がり続けているとか」
「その説は」レキサルだ「聞いたことがあるな」
「よくご存知で」ジニーは意外な顔をする「その最初の爆発はビッグバンと呼ばれています」
「しかし」レキサルは空を見上げる「宇宙が広がっているという根拠は?」
「他の星が遠ざかっていると観測できるからですわ」
「その観測方法は?」
「宇宙よりやってくる電磁波を受信して分析した結果のようです。それにある傾向が見受けられるのですわ」
「その傾向とは?」
「代表的なものに赤方偏移があります。電磁波は波として解釈されますが、その波の波長が、緩やかな順に赤色、橙色、黄色、緑、青緑、青、紫といった色の推移として表現できるのですね」
ジニーは足元の石ころを手にして、地面にいくつかの波模様を描く。
「なんだそれ?」俺は思わず訊ねる「電磁波と色は同質のものなのか?」
「色の概念にもよりますが、ニュアンスとしてそう解釈もできますよ。たまたま人間が視覚において知覚可能な領域の電磁波を可視光線と名付けているだけのことです」
「さっきのレオニスの通信、あれも電磁波だよな?」
「そうです」
ふ、ふーん……。
「話は戻りますが、その電磁波によって観測された星はどれも赤くなっていく傾向にあるのです。それはつまり……」
「波がどんどん緩やかになっている」
「そうです。それが観測物が遠ざかっていることの証明となるのですわ」
「えっ、ちょっと意味わかんないんだけど」俺はつい口を挟む「じゃあ、えっと、お前が俺から遠ざかったら赤くなるの?」
「なりますよ」
「なるのっ?」
「理論上なります。私が光源で、ものすごい速度で遠ざかれば赤くなるはずです。ただ、電磁波の速度が尋常じゃないせいで肉眼ではまったくそうは思えないだけです」
マジかよ、そうなのか……。
レキサルは唸り「……それで、その観測所はどこに?」
「それは……ボーダーランド内に」
「具体的な場所は分からない?」
「まあ」
「友人にテハラ・ムビサフィンという男がいるんだけど、彼は天文学が好きで、様々な文献を収集しては日々星に想いを馳せているんだよ」
「ええ」
「それで、天文台や観測所を探しているんだけど、どこにもないそうなんだ。少なくとも外界には」
「なるほど」
「奇妙だとは思わないかい? 天文学を愛する人々はどこに消えてしまったのだろう」
「元老院に潰された」俺が言葉を継ぐ「少なくとも外界では」
「なぜだろう?」
「タブーだから? 人工衛星が撃墜されることと無関係ではないと思うな。やはりこの星の外周には何かがあるんだろう。だから観測されては困るんだ」
「もっといえば」レキサルの語調に珍しく興奮が混じる「我々が見ているあの星は本物ではないのかもしれない。テハラは日々星の記録を取っているそうだが、稀にズレが生じるといっていた。彼はそれを自分の計算間違いだと考えていたが、そうではなかったら? その稀には偽装のほころびが隠されているのではないだろうか?」
「まあ、興味深いお話ですが、吹聴はしないことを強くお勧め致しますわ。冗談抜きで殺されるかもしれませんので」
レキサルの視線が厳しくなり「誰にだ?」
「さあ、誰かには。これはただの憶測ですが、きっと信じた方がいいと思いますわ」
誰かに、ね……。
「中央に何があるのかも知らないのに、行けるはずもない宇宙に想いを馳せてどうなります? 見つからない答えに何の価値がありますか。なればこそ、例えばシンを神と崇める人々の方が余程賢いとは思いませんか? 少なくとも彼らは答えを手にしている」
「では真実の価値は」
「真実を得るなどおこがましいとは思いませんか? あるのは解釈と信仰に過ぎない。そんなに死にたいのなら、この言葉を聞いて回るとよろしいでしょう」
「どのような」
「ブラックサン」
静けさが俺たちの周囲にとどまる。レキサルは眉をひそめ、
「……それは?」
「分かりませんわ。ただ、アイテールと深い繋がりがあるらしいです」
ジニーは本当のことを話している、と思う。その警告も本音からだろう。
しかし、黒い太陽だと? 一体なんのことだろうか……。
「いやにデケエ話だな」ガークルだ「オレは隠し事を暴く趣味はねーし興味もねー」
ガークルはケースを放る。そして立ち上がり、首を回した。
「そうか? 陰謀があったらどうする?」
ガークルは振り返り、
「ただの善意で隠していたらどうする? 暴いて世界が混乱に陥ったら、テメエごときには到底収拾は付けられねぇだろ」
そして食事は終わり……俺たちは黙って移動を開始する。
……話し合いをすればするほど謎が深まる。憶測に憶測を重ねてまるで見当違いの話をしている可能性だって充分にある。
だが、しかし……問わずにはいられない。
この世界は、本当はどうなっている? 何が隠されている?
