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8.侵入者・遼灯

 

 空師とは、人の身で唯一空を駆ける術を持つもの。素質を見出されし者は国の最北の険山、弦山に入りて修行を積み、その個々に特有の力を伸ばすこと、制御することを覚える。


 幼い頃から親元を離れ、特異な集団に入るという点では舞手の生と似通っていたが、舞の才能を中央に据える奏園とは違い、弦山で学ぶことは幅広だった。奏園よりも実際的であるとも言える。


 修行を経た空師は通常、武に秀で、学問を成し、道を修めた者として知られるようになる。王城にて王の守護の任に当たる者もあれば、市井に入り民に医術を施す者、学舎の師範となる者、武道場を開く者もある。


 いずれを選んだにせよ、戦が起これば王軍として結集しなくてはならぬ決まりがあり、そのため下山後の動向は弦山が洩らさず掌握していた。これはまた世を乱れから守る意味も持つ。


 古事、並外れた力を持つ空師が我と我が力に溺れ、国を手に入れんとした事件があった。成功例はないが、一度ではない。空師は只者ではない。理を忘れた力有る者とは、厄介なものである。


 空師としての理は忘れていないが、奏園の規則を無視した少年・遼灯は今、警主任の大きな手に引きずられて、ずるずると廊下を進んでいた。


 闇に浮いた後、実際には琉衣が見たほどの距離に達する間もなく、ほぼ真下の露台に引き込まれていたのだ。捕獲である。


 こんなことになるのは予想の範囲だ。逃れる術がないわけではなかったがむやみに民を傷つけるわけにはゆかず、為されるままになっていた。


 歩かなくて済むので、楽だというのもある。侵入者を抱えていない方の手で、主任が掲げる灯火以外は闇。細く入り組んだ廊下の先になにが待つのか、わかっていたことであった。


 奏園に忍び入って無事で済むはずがない。済んだらいかんよなー、と思ったところで、遼灯は床に放り出された。


「いってぇ」


 硬さに思わず声が出る。一歩進めば畳だというのに。使われ者の悲哀は身をもって知ってはいるが、空師に狼藉を働くことに多少の躊躇もないものか。見上げると警主任の姿は消えていた。


 逃走。存分に躊躇っていたようだ。


「これは遼灯殿。ようこそいらせられました。お一人で、とは」


 途切れたその先は想像に容易い。端的に言えば、――来るな。部屋の奥から朗らかな笑いが声に続いた。行燈の灯を背に、扇子で隠した口元がどれほど歪んでいるのか、恐ろしい話である。


 ともあれ遼灯は座すことを許された。となれば、と、指し示された椅子を踏み、やはり窓柵に座る。笑いを納めた久蒔は無表情にて卓を挟んだ椅子に座った。音を立てて扇子を閉じる。威嚇だ。


「出過ぎた真似と叱られますぞ」


「かもね。ま、親戚のオバちゃんの軽口程度ってことで、許してくれんでしょ。でも、久蒔が言わなきゃ知られようがないんだけど」


 絶対話しちまうんだろうなと、遼灯は雨闇に向けて顔を歪めた。付き合いの長さで負けている。しかし今は、味方同士で久蒔を争っている時ではない。問題があるのだ。


「覚えてないってんじゃなぁ……。分も何もねぇや」


 唸るような声が出る。対して久蒔は、平素と変わらぬ凛とした声で応えた。


「時間が経ちすぎているのですよ。なぜ今になって行動を起こされるのか。一言申し上げなくては我慢なりません。お戻りになられましたら、そう久蒔からとお伝えください」


「伝言運んだら、俺がここに来たことがまずばれちゃうんですけど」

「自力で誤魔化しなさいませ」


「誤魔化せって、久蒔」


 あきれた調子で言ってから、夜空に笑いを響かせた。まったく手厳しいと言うのか、気にされていないと言うべきか。国主であろうとあんな扱いだ、空師ごときはこんなでも良い方かもしれない。


 お忍びと素性を隠して出入りする市中における粗雑な扱いも楽しんではいたが、正体を知った上での容赦ない仕打ちもまた良いのだろう、と昂鷲を思う。


 久蒔は先王・竹浦の朋友であったと聞いた。父王が存命の頃から昂鷲も、親しんでいたのだとも聞いている。


 からりと戸が開き、夏庭が茶と菓子を載せた盆を持って入ってきた。よ、と遼灯は手を上げる。互いに従人同士、遼灯には久蒔よりも夏庭とのほうが馴染みが深い。


 王はお忍びで奏園に来て、久蒔は役目で城に罷り越す。どちらの場所でも遼灯は夏庭とはよく喋った。こちらも親子のような気分であるのかもしれない。


 夏庭は微笑んで見せた。遼灯が居ると知っていた風である。皿に並んだ吉菓子は遼灯の好みだし、杏茶はなによりの好物だ。


 乾燥させた実を刻むところから始めるので、すぐに用意のできるものではない。はじめからすべては知られていたらしい。もちろん奏園はそうでなくてはいかん、と遼灯は負け惜しみ半分うなずいた。


 茶と菓子を並べると、夏庭は遼灯をちらと見、黙って下がって行った。一瞬の表情で充分に語ってくれる。心配しているのだ、千璃を。

 責められたような心地をざらざらと味わいながら、遼灯は久蒔の澄まし顔に言う。


「なぁ、千璃……」

「えぇ」


「本当に覚えてねーのかな」


 茶を口に運んだ。夏庭だけの丁寧さを味わう。

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