第7話「黒歴史を背負った新人声優だってハッピーエンドを迎えたい!」
「望、海……」
「貴樹先輩……」
今なら、物凄くいい芝居ができるんじゃないかって思った。
笹田さんと一緒の時を過ごしていると、こんな感覚に襲われることがある。
今なら、今なら、笹田結奈さんを見返す芝居ができる。
そう思ったけど、現実はそんな簡単にできていないらしい。
「和生さん、結奈先輩、お邪魔してもいいですか?」
ここに揃った全員が全員、状況を把握しているだろうか?
俺は、笹田さんに押し倒されている。
笹田さんは俺のことを押し倒しているっていうのに、笹田さんは何も問題はないと言わんばかりにスタジオを訪れた汐桜ちゃんのことを歓迎した。
「すみません、お邪魔しました……」
鈴音さん所有のスタジオに顔を出したのは、森村荘に来たばかりの水越汐桜ちゃん。
初めて訪れる森村荘のスタジオの壮大さに驚いたのか、同業者同士の見てはいけないものを見てしまって目のやり場がないのかは分からない。
「汐桜ちゃん。今のは、お芝居の練習」
「え、あ、なるほどです」
笹田さんが俺を押し倒していた時間はあっという間に過ぎ去って、笹田結奈さんを魅了するだけの芝居を披露することはできなかった。
「汐桜ちゃんも、アイスクリームいかが?」
クーラーボックスを漁って、誰も手をつけていないアイスクリームを差し出す笹田さん。
笹田さんからの好意を喜んで受け取る汐桜ちゃんだけど、何も問題なく話を進められる女性陣の心臓の屈強さに言葉を失ってしまう。
「森村荘には、収録スタジオがあるんですね」
「予約が重なってなければ、自由にお芝居の練習をさせてもらえるの」
「神システムではないですか!」
俺ばっかりが赤面しているっていうのに、笹田さんは恐ろしいくらいいつも通りを続けていく。
俺は目を泳がせるので精いっぱい。
別に悪いことは一切していないっていうのに、汐桜ちゃんに説明できる事柄が何一つないのはどうしてだろう。
「和生くん?」
俺の具合が悪いのかと勘違いした笹田さんは、俺の顔を覗き込むように様子を窺ってきた。
頬に触れる笹田さんの手の温かさに何だか泣きたくなって、こんなことされたら笹田さんに惚れ込んでしまいそうになる。
「大丈夫?」
「女の人って、狡いなぁって思ってたところです」
彼女の瞳と、俺の瞳が合わさって。
ああ、ずっと彼女の瞳を見ていたいな。なんて思ってしまったけど、俺は現実へと目を向けなければいけない。
「和生くん? 本当に大丈夫?」
ちょっとでも優しくしてくれたり、ちょっとでも仲良くしてくれたり。
俺だけに笑いかけてくれる機会が多かったり。
何かあったときに、頼ってもらったり。
「いやー……俺、今日は妄想がはかどりまくっていると言いますか……」
そういう女の子がいたら、いとも簡単に惚れてしまうのが男って奴で。
「熱でもあるの?」
「あるかもしれませんね……」
「ちょっと、額を貸して」
「って!」
声優の笹田結奈さんは、絶対に俺に惚れている!
そんな自信を抱いたのは、高校時代のいつだった?
俺が告白したら、これって人生初の両想い!
そんな妄想を繰り広げたのは、高校時代のいつだった?
「大丈夫です、大丈夫です、大丈夫です!」
笹田結奈さんのファンをやっていたときの俺。
心配しなくても、将来的には笹田結奈さんとラブコメもどきな日々を送れるようになるぞー。
その分、声優として食べていかなきゃいけないっていう半端ないプレッシャーが付属特典としてプレゼントされるけど。
「本当に? 嘘ついてない?」
笹田さんの言葉は、確実に聴覚へと届いた。
彼女の心配が嬉しいとか、今日はもう正常な意識でいられる自信がない。
「健康です、健康です」
「それなら……いいんだけど」
俺が体調不良でないと分かった笹田さんは汐桜ちゃんに用があったらしく、汐桜ちゃんとの会話を進めていく。
(また、恋をしてしまいそうになる……)
絶対にしないけど。
(今度は、俺に惚れさせてみせる)
声優志望人口が増えまくっている昨今。
声優の仕事だけで食べていくことができている人は極一部の人たちだけだって言うけれど、そんなことを言われたからって簡単に夢を諦めたくない。
「和生くん、あのね」
俺を、オーディションで落とした人たちを見返すためにも。
憧れの、笹田結奈さんを見返すためにも。
俺は、もっともっともーっと頑張っていきたい。
「私と……また……お芝居の特訓をしてもらえる?」
すべての感情と経験を武器に、自分の役者人生を彩っていってみせる。みせる……みせる……みせる……。
「声優って、狡い職業ですよね」
「和生くん?」
誰が恋愛禁止なんてルールを決めた?