そんな沈黙の中、午後の時は淡々と流れ、いつの間にか車内に音楽が流れていた。
低音を軸にしたピアノの曲。曲名は知らないが好きな旋律だ。
気づけば、日が傾き始めている。
「……そういやさ」ふと、言葉を発していた「曲がりなりにも道があるってことは、それなりにこの道を人が通っているのかな?」
一寸の間を置いて、ジニーが答える。
「もちろんですわ。大聖堂には常に人がいますから。元老はたまにしか来ませんけれど」
そりゃそうか、人の住まない場所はあっという間に廃墟になるもんだしな。
「あとさ、宿はどうする? この車は見られちゃやばいんだろ」
「オレの腕もな」ガークルだ「人里に近づくことは推奨されねぇからな、車内で寝泊まりするしかねぇよ」
「狭いなぁ。あと四日、五日か……」
そうして日が暮れてきた。俺たちは適当なところで車から降り、火を起こし、それを囲って食事にする。
さして寒くもないし、料理するわけでもなく、明かりなら車からでも得られるが……それでも焚き火っていいな。眺めているだけで落ち着く……。
「……しかし、少し味気ないな、こうして弁当箱開いているばかりってのも」
「あんだ、旅行気分か?」
「いやまあ……」
「それとも故郷が恋しいか? 近場なら送ってやってもいいぜ」
別に帰りたいとは思わないが……ジオサイトでエジーネがいった親父の件もあるしな……。あいつはよく妙な嘘を吐くので半信半疑だが、実際、どうなっているのか知りたい気持ちはある……。
しかし、まるで近場じゃあないしな、壮大な寄り道をしている暇はまるでない。明日にもクラタムらが何かを起こすかもしれないんだし……。
「……俺に帰る場所はない。いや、それをつくるために金が必要だったんだ。道具屋でも開こうってな」
「へー」
「しかし、ボーダーランド内には外界を遥かに超越した技術がたくさん眠っていた。ならば俺ごときの道具屋に何の意味がある? レオニスが知識の解放を目指すならばなおさらに」
「別に最新技術を使う必要はねーだろ。例えば伝統技術とか」
「そういうのには愛着が必要だろ」
「まっ、どのみちお前は道具屋にはなれねーよ。少なくとも外界のはな」
ガークルは早々に食事を終え、またケースを放る。
「あそこに馴れちまった奴ぁ普通の生活には戻れねぇ。一生、冒険を続けてしまいにはくたばる運命なのさ。それとも宿の職員にでもなってウダウダやるか。知ってるか? 宿の連中も元は任務で中に入った兵士や冒険者だったりするんだぜ。外界での暮らしに戻りたくねーのさ」
……正直、その気持ちは分かる。
クラタムたちの件がなくとも、車を貸してもらえなくとも、俺は急いであの地に向かっていることだろう。
あそこには仲間がいる。
そして獣がいる。
俺たちは夕食を食べ終え、車内で眠ることにする。
座席を倒しても、寝心地は良くないが……その夜、俺はあの樹木の上にいる夢を見た。
◇
翌朝、俺たちはまた進み始める。
ガークルも昨日から運転しっぱなしで疲れたのか飽きたのか、ものの一時間で俺にハンドルを明け渡した。俺も今度は安全運転だ。
そして数時間後、レキサルにも代わる。やはり彼も運転してみたかったらしい。なんか既に俺より上手い気がするが……。
そして午後にはジニーに代わる。すると……彼女はどんどん加速し……! 速度は恐ろしい次元に突入していく……!
