64通目【軍神と約束】
「それで近衛騎士の方からは、怪我をして休職中の同僚に送る手紙を代筆してほしいと頼まれたのです! 自分で書くのは恥ずかしいからとおっしゃっていましたが、そういう理由の代筆もあるのですね。これからも私が考えてもみなかった依頼があるかもしれないと思うと、わくわくします!」
王宮書庫からの帰り道、リゼットは王女宮での出来事を嬉々として報告していた。
静かにそれを聞きながら隣を歩くウィリアムの手には、リゼットが借りた本が数冊。
書庫まで付き合ってくれだだけでなく、こうして本を運んでくれるウィリアムはとても紳士だと思う。
だが、軍服姿のウィリアムを見た途端、大抵の人は固まって青ざめるのだ。
戦場の悪魔と恐れられるウィリアムを、皆誤解している。戦場以外での彼は、リゼットの知るどの男性よりも優しいというのに。
「そうか。手紙で知ってはいたが、リゼットが楽しそうで何よりだ。実は、君のうわさは軍部にまで届いている」
「えっ? 軍部に、ですか?」
「王女殿下の指南役は、大物を次々と手懐ける、猛獣使いのような少女らしい」
「手懐ける、猛獣使い……?」
それは本当に自分のことだろうか。
首を傾げるリゼットに、ウィリアムは「言いえて妙かもな」とにやりと笑った。
「猛獣と出会った覚えはありません」
「そうか。しかし実際、私はこうして君が読む本をせっせと運んでいるしな」
「あ。もしかして、重いですか? せっかくだからと、私ったら厚い本ばかり借りてしまって」
考えてみれば、王女宮にはあと五日もいないのだ。読み切れるわけがないのに欲張りすぎた。
しゅんとすると、ぽんと頭に手を置かれる。ウィリアムが空いた片手でリゼットの頭を撫でてきた。その優しいまなざしにどきりとする。
「気にするな。銃より軽い。こうして片手で運べるくらいだ」
「……ありがとうございます! 軍の方は、皆さんウィリアム様のように力持ちなのでしょうか?」
「さて。私ほどはそういないだろうが、皆大切な者を守れるだけの力は持てるよう日々努力しているだろう」
「では、私たちはそんな軍の皆さんの努力に日々守られているのですね!」
これは感謝申し上げなければとリゼットが意気込むと、ウィリアムは目を丸くして吹き出した。
たまたま近くを歩いていた文官が、ギョッとした顔で振り返る。軍神が笑うことなどあるのか、とでも言うような表情だった。
「君は、本当に気持ちが良いくらい真っすぐだな」
「それって、褒めていますか?」
「もちろん。だが、その分心配でもある。……王女宮にいれば心配ないとは思うが、君に強引に接触しようとするような輩は現れていないか?」
王宮にそんなことをする人間がいるとは思えない、と考えたところで、ウィリアムが誰のことを言っているのかわかった。
義姉のジェシカが何かしでかさないか、心配してくれているのだ。しかしさすがにジェシカも王宮で騒ぎを起こすような真似はしないだろう。最悪首が飛ぶ。物理的に。
それに貴族の令嬢といえど、招待もなしに簡単に王宮に出入りできるものではない。理由なく参宮できるのは、せいぜいが外宮のごく一部までだ。
「大丈夫です。代筆の依頼も王女宮に勤める方々からだけで、外から私を訪ねてくる方は、いまのところいません」
「ならいいが。……王太子殿下はどうだ? あとは、殿下の例の近衛騎士からは?」
「殿下は毎日王女宮にいらしていますね」
「……やはりか。そんなに暇なはずはないのだがな」
「でも、いつも王女殿下や侍女の皆さまが、私を別室に隠してくださるので、いまのところ顔を合わせておりません!」
リゼットが笑顔で言うと、ウィリアムも満足そうに「頼もしいことだ」とうなずいた。
本当に、レオンティーヌをはじめ王女宮の人々にはとても良くしてもらっている。
「シャルルお兄様からも、特には。やはり王太子殿下に謹慎を言い渡されて、冷静になったのではないかと思います」
「だといいが……。くれぐれも一人にはならないようにな」
