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黒歴史を背負った新人声優だってハッピーエンドを迎えたいっ  作者: 海坂依里
第2章「これが定番のラブコメ的展開だけど、それを受け入れられないのが新人声優」
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第8話「これがラブコメだったら、定番の展開の気もするけど」

「あの特訓……まだやるんですか?」

「そうだけど」


 これは、戸惑っている俺が間違っているんですか?

 さも当然かのように、例のあの特訓をまたやりましょうって誘われる展開になっているんだろうか。


「あ……和生くんは……嫌? もう、私に飽きちゃった?」


 俺の横を歩きながら、まるで捨てられた子猫のように瞳を潤ませてくる笹田さん。

 話の内容と、今の俺たちを笹田さんファンに目撃されたら、なんて弁明したらいいのだろう。


「私……和生くんともっと……」


 この人は、一体自分が何を口にしているか分かっているのだろうか。

 理解していないからこそ、こんなに男心をくすぐるようなことを言えることかもしれない。


「もっとお芝居の勉強をしたいの」


 そこは、ちゃんと小声になっていて、そこだけは偉いと褒め称えたい。


「恋をするって気持ち、ちゃんと知っていきたいから」


 目標があるのは大変素晴らしいことだと思う。

 けれど、ここら周辺を笹田さんファンがうろついているかと考えるだけで気が気じゃなくなってしまう。


「次のゲーム収録までに私の経験値を上げることは不可能でも、これからはラブコメ以外の恋愛作品にも出演したいと思っていて……」


 あまりにも笹田(ささだ)さんの真剣な目標を聞いていると、彼女が言っているすべてのことが真っ当に聞こえてきてしまう。


和生(かずき)くんと共演したときに、恥じない自分でありたい」


 声の力ってものは、物凄く偉大だと思う。


「だから、私に恋する気持ちを教えて」


 俺と笹田さんの間には若干の距離があるはずなのに、まるで耳元で囁かれているかのような絶妙な声で笹田さんは俺にとんでもないお願いを託してくる。


「俺……笹田さんの役に立てる自信がないです……」

「どうして?」


 物凄く純粋な声と純粋な瞳で、こっちを見てくる笹田さん。

 すべての要素が、俺の心を痛めつけてくる。


「さっきのあれ、収録のなんの役に立つのか分からな……」

「自分の経験とキャラクターの経験が一致するなんてことは滅多にないけど」


 彼女は目を見開いて、深く息を吸い込んだ。


「意味のない経験なんてものは存在しないから」


 先輩声優は、自分が驚かされてしまうほど可愛く笑ってみせた。

 どんな雑誌を読んだって、どんな腕のいいカメラマンさんがいたって、こんなに可愛い表情の笹田さんを拝める機会は絶対にないと断言できる。それくらい可愛い笑顔を彼女は見せてくれた。


「いいお芝居ができそうで、わくわくしてるの」


 年上だからって、どうしてこうも自分の一歩も二歩も先に物事を考えられるのだろう。

 役者歴が長いことが、すべてを物語っていると言えるのかもしれないけど。

 さすがにここまで出来上がった先輩声優に対して、悔しさのようなものが生まれてきてしまう。


「私がやりたいのは恋人ごっこじゃない。和生くんと一緒に、お芝居が上手くなるための経験を積みたいの」


 俺が声をかけるよりも早く、笹田さんは大きな声を上げた。

 周囲に迷惑にならない程度の大きさの声なのに、確かにしっかりと響く笹田さんの声に聴覚全部持っていかれた。そんな気がする。


「……それには、俺も参加したいです。養成所と事務所の期待、裏切りたくないので」

「自分を拾ってくれた人たちに、ちゃんと恩返ししたいね」

「もちろんです」


 笹田さんが人を好きになる気持ちというのが、どんな感情なのかを学んでいくうちに、俺のことを好きになってくれたらなぁっていう邪な気持ちがないわけではない。

 でも、そんな思惑に加えて芝居の勉強までさせてもらえるのなら、喜んで笹田さんに協力をしたいと思う。


「お願い……聞いてもらえる?」

「互いに恋愛感情がないところが、なんかの作品のパクリっぽいですね」

「恋人ごっこじゃないから! 私たちは、お芝居の練習をするの」

「はいはい」


 なんだか奇妙な関係性が始まったなーとか思わなくもない。

 そして、自分が笹田さんの役に立てるかと言ったら、それも自信がない。

 だけど流れに流れて、こうなってしまった。


「お芝居だから! お芝居なんだからっ」

「はいはい」

「和生くんが、ちゃんと聞いてくれない……」


 これから笹田さんが予定しているのは、今度こそ本当に芝居の特訓かもしれない。

 もう、そうやって自分に言い聞かせるしかないなって割り切りながら駅の改札口を抜ける。


「私の経験値アップイコール、芝居の上達の予定なの」


 そのとき、思った。

 笹田さんとの間に保たれていた一定の距離が縮まったような感覚を受けた。


「和生くん?」


 定規やメジャーがあるわけじゃないから、ちゃんとした距離を計測することはできない。

 でも、なんとなく……なんとなく彼女との距離が近づいたような気がする。


「あ、すみません。ほら、電車、乗りましょう」


 近寄らないでほしいと言ったのは自分の方からだったけど、笹田さんとの関係が変わらなくて良かった。そう安堵する自分がいることに気づいた。


笹田結奈(ささだゆいな)を見返すぞ計画が破綻する未来しか見えない……)


 笹田さんと一緒に森村荘で暮らすようになって、親しくさせてもらってから、そんなに経っていないっていうのに、この調子の良さ。

 自分って言う人間は随分都合よくできているんだなって、溜め息まで溢れてきそうになる。

 こういう思考回路を、気持ち悪いと言うのかもしれない。

 高校一年のときから、ちっとも成長がなさすぎて泣けてくる。

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