しかし、運転は異様に正確だ……! 山道にそぐわない異常な速度が出ているはずだが、妙に危な気はない……気がする……!
さすがにガークルが文句をいうかと思ったが、さっきから熟睡していて起きる気配がない……。
「……いやあ、ずいぶんと運転が上手いな……?」
ジニーは微笑み「アテマタですので」
そういうものなのか……。でも怖いには違いないし、話でもして気を紛らわそう……。
「……そ、そういや、どうやってその体を作ったんだ……?」
「基本的なデータはアイテール内に保存されていましたので」
「設計図みたいなもんがあるって……? しかし、物理的にどうやって作るんだ? 空気中のチリや水分から構成するにしても、そこまでの質量を稼ぐのに膨大な大気が必要になるはずだ」
「大気から構成したわけではありません。それ専用の材料が大聖堂にあったのです」
へえ、そうなのか……?
「基本的な素材はスミス1の胴体と同じですわ」
「あれ、じゃあ、出たり消えたりと自由なわけではないの?」
「せっかくの体ですし、簡単に捨てるつもりはありません」
「あれ、でも昨晩いなかったな?」
「ええ、散歩に出ていましたので」
「じゃあ、後で部屋に戻ってきた?」
「ええ」
「そ、そうか……」
「思うんだけど」おっとレキサルだ「君はそう、もっと女性関係に気を配った方がいいんじゃないかな」
「えっ、俺?」
「いろいろと慕われているようだから」
「ああいや、女難の相がひどいみたいな……」
「あんだ、自慢かよ……って、オイ! なんだこのスピードは!」
起きたかガークル、いきなりこんな状態じゃさすがに驚くわな。
「まあ、大丈夫らしいぜ……」
「220キロ……って、本気かよこのアマ、頭おかしいんじゃねーのかっ……?」
「アテマタですし、大丈夫ですわ」
「ああっ? アテマタなのかこいつっ?」
「そうだが……」
「……ならまあ、大丈夫か?」
えっ、なんでそんな冷静になれちゃうの……。俺のことは最初っから否定してたのに、アテマタってだけでお前この……!
「で、女にモテてると思い込んでるテメエの頭がヒデエって?」
しかもなんでまたその話をぶり返す?
「いや、モテてるとは思ってねーよ」
「モテていますわよ」ジニーは妖しげに微笑む「ただ、そうなっていることに対し、もっと危機感を抱くべきですわね」
「……どういうことだ?」
ジニーは妖しい笑みを浮かべるばかりで答えない。その間にも車は爆走し、その速さのまま洞窟の中に入っていく……!
「おいおいおい、さすがにこの速さで洞窟って……!」
「でも、ここを通れという指示が出ていますし」
何やらとんでもない羽音がするような、コウモリか……?
