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初恋  作者: 三谷朱花
5/10

「北原さんが良く立ってたのは、このあたり?」


 振り向く巧に、蒼佑は首を傾げる。


「もうちょっと右、かな。……僕がこの辺りに立ってて……」


 蒼佑は10年前の記憶を思い出しながら、美和がイーゼルを立てていた場所を特定する。


「そうだな、今、巧が立ってる位置だと思う」


 蒼佑が頷くと、巧が頷いて海に向かう。


「千光寺からの眺めも良かったけど、確かにここも眺めはいいな」


 共楽園にたどり着いた巧は、蒼佑に美和がよくイーゼルを立てていた場所を尋ねた。そして巧が立っている場所が、美和が立っていた場所だ。じっと海を眺めて頷いた巧は、おもむろにスマホを取り出すと、全ての方向の写真を撮り始めた。


「しかし、暑いな」


 後ろを振り向いた巧と目があう。蒼佑は小さく首を振る。


「だから、暑いって言っただろ」


 蒼佑は力なく告げる。ほとんど木陰がない時間帯だ。オーバーヒート気味の頭と、じりじりとした熱に、寝不足でもある蒼佑の体力は削られていた。

 電話して合流しようとしたら、巧はロープウェイで千光寺に昇った後で、ちょうど共楽園に向かっていると言った。「何かヒントがあるかもしれないから」と。


 蒼佑は、本当は一足先に降りていいと言われていたが、何か役に立つことがあるかもしれないからと、そのまま待っていた。気持ちが落ち込んでいたことも、蒼佑の腰を重くしていた理由だった。