「はい! 一人にならないとお約束します!」
キリリと宣言し、リゼットは右の小指を差し出した。ウィリアムはそれを見て「何だ?」と不思議そうな顔をする。
「ヘルツデンの本を読んでいて知ったのですが、あちらでは約束をするときに、小指と小指をからめるのだそうです」
「小指を? なぜ?」
「なぜなのでしょう? 契約を結ぶ、という結びにかけているのでしょうか」
なるほど、とうなずきウィリアムは右の小指をリゼットの小指にからめてくれた。
比べてみると、あまりにも太さと長さが違って驚く。ウィリアムの小指はリゼットの人差し指よりも大きかった。
「私リゼット・フェローは、絶対にひとりで行動しないことをお約束します」
「ではウィリアム・ロンダリエは、リゼット・フェローが呼ぶとき、必ず駆けつけると約束しよう」
微笑んでうなずき合い、そっと小指を離す。
もう少し小指を結んでいたいなと思ったことは秘密だ。
「ふふ……っ」
「どうした?」
「実は、この小指の約束をやるのは、ヘルツデンの小さな子どもだけらしいのです」
「……私をだましたな?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべたウィリアムに、リゼットは「だましてなどいません!」と慌てる。
ただ、子どもがやる約束の方法をするウィリアムが、とても可愛らしく思っただけだ。
「嘘はついておりませんよ!」
「だが、内心笑っただろう?」
王女宮への帰り道、そんな風に言い合いをしている時間がとても幸せだった。
貴族や文官とすれ違うたび、信じられないものを見るような目を向けられたがちっとも気にならない。
そんなことより、ごきげんなウィリアムの笑顔を目に焼き付けるのに忙しかった。
***
ウィリアムと別れ王女宮に戻ってきたリゼットは、届いていた手紙の束を早速確認する。
スカーレットとララからも届いていた。このふたりからの手紙を読めるとは、なんて贅沢なことだろう。
「あら? これは……」
鮮やかな紫の封筒の差出人を見て、リゼットはハッとした。ドキドキしながら中を確認し、すぐに部屋を飛び出す。
向かったのはレオンティーヌの執務室だ。取り次いでくれた侍女に、王女の政務が落ち着いて時間が出来たら教えてほしいとお願いする。
そのまま部屋に戻ろうとしたリゼットだったが、なぜかすぐに執務室へと通された。
「フェロー先生。どうしましたか?」
「王女殿下、ご政務中に申し訳ありません。すぐに出直しますので……」
「お待ちになって。ちょうど休憩しようと思っていたのです。フェロー先生にお付き合いいただけると嬉しいです」
王女に気を遣わせてしまった、とリゼットの頭の中は反省の嵐だ。
しかしこう言ってくれているのに断るわけにもいかず、レオンティーヌに促されテラスに用意されたテーブルについた。
「それで、何かあったのですか? アンベール子爵と書庫へ行かれるとうかがっていましたが」
「はい。書庫から戻ってきたら、手紙が届いていたのです。それも、エルヴィール様から!」
「まぁ、ジオネ侯爵令嬢から?」
リゼットは大きくうなずく。宮廷舞踏会で、リゼットのドレスにワインをかけた、あのエルヴィールだ。王太子アンリの新たな犠せ……婚約者候補とされているご令嬢である。
実はエルヴィールたちにはすでにリゼットから手紙を送っていた。もし認めてもらえたなら、そのときはぜひ仲良くしてほしいという内容の手紙だ。
もしかしたら返事はないかもしれないと思っていたが、エルヴィールは律儀に書いてくれたのだ。
「お茶会に呼んでいただいたのですが、どうしたら良いでしょう。私は王女宮からは出られませんし……」
「では、エルヴィール嬢をこちらにお呼びいたしましょう。せっかくならお茶会を開いて」
驚くリゼットに、王女は満面の笑みで「主催はフェロー先生ですよ」と言うのだった。
王太子の犠せ……餌じ……婚約者候補、エルヴィールちゃん再登場!?




