美濃攻め~序章~
1552年~美濃・関ヶ原~
「全くなぜ私がこんな所まで来て采配をとらねばいけないのだ。予定では今ごろ公家たちと蹴鞠をして楽しんでいるはずだったのに!許せん!斎藤道三!」
そう言って斎藤道三に対して筋違いな敵意を向けているのは斎藤道三討伐軍総大将の足利義昭である。
15歳とまだ少年であったが初陣では少数ながら兵の指揮を執りその際を皆に見せた。
しかし、彼には兄がいたため将軍になることはなかった。しかし、彼はそんなことは気にせず毎日を公家と蹴鞠や短歌などで遊ぶようになっていた。
これには公家と仲良くなりいざというときに公家の力を借りれるようにするためと言う最もらしいことを理由にしているが実際はただ遊んでいるだけであった。
そんな弟を兄の義輝はあきれるしかなかった。
父が病でこの世を去り15と言う若さで将軍の地位についた彼は国を混乱させることなく跡を次ぐことができた。その後は忠臣として知られる三好長慶及び官僚の細川忠元達の協力を得ながら頑張っているのに弟はこの体たらくである。
そしてついに怒りの限界を迎えた義輝は弟にたいして斎藤道三の討伐を強制的に命じて無理やり討伐を行わせることに成功し今に至る。
義昭もうつけではないのでさっさと終わらせるべく兵を進めた。
斎藤道三は少ない兵を無だ時にさせたくないのか関ヶ原を本陣にして各地の城を落としているが抵抗らしい抵抗はなかった。
織田家や姉小路家も同様で、すでに美濃の半分は制圧できていた。
「(ここまで抵抗らしい抵抗がないと何かありそうだな)藤孝、2000ほど率いて織田の援軍に迎え」
義昭はそう考え斎藤道三の本拠地に一番近い織田の援軍に藤孝を向かわせる指示を出した。関ヶ原付近には近江守護六角家の家臣浅井久政率いる5000が控えているためよほどのことがない限り突破はされないだろうと言う考えからであった。
「岐阜城攻めには六角殿も加わりますが?」
近江守護六角家には織田と一緒に岐阜城を攻め落とすように伝えていた。故に援軍は必要なのかと聞いたのだ。
「六角殿はいざというときに慢心してしまい勝ちなので援軍は必要かと」
そう言ったのは細川藤孝とともに補佐役として選ばれた一色藤長であった。
「…確かにそうですな。わかりました。直ぐに2000を率いて向かいます」
そう言い藤孝はその場をあとにした。
一方岐阜城前に陣取る六角家の本陣では、
「よいか!この度の戦で我等はあくまで織田殿の補佐役に過ぎない。我等は援護に徹底するぞ」
義輝に聞かされたことを家臣たちにいいながら激を飛ばしているのは六角家当主六角義賢である。2メートルをいく巨体からはとてつもない破棄を吹き出している。
そんな義賢の元に岐阜城に侵入した忍が報告に来る。
「どうだった岐阜城の様子は?」
「そ、それが…」
忍は言いにくそうに口をどもらす。
「なんだ、さっさと言わんか!」
「は、はい。じ、じつは」
そして次の言葉に驚愕することとなる。
「岐阜城には最低限の守備兵しかおりませんでした!」
斎藤道三の策は既に始まっていたのであった。