58通目【夢見た景色】
仕度が終わり、王女宮から本宮に戻ったリゼットだったが、聖樹の間に繋がる廊下を行こうとするとレオンティーヌに止められた。
「フェロー先生。こちらの階段から行きましょう」
「え? でも、舞踏会場はあちらでは……」
大丈夫ですからと妙にご機嫌な王女に強引に連れられ、はじめて本宮の二階に足を踏み入れた。
一階は広間と見間違うような広い回廊に、壮大な壁画や大理石、金の彫刻と煌びやかな雰囲気だが、二階はもう少し落ち着いた装飾が施されいる。そして王侯貴族の為に、細かく部屋が分けられているようだ。
「こちらの部屋にどうぞ」
「部屋に……? あの、一階に降りるのでは?」
「大丈夫です。中に階段がありますから」
なんと、部屋の中に一階への階段があるとは不思議な造りだ。スカーレットの書斎のような形になっているのだろうか。
隠し通路のようでドキドキしていると、扉の前で控えていた侍従が「王女殿下のお戻りです」と中に声をかけた。
(え? お戻り?)
どういうことかとリゼットが首を傾げかけたが、先に大きく扉が開かれ、笑顔の王女に手を引かれていた。
中に入ると、すぐにわかった。そこは確かに目的地である聖樹の間だったのだが、しかしリゼットがいた場所ではなく、王族専用の二階区画だったのだ。
「お、王女殿下。さすがに私、ここから一階には行けません。戻ります!」
「あら、大丈夫ですよフェロー先生」
先ほどからレオンティーヌは大丈夫しか言っていないが、まったく大丈夫ではない。
「ずっとフェロー先生を紹介したかったのでちょうど良かった」
「お待ちください。とても嫌な予感がするのですが……」
「ああ、良かった。いらっしゃったわ。お父様、お母様!」
リゼットは心の中で悲鳴を上げた。
王女レオンティーヌの父母と言えば、この国の主。国王夫妻しかいない。
「おお、レオンティーヌ。どこに行っていたのだ」
「アンリが探していましたよ」
豪奢な椅子に腰かけてダンスホールを見下ろしていた夫婦が振り返る。
金の冠を戴き、ビロードのマントに身を包むのは、やはりルマニフィカ王国国王と王妃、そのふたりだった。
圧倒的な王族のオーラにリゼットは眩暈がしたが、がっしりと腕を掴んで離さないレオンティーヌが、後ずさりすら許してはくれない。
「お兄様のことより、こちらの方を紹介させてください。私の手習いの指南役である、リゼット・フェロー先生です!」
ぐいぐいと国王夫妻の前に押し出され、リゼットは卒倒しそうになりながらも、かろうじて片足を引き最上級の礼を取る。
「ご、ご紹介に預かりました。フェロー子爵が娘、リゼットと申します」
「ああ、あなたが!」
「レオンティーヌの自慢の先生か」
国王夫妻はつたないリゼットの挨拶を笑顔で受け入れてくれた。それだけでなく、娘をよろしくと言って、気安く肩まで叩いてくれたのだ。
この国で誰よりも尊き方に対面できたうえに、優しい言葉までかけてもらえるなんて。
感動で打ち震えながら、内側からこみ上げてくるものを抑えるのに苦労した。
「さぁ、フェロー先生。お邪魔虫が戻ってくる前に始めましょう」
お邪魔虫というのは十中八九、王太子アンリのことだろうが、始めるとは?
レオンティーヌが侍女や侍従に指示を出すと、彼らは音もなく動きはじめる。間もなく、取り次ぎ役の侍従が「アンベール子爵。王女殿下がお呼びです」とウィリアムを呼んだ。
「さぁさぁ、フェロ―先生。階段はこちらですよ」
「お、王女殿下? ですがこちらは……」
「先生。この舞踏会は私の婚約を祝う名目で開きましたが、本当は先生のデビュタントのための舞踏会です。主役なのですから、誰よりも目立っていただかなくては」
そう言ってリゼットの背中を押す王女を、国王夫妻は微笑ましげに見守っている。
誰もレオンティーヌを止めようとしない。いいのだろうか? こんなことをして許されるのか?
リゼットが迷っている間に、人垣の中からウィリアムが階段に向かってくるのが見えた。
「フェロー先生。お迎えですよ」
「お、王女殿下……」
楽しそうなレオンティーヌに背中を押され、階段の前に立たされる。
うろたえるリゼットだったが、そこからの眺めに思わず見惚れてしまった。
宮廷楽団の演奏に合わせ、色とりどりの衣装で着飾った貴族たちが、くるくるとダンスホールを駆け抜けるように踊っている。回る方向も速度もまるで全員が打ち合わせていたかのようにそろっていた。
歌劇の一幕のような光景に感動していると「リゼット……?」と階下から聞きなれた声に呼ばれハッとした。
ウィリアムが、手すりに手をかけた態勢でこちらを見上げ固まっている。
(そうだわ。私がドレスを着替えているから……)
ウィリアムからプレゼントされたのに袖を通すことができなかった、星空のドレス。いまそれを身にまとい彼の前に立っているのだ。
少し気恥ずかしさはあったが、リゼットはドレスをつまみ「どうですか?」とたずねるような気持ちで笑った。
それに応えるように、ウィリアムが微笑む。なぜだか悔しそうにも見えたが、ゆっくりと階段を上がりリゼットの前までやってきた。
「……生まれてはじめて自分を褒めたい気分だ」
よく似合っている。
とけるような美声でそう言われ、手を取られた瞬間、音楽が変わった。歓声が上がる。
ウィリアムのエスコートで、一段一段、階段を降りていく。
いつの間にか貴族たちが踊りを止めてこちらを見上げていたが、気にならなかった。
リゼットの目にはもう、目の前で微笑む貴公子しか映らない。
一階に降り立つと、そのままダンスホールへと流れるように導かれる。迷いなく、リゼットはウィリアムに身をまかせた。
ずっとこのときを夢見ていたのだ。
理想の淑女らしい靴をはいて、その靴にぴったりなドレスを身に纏って、厳しくも優しい軍神と舞踏会で踊る幸せな夢を。
「ありがとうございます、ウィリアム様」
あまりに幸せすぎて涙があふれそうだ。
ウィリアムはそんなリゼットを見て、なぜかそっと目をそらした。
「やめてくれ……。そんな顔をされると、踊りを止めて抱きしめたくなるだろう」
しかめっ面で言ったウィリアムだが、耳の縁が赤く染まっているのを見てリゼットも頬を染めながら笑うのだった。
この後も一気に出してしまおうか迷ったのですが、丁寧に書きたい、じっくり味わっていただきたい話だったので次回に……!