「起こしてしまって申し訳ないですね」
また猛烈な速度で洞窟から飛び出す。その先は一面の花畑だった。
「わあきれい」
そうはいいつつもジニーはまるで速度を落とさず、すぐに花畑は遠ざかっていく……。
そして道は高原に入り、ひらけた景色を眺める暇もなくまた森に入っていき、樹木がものすごい勢いで流れていく……。
これ、万一激突したらジニー以外は死ぬかもしれんな……。
「……そういやお前さ、あっちの世界にいるときってどんな感じなの?」
「えっ、それいま聞くことですか? このスピードでそういう難解な話は難しいのですが」
「だって……なんか風景がビャーってなってて怖いんだもん。気になって寝れないし」
「アテマタとはいえ、わりと集中しているのですが。元より運転は初心者ですし」
「へえ、初心者でここまでやれるんだ。すごいな」
「そうでしょう?」
ジニーは俺を見やるが、さすがによそ見はしないでほしい。
「……まあ、向こうではいい気分ですわ。落ち着いてる感じです。ぼうっと漂っている感じともいえますし、なにやらすべて理解したような気分にもなっていたかもしれません」
「へえ……。でも、なんでまた現世に戻ってきたんだ?」
「……そのまま死んでいろと?」
「い、いや、なんかいいところのようだから」
「まあ、一応、やることもありましたし」
「ふーん……。で、なんであんな黒とか紫な感じだったの?」
「えっ、綺麗だから」
「なんかホーさんに似てたな」
「ああ、あのひとも綺麗だから」
「それは確かに」
「あ、分かる感じですか」
「そりゃあな。あとそうだ、なんというか影と雰囲気が似ていたな」
「ああ、あなたのイメージの」
「イメージなの?」
「それはもちろん」
「なんであいつら不要因子を殺せとかいうの? なんか怖いんだけれど」
「それはあなたさまの問題ですし」
「俺はそんなこといわないけれど。そもそも主語が不明だろう。何に対する不要な因子なんだよ」
「そんなことわたくしに聞かれても困りますし」
「お前……向こうの世界で聞けない?」
「どなたに?」
「誰かいないの?」
「いるような、いないような……。会ったような、会ってないような……」
「なに、その辺、割と曖昧な感じ?」
「自分なんてどうでもいいことですし。この体になってようやくこだわりが湧いてきたって感じですね」
「どうでもいいのによく戻ってきたな?」
「あ、またいった。文句がおありでしょうかぁ?」
「そ、そうじゃないけれど、死人が戻ってくることにはそれなりに執着があったのかなと思って」
「正確にはアイテール化であって死人じゃありませんし。ただ……そうですね、よく戻ってくる気になったものです。それだけ何かにこだわっているのかも」
「ふーん……。で、そのアイテールは何をしようとしているの?」
「別に何も」
「えっ、嘘だ、なんか陰謀とかあるから聞いてこいよ」
「その、割と万能な感じを期待されても困るのですけれど」
「なんか怒ってる?」
「ええまあ、どうして戻ってきたの? とか聞かれると、何だかすっごくイラッときますね」
「そうなのか、ごめん」
「いえ、いいですけれども」
「でもその体なら中央まで行けるんじゃないか? 日帰りとかで」
「さっきから本当、その過大な期待は何なのですか?」
「いやだって、死んでもまた戻って来ればいいんだろ」
「さっきいったじゃないですか、向こうはのほほんとしているから、ぼうっとしている間に百年経っているかも」
「ああ、そういう次元なんだ?」
「割と奇跡的ですよ、やること思い出したのは。それであなたさまに取り憑いて、でも充電していただけないと居場所が消えて困りますし、次にやる気になるのは千年後かもと思ってがんばったのです」
「えっ、お前、俺に取り憑いているの?」
「ええまあ」
「便所にいくときとか見られるの嫌なんだけど」
「いやですから、向こうの状態ではそういうのどうでもいいですし」
「でもお前、あの黒い状態でも割と積極的に話しかけてきたろ。けっこう意思が強かったと思うぞ?」
「ああ、まあ、あの時は間借り状態でしたし」
間借り……?
