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妖語り~胡蝶の夢~  作者: 九尾ルカ
2章:カブトとアゲハ
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朽ち羽の蝶

「保健室……?」


「ちげぇよ。対策……? 室だかって所だ」



 清潔感のある天井を見上げる形にムラサキは目を覚ました。

 開口一番の言葉には、聞き覚えのない声が返事をしてくれた。


 寝返りを打ち、声の方を見れば土で汚れた彩篠校の制服を、だらしなく崩して着た男子生徒が丸椅子に座っている。

 肩幅が広く、見る限り身長も高そうだ。

 がたいに恵まれているらしく、夏服故に見える腕も筋肉質で非常にがっちりしている。



「君が運んでくれたの?」


「ああ、迷惑掛けたからな……」



 彼の言葉に、靄が掛かっていた意識がはっきりしてきた。

 罰が悪そうにしている彼はカブトだ。

 暴走した力からムラサキが引き剥がしたあの男子生徒だ。


 赤み掛かった黒髪を真ん中で分けた青年は、両腿を叩いて立ち上がると扉の方へ向かう。

 恐る恐るというか、慎重にというか、あのがたいからはギャップを覚える程静かにそれを僅か開くと、扉の向こうの誰かと言葉を交わす。



「ムラサキ、飲み物はコーヒーかコーラか水か紅茶か」


「コーラで」


「八備さーん! ムラサキコーラ!」


 なんだその毒々しい飲み物は。


「俺? お紅茶!」


 いや似合わないな。


「いや似合わないな」


 ほら翔人さんも言ってる。


「いいじゃないっすか! あ、角砂糖は3つで」



 ひとしきり飲み物を頼んだ所で、カブトは椅子に戻ってきた。

 翔人もすぐに来ることだろう。

 大げさに腰を下ろしたカブトはすぐに脚を組む。

 足癖の悪いタイプなのだろうと思うのと同時、嫌に似合う仕草だとも思った。



獅子堂武(ししどうたける)。まあ、カブトの方で呼んでくれていいんだけどよ」


「僕の名前はもう知ってるみたいだったね」


「ああ、八備さんに聞いた。オオムラサキだろ? なげぇからムラサキって呼んじまったが、あれダメだったか!?」


「気にしないで」



 なんと言うか、周囲に居なかったタイプだ。

 表情が次から次へと変わり、挙動の一つ一つが大袈裟。一言で言ってしまえば暑苦しい。

 ただ、不思議と不快には思わない。



「ナイフ持って目ぇ血走らせた野郎が校舎入ろうとしてるのが見えてよ。明らかに普通じゃなかったんで止めようとしたんだ……。ただいざ目の前に立ったらあの野郎、腕が変な風に……殺られる! って思ったら無性に体が熱くなって、気付いたらあのザマだ」



 正義感の強さから、体躯に恵まれた自分が止めに入ろうとしたわけか。

 結果、邪妖と化した強盗に返り討ちにされ、カブトの力が覚醒、暴走したと。



「なんで放課後の学校に?」


「ん? 補習」



 信じられないほど腑に落ちた。

 初対面の相手に抱くにしてはあまりにも失礼な感想なのだろうが、どうにも彼は頭があまり良くない気がする。



「失礼する」



 部屋の奥、扉を開けて長身の男が入ってきた。

 翔人だ。

 頬には絆創膏が貼ってあり、飲み物を乗せた盆を手に持っている。


 彼を見たカブトは辺りを見渡すと目についた小さなテーブルをベッドの隣に寄せた。

 ついでに今しがたまで自分が座っていた椅子を翔人の側へとやる。



「カガミさんやミナモさんにやらせないんですね」


「二人は休養中だ。妖力を派手に使ったからな」


「申し訳ねぇっす」



 テーブルの上に紅茶、コーヒー、紫色の炭酸飲料が並べられる。

 紫色の炭酸飲料。

 ……え?



「む? ムラサキコーラと聞いたから用意したのだが」


「え、なんすかその毒々しい飲み物……」


「それが対策室に取り置いてある事に驚きなのですが」


「驚いているようには見えんがな」



 ひとまず口に運んでみる。

 もしかしたらグレープジュースのような味かもしれない。



「どうだ? うめぇ? それ」



 なんとも形容しがたい味と香り。

 間違いなくコーラの風味はするのだが、なんだろう……ラベンダー?


