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11.光と約束


 幼い自分の夢をみていた。いつしかみることのなくなっていた、あの村の記憶。かつては幾夜もよみがえり、小さな胸を怯えさせた脅威。火と風と叫び。

 園で暮らすうちに薄れ、やがては埋もれていたそれに、千璃は数年ぶりに触れていた。


 今となれば、自分ではないほかの人間の物語のようだ。語りに聞くような悲しい話。琵琶の音とともに聞いたなら、単純に可哀想にと涙を流すかもしれない。その子どもが可哀想だと。


 二親を亡くすことなど珍しいものではなく、ありふれた出来事であると知ったこの奏園。


 時折、幸せの記憶を思うことはある。けれど彼らがいてくれたならこうであっただろうと、生活を想像することはしない。


 手に入らぬものは追わない。嘆いても仕方のないことを理解している。冷たい涙で取り戻せる過去はないことを、千璃はほかの子どもと共にここで学んだ。


 しかしぬくもりに満ちていた眼差しを、過去を思い、温かな涙を浮かべることはある。幸せであった日々に、その感情はむしろ喜びに近い。


 戦を起こした王弟を恨むこともしない。ただ宿命であったと思うだけ。負はとうに昇華している。時に散じて消えたのだ。

 素由の町並みは美しい。国興の昔から数百年、王都はここに置かれていた。国土の拡がりに伴い、永楽への遷都が行われたのは二百と五十年ほど前のこと。


 国史上、まだまだ素由のほうが都として在った時代は長い。そして都でなくなったが故に変化の波が寄せず、当代そのままの造りが残っていた。

 緩やかな世相が窺える、円らかな町である。遡ったその時代の、ゆったり流れる時を見るようだ。


 遷都のそのころは国としてもっとも成長したころでもある。武人気質の王の出現によりもたらされたその時代、国はかつてないほどの戦を経験した。

 その王に造られた町なので、永楽の町は素由に対して硬質だ。受ける印象がまったく異なる。武骨な建造なのである。


 最期。かつての栄光そのままに雅な姿をみせる州城――かつては国城――に、寛方は立て篭もった。開けば終わりの近過ぎた反乱であった。


 交わされた理想論は空論と崩れ去り、集まった臣たちは散り散りに消えた。無傷の昂鷲と創を負った寛方は、数年ぶりに向き合った。


 やがて弟は州城の天守で、情けをかけられ自害したという。最期のときは二人きりで、側には誰もいなかった。その場のことを誰も知らない。ただ、寛方は王家の墓所にねむっている。その死の理由にも(かかわ)らず。


 首謀が討たれ、内乱は終結した。始まりから終わりまで約二週間。国の歴史を考えるに、あまりに短い叛だった。


 王は村であった地を歩いた。炎の走った痕を追う顔に表情はないが、なにを思っているのか想像に易い。後ろに控えた武官は顔を顰めてそれを見ていた。知らず歯を噛み締めている。痛みが翌朝まで残るほどに強く。 


 寛方は死した。王位を欲し起ち上がった、それがこの結果だ。いくつもの村を滅ぼした。


――この村も、すべての民が死んだ。起こってはならぬ戦であった。改めてそう嘆いたとき、王の背がふいに揺れるのを見た。


 はっと思ったときには、昂鷲は崩れた壁に両手をかけていた。なにを、と問うのを遮り、鋭い声がとぶ。


「手を貸せ、龍岬(りゅうこう)!」

「は」


「生きている。早く!」



 体を起こせるようになった頃からしか記憶はない。母ではない女人が世話をしてくれていた。吸い飲みから水をもらったことや、額に載った手を覚えている。


 お母さんではないのだと、朦朧と思った。もういないのだと沁みた。時々涙がこぼれたが、不思議と時々のことだった。部屋に男が現れた。女人が膝をついて礼をとる。


 名を問われた。

 千璃、と答える。


 早く元気になれ、と笑った。子どもは走り回れとか、そのようなことを言い頭をなでる。


 髪は焼けてしまい、揃えたもののばらばらだ。寝台に腰をかけていくらか話していった。なにを、については覚えていない。


 ただそれは小さな女の子の心を怯えさせるものではなかったらしく、翌日から千璃は昂鷲に付いて回った。駆け寄る子どもに嫌がる素振りもなく、昂鷲はよく相手をしてくれた。


 ほかに知るものもいない場所で千璃は優しくしてくれるその人によく懐き、結局数週間ほどもくっついて過ごしたのだった。


 昂鷲さま。そう呼んでいたはずだ。


 最後になんと言ったのだったか。別れ際、握っていた手を離し、久蒔の腕に抱かれている千璃の顔を覗き込み、昂鷲は。


――「時間ができたら迎えに行く。生きていろ、千璃」


 では昂鷲は、約束を守ったのだ。あれを約束と呼ぶのなら。すでに王であったのだから、命だったのかもしれない。

 生きていろ、とは、最低の言だ。けれど、あの時は互いに、その最低を危うくしていた時であった。最低から自分を救ったのが、昂鷲の手であったのだ。


 千璃は右手を胸に当て、左の手でそれを包み込む。ぐい、と引かれた手の大きさが、その力強さが今よみがえるようだった。


 あれから大きくなった自分の手の、――大きくならなかったはずのこの手の、運命を変えたのがあの手だった。


 もう、いい。確かに聞いた声、耐えなくて良いと言ったあの声、待たなくとも良いと告げた声。あのとき、その姿は見えず光ばかりがあふれていた。

 本当はそうでなかったかもしれないが、千璃には光しか見えなかった。ただ白い。それしか残っていない。それまでの闇と、それからの光。


 そうして千璃はここに居る。

 約束を守り、生きて、ここに居るのだ。

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