「なにそれ、勝手なことするのやめてくれない?」
「ええっと、そうですね、表現を間違えました。運転中ですので」
「いや間違えてないよ。お前、しきりに充電を促してたし」
「そ、そうですね、思い返せば……アイテールの内部では、構造化が強い部分と弱い部分があったように思えますわ。それで、より構造化が進んでいる場所ではより知性的になるといった感じ……でしょうか」
「へえ……?」
「わたくしには何やらやることあったような? と漂いつつ、より構造化の強固な部分に近付いていった結果、あなたさまの前に出てきたような感じ、でしょうか……?」
「そんな曖昧な感じであそこで出てきてヘルブリンガーとかしたのお前……?」
「それは任務ですし」
「割と満を辞して出てきた雰囲気あったけれど」
「そうでしたか? ううん、確かに何かおかしいのかも。ゼラテアとジニーの関係はどうなっているのでしょう? ジニーは前世だと思いますし、もともと関係があるからやる気のままにそちらに誘導されたのでしょうし、具象化できたのも……」
「まあ、そういう話はあったわな」
「……あるいは全く関係のない人物なのかも?」
「おいおい、いきなり前提をひっくり返すなよ」
「でもまあいいじゃないですか。わたくしはあなたさまのジニーであり、ゼラテアでもあります。どちらも美人だしいい子です。胸も大きいですよ」
「……それはまあ、いいね」
「そうでしょう? そうだと思った!」
語気のままに車は爆走を続け、昼食後もまた同様に走り続ける。そうして夕暮れになった時点でジニーはガークルに交代する。
「かなり飛ばしたお陰で二日分以上の距離が稼げました。これは褒めてあげるべきだと思いますわ」
「うん……えらいえらい」
「うふふ」ジニーは嬉しそうにし「でも明日は運転しません」
「そうか?」
「なんだかこの旅が楽しくなってきましたし、おそらく雨が降るからです。天候が悪いとさすがにあの速度は出せませんし」
「そうか。それなら仕方ないな」
「明後日また運転してあげますわ」
うーん、早く着くのはいいんだが、爆走は爆走で怖いんだよね……。
そして日が暮れたところで夕食にする。今度はよくわからん麺類だが少し甘辛くて美味いには違いない。
しかし、常温で保存しているはずだがまるで腐ってなどいないんだよな。どういう技術なのか謎だが、ともかく大したもんだ。
「ところでよ」ふとガークルが口を開いた「テメエの名前ってなんだっけ?」
「はあ? レクテリオル・ローミューンだよ! 長いからレクでいいよ」
「ああ」
なんだこいつ、いままで把握していなかったのか?
「……どうでもいいけれど、ガークルお前、なんか魔術使えないの?」
「使えねぇし、使う気もねぇ」
「なんで?」
「性能が不安定だから。感情で威力が変わるってのは危険な代物だぜ」
「そうかな。単に修行がめんどくさいんだろ」
「まあな」
じゃあそういえよ……。
そして夕食が終わり、また夜が更けていく。
ああ、外界は平和だが暇だなぁ……。
◇
いつの間にか朝、また車は走りだす。昨夜ジニーがいっていた通り天気が悪いな。ぽつぽつと降り出し、やがて大雨にあたってしまう。車は俺とガークルが交互に運転し、たまにレキサルと代わる。
それにしても運転していない間はほんと暇なもんだ。雨で風景も見えないし、いよいよ閉じ込められてるだけって気分になってくる。
「……暇すぎるだろ、誰かなんか面白い話ないの?」
俺がそういうと、意外にもガークルが反応した。
「宿で亡霊が出るって話、知ってるか?」
「亡霊……?」
「ああ、深夜や朝方に風呂場に行くと、稀に出るらしいぜ。男湯の方でな」
それってワルドじゃん……。
