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転生エルフ執事は、何度でも主人の最期に紅茶を淹れる ~不老不死の悠久のお仕えスローライフ~  作者: 季未
第六章 止まらない時計とハイエルフ

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第七十六話 九席目の意味

コンラートの葬儀はヴィルヘルムを見送った時よりもさらに小さく、静かなものだった。


身寄りがなかったのだ。


人生の長い年月を歯車猫亭の薄暗いカウンターの内側だけで過ごしてきた偏屈な老人には、血縁と呼べる者が一人もいなかった。


遠い親戚がどこかの街にいるらしいと聞いて手紙を出してはみたものの、返事はなかった。


間に合わなかったのか、そもそも来る気がなかったのか。


それはどちらでもいい。来なかったという事実だけがそこにあった。


参列したのはわずかな人数だけだった。


ヒルダ。ミーシャ。トビアス。ルッツ。書店主のエーベルト。菩提樹亭の──僕が今も宿代を払い続けている宿の女将、ブリギッテ。


残りは、彼と付き合いの長かった近隣の工房の主人たちが数人。


そして、僕。


弔辞は誰も読まなかった。


読む役目を引き受ける人間がいなかったからではない。コンラートが生前に「面倒な弔辞など絶対に要らん」と固く言い残していたからだ。


僕が譲り受けたあの記録ノートの、最後のページの裏側に小さな字でこう書かれていたのだ。


『弔辞不要。花も不要。ただ、美味い紅茶を一杯置け。以上』


だから僕は、彼の眠る静かな棺の横に、湯気を立てる紅茶を一杯だけそっと置いた。


茶葉は歯車猫。彼が最後に教えてくれた、温度と蒸らし時間で。


彼がいつだって取りやすいように、取っ手を真っ直ぐ手前に向けて。


墓地は街の北にある見晴らしの良い丘の上にあった。


リンデンブルクは多種族が混ざり合う自由都市だから、墓の形式も様々だ。


人間の質素な十字架、ドワーフの重厚な石柱、獣人の木の墓標、エルフが弔いに植える小さな苗木。


その中でコンラートの墓は名前と刻まれた年月だけがある、装飾の一切ない小さな石碑だった。


墓碑銘はなかった。


いかにも彼らしい。


最後まで、余計な言葉で自分を飾ることを嫌う不器用な人だった。




♢   ♢   ♢




墓地から街へと下る帰り道。


ヒルダが重い足取りで、僕の隣を歩いていた。


「泣かないんだね、あんた」


「泣けないんです」


「ヴィルヘルムの爺さんの時も、そうだったねえ」


「ええ。たぶん……今回も、後から来ます」


「後からか。……寿命が長いエルフってのも、なんだか不便なもんだね」


「はい。不便です」


ヒルダは「ふん」と、短く鼻を鳴らした。


コンラートと全く同じ癖だった。長い付き合いの間にいつの間にか移ってしまったのかもしれないし、長生きした偏屈な老人たちに共通する不器用な呼吸法なのかもしれない。


「で。店はどうすんだい」


「開けます」


「あんた一人で?」


「ええ。コンラートさんに言われました。店を閉めるなと」


「……最後まで人使いが荒いね、あの偏屈は」


ヒルダはゆっくりと空を見上げた。


灰色の厚い雲の隙間から、春の柔らかい光が幾筋も細く差し込んでいる。


「じゃあ、明日もまた、いつものお湯を飲みに行くよ」


「お湯じゃなくて紅茶でしょう。最近は紅茶に変えたじゃないですか」


「あたしが何を飲むかは、あたしが決めるんだよ。生意気な坊やだね」


彼女のいつもの軽口に、僕はほんの少しだけ救われたような気がした。




♢   ♢   ♢




翌日から、僕は歯車猫亭を完全に一人で回し始めた。


夜明け前に起きて、菩提樹亭から冷たい朝の空気を切り裂いて歩く。


重い鍵を開け、真っ暗な店内に火を起こし、壁に並んだ時計たちのネジを順番に巻く。


コンラートが暮らしていた二階の部屋は、遺品の整理が完全に終わるまでそのままにしてある。


だから僕が軋む階段を上ることはもうない。階段を上る理由が、もうこの店にはないのだ。


仕込みを終えて、開店の札を下げる。


午後になると、いつものように客がやってくる。閉店は日が落ちる頃。


一人で店を回す分には、何の不都合もなかった。限られた数の客席と、一人が長居する平均的な時間。


回転率を計算し、一日の客足に合わせて茶葉の消費量や水の使用量、洗い物の回数まで、すべて僕の頭の中で完璧に計算済みだ。


──そうやって、冷たい数字と手順だけで考えている間は、楽だった。


数字は感情を持たない。


決められた完璧な温度は常に一定だし、計られた蒸らし時間はいつだって正確だ。


感情を交えず、ただひたすらに正確さだけが求められる職人の世界に没頭していれば、胸の奥で燻っている鈍い痛みを、ひとまずは忘れていられる。


だが、夕方になって客が帰り、店を閉めると……数字は消え去り、そこには静寂だけが残る。


閉店後。


一人きりになった薄暗いカウンター。壁の時計たちが、カチコチと不揃いな音を鳴らしている。


コンラートがいつも座っていた奥の椅子は空のままで、使い込まれた座面には老人の体重で沈み込んだ跡が、今も微かに残っている。


僕はそこには座らなかった。


座れなかった。


あの椅子はコンラートのものだ。


長い年月、毎日同じ場所に同じ姿勢で座り、客を睨みつけていた彼の特等席に、他の誰かが座っていいはずがない。