 この暑い中幸いだったのは、ほどなくして巧が共楽園に現れたことだろう。


「よし、降りよう。そしてエアコンの良く効いた店に行って、一息つこう」

「ヒントは?」

「今、写真撮っただろ」


 巧が首を小さく傾けた。蒼佑はがっくりと肩を落とす。多分、本当にここで合流する必要はなかったのだろう。


「僕はいなくても良かったね」


 のっそりと立ち上がる蒼佑に、巧が近づいてくる。


「いや。いてくれて助かった。北原さんがよく立ってた位置が分かったし。それで、さっき言ってた、新しい情報って?」

「あー。ボイスレコーダーに入ってるから……店で聞こう」


 とりあえず、今はオーバーヒート気味の頭を休ませたかった。


「そうだな。俺の、飲むか?」


 蒼佑の空っぽのペットボトルを見た巧が、背負ったままのリュックから、器用に1リットルのペットボトルを取り出した。


「ありがとう」


 蒼佑は受け取ると、足りてない水分を補給した。はぁ、と息を漏らすと、巧に頷いた。


「入れて」


 背中を差し出され、蒼佑は巧のリュックにペットボトルを入れた。リュックの口を大きく開くと、リュックの中には尾道の地図が入っていた。


「地図、買ったのか?」

「ああ。高台が他にないのか、地図で見てみたくて。ちょっと出して」

「スマホで見ればいいのに」

「普通の地図じゃ高低差が書いてないからな。それに、スマホは画面が小さすぎる。全体が見たかったから」

「……それ、今回の件と何か関係するのか?」


 眉を寄せた蒼佑に、巧が肩をすくめる。


「するかもしれないし、しないかもしれない。でも、関係ないとは言えないだろう?」

「……本当に探偵みたいだな」

「何のために来たと思ってるんだよ」


 苦笑する巧が、地図を広げる。


「共楽園から降りるなら……よし、この千光寺新道って言うのを降りよう」


 意気揚々と巧が歩き出す。

 まだ歩みの軽い巧とは対照的に、蒼佑は足取りは重かった。


「そう言えば」


 前を歩く巧が振り向いた。


「何?」

「麻子さんには、尾道に来ること、結局言ったのか?」

「いや。そもそも、行くのは言わない方が良いんじゃないかって言ったの、自分だろ」

「まあな。……普通に考えて、自分以外の女のことをわざわざ聞きに行くって、嫌だろう」


 巧の言葉に蒼佑が頷く。昨日の夜、巧にそう言われなければ、思い至りもしなかった。


「だから、言ってないんだろ」

「会った友達から伝わったりとかは、大丈夫そうか?」


 蒼佑は頷く。


「弘大は、言わない。弘大は……麻子が嫌がることをしない奴だから」

「……そうか」

「うん。正直、昨日、麻子に尾道に行くことも、北原のことも、言わないでいて良かったと思うよ。麻子を更に傷つけるところだった」

「え?」


 巧の聞き返しに、蒼佑は首をふった。


「ボイスレコーダー、聞けばわかるから」

「わかった」


 巧がまた前を向いて歩き出す。

 千光寺新道を降り始めてすぐ、カフェの看板を見つけ、どちらともなく立ち止まる。


「とりあえず、避難しようか」


 巧の提案に、蒼佑は迷うことなく頷いた。

 もっと細い小道を伝って辿り着いたのは、古民家の小さなカフェ。二人掛けのテーブルがいくつかの、こじんまりとした作りだった。女性には好まれるかもしれないが、はっきり言って男性二人には不似合いな雰囲気だ。だが、外の熱気から切り離されて、ホッとする。

 幸い席は空いていて、二人はすぐに通された。

 店員に促されて席に着いた巧が、メニューを開いて苦笑している。


「ごはん、って感じじゃないな」


 同じくメニューを開いた蒼佑も頷く。メニューは、食事メニューが一つしかなく、他は全て甘いもの。


「お腹、空いてるか? 僕はまだ空いてないんだけど」


 蒼佑が尋ねる。はっきり言って、空腹を感じてはいなかった。


「とりあえず涼んで、ご飯は後にしようか」

「そうだな」


 巧の提案に蒼佑が頷く。巧が手を挙げると、店員が近づいて来た。


「俺は、アイスコーヒー」

「あ、僕も」

「アイスコーヒー、お二つですね。畏まりました」


 蒼佑が顔を上げて店員を見ると、店員と目があう。店員の目が、見開いた。


「あの……もしかして、間島……君?」


 恐る恐る尋ねる店員の顔を、蒼佑はまじまじと見つめる。だが、蒼佑の記憶を掠ることはない。


「えーっと、そうだけど……」


 どうやら蒼佑の反応で、蒼佑が覚えていないのを理解したらしく、店員がクスリと笑った。


あずまです。東美紀あずまみき。覚えてないと思うけど、麻子の友達だったんですけど」


 丁寧な言葉遣いは、どこか標準語とは違うイントネーションが混じっている。

 蒼佑は記憶を辿ってみたが、東の顔は思い出せなかった。同時に、失敗した、と思う。


「そっか。悪い」

「麻子のことは覚えてます?」


 その問いかけに、蒼佑は戸惑う。 


「……ええ」

「流石に覚えてますよね……よく4人でいたし……」


 言葉がすぼんだ東が、気を取り直したように笑顔を見せた。


「今日は、観光ですか?」


 東の視線の先には、巧がいる。


「そうなんですよ。蒼佑が尾道に住んでたって言うんで、案内してもらってるんです」

「そうなんですね。……あの、何だか、どこかで会った事があるみたいな気がするんですけど?」


 東の問いかけに、巧が苦笑する。


「誰かに似てるって、結構言われるんですよ。名の知れたイケメン俳優さんに似てるって言われれば嬉しいんですけどねー。残念ながら、どこかでよく見る顔みたいです」


 麻子が巧に会ったときにも、似たような質問をしていたことを蒼佑は思い出す。蒼佑は思ったことはなかったが、巧を見てそう感じる人は少なくないらしい。


「そうなんですね、失礼しました」


 クスリ、と東は笑うと姿勢を正した。 


「では、しばらくお待ちください」 


 ペコリと頭を下げた東の後ろ姿を、巧の視線が追う。東がカウンターの後ろに入って行くのを見届けると、巧が口を開いた。


「麻子さんの友達なのに……結婚するの、知らないんだな」

「みたい……だな。それより、まさか、こんなところで知り合いに会うとか思ってなかったけど……ありえるんだよな」


 蒼佑が小さくため息をつく。


「まあ、それは仕方ないよ。……でも、普通、友達なら結婚する話とか知ってそうなものなのに」


 巧の言葉に頷きかけた蒼佑は首を振った。


「麻子はあんまりそういう話を人にしないんだと思う。それに、高校時代の友達だからって、今でも連絡を取ってるわけでもないだろうし。結婚式も、大学時代の友達しか呼ばないことになってるから」


