84通目【総入れ替え】
父が領地へと発つ日がやってきた。
それはすなわち、リゼットが子爵邸へと戻る日でもある。
「うちのリゼットの部屋はそのままにしておくよ。いつでも泊まれるようにね」
見送りに出てきてくれたスカーレットは、そう言ってリゼットを抱きしめた。
子爵襲名の祝いに食材を色々と子爵邸に届けてくれたという。
せっかくだから今夜は美味しいものを作ってもらうといいと言われ、リゼットは涙をこらえるのが大変だった。
ひとりきりの夜、リゼットが寂しい思いをしないよう考えてくれた、スカーレットの気持ちが嬉しい。
「スカーレット様をご招待できるよう、急いで邸を整えますね!」
「ああ。楽しみにしているよ」
侍女のソフィをはじめとしたハロウズ伯爵邸の使用人たちも総出で見送ってくれ、リゼットは笑顔で手を振り出立した。
馬車の中でついたため息には寂しさがにじんだ。だが思っていたよりも晴れやかな気持ちでいられている。
代筆者として一歩を踏み出すときだと、自覚できたからだ。
「私のことは招待してくれないのか?」
そう言ってリゼットをからかうのは、今日は軍服姿ではないウィリアムだ。
リゼットの荷物を運ぶのを手伝うと、ついて来てくれることになったのである。
問いかけにリゼットが目を丸くしたまま答えずにいると、いぶかしげな顔をされる。
「リゼット?」
「あ……申し訳ありません。何だか、ウィリアム様とはこれからも毎日のようにお会いできる気でいたので、驚いてしまって」
「は?」
「そ、そうですよね。スカーレット様のお邸を出たら、これまで通りとはいきませんよね。私ったら何を勘違いしていたのかしら」
すっかりウィリアムが隣にいることが当たり前になっていて、彼がいなくなる想像ができていなかった。
ひとりになるとわかっていたはずなのに、ウィリアムと変わらず会える気でいたなんて、おかしな話だ。
だからだろうか、ウィリアムは珍しく弾かれたように声をたてて笑った。
「そうか、私とは会えると思っていたのか!」
「わ、笑うことはないでしょう? ちょっと頭から抜けていただけですっ」
リゼットが怒っても、ウィリアムはしばらく喉の奥でくつくつ笑っていた。
やがて咳払いすると「すまない」と謝ってくれたが、いかんせんまだ顔が笑っている。
「迷惑でなければ、しばらくの間、仕事のあと立ち寄っても構わないだろうか? 心配だからな。様子を見に」
「……本当ですか?」
「ああ。君が嫌でなければ」
嫌なものか。リゼットは怒りのポーズから一転、笑顔でうなずいた。
これからもウィリアムに会える。まだ繋がっていられるのだとわかってほっとした。
「ウィリアム様ならいつでも大歓迎です!」
「そうか。会いに行けないときは、手紙を書こう」
「ほ、本当ですか⁉ わあ、嬉しいです!」
馬車の中で飛び上がりそうになりながら喜ぶと、直接会うより手紙のほうが嬉しそうだなとまたからかわれる。
どちらもとっても嬉しいです、と正直に言い、あきれられてしまった。
***
フェロー子爵邸に着くと、見覚えのない使用人に出迎えられた。
まだあどけなさの残る少年のようなフットマンは、エミールというらしい。リゼットたちに屈託のない笑顔を向けるエミールの、そばかすが眩しく見えた。
「あらあらまあまあ! リゼットお嬢様! あんなにお小さかったお嬢様が、こんなに大きくなって……!」
「お母さん、失礼よ。リゼット様はもう当主様なんでしょう?」
「あらあらいけない、私としたことが! 大変失礼いたしました、ご主人様」
そろって礼をするメイド服姿の母娘に、リゼットは戸惑いながらも「リゼットで構いません」と笑った。
ふくよかな四、五十代ほどのメイドはマノン、娘はポーラというらしい。フットマンのエミールは、ポーラの弟だそうだ。
マノンはリゼットの母が生きていた頃、ここでメイドとして働いていたらしく、リゼットに仕えられてとても嬉しいと言ってくれた。
これまでは領地の邸にいたが、リゼットの爵位継承に合わせ呼び戻されたという。
他にも後妻のメリンダにクビにされ、他家に行った者もリゼットに仕えたいと戻ってきていると教えてくれた。
「どうだ。少しは不安も消えたか?」
マノンたちに囲まれるリゼットに、トランクを持った父がそう声をかけてきた。
「執務室は開けておいた。部屋もリゼットが好きな場所を使って構わない。お前の邸だ。自由に決めていい」
「お父様……ありがとうございます。もう、発たれるのですか?」
「ああ。汽車の時間が迫っているからな」
父はウィリアムに向き直ると、深く礼をした。
「アンベール子爵。娘に親切にしていただき、心から感謝申し上げる」
「不要です。私は私の意志でここにいる」
「……出来れば、これからも娘を気にかけてやっていただけますか」
「頼まれずとも」
父はもう一度深く頭を下げると、帽子をかぶりリゼットを見た。
父の手が頭に伸びてくる。だがその手は少し迷って、肩へと着地すると、励ますように叩いてきた。
なぜだかそれを、少し寂しいと感じてしまう自分に戸惑う。
「元気で」
「お、お父様! お見送りを!」
「ここでいい。やることがたくさんあるだろう?」
そう言うと、父は執事をひとり連れて馬車に乗りこみ、邸をあとにした。
これから駅に向かい、列車に乗り、離れた領地へと向かうのだ。
結局、最後まで父ときちんと心を交わすことができなかった。わだかまりを残し、ぎくしゃくしたままお別れしてしまった。
このまま王都と領地という距離で、気持ち的にも物理的にも離れてしまって、関係を改善することなどできるだろうか。
「リゼットお嬢様。こちらを」
邸の鍵の束を手渡してくれたのは、領地の邸から移ってきた家令、モルガンだ。
メイドのマノンの夫で、穏やかな顔の紳士である。
「スペアキーは私が管理しておりますが、マスターキーはご当主様がお持ちになるべきかと」
「モルガンさん、ありがとうございます」
「私たちに敬語は不要です。どうぞモルガンと」
穏やかに、諭すように教えてくれるモルガンに感謝して、リゼットは鍵を握りしめる。
鍵は冷たく、ずしりと重かった。
「リゼット。荷物はどこに運びこむ?」
「ウィリアム様。ありがとうございます。とりあえず、以前使っていた部屋に……」
「あの日当たりの悪い物置き部屋はやめておけ」
あれは人の住むところではないと言われ、何年も住んでいたのにとむくれてしまう。
メリンダやジェシカの私物は父が処分したとモルガンが教えてくれたので、とりあえず昔リゼットが使っていたジェシカに奪われた部屋に行ってみようと決め、ウィリアムを案内する。
その途中、廊下でシャランと妖精の羽音が聴こえてきた。
思わず立ち止まったのは、フェロー子爵家の開かずの間。
リゼットの母が以前使っていた部屋の扉の前だった。
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