7話 警備隊
* * *
「クコってさ、警備隊知らなかったんだろ」
唐突にそう言ってきたのは、隣の部屋に住んでいる同僚の青年。
朝の支度を終え、与えられた昼休み。彼はあたしが食事を終えたのを見計らい、話しかけてきた。
「ん? 警備隊……?」
「そ。アンタ、この辺のこと知らないみたいだからさ。警備隊を知らないっていうのは、ちょっと危ないぜ?」
得意顔でのたまう彼の名はポール。初見で『もやし』とあだ名をつけてやった男である。……実際、従業員すべての名前と顔を一致させるのは至難の業で、よって把握するために心のなかでつけたあだ名が役に立っている。
「なあに、田舎者って言いたいの?」
「ちがう、ちがう。新参者にご忠告と、やさしい先輩からの助言だよ」
『もやし』ことポールは苦笑すると、なんと自然な動作であたしの肩に腕を回した。
「はっ?」
「ん?」
「え、なに……?」
彼氏いない歴×××年。こういった行為には免疫がないに等しい。ぎょっとして斜め上を見上げる。
ポールは明るい茶色の髪を風になびかせ、軽く笑っている。そのままあたしがなにか言う前に、さっさと歩き出した。
自然と彼に肩を抱かれたあたしは、一緒になって歩くしかない。ぐいぐい足を進めるこの男、あたしより五歳も年下であるにも関わらず、実に女慣れしている。けしからん。
ひょろっとしているくせに、色白で「病弱なんです」と言われたって信じてしまえるほどか弱そうなのに、ポールは思いのほか力強く、そして色気たっぷりにほほえむことができるようだ。
強引に連れていかれたのは、街の東通り四番地にある大きな建物の前。看板は読めないので正確にはわからないが、出入りする人間はみんな紺のピシリと糊のきいた制服を着ていて、おそらく彼らがポールの言う『警備隊』なのだろう。日本でいう警察みたいなものだろうか。
何気ない素振りで建物の前を横切り、しばらく歩いたところで足をとめ、ポールはニヤリと笑んだ。
「どう?」
「どうって……なにが」
真意がわからず顔をしかめると、質問の意味がわからなかったのか、ポールのほうが首を傾げた。表情は驚きに包まれている。
「なにが、って。アンタ、ちゃんと見たのか? 目玉ついているんだろうな!」
「どうしたっていうのよ。あれが警備隊っていうんでしょ? だから、なに? 意味わからない」
「おいおい、クコってば感性ねじ曲がってんな」
この『もやし』め。さてはあたしに喧嘩売りたいだけだな? よし、買ってやろう!
むっと眉根を寄せたあたしに気づかず、ポールはあてが外れたのか、がくりと肩を落とす。
「ちっ。もっと驚いた顔をすると思ってたのに」
「どうしてよ。なんかあんの?」
逆に気になってくる。あたしはなにかを見逃してしまったんだろうか。
遠くに見える建物と闊歩する制服の人たちに目を向ける。だがしかし、特別変わったことはない。しいていえば、この世界の警備隊とやらは実にかっこいい! 仕事場の制服、というより軍服みたいなそれは、彼らの誇りなのだろう、どれも新調したてのようだ。胸を張って歩く姿は思い描いていた『ファンタジーの兵隊さん』そのもので、人目を憚らなくていいのならば目を凝らして観察させてもらったことだろう。
ポールはやはり腑に落ちない表情のまま、肩をすくめた。
「だってさ、フツウ、田舎から出てきたらあの姿にぽーっとするんだぜ。城下の警備隊は民のあこがれで、王の信頼さ」
そう語る彼の瞳も、たしかにキラキラしていた。
「へえ、そうなんだ」
「ああ。だから、警備隊が常連客である『豚小屋』で働けて、俺ってば幸せ者! おまえも幸せ者! ってことさ」
「へえ、そうなんだ」
相槌をうってから、はたと止まる。
「あの人たち、『豚小屋』をご贔屓にしているの?」
「ああ、そうとも……って、やっぱり気づいてなかったんだな」
ニヤリと笑んだポールは悪戯っこそのものだ。
ここでようやく、彼が言った言葉を思い出す――「警備隊を知らないっていうのは、ちょっと危ないぜ?」と、いうことは。
「おまえが何回も注文聞き直してたお方も、チップを勘定と間違い会計してしまったお方も、誘われたのに無下にしたお方も――全部、警備隊のお方だぜ?」
「そん、な……でも、制服着てなかったもん!」
「店に来るときは上着を脱ぐのがマナーだろ? 他の一般客をいたずらに緊張させないためにさ……まあ、ふつうは彼らが警備隊だって気づくものだけどなあ」
「聞いてないよ!」
そんな話!
仕方がないじゃないか。耳慣れないメニューに戸惑うのも、チップの習慣がない日本人なのも、誘われ――ってそれこそわけがわからないのも、仕方ないじゃないか!
「な? これで危機感もてただろ」
つまり、あたしは国の英雄ともあこがれられる人たちに粗相をしたと……? それも、ポールが呆れるくらいには。
カッとなる。でも、そんなこと、だれも教えてくれなかった! だからわからなかった!