 巧が首を傾げる。


「結婚式に、高校の友達呼ばないのか?」


 蒼佑は頷く。


「僕が転校が多くて、連絡取り合ってる友達が少ないのもあって、大学時代の友達からでいいんじゃないかって、麻子が。人数の釣りあいも取らないといけないだろうって」 

「なるほどな。ただ、直接聞いてなくても、誰かから噂で聞いたりとか、ありそうな気はするんだけど」


 巧が腑に落ちない様子で呟く。


「まあ、全員が全員、人の噂が耳に入るわけでもないしな」


 蒼佑は肩をすくめた。


「こんな小さい町だから、二人が結婚する話なら、すぐに同級生の中で広まりそうな気がするけどね」


 巧の指摘に、ドキリとする。美和の話を思い出したからだ。


「そう……だな」

「でも、たまたま知らないだけかもしれないしな」


 巧の言葉に、蒼佑はなぜかホッとする。


「そうだな」


 巧の目配せに、蒼佑は口をつぐんだ。


「お待たせしました」


 東が手慣れた手つきで、アイスコーヒーを並べる。


「ごゆっくり」


 巧と蒼佑は小さく頷くと、アイスコーヒーを飲みながら、東が完全に離れるのを待つ。東の定位置はカウンターの内側のようで、またカウンターの中に入って行った。

 カラン、と音をさせて、二人はアイスコーヒーを置いた。


「巧、これ」


 蒼佑が、ボイスレコーダーを差し出す。巧はそれを受け取ると、画面を操作しながら眉を寄せる。


「結構時間あるね……聞くのは、後にしようかな」

「とりあえず最初の方の話だけ聞いてくれないか。……あんまり口にはしたくない」


 蒼佑の希望に巧は頷くと、リュックからイヤホンを取り出して耳に装着した。

 しばらくすると、巧の表情が曇る。美和の自殺した理由の部分を聞いたのだろうと、蒼佑は思う。ボイスレコーダーを止めてイヤホンを外した巧が、蒼佑を見た。


「新しい情報って、最初の話のこと?」

「うん、それもある」

「まだ、あるのか」

「もう一つは、その噂を誰が言ったか、ってことなんだけど……」


 蒼佑は声を潜めた。


「噂の発信源、ね」


 巧が頷く。


「どうやら、美術部の顧問の先生みたいなんだ」


 蒼佑の小さな言葉に、巧の表情が険しくなる。


「本当に?」


 蒼佑は頷く。


「本人は否定してたって話だけど、どう考えても、それ以外ないと思う。……それは、レコーダーを聞いてくれればわかると思うけど」


 険しい顔のままの巧が、首をかしげる。


「弘大……君がそう言ってた?」


 小さく出された名前に、蒼佑は目を伏せた。


「いや……断定はできないってしか、言わなかった」

「え? 断定はできない、って言われたのか? でも、蒼佑は、どうしてそう思うんだ?」

「……聞けば、わかるよ」


 蒼佑はそう言って、アイスコーヒーを一口飲む。

 グラスを置いた蒼佑が、あ、と声を漏らす。


「どうした? 蒼佑」

「東さんにも、話を聞いてみたらどうかな?」


 声を潜める蒼佑の提案に、巧が考え込む。そのアイデアにすぐに乗ってくれるんじゃないかと思った巧が、予想外に考え込んだことに、蒼佑は戸惑う。


「駄目、か?」


 巧が顔をゆっくりと上げる。


「蒼佑は、あの話を聞いてることとか、麻子さんの耳に入っても構わないのか?」

「……でも、もう東さんには会ってしまったわけだし……麻子に尾道に来てることはばれそうだし」

「尾道に行った理由は何とでもごまかせるけど、あの話を聞いたって話は、耳に入れない方が良いんじゃないのか? だって、泣いてたんだろう?」


