60通目【予行演習】
「王女宮に引っ越したい?」
舞踏会の翌日、心地よい疲れを引きずったまま、リゼットはスカーレットとグレースと、庭園を一望できる部屋で昼食をとっていた。
突然のリゼットの申し出に目を丸くしたのはスカーレットだけではない。グレースもまた悲壮な顔をして食事中だというのに立ち上がり、リゼットの手を握りしめてきた。
「リゼットさん! そんなにロンダリエは居心地が悪かった? どこが悪かったのか遠慮なく言ってちょうだい!」
「とんでもない! ロンダリエ公爵家の皆さまには、とっても良くしていただいております」
本当に感謝していることを必死に伝えると、グレースはほっとしたように腰を下ろしてくれる。
突拍子もない話で、勘違いさせてしまい申し訳ない。
「ではなぜ急に王女宮に行きたいなんて言い出したんだい? また王太子に何か言われたか」
「まぁ。リゼットさん、王太子殿下にいじめられているの?」
「いじめられているわけでは……。確かに殿下には、部屋付き侍女にならないかとは言われましたが」
あれはいじめられているというより、遊ばれていると言ったほうが正しいだろう。
スカーレットは想像がついたのだろう、あきれた顔をしてうなずいたが、グレースはカッと目を見開いた。
「何てこと! 殿下ったらリゼットさんに気があるのね⁉ ロンダリエ公爵家が総力を挙げて殿下の魔の手からリゼットさんを守らなくちゃ!」
奪われてなるものですか……! と何やらよくわからない闘志を燃やすグレースを、スカーレットが「落ち着きなグレース」となだめる。
何というか、ロンダリエ公爵とグレースは正反対な夫婦だ。感情がまったく読めない公爵と、感情表現が豊かすぎるグレース。これでとても夫婦仲が良いらしい。
夫婦とは不思議だ。まったくの他人同士が結婚して生活をともにし、子を生み、家庭を作る。似たもの夫婦で仲が悪い場合もあれば、ロンダリエのように正反対な夫婦で仲が良い場合もある。
自分の両親はどうだっただろう。
寄り添い笑い合うふたりがぼんやりと頭に浮かんだが、同時に何か言い争うふたりの姿も浮かんだ。この記憶が正しいのかわからないが、恐らく仲が良いばかりではなかったのだろう。
(じゃあ、私は? 将来仲良し夫婦になって、素敵な家庭を築けるかしら?)
パッと頭に浮かんだのは、花婿姿のウィリアムだ。白いドレススーツになぜか軍帽をかぶり、本人は絶対にしないだろう王子様のようなキラキラした笑顔を浮かべている。
とんでもない妄想をしてしまった自分を恥じて、リゼットはぶんぶんと頭を振っておかしなウィリアムを頭から追い出した。
「それで、どうして王女宮に? 王太子に言われたからというわけではないんだろう?」
「はい。王女殿下が私に指南役としての部屋を用意してくださったのですが、物置きでも寝泊まりでも、自由に使って構わないと言っていただき考えたのです。これは王宮で働く人々がどのように生活しているのか知る、良い機会ではないかと」
自分が世間知らずであることはよくわかっている。
継母たちが来てからというもの、ほとんど邸から出ることなく、家族以外の人との交流もなかった。継母やジェシカに来る手紙の内容で、貴族間のうわさ話などには詳しくなったが、それ以外はさっぱりだ。
スカーレットが手紙について教えてくれるかたわら、そういった常識的な部分も少しずつ学ばせてはもらっているが、実際に目で見て体験するとまた違う気づきがあるだろう。
ただのわがままに思われるだろうかと心配したが、スカーレットは真摯に聞いてくれた。
「なるほどね。確かにそれは一理ある。慣れない場所での生活はリゼットの成長にもなるだろう」
「でもリゼットさんが働く必要はある? うちの邸でも出来ることじゃない?」
「もちろん公爵邸の皆様からも学ばせていただいております。ただ、王宮で過ごせるような機会はおそらく、いましかありませんので」
「ああ、そうか。レオンティーヌがいる間にということだね」
スカーレットの言う通り。王女宮でレオンティーヌの庇護のもと過ごせるのは、彼女が嫁ぐまでの短い間だけだ。
レオンティーヌがいなくなると、王太子アンリを止められる存在がいなくなる。そうなると彼の思惑通り、気づけば部屋付き侍女に……なんてことになりかねない。