 かと思えばほんのりとグレープのような味がする……気がする。

 結論から言ってしまえばなのだが、どんな味かと問われれば……



「ムラサキコーラの味だね」


「分からねぇよ!?」


「君も飲んでみるかね? ペットボトルであるが」


「マジですか!? ちょ、ちょっとお願いします」



 頷いた翔人は一度部屋を出て、紫色の液体の入ったペットボトルとガラスのコップを持ってきた。 

 それをカブトの前に置く。

 カブトはすぐさまキャップを開け、コップにムラサキコーラを注ぐ。



「いただきます……」



 恐る恐るといった様子でコップに口を付ける。

 さてカブトの反応はと言えば、まず最初に固まった。

 その後、ソムリエのように口の中で転がしているように頬が動き、飲み込む。


 何が起きたか分からない様子で再びジュースを口に含む。

 そして今度は一息に飲み干した。



「すげぇ……ムラサキコーラだ……」


「ね?」



 男子生徒二人が盛り上がる中ーー片方は言葉に抑揚もなく、無表情のままだがーー翔人はコーヒーをのんびり飲んでいる。

 はたしてこんなものを何処で買ったのやら。



「本題に入っても構わないか?」


「あ、はい、サーセン」



 軽い嘆息の後、カップをテーブルに置いた翔人は、視線をムラサキへと向ける。



「桜斑咲君。君の容態についてだが、幸いにも身体に問題はない。昏睡していた間に火傷はほぼ快復している」


「それは良かったです」


「だが……」



 翔人はゆっくりとムラサキに指を向ける。

 正確には、ベッドに身体を起こしている彼の背後を指している。


 何があるのか。


 無論、人間の背中であるそこには何もない。



「羽……ですか」


「ああ。許容限界を越える火の妖力を一度に叩き込まれたらしい。普通なら死んでいる」



 人間の背には何もない。

 だが、ムラサキの背には羽がある。

 力を使うときだけ現れる、オオムラサキの蝶の羽が。



「君が無事なのは、直後にミナモが水の妖力により中和し、目を覚ました火武人君が残り火を吸収してくれたのもあるのだが……」


「なんですか?」



 無機質な瞳を瞬きさせるムラサキに、カブトが呆れたように嘆息する。

 人懐っこく、大騒ぎしていた先程までの様子から一変、彼の表情は真剣そのものだ。



「普通じゃねぇってこったよ。お前がな」


「どういうこと?」


「俺達がしたのはあくまでも処置だ。いいか? てめぇが貰ったのは、まともだったら即死するような物だったんだよ」


「火武人君の言う通りだ。私は直に見たわけではなく、ミナモの話からの見立てになるが、恐らくあのレベルの攻撃を貰ったならば、カガミとミナモでも無事では済まないはずだ」



 虫の知らせ……とでも言うのだろうか。

 なんとなく、そんな気はしたのだ。

 ミナモではあれを耐えられないと。

 だから、咄嗟に庇おうとしたのかもしれない。



「羽を出してみたまえ」


「…………っ!」



 言われた通り、オオムラサキの力を解放する。

 表情は相変わらずだが、僅か眉間が動く。

 ほんの一瞬だが、痺れるような痛みを感じたのだ。



「おいおい……すまねぇ……俺のせいでこんな……」



 カブトが心苦しそうに顔をしかめる。

 ムラサキの背、広げられた青白い光の羽は、片翼がボロボロに朽ちていた。


 輪郭は残っているものの、燃え滓のように鱗粉が剥がれた羽はただ痛々しい。

 力の通りも良くない気がする。



「即死を免れただけでなく、展開も可能か……」


「八備さん。ムラサキの羽って治るんすか?」


「分からんな」



 誤魔化すでもなく、翔人は静かに首を横に振る。

 何度も口にしている通り、翔人からしても即死してない事例が初めてなのだろう。


 記録も経験もないのならば無理はない。

 そもそも、翔人は妖の医者ではないのだから。



「ひとまず経過を見るしかあるまい。復調するまで戦闘行動は禁止だ」


「仕方ないねですね」



 二つ返事。


 予想していた通りの宣告だ。

 気まずそうにしているのはカブトだが、こればかりはムラサキの言う通り仕方のない事だろう。


 あの場、彼が身を呈して……もとい、羽を呈して守らなかったならば、ミナモとカブトは愚か校舎内部の人間や結界越しに翔人にすら被害が及んでいた可能性すらある。



「八備さん。ムラサキが動けるようになるまででいいんで、俺使ってください」


「戦闘経験もない学生に……などと言えるほど人手に余裕がないのでな。ありがたく申し出を受けさせてもらおう」


「ウッス!」



 仰々しく頭を下げるカブト。


 とことんまで体育会系というか、一昔前のヤンキーみたいなノリだ。

 心苦しかった人手不足もなんとかなりそうで一安心といった所か。

 ふと、昨日の光景を思い出す。



「あの、翔人さん」


「どうした?」


「先日キイロアゲハの話を聞いた後に、ハナカマキリさんに会いました」



 わずかに翔人の眉間が動いた気がする。

 彼からしても無視できない名前ということか。



「キイロアゲハについて何か知っているようでした」


「話はしっかり聞けなかったのか?」


「はい。交換条件だと」


「交換条件?」


「僕の後ろの人物について……つまり、翔人さんの事を教えろと」



 翔人は両の手を組み、額に当てて何やら思案する。

 ゆっくり顔を上げたかと思えば、次は腕を組み、目を閉じたまま表情は不機嫌そうに。


 5分、あるいは10分。


 長い長い思案の末に、翔人はようやく瞼を開けた。

 天井を見上げるように顔を上げ、僅か首を傾げて視線だけをムラサキへと向ける。



「花々万斬は君を……桜斑咲を保護してくれた前歴がある。それに、君にはミナモを救われたからな。いいだろう。君が知る範囲ならば、私の情報を売ることを許可しよう」


「ありがとうございます」


「なんなら連れてきても構わない。むしろ、花々万斬としてはその方が都合が良いだろう」



 痩躯の男は気だるそうに、あるいは諦めに近い雰囲気をも感じる様、掠れさせたような声で言う。

 霊災対策室の長がこのような反応をするとは、果たしてハナカマキリは何者なのだろうか。



「ひとまず、今日はもう帰りたまえ。あまり寮を留守にすれば心配する者もいるだろう」



 翔人の言葉に、二人は対策室を後にした。

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