【王女宮の人々】
まだまだ続きそうなウィリアムの『お泊りの心得』だったが、レオンティーヌが待ったをかけた。
どうやら軍部から遣いが来たらしい。ウィリアムに早く向かうよう促す。
仕事に遅れるのはいけない。少し心細くはあるが、ウィリアムの仕事の邪魔にはなりたくなかったので、リゼットも「行ってください」と笑顔で背を押した。
「……やはり心配だ」
「えっ」
「明日また来る」
短く言うと、ウィリアムはマントを翻し王女宮を去っていった。
残されたリゼットたちはぽかんとしながら顔を見合わせる。
「……あれは毎日来る気ですよ」
「ヘンリー卿の言う通りだわ。あまりに過保護すぎるのではないかしら」
いっそ出禁にします? とレオンティーヌに聞かれ、慌てて首を振るリゼットだった。
***
王女宮ではじめて過ごす夜。
リゼットは文机に向かい手紙を書いていた。
青いリボンで縁取りされたようなデザインの便せんは、ウィリアムからもらったあの素敵な靴をイメージして選んだ。
ウィリアムに直してもらった万年筆を使い、一文字一文字丁寧に想いを綴る。
『軍で立派なお仕事をされているウィリアム様に、少しでも近づけるようがんばります』
本当にウィリアムが毎日顔を出しそうだったので、手紙を書けば安心してもらえるかもと思ったのだ。
これまで一度もウィリアムに手紙を書く機会がなかったので、書き始めはかなり緊張してしまった。とにかく彼が安心できますようにと、祈りをこめる。
いつか、心配だけではなく、互いが互いを励みに出来るようなときは訪れるだろうか。
ウィリアムはリゼットを応援してくれている。リゼットもウィリアムを応援できるような場所まで行きたかった。
「ふぅ。……何だか、壊れる前よりも手に馴染む気がするわ」
万年筆を眺めて言ったとき、シャランと涼やかで繊細な音が聞こえた。
妖精の羽音だ、とリゼットは微笑む。
「あなたもそう思う? 喜んでいてくれたら嬉しいわ」
小さな友人の姿を想像し、リゼットは手紙の続きを静かに書き進めた。
朝一で手紙を送ろう。筆不精らしいが、ウィリアムは返事をくれるだろうか。
不安と期待で、その夜はなかなか寝付くことができなかった。
***
王女の手習いの指南役として、もっと何か出来ないか。
姿勢や文字のバランス、使う文房具の選択などこれまで話してきたが、それだけでいいのかとずっと考えていた。
実践的なことも必要ではと、リゼットは試しに作ってみたものを王女に見せた。
「これは手紙……ですか? 随分文字が薄いのですね」
「はい。かつての三蹟のひとりである、マリー=アンジュ・ルセが恋人に送った手紙を書き写したものです。こちらでなぞり書きをしてみませんか?」
「なぞり書き?」
「あえて薄灰色のインクで太く書いてありますので、その上をなぞるように黒のインクで重ねて書くのです」
「ああ、それで文字が薄いのですね」
レオンティーヌは感心したように、便せんをまじまじと見つめる。
反応は悪くない。他人の文字をなぞることに抵抗感があれば、別の方法を考えようと思っていたのでほっとした。
「必ずその線の通りに書かなければならないものではありませんが、字の運びや大きさのバランスなど、基礎を体で覚えるのに役立つかと思うのです。いかがでしょう?」
「なるほど。面白そうですね。やってみます!」
抵抗どころか、レオンティーヌは嬉々としてペンを手になぞり書きを始めた。
矯正されるようで嫌かもしれないなどと、考えた自分が恥ずかしい。レオンティーヌからの信頼を強く感じて、胸の奥が熱くなった。
「これは誰かに宛てたフェロー先生の手紙ではありませんが、こういったものにも妖精の祝福は宿っているのでしょうか?」
「恐らく、これには特別な力はないと思います。意識して祈らないよう慎重に書きましたので。改めて見ても感じるものはありませんから」
「不思議ですね。妖精はフェロー先生の心が読めるのかしら。それとも心で繋がっているのでしょうか?」
「心で繋がっている……。そうだと、嬉しいですね。私もまだ妖精の力については詳しくないので、スカーレット様からもっと学び、王女殿下にお話しできるようにいたしますね」
妖精の力について知っているのはごく一部。三蹟や王族、実際に妖精の祝福を得ている者などと、限られている。
周囲に与える影響が大きく、大々的に口外することなく秘するのが暗黙の了解とされているらしい。
というのも、妖精の力を悪用せんとする輩が過去にいたからだ。祝福を得ている者を監禁したり、国外に連れ去ったりと、悲惨な事件が度々起きたそうだ。
政治的に利用される可能性を考え、国として妖精の力を秘匿することをかつての王が決めたのだという。妖精の力を持つ者たちも利用されることを嫌い、他国に与することをしないと誓う代わりに、選択の自由を得たのだそうだ。
そのため妖精の力についての研究資料や本はほぼ残っていない。あっても厳重に管理され貴重品扱いだとか。
王立図書館でフィルが貸してくれた『妖精と青い屋根のおうち』という本は、実は閲覧にいくつも許可が必要な特別指定されたものだったらしい。
それを簡単に貸し出してくれたフィルには感謝してもしきれない。次に図書館に行くときは、何かお礼をしなければ。
「ヘルツデンに嫁いだら、あちらにも妖精について知ることがあればフェロー先生にお手紙を出しますね」
「本当ですか? 嬉しいです! あ、でも、妖精についての情報がなくても、王女殿下からお手紙をいただけるだけで私は幸せですので……」
たくさんお手紙書きますねと言うと、もうたまらないとばかりにレオンティーヌに抱きしめられた。
リゼットはおろおろし周囲に助けを求めたが、侍女たちは微笑ましげに見ているだけでちっとも王女を止めようとしない。
だから仕方なく、というわけではないのだが、レオンティーヌの細い背中にそっと手を回すのだった。
***
「フェロー先生」
レオンティーヌの手習いのあと、メイドたちの仕事の様子を見学させてもらおうと厨房へ向かっていたリゼットを呼び止める声がした。
きょろきょろと辺りを見回すと、ある部屋の扉から顔だけ出して手招きしている侍女がいる。確か、クラリスという名の伯爵家の三女だったはず。
「どうかいたしました?」
「実は、先生に折り入ってお願いがございまして……」
クラリスはそう言うと、リゼットを部屋に招きいれた。
部屋は備品庫だったようで、他には誰もいない。何か話しにくいことなのだろうか。心当たりのないリゼットは困惑しながらクラリスの言葉を待つ。
「あの……こんなことをお聞きするのは、大変失礼なことだというのは重々承知なのですが」
「はあ……」
「フェロー先生が、祝福の魔法が使えるというのは本当なのでしょうか?」




