第一話 お凛と猿飛佐助
夜は、まだ燃えていた。
遠く――京の空が、赤く滲む。
本能寺。
火は収まる気配を見せない。
「……遅かったか」
お凛は、小さく息を吐いた。
屋根の上。
瓦の隙間に身を伏せ、下を見下ろす。
人の気配。
足音。
鎧の擦れる音。
――多い。
「これ、全部……明智の兵?」
あり得ない数だった。
だが、お凛の目はすぐに違和感を捉える。
「……違う」
ゆっくりと視線を動かす。
そこにあったのは――
水色の桔梗紋。
だが、それだけではない。
紛れている。
動きが違う者たちが。
足音がない。
呼吸が見えない。
「……忍び?」
背筋に、冷たいものが走る。
その時――
風が、流れた。
ほんの一瞬。
だが、お凛は反応する。
屋根を蹴る。
次の瞬間、さっきまでいた場所に――
小さな刃が突き立っていた。
「……っ!」
音が、遅れてくる。
カン、と乾いた音。
「気づくか、普通」
声。
すぐ後ろ。
振り向く。
そこにいたのは――
一人の男。
闇に溶けるような姿。
だが、その気配は異質。
「……あんた」
お凛の目が細くなる。
男は、肩をすくめた。
「久しぶり、ってほどでもねぇか」
軽い口調。
だが、隙は一切ない。
「なんでここにいるの」
「そりゃこっちの台詞だ」
男は、笑う。
「伊賀が、こんなところまで首突っ込むとはな」
一歩、近づく。
お凛は動かない。
だが、いつでも動ける構え。
「……甲賀」
低く呟く。
男は、否定しない。
「で?」
お凛の声が、冷たくなる。
「今回の件、あんたらも絡んでるの?」
一瞬の沈黙。
そして――
男は、くつくつと笑った。
「さあな」
その答えは、答えになっていない。
「でも――」
男の目が、細くなる。
「面白くなりそうだから、見に来ただけだ」
嘘か、本当か。
判別できない。
「名前、言える?」
お凛が問う。
男は、一瞬だけ考えたふりをして――
「……猿飛」
そこで、言葉を切る。
「佐助だ」
空気が、張り詰める。
猿飛佐助
その名を知らぬ忍びはいない。
「……最悪」
お凛は、小さく吐き捨てた。
「褒め言葉として受け取っとく」
佐助は笑う。
その余裕が、不気味だった。
「一つだけ教えてあげる」
ふいに、佐助が言った。
「この場にいるのは、明智の兵だけじゃない」
お凛の視線が鋭くなる。
「どういう意味?」
だが――
その時にはもう、そこに姿はなかった。
「……っ!」
気配すら、消えている。
「何よ、それ……」
残されたのは、静寂だけ。
お凛は、ゆっくりと息を整える。
明智。
そして――甲賀。
「影丸……急いで」
小さく呟き、闇へと消える。
この戦は――
思っているより、深い。