でも、店の奥でただポツンと空いたままにしておくのも、どこか違う気がした。


数日間迷って、やがてある朝、僕は決めた。


その椅子を動かした。


奥の壁際ではなく、カウンターの端。僕が作業をするときに腰掛ける高いスツールのすぐ隣へ。


そして椅子の向きを少し変えて、客席の方を向くように配置した。


コンラートが、いつも腕を組んで客を不機嫌そうに睨んでいた、角度と同じに。


誰も座らない椅子。


でも、確かにそこにある椅子。


ヒルダが午後にやって来て、定位置に動かされたその椅子を見た。


「……いい場所だね」


「コンラートさんが、いつも客を見ていた角度です」


「分かるよ。あの厳しい目つきでね。長いこと、毎日毎日睨まれたんだから」


ヒルダはいつもの隅の席にドスンと座り、白湯ではなく『歯車猫』を頼んだ。


その週のうちに、ミーシャも店内の変化に気がついた。


「あれ、リアンくん。椅子が一個、増えてない?」


「増えてないですよ。動かしただけ」


「でも、あそこじゃお客さんが座れない位置じゃん。誰の席なの?」


「コンラートさんのです」


ミーシャは数秒間黙って、椅子の沈んだ座面を見つめ……それから、優しく笑った。


「そっか。じゃあ、九席目だね」


「九席目?」


「お客さんの席が全部で八つでしょ? コンラートさんの席が九つ目。でも、誰も座らない特別な九席目。そういうの、あたしは好きだな」


ミーシャの大きな灰色の尻尾は、揺れなかった。嬉しそうに膨らむこともなかった。


真っ直ぐ下に垂れ下がっていた。それは彼女が悲しい時の尻尾のサインだ。


でも、彼女の表情はとても穏やかで、尻尾のサインと完全に矛盾している。


この子は悲しみと優しさを同時に抱きしめることができるのだ。


リス族の短い人生が、彼女の感情の純度を美しく高めているのかもしれない。


トビアスもまた、その椅子を見て一瞬だけ立ち止まった。


いつもの手垢にまみれたノートを開きかけて……すぐにパタンと閉じた。


「記事には──」


「しないよ。もう、言われなくても分かってるだろう」


「分かってます。ありがとう」


無口な犬族のルッツは、その椅子を見ても一言も発しなかった。

ただ、いつもよりも少しだけ長く店に残り、アッサムの最後の一滴までをじっくりと味わうように飲んでから帰っていった。


無口な鍛冶職人にとっての、彼なりの不器用な弔いの時間だった。




♢   ♢   ♢




閉店後、ランプの灯りの下で、僕はコンラートから譲り受けた分厚いノートを開いた。


一人の職人が人生をかけて書き記した記録。数え切れないほどの紅茶のデータ。


季節ごとの茶葉の癖、湿度と蒸らし時間の相関関係、そして常連客たちの体調と好みの些細な変化。


一人の人間が一生をかけて積み上げた、紅茶の百科事典。


僕はページを静かにめくり、一番最後のページを開いた。


弔辞は不要だと走り書きされていた、あの裏側のページ。


ふと、その文字のさらに下に……もう一行だけ、薄く追記があることに気がついた。


老眼鏡もかけず、薄暗い部屋で書いたのだろう。


文字は小さくて、線が震えていて、注意しなければ見落としてしまうほど読みづらい字だった。


目を凝らして、その震えるインクの跡を読んだ。


『店を頼む。紅茶を頼む。あとは、好きにしろ』


好きにしろ。


コンラートが最後に僕に言い残した、これ以上ないほどの自由だ。


普段彼が口にしていた「勝手にしろ」の、最上級の言葉。


長い歳月を、自らに課した厳しい規律と頑固さで縛り付けてきた職人が、最後の最後に残した言葉が「好きにしろ」。


「……ふっ」


笑った。


「あはは……」


誰もいない店内で、僕は声を立てて笑ってしまった。


本当に不器用で、憎たらしいほど愛おしい人だ。


笑って——それから、視界がぼやけた。


「……あぁ」


ポタ、ポタと。ノートの古い紙の上に熱い雫が落ちた。


やっぱり、後から来た。


たぶん、コンラートが残してくれたこの『好きにしろ』という不器用な命令が……かつてフィレーネが春の庭で僕に残した『幸せになりなさい』という優しい命令と、深く重なってしまったからだ。


「……はい、コンラートさん」


僕はノートを閉じ、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、カウンターの端に置かれた小さな置き時計に手を伸ばした。


「好きにします」


真鍮の小さな鍵を穴に差し込む。


——カリ、カリ、カリ。


教わった通りの、決められた回転数。


少しでも巻きすぎたら、古いゼンマイが傷んでしまう。


コンラートに怒られる。「手加減を覚えろ、ガキが」と、また怒鳴られてしまう。


もう彼はいないのに。


もう二度と、あの不機嫌なへの字口で怒られることはないのに。


——カリ、チャッ。


正確な回数。


彼が僕の指先に叩き込んでくれた、過不足のない完璧な回転数。


泣いても、僕の手は止まらない。


完璧な温度は完璧なままだし、正確な時間は決して狂わない。


カチ、コチ。


こち、こち。


八つの時計が、それぞれの不揃いなリズムで明日へ向かって進み続けている。


彼が遺してくれたあの空席の椅子と共に。

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