声優は、いつからアイドル的存在になってしまった?
俺たちが生きる声優業界は、とてつもなく面倒くさい。
「ふっふっふ、和生さん」
何やら汐桜ちゃんが、怪しい声を上げる。
「優しい優しい天使のような私が、和生さんのことを助けてあげましょう」
どんな救いの手が差し伸べられるのか期待すると、汐桜ちゃんは一通の真っ白な封筒を差し出してきた。
「森村荘に、今日届いていた封筒です」
「……っ!」
来るか来ないかも分からない郵便物を、ずっと待ち続けていた。
「はぁー……」
「投げますよー」
「せめて、もう一回深呼吸……っ」
白い封筒が、宙を舞った。
のは、ほんの一瞬。
少し重みのある白い封筒は、あっという間にリビングの床を目がけて落下していきそうになる。
「ちょっ!」
絶対に嫌だ。
絶対に、落としたくない。
自分の未来は、自分の幸せは、自分の手で掴みたい。
「ナイスキャッチです」
「汐桜ちゃん、質が悪い……」
汐桜ちゃんが手渡してくれた郵便物を抱き締める。
送り主を確認しなきゃとか、そういう始めにしなければいけないことに気は向くけれど……今は何よりもこの封筒を抱き締めたいと思った。
「っ」
言葉すら、発することができなくなっている。
それだけ感動に浸っていて、この場にいる二人にどんな顔を向けていいのか分からない。
った。
「すぅー……はぁー……」
白い封筒を送ってきてくれた会社の名前を確認する。
そこには、リーチャープロジェクトという記載。
顔を上げて汐桜ちゃんの方を見ると、ブイサインで手を振ってくれている汐桜ちゃんの姿があった。
「えっ、と……」
えっと、えっと、えっと……。
それくらいの言葉しか出てこない。
話したいことはたくさんあるのに、何を言葉にしたらいいか分からない。
肩をトントンと叩かれ、汐桜ちゃんからハサミを手渡される。
「ここで不合格通知だとしたら、ひっくり返っちゃいますね」
「え? 汐桜ちゃん、中身は確認して……」
「私はしましたよっ! もちろん合格ですっ!」
「じゃあ、俺も合格……」
汐桜ちゃんが手にしている封筒と、俺が持っている封筒。
見た目的な厚さに大差はない気がするけど、中身が同じとは限らない。
「和生さんだけ、養成所の案内って可能性も」
「……ハサミを貸してくださいっ!」
怯まない。
どんなことがあっても怯まない自分でいたいなって思う。
「和生くん? 大丈夫?」
「ぶっちゃけ、大丈夫じゃないです」
声優志望者、声優のたまごで溢れ返っている世界に、俺は再び挑戦すると決めた。
だから、何かが起きるたびに怯んでなんていられない。
俺はプロの声優として、プロ声優の笹田結奈を見返すと決めたから。
「ここで、嬉しいこと以外が起こるわけがないから」
俺の事情を何も知らないはずなのに、笹田結奈さんって女性は狡いくらい俺を励ますための言葉を熟知しているから嫌になる。
「頑張っている和生くんには、幸せがいっぱい訪れるはずだから」
「笹田さん……」
声と言葉が持つ力が凄いんだってことを、声の芝居を通して伝えたい。
「俺、絶対にプロの声優として活躍してみせますから!」
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合格通知書 令和六年 十一月三十〇日
株式会社リーチャープロジェクト 代表取締役 田淵一実
本田坂 和生様
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