63通目【軍神の手紙】
王女宮に移った日、明日も来ると言っていたウィリアムだったが、夕刻になっても姿を現さなかった。
代わりに届いたのが、ロンダリエ公爵家からの手紙だ。差出人はウィリアム。あのウィリアムが、リゼットに手紙を書いてくれたのだ。
実は朝いちばんに、ロンダリエ公爵家に手紙を出していた。それを受け取り、すぐに返事を書いてくれたということだろう。
鷹の印章が押された封蝋にドキドキしながら、ペーパーナイフを入れた。
軍人が持つのはペンではなく剣、もしくは銃だ。そう言い切っていたウィリアムは一体どんな手紙を書いてくれたのだろう。
「……まあ」
入っていた便せんは一枚。
しかも、たった数行。
『手紙をありがとう。リゼットの気持ちは伝わった。
今日はそちらには行かないことにする。また手紙をくれると嬉しい』
「ふ……ふふっ! ふふふふふっ!」
何ともウィリアムらしい堅い文面に、笑いがこみ上げてくる。
ウィリアムをよく知らない人間が読めば、なんとも素っ気ない手紙に見えるだろう。だがリゼットの頭には、苦手な手紙を前にして必死に考えて書いているウィリアムの姿が浮かんだ。
最後に『文字で言葉を伝えられるのも、存外嬉しいものだな』とあった。
リゼットの気持ちが伝わったのだ。それをウィリアムが喜んでくれたことがリゼットも嬉しい。
封筒も便せんも、飾りを極限まで省いた、ロンダリエの紋章が箔押しされているだけのシンプルなものだ。質実剛健のロンダリエらしいレターセットである。
「次は、こちらから色々質問すれば、ウィリアム様もお返事を書きやすいかも」
何を食べたか、スカーレットやグレースはどう過ごしているか、些細な日常について聞いてみよう。こちらの心配をしないように、王女宮での出来事も書こう。
王女宮で代筆の依頼を受けたと言ったら、がんばっているなと誇らしく思ってくれるだろうか。
ウィリアムがそばにいない寂しさや心もとなさがないわけではないが、手紙のやり取りができる新鮮さがリゼットを夢中にさせた。
それに、傍にいないことでこれまでよりもずっと相手のことを考えている。
会えない時間のぶんだけ思いが募ると言ったのは、どこの詩人だったか。
リゼットは早速、ウィリアムへの返事を書くために文机に向かうのだった。
***
商会長が大きな鞄を開くと、現れたものにリゼットは目が釘付けになった。
王女宮生活三日目。
応接室には王室御用達のミュッセ商会、商会長が参宮していた。ヘルツデンの王太子と手紙のやり取りをする王女のために、新たな文房具を仕入れてきたらしい。
運よく商談の場に同席できることになり、リゼットは朝から興奮を抑えられずにいる。まさかミュッセ商会の品をこの目で見ることができるとは。
王都に数ある商会の中でも、ミュッセ商会は最も古くから王室と取引のある、格式高い商会だ。貴族の中でも選ばれた者しか取引出来ないと聞いたことがある。
ミュッセの商会長は意外なことに女性だった。女性の経営者はとても珍しい。
黒のひっつめ髪に、細い縁の眼鏡をかけた、すらりとした長身の美女。服装はきっちりとしているが飾り気がなく、超高級店の経営者とは思えないほど地味だ。
だが身に着けているものの素材はどれも一級品だとわかる。薄化粧の顔に浮かぶ微笑みは控えめだが、眼光は鋭くただ者ではない雰囲気を感じた。
「商会長。こちらは私の指南役兼代筆者のリゼット・フェロー先生です」
王女の紹介で、こちらを見た商会長の眼鏡の奥の瞳がきらりと光った。
「お噂はかねがね。商会長のアナ=マリア・ミュッセと申します。お会いできて光栄ですわ」
「リゼット・フェローです。こちらこそ。本日の同席をお許しいただき感謝いたします」
笑顔で握手を交わしたあと、すぐに商談に移った。
ミュッセ商会長の鞄の中から現れたレターセットやインク、蝋が次々と並べられていく。
ミュッセ商会は銀のケースで揃えているようで、商会のシグネットである百合の花が彫られたインクの蓋、レターセットのリボンに心のときめきが止まらない。
(素敵……! 出来ることなら、私も個人的に購入したい! でもこんなに可愛いのに、私には絶対買えない可愛くないお値段……!)
