57通目【秘密の部屋】
王女は近衛騎士にエルヴィールたちを解放するよう指示を出す。
解放された令嬢たちは「なぜ?」と戸惑い顔だ。
「フェロー先生のお考えがようやく理解できました」
「王女殿下ならわかってくださると信じておりました!」
「王女殿下まで、一体何をおっしゃるのです……?」
感激するリゼットとひたすら困惑するエルヴィールたち。
対照的な令嬢たちに、王女は悩ましげな顔をしながらも、人の上に立つ者らしい寛大さでうなずいた。
「エルヴィール嬢には現実に目を向けていただく必要があると、フェロー先生はおっしゃりたいのですね。私もそう思います。妹としては少々複雑ではありますが……」
それはそうだろう、とリゼットも首がもげそうなほど何度もうなずく。
レオンティーヌとしては、兄に早く身を固めて落ち着いてほしいと思っているはずだ。次期国王なのだから、後継者も必要なはずである。
しかし兄のために純情な令嬢を犠牲にしたいわけでもない。
本当ならば王太子アンリに人の心を持ってほしいのだが、それはリゼットたちが願ったところで叶うものではないだろう。
王太子が改心するとすれば何がきっかけになるだろうか。天罰でも下らないかぎり、ありえなそうだ。
「では、王女殿下の許可も降りたことですし……エルヴィール様。イネス様たちも。まずはお手紙を出し合う関係から始めませんか?」
私たち、きっと仲良くなれると思うのです!
何の根拠もないが、笑顔でそう言い切ったリゼットに、最早エルヴィールたちが反論することはなかった。
お咎めなしで解放されたエルヴィールたちは、なぜか本人たちが釈然としない顔のまま聖樹の間へと戻されることとなった。
「……素敵なドレスを台無しにして、申し訳なかったわ」
部屋を出る直前、エルヴィールがそう言って頭を下げてくれた。
やはりとても純粋で素直な方なのだなぁとほっこりする。恋をすることを否定したくはないが、出来れば彼女が傷つかないように願うばかりだ。
「フェロー先生。本当によろしかったのですか?」
「はい。お手紙を出し合うお友だちが出来そうで、私はとてもわくわくしております!」
「まぁ。さすが、先生は本当にブレませんね」
「えへへ。それほどでも……」
「いまのは褒めたわけではございませんよ? 私はフェロー先生こそ心配です。時には厳しさも必要だと思いますわ」
腰に手を当てぷんぷんと怒る王女に、リゼットは苦笑いしながら謝る。
汚れてしまったドレスを見ると悲しい気持ちになるが、すぐに洗えばなんとかなるかもしれない。
「王女殿下。例のお部屋、使わせていただいてもよろしいでしょうか? 出来ればすぐにドレスを脱いで洗いたくて」
「もちろんです! ワインの染みでしたら、王宮メイドにお任せください。彼女たちはどんな汚れでも驚くほどきれいにしてくれますから」
「そんな、自分で洗いま――」
「なのでフェロー先生はその間にささっと仕度を済ませてしまいましょう! お顔にまでワインが飛んでいますね。化粧も仕直して、ついでですから髪も結い直しましょうね」
「ですが……」
「大丈夫! 私の侍女も凄腕ですから、あっという間に仕上げてくれますので安心なさってくださいね」
ここまで言われて、断ることが出来る人間がいるだろうか。
リゼットには無理だった。王族からの好意を問題なく無下にする方法をリゼットはまだ知らない。
「では……よ、よろしくお願いいたします……?」
妙に張り切るレオンティーヌに連れられて、やって来たのは王女宮だ。
実は王女宮の侍女たちに割り振られた部屋が集まる一画に、リゼットの指南役としての部屋も用意されたのだ。
王太子の部屋付き侍女の案に乗るようで癪ではあるが、リゼット専用の部屋はあったほうがいいとレオンティーヌが提案してくれた。宿泊はもちろん、指南役としての道具置き場に使ってくれても構わない、と。
「申し訳ありません、レオンティーヌ様。ドレスを一着置かせてほしいなどと、我がままを言って……」
「我がままだなんて。フェロー先生にご用意した部屋ですもの。どのようにお使いいただいても構いません。それに元はと言えば、お兄様がまいた種です。妹の私に償わせてくださいませ」
用意された部屋に入ると、王女宮にふさわしい愛らしく繊細なデザインの家具が用意されていた。
その部屋の真ん中に飾られていたのは、あの星空のドレスだ。
着ることの叶わなかったウィリアムから贈られたドレス、そして青い靴がキラキラと輝きながらリゼットを待っていた。
「スカーレット叔母様のドレスも幻想的でお似合いでしたが、こちらのドレスはうっとりするほど美しく洗練されていて素敵ですね」
「はい。……私にはもったいないほど素晴らしいドレスです」
実は、スカーレットのドレスを着て行くことが決まったとき、リゼットはどうしてもウィリアムのドレスを諦められず、内緒で公爵家の執事に王女宮へ届けるよう頼んだのだ。
レオンティーヌに事情を説明する手紙を書き、仕度をしている間に一緒に送ってもらったところ、無事レオンティーヌの元に届きこうして部屋に用意してもらうことができた。
(一曲だけでいい。ウィリアム様とこのドレスと靴で踊りたかった……)
帰る直前の一曲だけでも、さっと着替えて踊れたら。そして王太子に絡まれる前にさっと帰ることができれば。
そんな風に考えてレオンティーヌに協力してもらったのだが、それがこんな形で役に立つことになるとは思っていなかった。
「さぁ、皆さん準備を急いで!」
レオンティーヌの指示で、侍女とメイドたちが慌ただしく動き出す。
リゼットはドレスを脱がせられ、髪をほどいてもらいながら、ウィリアムから贈られたドレスを見つめた。
このドレスを着て会場に戻れば、どこかから見ているだろうジェシカはどう思うだろう。
思い通りにいかなかったことで、余計に憎しみを募らせるかもしれない。
ジェシカの目的は、本当は何なのだろうか。
リゼットをフェロー家に戻すことなのか。それともリゼットを苦しめることなのか。
なぜ義姉がこんなにも激しい執着をみせるのかがわからない。こんなことをしても、ジェシカ自身が幸せになれるとはとても思えないのに。
(だから、私は負けないわ。お義姉様に何をされても、くじけたりしない)
私は幸せになるために前を向いていく。だからあなたも自分の幸せのために前を向いてほしい。
それを伝えるためにも、リゼットはあの大広間に戻る。誰を傷つけることなく、堂々と胸を張って。真っすぐに前だけを見て自分の足で歩いていく。
そのための勇気を、ウィリアムがくれたドレスと靴がくれるだろう。
準備が終わると、レオンティーヌだけでなく部屋にいる侍女やメイドたちの誰もが熱い息をもらした。
「本当に……とても素敵です、フェロー先生!」
興奮したように手を叩くレオンティーヌに微笑みを返し、リゼットは立ち上がった。
ウィリアムからもらった青い靴は、驚くほどぴったりとリゼットの足になじみ、まるで足に羽が生えたように軽く感じる。
「行きましょう」
そして、王宮舞踏会の第二部が幕を開けた。
義姉のことも想うリゼットは、やはりリゼットです。