ぬう、真相を話してやりたいが、何というのか、彼はいま攫われている最中だからな、不謹慎というのとは違うかもだが、笑い話のタネにするのはなんかアレ……。
反応がイマイチだったせいか、ガークルは別の話を始める。
「じゃあこれはどうだ。エシュタリオンで話題になった連続殺人鬼がボーダーランドに来たって話」
「へえ? まあ、外界でのお尋ね者があそこに来てもおかしくはないかもな」
「なんでも曰く付きの殺害剣とやらを手にしているらしい」
「なに? なんだそりゃ」
「呪いの剣らしいぜ」
「いや、名前だよ、それはちょっとおかしくないか?」
「あにがよ」
「だって剣ってそもそも殺害のための道具じゃん。殺害剣ってくどいだろ。ただの剣でいいよ」
「ああ……でもよ、あれだ、聖剣とかってあるじゃねぇか。それの反対的な意味合いじゃねぇのか」
「……聖剣で人を殺しちゃいけないの?」
「いけなくはねぇけど……聖なるってある種、徳があるみたいなことだろ。つまりぶっ殺して終わりって意味じゃねぇと思うぜ」
「ああ、制する程度に収める的な」
「それそれ」
「じゃあ杖でもいいじゃん。刃があったら弾みで死ぬかもしれんだろ、危ないよ」
「お前みたいにめんどくせー奴は斬り殺していいんだよ」
「だったら最初から殺害剣使えよ」
ガークルはその言葉を無視し、
「その殺害剣だがな、最近発見されたらしいぜ、あの宿で。襲撃事件あったろ」
「えっ、マジか」
「犯人は拘留されて引き渡されたらしいがな、剣の行方は分からずじまいだと」
「あれ、レキサル」
「……ああ。彼のことかな」
「あんだよ?」
先のことを話すとガークルは唸る。
「マジかよ、あのルーザーが噛んでたのか」
「お前、知らなかったの?」
「知るかよ。なんでんな犯罪に手を貸さねーとならねーんだよ」
「お前って傭兵らしいけど、ブラッドワーカーにいたじゃん」
「ああ? いや、派遣先は金のあぶみだぜ。そこの頭取がジュライールだが、ブラッドワーカーとは関係がねぇ」
「奴はそれの頭領だぞ」
「それは正式な組織じゃねーだろ? そんなもん知ったこっちゃねぇよ。オレたちは善悪で戦わねぇ。重要なのは金が支払われるかどうかだ」
うーん、分かりやすくはあるけれどな……。
「例の事件と関係がないのは分かった。で、あの赤い剣が消えたって?」
「らしいぜ。多分、闇市場に流れんじゃねーかな」
「ええ? 犯罪の証拠品だろ?」
「だから価値があんだろ」
「そんな血なまぐさいものを買う奴いるのぉ?」
「好事家は多いからな。オレからしたら剥製の方が理解できねぇ」ガークルは一瞬振り返り「そういや、呪われた鏡の話もあるぜ」
うーん? もしや、こいつってそういう系の話好きなのか……?
「その話もいいが、その前に聞きたいことがあるんだけれど、金のあぶみってなんの会社なの?」
「名前の通り金融らしいぜ。ただ、返済の焦げ付きを特殊な方法でまかなうらしい」
「特殊な方法って?」
「偽造だよ。それの製造や流通の片棒を担がされる」
「そんなことしてよく潰されないな」
「外資でやるからな。拠点はホーリーンだ」
なんだそりゃあ? 他国に面倒事をおっかぶせる分には構わないってか? 経済は自国だけの問題じゃあねぇってのに……。
しかし、ジェライール、か……。
「……ま、それもいまのうちだな。奴は近いうちに死ぬだろう」
「ああ? マジかよ?」
「ああ、あいつ軍隊蟻に攻撃したからな。確実に報復されるだろうさ」
「なんだそりゃ? どこかの組織か?」
「ああ。そんなもんだ」
「マジかよ、支払いしてから死んでくれ……」
そうして昼になり、今日は車内で食事を済ませ、また走り出す。
「……しかし、どの街にも寄れないってのはつまらないなぁ」
「まだいってんのか」ガークルだ「まあ、車を隠せば寄れるにゃ寄れるがな、遊んでる暇なんかあんのかよ?」