さすが王室御用達のミュッセ商会だ。どれもとてもじゃないが、駆け出し代筆者のリゼットには簡単に出すことのできない値段となっている。
侍女に渡された商品一覧表を見せてもらったリゼットは、ゼロの多さに目が回ったほどだ。
「今日は、特にレターセットが見たいの」
「たくさんご用意しております。王女殿下のお好みに合えばよろしいのですが」
レオンティーヌはテーブルに並べられたものをじっくり眺めている。
リゼットももっと近くで眺めたくてうずうずした。手に取って触りたい。ひっくり返して裏側も見たい。匂いだってかいでみたいし――。
「フェロー先生。先生はどれがいいと思われますか?」
「へぇ⁉」
突然レオンティーヌがこちらを振り向くので、おかしな声が出てしまった。
しまった。ミュッセ商会長が眼鏡の奥で目を丸くしている。
きっと「こんなのが指南役?」と思われたに違いない。恥ずかしい。
頬が熱くなるのを感じながらも、リゼットはいそいそと王女の隣に移動した。せっかくレオンティーヌが意見を聞いてくれるのだ。ミュッセ商会の素晴らしい商品を間近で見るチャンスである。
「まぁ……すごい。どれも洗練されたデザインですね!」
ミュッセ商会は歴史ある店だ。新しさよりも格式を重んじているかと思えば、そんなことはなかった。
見たこともないデザインのレターセットがずらりと並んでいる。華やかだが派手さは感じない。むしろ高貴さがあふれているのは、さすがミュッセ商会というところなのだろう。
「これは……押し花、ではない?」
白や黄色、水色といった薄い色の花びらが舞うレターセットを指して言うと、商会長はグローブをはめた手でそれを手にとりリゼットに差し出した。
「こちらは紙を作る段階で花びらを一緒に漉いて出来たものです。どうやって花の色の美しさを残すか試行錯誤の末に完成した一品です。どうぞお手に取ってみてください」
「よろしいのですか? わ……すごい。本当に紙の一部になっているのですね」
指の先で撫でると、さらりとした感触。少し凹凸があるが、書きにくいというほどではなさそうだ。
「これは、王女殿下が花を指定されたとしたら、同じように作っていただくことは可能なのでしょうか?」
「先生?」
驚くレオンティーヌに、商会長も目を瞬いた。
だがすぐに不敵な笑みを浮かべ「お時間をいただければ」と答える。この瞬発力、さすが一流の商会長だと感動した。
「こちらは封筒の内側に絵が! 神が七日降臨したときの宗教画ですね?」
「その通りでございます。こちらは教会関係の方からの要望があり作ったものですね」
「これが出来るなら、表と裏で色が違うものも出来そうですね?」
「……表裏で色が?」
「どちらを使うか気分次第。もしくは両方使っても面白そうです」
「その話、詳しくよろしいでしょうか?」
そこからはレターセット談義に熱が入り、王女そっちのけでミュッセ商会長と話しこんでしまった。
レオンティーヌは苦笑していたが、あとで侍女長にとても怒られてしまった。指南役失格である。
しかし帰り際、ミュッセ商会長に「ぜひうちと商品開発をいたしませんか?」と強く手を握られた。
仕事のお誘いを受けたということに気づいたのは、商会長が「近いうちに改めて」と言って軽い足で去っていったあとだった。
「素敵だわ! フェロー先生が手がけたレターセットが出来たら、絶対に私が買い占めます!」
信じられず、夢見心地のリゼットに王女がそう宣言した。
作る前どころか仕事をするかも決まっていないのに、すでに大口顧客が誕生していたことに、リゼットはやはりこれは夢ではと思うのだった。
不器用な軍神のお手紙、いかがでしたでしょうか!