もしかして、オヤジさんに迷惑をかけてしまったのではないか……変なところでやさしい『豚小屋』の店主を想い、唇を噛みしめる。
すると、ポールは困ったように笑い、こちらの顔をのぞき込んできた。
「そんな顔するなよ。別に責めているわけじゃないって。今はオヤジも警備隊のお方も、アンタが田舎から出てきたばかりの『こども』だって知ってるから、なんら咎められることもないし、相手方も気分を害されることもない。だけど、あと幾年かすればそれも変わるだろ? オヤジはじきにわかるだろうって言ってたけど、俺にはそうは見えない。で、ハラハラするより、今からでも現実を教えてやったほうがいいと思ってな」
そうして彼は、まるで幼子か妹にでもするかのように、あたしの頭をぐしゃぐしゃにかきなでた。
短くはない髪がぼさぼさにされ、視界を覆う。
頭上のぬくもりがあたたかくて、あたしはされるがまま、抵抗らしい抵抗もしなかった。できなかった。
心細かったんだ――気づいた。そうか、あたしは寂しくて、それこそ天涯孤独で、だからとてつもなく不安で心細かった。
ふたりの妖精は、まるであたしが図太いみたいに言っていたけど、自分では繊細でガラスのハートを持っているという自負がある。
「ふん、有難迷惑だわ」
「心にもないこと言うなって」
まるで彼はあたしの嘘がわかるみたい。強がりもなにもかも、見透かしてしまいそうな琥珀の瞳。
彼に頬を両手で挟まれ、ようやっとあたしは眉根をひそめた。
「馴れ馴れしく触らないでくださいますかしら」
「なーに。どこぞの貴族令嬢みたいな言葉遣い。もしかして、そこがアンタの故郷?」
「はあ?」
ほそっこいくせして、頬を挟んだままの手はびくともしない。必死に引きはがそうとしているのに、あたしが彼の手に自らの手を重ねているように見えるじゃないか!
ついでわけのわからぬことを言うポール。こいつ、もしや不思議ちゃんかと認識を改めようとした瞬間、頬を拘束していた手はするりとあっけなく離された。
「まさか、ね。アンタが貴族令嬢なら、俺だって王子さまになれちゃう」
「ねえ、侮辱してるの? 喧嘩売りたいならそう言いなさいよ。利子つけて買ってやるわ」
「利子つけるの。面妖な子だねぇ」
ケラケラと腹を抱えて笑い、彼は遠く、警備隊の本拠地をながめた。
「どうかしたの」
「いや、なんでもないよ。クコが変人すぎて、疲れちゃったのかもなぁ」
「むかつく」
目を細め、ポールはさて、とあたしの手を握った。
なにすんだ、と声をあげるまえに、彼の年の割には落ち着いた穏やかな声がかぶさる。
「そろそろ帰ろっか。オヤジが待ってるし、遅くなると怒られちゃう。帰り道にハミツダー飴があるから、買っていこう」
ハミツダー飴とは、ハチミツバター飴のことだ。以前、オヤジさんの奥さんが買ってきてくれて、こっそり一袋くれたのだ。口のなかでとろけ広がる濃密なあまさに、思わずうっとりするほどのおいしさで、あたしの大好物だ。
やはりポールは侮れない。あたしの機嫌が向上するのがわかっているのだ。
仕方がない。今日はあまんじて、手を繋ぐ権利を彼にあげよう。
総じて、乙女は甘いものに目がないのだから。
*
帰り道、約束通りハチミツバター飴を舐めながら、お客さんでありながら警備隊という名の要注意人物集団に属するメンバーを教えてもらった。
名前と顔を一致させるのは難しいから、その人の特徴だとか諸々を教えてもらう。一目見て、「こいつぁ警備隊だぜ、注意しよ!」って思えればいいのだから。
ポールの説明は実にわかりやすかった。しかし、警備隊の多くが『豚小屋』を利用しているそうなので、なるべく位の高い人とか、面倒な人をあらかた聞いた。
なかでも、あたしの印象に強く残っていたお客さんが何人かいた。
たとえば、『黒さん』。黒髪で前髪をななめにたらしており、瞳はきれいなアメジスト。けれど瞳には生気の欠片もない。じっと無言でときたまこちらに視線を向けているが、笑顔でお辞儀をしてもシカトする感じの悪いお客さんだった。ポール曰く、『期待の新人・氷山の騎士』だ。氷の騎士、ではない、氷山だ。それほどまでに冷たい男ということになる。
たとえば、『オールバック』。痛んだ金髪をうしろになでつけたヘアスタイルで、チャラついた印象を抱く。いっつもニコニコして愛想がいいのかと思っていたところ、ニコル料理長に「奴は遊び人だ。気をつけろ」とクギを刺された。ポール曰く、『貴族のワガママ三男坊』だ。あきらかに面倒くさそうだ。金と権力で悪事をもみ消してしまうらしい。
たとえば、『刈り上げ熊』。でっかいどしりとした図体で、髪型は右のみ刈り上げ。無口無表情で、くまさんみたい、と癒されるどころか、いつか暴れて殺されるんじゃ……と思うほどの威圧感がある。他のウェイターもびくびくしてた。ポール曰く、『モニザィの生き残り』だとか。モニザィとはなんぞや? という問いに、ポールは五年前の戦乱だと教えてくれた。
あたしはポールに『黒さん』や『オールバック』、『刈り上げ熊』というあだ名をつけたことを教えてあげた。『期待の新人・氷山の騎士』より、『貴族のワガママ三男坊』より、『モニザィの生き残り』より、ずっと簡単で隠語になってる。それに的確だ。
ポールはひぃひぃ変な声を出して笑いを堪えて同意してくれた。そんなに我慢しなくても、笑いたきゃ笑えばいいのに。こいつもメンドクサイ男だ。