 蒼佑は、忘れていた事実にハッとする。


「悪い。そうだった。巧、ありがとう」

「いや……。聞けるなら、聞いてみたい気はするけどな。面白半分で聞けるような内容じゃないしな」

「そう、だな」


 蒼佑は大きく息を吐く。


「俺だけじゃ情報集められないけど、蒼佑がいると聞けない話もあるな」


 巧が苦笑する。


「……そうだな」


 蒼佑は目を伏せる。真実を知りたいという気持ちは大きく膨らんでいる。だが、麻子を傷つけたいと思っているわけではないことは、確かだった。


「一息付けたし、もう、移動するか」


 巧の言葉に、蒼佑は頷く。ここに長居をしたい気分ではなかった。

 蒼佑たちが立ち上がると、東がレジに移動する。


「ごちそうさまでした」


 先に立つ巧の言葉に、東がニッコリと笑う。


「暑いので、熱中症気をつけてくださいね」

「ありがとうございます」


 巧が微笑んで頷く。


「880円です」


 巧がお金を出す前に、蒼佑は千円札を東に差し出した。


「ごちそうさまでした」


 蒼佑の言葉に東が頷く。


「間島君、今はどこに?」


 レシートとお釣りを蒼佑に渡しながら、東が問いかける。


「東京に」


 東が軽く目を見開いた。


「東京から。いつまで尾道に?」

「今日帰るんです」


 巧がその質問を引き取った。


「そうですか。暑いので、お二人とも熱中症には気を付けてくださいね。ありがとうございました」


 東が微笑んで頭を下げる。


「「ごちそうさまでした」」


 扉を開けると、途端に忘れていた熱気が地面から立ち上った。


「暑いな」


 先に出た蒼佑が目を細めると、その脇から500円玉が差し出される。


「お釣りあるか?」


 巧の質問に、蒼佑は500円玉を受け取らずに首を振る。


「いや、いいよ。今日、巧は付き合ってくれてるだけだし」

「違うって言ってるだろ。ほら」

「いいって」


 受け取らずに歩き出した蒼佑に、ムッとした巧が小さくため息をついて、お金を財布に戻す。


「あんな小さな店で、蒼佑の知り合いに会うとは思わなかったな」


 背中から掛けられた声に、蒼佑が頷く。


「こっちは全然覚えてないけど、覚えられてるってことはあるんだよな」

「しかも、蒼佑転校したりしてるから、余計に覚えやすいのかもな」


 小道から千光寺新道に戻ると、蒼佑はカフェの方向を見てため息をつく。


「麻子に言わないでいてくれるといいけど」


 巧が肩をすくめて歩き出す。蒼佑もそれに並んだ。


「まあ、俺が尾道に突然行こうって言い出したって言っておけばいいだろ。麻子さんなら、蒼佑が俺に押し切られて行ったって納得してくれるよ」


 巧の言葉に、蒼佑は苦笑する。


「そんなに僕、巧に押し切られてるっけ?」

「俺だけじゃないだろ。蒼佑は、結構流されやすいタイプだよ。自覚、ないんだろうけどな」


 今まで思ってもなかった評価に、蒼佑は首を傾げる。


「流されやすい、かな? そんなこと、思ったこともないけど」

「そうだな。全部流されてるわけじゃないからな。でも、信頼した相手になら、流されやすい気がする」

「信頼した相手……ねえ。それだったら、問題ないんじゃないか?」

「普通はな」


 真っすぐ前を見たままの巧に、蒼佑は肩をすくめた。

 じっとりとした汗は、いつの間にか、滴っていた。

 足早に千光寺新道を降りていく二人を、じりじりとした熱が照らし続けていた。

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