「人を知ることは、その方の生活を知るのが一番だと思うのです。知っていれば相手の心を想像しやすくもなり、いさかいも減る。たくさんの方と手紙のやり取りをするために、私はたくさんのことが知りたいのです」
「デビュタントを済ませたばかりでそんな考えが出来るなんて、立派だわ。でも、知らないほうが上手くいくことも実際には多い。リゼットさんは他者のことを思いやりすぎではないかしら?」
分かり合えない人間はいるし、立場上他者の心情など考えていたら枷にしかならないこともある。
グレースは序列一位の貴族夫人らしい尊大さをにじませながら首を傾げた。
確かにグレースの言い分もそれはそれで正しい。他者を顧みないことで築けるものもあるのだろう。ただ、リゼットにはその選択はできないというだけだ。
「グレース。お前はそれでいい。だがリゼットにお前と同じ考えを押し付けるのはおやめ」
「お義母様。押し付けているわけではありません。これは助言です。だってリゼットさんも将来は——」
「グレース」
「……はい。申し訳ありません」
しおらしく身をすくめるグレースに、スカーレットはやれやれと苦笑いをする。
ふたりのやり取りから、グレースは本当にスカーレットを敬愛していて、そんなグレースをスカーレットはとても可愛く思っていることがよくわかった。
血の繋がりはないはずなのに、ふたりはまるで最初から本当の母娘のように見えた。
「……知る前から切り捨てるより、知ってから選ぶほうがリゼットの為になる。私は賛成するよ」
「スカーレット様……! ありがとうございます!」
「ずるいわ、お義母様ったら。私だってリゼットさんのことは応援したいのよ? でも……ウィリアムがそう簡単に王宮行きを許すかしら」
頬に手を当てて「あの子、私に似ているから」と困ったように言うグレース。
言われてみれば、見た目や雰囲気からあまり似ていないと思っていたが、ウィリアムの過保護だったり心配性だったりするところは母親譲りなのかもしれない。
「実はウィリアム様には、昨日すでに相談をして、許可もいただきました!」
「まぁ、あの子が? 信じられないわ。一体どういう風の吹き回しかしら」
「王女宮から絶対に出ないことが条件ですが……」
舞踏会から帰る馬車の中で、リゼットはいちばんにウィリアムに相談をした。
グレースの言った通り最初は当然のごとく反対されたが、いつか本当の意味でひとり立ちをする為の予行演習にもなると訴えたところ、渋々了承してもらえたのだ。
デビュタントを終えたことが大きかったかもしれない。ウィリアムはもうリゼットを子ども扱いせず、ひとりの淑女として接してくれるようだった。
「まったく。あの子の過保護も相変わらずか。だが、王宮で以前危ない目に遭ったのだから、用心に越したことはないね」
「はい。でもウィリアム様が一緒のときなら、王女宮の外に出てもいいと言ってもらえました。書庫などに行きたいときは、連れて行ってくださると」
「ほんと過保護ねぇ。でもリゼットさん、こんなに可愛らしいんですもの。つきっきりで見守りたくなるあの子の気持ちもわかるわぁ」
私だって一緒にお買い物をしたりしたかったのに、と残念そうなグレースに、リゼットは「すぐに戻ってきますので」と慌てる。
「引っ越すと言っても、スカーレット様のお邸の修繕が済みましたら私も一緒に伯爵邸に戻りますから、王宮からはその前に戻ってきます」
「それだと、修繕が終わるまで二週間もないが、いいのかい?」
「十分です。一週間もあれば。私はスカーレット様の代筆者ですから。王宮に行っている間も代筆が必要なときはすぐに戻ってまいりますので、ご連絡ください」
やりたいことはたくさんあるが、スカーレットの代筆は他の何よりも優先される。
スカーレットの代筆は絶対におろそかにしたくない、大切な役目でリゼットの誇りなのだ。
「いや、そのときは私が王宮に出向こう。レオンティーヌが嫁ぐ日まで、出来るだけあの子の顔を見ておきたいしね」
「よろしいのですか? 王女殿下もきっと喜ばれますね!」
「ああ。……応援しているよ、リゼット」
スカーレットもグレースも、笑顔でリゼットを見守ってくれる。
こうして応援してくれる人いる幸せを噛みしめ、リゼットも笑顔でうなずいた。
「ありがとうございます! 頑張ります!」
デビュタント後のパワーアップしたリゼットを、応援よろしくお願いいたします!