「ないんだよなぁ……」
雨も相まり景色はまるで代わり映えがしない。時折、麓の方に街並みが見えるが寄れもしない。車内は狭い。ジニーは堂々と俺の膝に手や足を乗っけてくる。ガークルはよく分からん怪談話を続け、レキサルは物思いに耽っている……。
うーん、たまにはこういうのもいいが、やっぱり早く着かないかなぁ……。
◇
翌朝になるともう雨は降っておらず、雲ひとつない快晴が広がっている。
一応、今日中にボーダーランドに着くはずだが……。ジニーは一昨日と同様に凶悪な速度で道を進んでいく……。
何日も車の中にいるせいか、徐々に皆の口数が減っていく。妙な疲れが体を蝕む……。
「ああジニー、どうか今日中に着いてくれ……」
「一応、頑張ってはみますけれども」
しかし、常人離れした力を発揮しているジニーだが、その理由がアテマタだからってのもおかしな話だ。前に彼女はこういっていた。あくまで生み出せるのは過去のものであり、無敵の体は作れないと。つまり彼女の能力は実在した人物のものなんだろうか? それとも多少の強化は可能なのか……?
「……アテマタって具象化するとき、任意に強化できるの?」
ジニーは唸り「元のデータを好きに変更する? どうでしょう、難しいかもしれませんね」
「ならその運転技術は過去の人物がすごかったってことか?」
「ええ、そうだと思います」
やはりそうなのか……。
アテマタ、ね……。謎が多いな……。
いや、待てよ……?
「そうだお前、黒エリのこと知っているよな?」
「ええまあ」
「あいつと融合しているニプリャっていうパムっぽい子のことを何か知らないか? ソルスファーいわく、アテマタの最上位種という位置付けらしいが」
「その方のことは存じ上げませんが、上位種の話は聞いたことがありますね。ただ、あれらをアテマタと呼んでいいのかどうか……」
「違うって?」
「シンが降臨するより前からいたという話もありますので」
「そもそも機械なのか……?」
「伝説のスフィ族……なのかもしれません。他の種族に紛れて生活している人間そっくりの存在らしいですが……」
「スフィ……なんだそれは?」
「根本の話をするなら機械なのではないかと。ですが、もはや機械の定義は曖昧です。わたくしは機械ですか?」
それは……。
「いや、さすがにお前は人間だよ」
ジニーはちらりと俺を見やり、
「うふふ、申しわけありません。わたくし自身、その点にこだわっているわけではないのです」
だろうさ、アイテール化を受け入れたのだから。
しかしこの話は……思えばあまりレキサルの前でする話ではないか? アリャやクラタムにも関係してくることだからな……。
車は森を通り崖道を突っ走り、鹿だの熊だのが通っても事前に速度を落とし優雅に避け、そうして午後に差し掛かった頃、
「あら、そろそろ到着しますね」
ジニーがナビとやらを見ていった。
「おっ、まじか?」
「あと二十キロほどです。ですが、五キロ地点でこの車は明け渡します」
「ああ、そうなのか。そこからは歩きだな」
「やっと着くのかよ」ガークルはあくびをする「まったく、タルいったらありゃしねぇ……」
まったくだ、ようやくこの檻から解放される……!
さて、みなの様子はどうだろうか……。
ややしてジニーは速度を落としていく。
「表示ではこの辺りらしいですが」
『確認した』
おっと、突然、何者かの声がした。
『そこに乗り捨てておいていいよ。後は私が回収する』
ジニーは木陰に車を停め、俺たちは降りて伸びをする。
「ああー! やっと着いたかぁ……!」
やれやれ、疲れを癒すって環境でもないのに体が鈍った気がするよ……!
そして奇妙な話だが、何日も風呂に入らなかったのも久しぶりだ……。
まあいい、ようやく戻ってきたぜボーダーランド……!